逆襲の上腕二頭筋
これはコメディです。
専門用語については常に調べられる状態でいた方が解りやすいかと思います。
また普段の短編より倍以上長いお話になっていますのでご了承ください。
「貴方とはこれまでですわ!」
目の前の少年にそう言ったのは、如何にも上質な、煌びやかで瀟洒なドレスに身を包んだ彼と同年代であろうと思われる少女だ。
金と言うには濃いめの、茶色に近い髪は見事な程の縦ロールになっており、その渦巻き部分には人参どころか大根ですら支えられそうな迫力がある。 こう「ドーン!」と。
「どういう意味だい? カテリーナ」
彼女の唐突でよく解らない言葉に、それでも平静さを装い、彼は問う。
黒い髪をした彼は、その場では若干浮いている。 周囲の少年少女たちに黒やそれに近い濃い髪色をした者はいないからだ。
そんな彼を、少女は見下す様に言った。 可愛らしいツリ目が「クワッ!」と開かれる。
「どういう、ですって!?
貴方解っていませんの!? 魔力値0なんて前代未聞ですのよ!?」
この国の者は基本的な初等教育を受け、十歳になる年に魔力を測定するのだ。
中等教育からは魔力を基準に通うべき教育機関が選ばれるが、魔力値はそれを、そしてこれからを決める重要なファクターなのだ。
それを今日、彼等は計ったばかりであった。
「そんな貴方はわたくしに相応しくありませんもの。
そんなふたりにあるのは婚約破棄しかございませんわ!」
「ズビシッ!」と、そんな効果音が聞こえるくらいの勢いで右手人差し指が突き出された。 そこに乗った魔力が彼の額にぶち当たる。
スコーン
そんな音を立ててド命中した一撃は、華奢な彼の意識を朦朧とさせるには十分だった。 クラッとした少年は片膝をつく。
「英雄の血を引くというハオブトロレ家もこれで終わりですわね。
さ・よ・う・な・ら。 アルデア=ハオブトロレ」
彼女は彼に背を向けると、会場を後にすべく歩き出した。 ぞろぞろと付いていくのは取り巻き達。
「……か……かてり」
「ああ、そうそう」
少年 ――アルデアの声を遮り、肩越しに彼を見る。 冷たい、氷の視線は物理的に彼の動きを封じた。
「やーっておしまい」
殴る蹴るの暴行が始まった。
初めは躊躇う様なそれも、時間が経つと強く、容赦なく。
五分も続けば抵抗する気力もなくなり、十分も続けば身を防ぐのすら出来ない程疲れ果て、二十分もしたら殴る方も疲れてくる。
リンチが終わったのは三十分後。
汚水を被せられ、暴行は締めくくられたのだ。
☆ ★ ☆
アルデアはボロボロの姿で帰宅し、父母へ事情を説明した。
魔力0。
それは将来に渉って、魔力を得る事の出来ないある意味稀少な存在だ。 役に立たない、と言う意味でだが。
父は黙ってそれを聞き、足早にその場を去った。
降嫁してくる筈だったカテリーナ王女に見捨てられた彼の噂は社交界で、貴族内で、市井にすらあっという間に広まるだろう。
アルデアはひとり息子だ。 古き血筋とは言え、ちからの衰えたハオブトロレ家に再興の目はないと言っても過言ではあるまい。
だが何もせず座して待つ訳にはいかないのだ。 彼は当主なのだから。
母はただ泣き崩れた。
公爵家で蝶よ花よと育てられた、育てられてしまった彼女は逆境には耐えられなかった。
そんな両親を見て、彼もただ座している訳にも行かなかった。
全ての原因は自身にあるのだから。
傷も癒えぬまま、彼はそっと家を出たのだ。
自分さえいなければと、短絡にそう考えて。
今日の屈辱を胸に刻み込んで。
★ ☆ ★
あれから十二年の歳月が流れた。
王都から離れた山奥で、アルデアはひたすらに己を鍛え上げる事を目標にして暮らしていた。
魔力がないのなら、彼に頼るべきは体力・筋力だけだったからだ。
そう、頼るべきは己が肉体のみ。 攻防一体の筋肉のみが彼の武器であり防具。
齢十にして身長150㎝ほどだった彼は、凄まじいトレーニングのお陰か、偏った食生活のせいか、それとも英雄の血筋のせいだろうか。
今や身長200㎝を超え、黒光りする見事な逆三角のボディーを見せつける様に立つ彼は、何処から如何見てもボディビルダーだった。
「今こそ我が筋肉を見せつける時!」
アルデアはそう叫ぶと『ラッドスプレッド』と呼ばれるポーズを取った。
それは正面から広背筋を見せつけるポーズである。 拳を脇に当てる様に両腕で円を描き、その円の中、脇の下から見えるのは発達した広背筋なのだ! 正面を向くポーズでありながら、背筋を覗かせる、それは正しく筋肉の翼だ。 ピクピクと動くそれは本当にその身体を空へ導きそうな感じさえしてくるだろう。
見るがいい!
