聖女の力
一時的に拠点としていた街のラザスを出て、タゾール街道を二人で歩いていた。街と街を繋ぐ比較的大きい街道だからか、人通りはそこそこだ。
ラザスを出る時に見送りはなかったけれど、疫病神とばかりに石を投げられて街から追い出される可能性もあったのでこれで良かったと思う。
それに隣にはマヤがいる。お仕着せから冒険者スタイルへと衣装チェンジしても変わらずビジュが強い。
全世界よ見て下さい、推しがこんなにも最高です。
「リアム様、これからどちらに向かうんですか?」
「もう貴族じゃないしさ、これからはリアムって呼んでよ。敬語もやめてほしいな」
「ですが、リアム様は私にとって恩人ですし」
「その僕が良いって言ってるんだし、気にしないで。それに呼び捨てにしてもらったほうが嬉しいなって」
「…………」
「駄目かな?」
「……分かった、リアムがそうしてほしいなら」
本当に渋々という感じではあったものの、出会った時のように喋ってくれるマヤについ口元が緩んでしまう。
聖結晶石が埋め込まれている街道は穢物の姿もなく、これといった危険もないまま街道に沿って歩く。
進みは順調なものの、次の街に着く前に日が暮れたため、その日は野宿となった。移動手段が徒歩しかない以上、こればかりは仕方がない。
そういえば、ゲームだと物語中盤辺りに転移装置を使えるようになるイベントがあった。その装置を作ってる発明家は王都バシュタッドに居たはずだ。
クエストやイベントが実際に起こるのだとしたら、複数の街や村を行き来して解決する必要がある。早めに王都へ向かう必要がありそうだ。
街道の脇に天幕を張って火を起こしている冒険者の姿をちらほら見かける。あまり離れると穢物に襲われるからだろう。
人の多い場所の傍で自分達も火を起こし、それを絶やさないようにしながら交代で休んだ。最初は朝まで眠れないから疲れが取れなくて大変だったけれど、今は随分慣れた。
冒険者になった以上、自分の身は自分で守れなければ生きていけないからだ。マヤが夜の見張り番をすると申し出てくれたけれど、それでは彼女の負担ばかりが増えてしまう。
朝までぐっすり眠るのは次の街に着いた時の楽しみにして、まずは今夜を乗り切ろう。
「…………ん?」
マヤと見張りを交代して焚き火を眺めていた時、周辺の空気が変わるのを感じ取った。パキ、と小枝の折れる音が少し離れた場所から聞こえてくる。
「起きろ! 近くに何か居る!」
咄嗟に叫ぶと、その場に居た全員が飛び起きて武器を構えた。
全員が息を潜め、暗闇の中に居る何かを待ち構える。焚べられた枝木の爆ぜる音だけが辺りに響いた。
「――――」
小声でマヤに防御力が向上する魔法と身体能力が向上する魔法を重ね掛けする。自分にも同様の魔法をかけ終えた瞬間、暗闇から何かが飛びかかった。
「リアム!」
マヤの叫ぶ声と同時に、彼女の振るった剣が獲物を捕らえる。ギャッ! と短い悲鳴の後に撥ねられた首と黒い飛沫が宙を舞った。
どちゃっ、と重たい音。力なく横たわる四つ足の体躯と、遅れて地面に落ちた頭部をその場に居る誰もが見る。
艶のない黒い体毛と、赤い目。切られた所から滴る黒い血液。この世のものとは思えない亡骸からは、うっすらと黒いもやが立ち込めている。
「穢物だ!」
誰かが叫んだ。その声を皮切りに暗闇の中から次々と穢物達が襲いかかってくる。
一体何が起きたのか分からないまま穢物の群れを迎撃する。
街道に埋め込まれた聖結晶石の力が弱まっているのではないかと、そんな考えが浮かんですぐに打ち消した。
今はそんなことを考えている暇なんてない。
「くそっ、街道の傍は安全じゃないのかよ!」
「良いから逃げるぞ、死にたいのか!?」
蜘蛛の子を散らすように一部の人達が逃げ惑い、散り散りになる。駄目だと叫んでも誰も足を止めず、街道を駆けていく。その姿が暗闇に紛れて見えなくなった後、悲鳴が聞こえた。
尚も穢物の猛攻は止まらない。マヤが倒しきれなかった一頭が牙を剥き出しにしながらこちらへ飛びかかってくる。
心臓が飛び跳ねるのが分かった。息を詰めながら、戦い方を教えてくれた冒険者の言葉を脳内で反芻する。
どんなに怖くても絶対に目を閉じずに相手の挙動を見ること、自分が使う武器の間合いを体に覚え込ませること。
その二つさえ出来れば、大抵のことはどうにかなる。
師匠と密かに呼んでいた冒険者の教えを胸に、間合いに入った穢物へ剣を振るう。
穢物の短い悲鳴が聞こえる。切れたのは前脚一本だけだったが、それで十分だった。動きが鈍くなった穢物の命を直ぐ様マヤが刈り取る。
「ごめんなさい、一頭逃がしてしまって」
「むしろ一頭だけなのが凄いよ」