アルデアの身体は宙に浮き、天使の様に空を舞い始めたではないか。
黒光りする肉体に身につけるのは一枚のブーメランパンツのみ。 その冒涜的な姿はただ天使と呼ぶには物足りない。
冒涜的な筋肉堕天使アルデア!
変わりきった彼は今、王都へ向かって文字通り飛び立ったのだ。
青虫が蛹となり蝶に変わる事を変態というなら、彼の変貌は正しく変態であり、その様相もやはり変態であった。
☆ ★ ☆
久しぶりに家へ帰ると門番に「お前は誰だ!?」と突き出された槍と共に誰何された。
知った顔にそう言われるのは辛いものだ。 だが十年も前に問題を起こし家出した息子である。 むしろそうするのが普通の対応であろう。 対応としたら極普通と言える。
この十年あまり、変わらぬ対応をしてきたであろう彼の行動には頭が下がるばかりだ。
しかし彼もこの十二年、何もしなかった訳ではない。
それどころかハオブトロレ家の現状には耳を傾けていた。 今、没落寸前である事も聞き及んでいたのだ。
「やあ、エドワード」
だからこそ恥を忍んで、文字通り舞い戻ったと言える。 また彼とて、あの時の屈辱を忘れた訳ではないのだから。 一方で己が姿を顧みずパンツ一丁で外を歩き、久しぶりの実家を訪問するという彼は恥を忍んでいるかと言われると甚だ疑問だ。 一般的な親から見ると憤慨ものだろう事は想像に難くない。
恥を忍んで恥知らず。 そんな彼はにっかりと、笑みを浮かべた。
にっこりではない。 にっかりである。
ブーメランパンツ一丁でその見事なテカテカした筋肉を隠しもせず、にかっと笑う姿は大地に埋まる天使か天上に住まう悪魔か。 全身の毛はほとんど残さず剃られており、肉体美を隠そうとするモノは殆ど存在していない。
全裸同然で、眉や眉毛は残っているが髪はない、そんな異常な姿の人間を見て、誰何し槍を向けるのは門番として至極当然の事だろう。 ここで通したら何の為にいるのか判らない。 そんなものはオブジェと差がないではないか。
たとえ相手がどんな化け物であっても、何もせず門を通したら門番の名折れだ。
「止まれ! 何者だと聞いている!」
(こんなモノを通して将来アルデアさまの継ぐべき場所をなくしてしまうわけにはいかないのだ!)
「久しぶりだね、僕が分かるかい? アルデアだ。
元気だったか?」
エドワードからすると、酷く聞き取りにくい声で話す変態の言葉は、とてもヒアリング出来ないモノだ。 つまり意思疎通が不可能!
彫りの深い笑顔は表情筋すら鍛えられているのが、笑顔からピクリとも変化がない。
それが足を止めずに前進してくるのだ。 そんな相手に問答など無用である。
鋭く繰り出される槍の穂先を見つめ、アルデアは悲しげにその表情を歪ませる。
(そうか……。 今、王家に逆らう訳にはいかないもんな。 カテリーナに拒絶された僕を通す訳にもいかないか)
のんびりと考えている間に槍は彼の肉体に到達するが、それは筋肉の鎧を貫く事は出来なかった。
『リラックスポーズ』。
一見自然体に見えるその姿。 実は全身に常に力を入れているという誠にキツいポーズである。
だが、だからこそその鎧は鉄壁。 不意打ちだろうが何だろうがその引き締まった筋肉を傷つける事は何人であろうと不可能なのだ。
――ギンッ!