互いの視界を補う様に背を向け合う。会話を交わしつつも、構えは解かない。
「父ちゃん、父ちゃん!」
怒号と悲鳴が飛び交う最中、涙まじりの声が聞こえた。声のした方を見ると、血塗れで動かなくなった男性の傍に縋り付くようにして呼びかけ続ける幼い子どもの姿があった。
その小さな背中に穢物が襲いかかろうと駆け寄っていくのが見えた。
「マヤ!」
「分かってる」
駆け出した自分を追い抜いて、マヤが穢物の首を一撃で跳ねる。男性の傍らに座り込み、口元に耳を近づける。
まだ息がある。助けられる。
「君に怪我はない?」
「父ちゃんがっ、父ちゃんがオレを庇って、それでっ……!」
「大丈夫だよ、今お父さんに回復魔法をかけるからね」
ぼろぼろと大粒の涙を流す少年へ出来るだけ穏やかに声をかけ、特に大きい傷の前に両手を翳す。
回復魔法を唱えると掌から光が溢れ、みるみる傷が塞がる。それに比例して、身体に疲労が溜まっていく。魔力を消費しているからだろう。
「う……」
「っ、父ちゃん!」
細かな傷こそ残っているものの、青白かった顔に赤みが戻っている。どうにか一命は取り留めたようだ。
けれど安心するにはまだ早い。穢物の群れはまだ冒険者達を襲っている。
「マヤ、聖結晶石に力を込めてほしい!」
「分かった、どうやってやればいい!?」
攻撃の手は緩めないままこちらに聞いてくる。その時になって気づいた、マヤはまだ聖女としての力を目覚めさせていない。
どうやって。どうやればいい。
ゲームであれば、跪いて祈りのポーズをした聖女の前に『力を目覚めさせる』というテロップとコマンドが表示されていた。
実際にはどうやるのかなんて分からない。神様から聞いておくべきだった。
焦りで額に汗が浮かぶ。
未だ終わらない穢物の襲撃。襲われて重傷の人達の治療。マヤだって今は持ち堪えているけれど、それもいつまで保つか。
朝まであとどれだけ時間が残っているだろう。今の状況を打破する方法は分かっているのに、それが出来ない。
焦ったらいけないと思えば思うほど、焦りが思考を狭める。息が上がる。背中に嫌な汗が伝って、それが酷く不快だった。
「兄ちゃん、大丈夫……?」
様子がおかしいことに気づいたのか、心配そうにこちらを見上げる瞳に少しだけ思考が冷静になる。この子が今頼れる相手は自分達だけだ、大人が子どもを守れなくてどうする。
「守る……?」
過ぎった考えにハッとした。そうだ、聖女は祈りを捧げなければならない。救いたい、守りたい、助けたい、そういった願いが聖女の力となる。
「マヤ、こっちに来て! 動ける人達は怪我をした人を抱えて、僕の傍に来て下さい!」
腹からありったけの声を出した。それが届いたのか、周囲で穢物と戦っていた冒険者達が駆け寄る。
すぐに両手を地面に触れさせ、結界魔法を口にする。ドーム状のそれは一帯を包み込み、穢物の攻撃を弾いた。
「マヤ、祈るんだ!」
「祈るって何を祈ればいいの!?」
「何でもいい、神様に願いたい気持ちを祈って!」
我ながら無茶なことを言っている。それでもやってもらうしかない。
マヤは不幸な巡り合わせで心を失いかけた。でも、一緒にそれなりの時間を過ごしてきた。彼女の中にも芽生えた気持ちがあるはずだ。
考え込むようにマヤが俯く。そして、誰に教えられたわけでもないのに祈るように手を組んだ。
彼女が何を祈ったのかは分からない。でも、その祈りが神に届いたのだろう。
マヤの胸元の辺りから光が溢れ、次第に球体へと凝縮されていく。両手でそっと包み込むように持ち上げ、それを頭上へと掲げた。
その瞬間、光が弾ける。
あまりの眩しさに目が眩む。結界を張らなければいけないのに、それも忘れて光を見ていた。他の冒険者達も何が起きたのか分からないまま光を浴びている。
音もなくその光が消えた後、チカチカとする目で辺りを見渡す。結界をぐるりと取り囲んでいた穢物たちは力なく横たわり、息絶えていた。
聖結晶石の埋め込まれた街道は淡く光を発していて、本来の効果を取り戻しているのが分かる。
やっぱり力が弱まっていたのか。当たってほしくなかった予想が当たっていて、苦い気持ちが込み上げる。
誰も言葉を発しなかった。聖女の力を目の当たりにして呆けていた。
マヤを見ると、彼女はだらりと持ち上げていた腕をたらして立ち尽くしていた。かと思えば、その体がゆっくりと傾いていく。
「マヤ!」
すぐに彼女の体を支えた。慌てて顔を覗き込むと、意識を失ったのかその目は閉じられている。
地平の向こうから空が白み始め、長かった夜が明けようとしているのを教えていた。
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