金属同士がぶつかった様な音と共に槍が弾かれる。
「馬鹿なっ!?」
弾かれ歪んだ穂先を見ながらエドワードは戦慄した。
先程からモゴモゴと、何かを食べている様に話している(のだろう、多分)謎の異人は、どう見ても全裸なのに彼の槍の一撃を肌で弾いて見せたのだ。
その姿は正に異形。
(これには……勝てん! ああ、アルデアさま、申し訳ありません……!)
エドワードは死を覚悟した。
脳裏に幼い頃のアルデアの姿が浮かぶ。
あの日、王女殿下に婚約破棄を突きつけられ、絶望の内に家を出た嫡男。 今は一体何処で何をされているのか……。
奇妙に顔を歪ませる謎の異人は、そんな事を思い立ち尽くすエドワードに何をするでもなく、門扉に飾られた国旗をへし折るとそれを持って彼に背を向けた。
何処か哀愁を漂う背にエドワードは何故か、行方知れずの少年を思い浮かべるのだった。
★ ☆ ★
手にした国旗に、トマトの絞り汁で大きく×を描き、アルデアは王城への路を進んだ。
国旗に×印は反逆の証。
瑞々しいトマトだった為、多少その色は薄いが。
付けっぱなしだったマウスピースはなくさない様にブーメランパンツに引っ掛けて、反逆の印を持って歩く姿は反逆者というよりは、やはりただの変態で、周囲の人間は騒ぎ立てるようなことはせずただ遠巻きに彼を見て囁くだけだ。
(ヤバい)
(ヤバい変態を見た)
(ママー、あれなぁに?)
(見ちゃダメよ、あんなもの! ほら、おめめを洗いに行きましょうね)
(おーい、誰か詰め所に行ってこいよ)
(ヤバい、目が合った!?)
(ゴシュウショウサマ)
(何でテカテカしてるのぉーっ!?)
(筋肉の、化け物……!)
(何で国旗を持ってるの? 王家のパフォーマンスなの?)
(笑顔、濃っ!)
(贅肉が――ない……)
(うらやま……しくはないかな、うん)
(パパー、パンツに何か入ってるー?)
(見るな-! 見ちゃダメだ-!)
(腹筋がスゴいわ……ドキドキ)
(やらないか?)
(やらねーよ!?)
(殺らないか?)
(無理だろっ!?)
(ヤダヤダヤダ! 股間から目が離せないっ!?)
(この方向って……あいつ、王城へ向かってないか?)
(まさか、王家の関係者!?)
(腕、太っ!?)
(パンツ一丁で恥ずかしくないのかしら?)
(笑ってる……)
(笑ってるよ~、こえー)
(あ、来た)
囁き声が辺りにざわめく中、鎧を着た一団がアルデアの前に展開する。 その数六人。
「そこの変態っ!!」
真っ先に声を上げたのはその中の隊長格。 開けられた面頬から見える顔は意外と若い。
アルデアは聞いていないのか、変態という自覚はないのかそのまま前進する。 世の中、変態でも自身はそうであると自覚する変態はそう多くはないのだ。
そのまま進み、一団 ――詰め所にいる治安維持を仕事にする騎士たちだ―― 接触。 なぎ倒していく。
何せアルデア、反逆の証たるバッテン国旗を両手で広げている為、若干視界も悪いのである。 ポールを折って持ってきた弊害であった。
「おっと、すまないね。 怪我はないかい?」
一団の着る鎧はフルプレート。 成人男性が着込むと易々と総重量100㎏を突破する代物だが、それを揺らぐ事なくボーリングのピンの様になぎ倒してしまったのだ。
ビバ! 筋肉!
「くっ、この変態め!」
後方にいた三人が剣を抜いた。
隊長を含め、前方にいた三人は板金鎧を着て転倒したのだから、簡単には立ち上がれない。
(昼間っから安易に抜刀するなんて……王都も随分と治安が悪くなっているな)
その気持ちが表情に出たのか、一瞬、酷く顰めっ面になった彼を見て剣を抜いた三人は警告する事もなくアルデアに斬りかかった。
彼の顔が恐かったのである。
そんな、問答も手加減も無用の剣撃は、容赦なくアルデアに……打ち込まれる事なく、一本は異常に硬い腹筋に阻まれ、一本は厚い肩を打ち据えたもののまるで痛打にならず、最後の一本は頭突きで破壊された。
アルデアは基本的に濃い笑顔のままである。
「「「馬鹿なっ!?」」」
あまりの光景に硬直する騎士達。
にっかりと微笑む彫りの深い顔は三人をその瞳に映した。
見下す訳ではない。 哀れむ訳でもない。
ただ、国の現状を愁いていた。
(騎士ともあろう者がただの人を襲う……。 これが今の王都か……)
愁いた彼は屈辱を晴らす為ではなく、国の為に、民の為に彼等を粛正しようと、そう決意するのだ!
国旗を石畳に突き立て、両腕を高く上げる。 その腕を大きく円を描く様に左右へ下ろしながら、下半身は横を、上半身は前を向く様な格好でポージング。
『サイドチェスト』とそう呼ばれる、胸の厚みと腕の太さをアピールしつつ、背中と足を横から見せ、肩をひたすら主張するポーズだ。
彼がそのポーズのまま全身を小刻みに振るわせると、細かな振動が地面を伝播し、大地を、騎士達を空高く吹き飛ばした!
――ドッコオオォォ――――――ン!!
ついでに野次馬も何人か巻き込んでいるが砂煙に撒かれ、アルデアは全く見ていない。
「「「「「「ぐわあああああああああああああああああっ!?」」」」」」
「「「「何でオレ達まで~~~~!?」」」」「「「ひやあぁぁぁぁっ!?」」」「「「「どひぃぃぃぃぃっ!?」」」」
アルデアは彼等にはもう目もくれず、ただ王城へ歩を進めるのだった。
★ ★ ★
「いたぞ! あの変態を止めろぉぉぉ!!!」
王城へ続く橋の前でアルデアの前に立ちはだかったのは騎士隊と魔法使いの部隊だ。
魔力至上主義のこの国では魔法使いはエリート職である。
「「「「「炎の矢!」」」」
「「「「氷の槍!」」」」
「「「電撃!」」」
「「爆裂!」」
炎の矢が、氷の槍が、雷撃が、地形すら変える爆発がアルデアを襲う。
彼は咄嗟に背を向け、『リアリラックス』。
要は相手に背を向けた『リラックスポーズ』である。
アルデアの背に、頭に、尻に、攻撃魔法が直撃する!
(……え? 魔法ってこんなもんなのか?
こんなものの為に僕はあの屈辱を味わったのか?)
まるで痛打にならない攻撃に面食らいつつも、改めて自信を持った彼は『フロントリラックス』に移行すると力強く前進を始めた。
彼と同じく無数の攻撃を受けているブーメランパンツもマウスピースも無事である。 何故か無事だ。 絵面的にも倫理的にも無事であるに越した事はないのだが、何とも不条理であった。
また、弱点を狙っているのであろう。 何発かは『そこ』に直撃しているのだが、彼は平気な顔をしている。 笑顔は崩れない。 冷や汗のひとつも流れない。
やせ我慢なのか、本気で効いていないのかは恐らく本人しか知らない。
「石筍!」
真下から、石の槍が股間を狙う。 だが間違いなく石筍がぶつかりそこで砕け散っているというのに、それすらも効果がある様には見えない、正しく鉄壁の防御だ。
「な、なんなんだよ、コイツは……この変態は何なんだ!?」
まあ、泣き言も言いたくなるだろう。
一方でアルデアも攻撃を受けているだけではない。
全身の筋肉を張る『リラックスポーズ』を維持したまま、足を軽く広げ両腕をくの字に曲げる。
『ダブルバイセップス』。
両腕の力こぶを膨らませる様なポーズと言えば解りやすいだろうか。 上腕二頭筋を見せつけつつも、逆三角の体型や腹筋、身体全体のバランスを全て見る事が出来る、代表的なポーズである。
彼がそのポーズに移行した瞬間、周囲の空気は激しく振動し、彼を中心に大爆発を起こしたのだ。
――ドオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……ン
「「「ぐわあぁぁぁぁぁっ!!」」」「「「そんな馬鹿なああああぁぁぁっ!?」」」
エリート集団があっさりと壊滅した瞬間であった。
アルデアは笑顔のまま前進する。
止める者などもういないと言わんばかりに。
「そこまでだ! 狼藉者! いや、変態めっ!!」
順番待ちでもしているのか、その次に現われたのは豪奢な鎧を身につけた美丈夫達と妙齢の ――アルデアと同年代に見える女性だ。
何故美丈夫なのか判るかというと、彼等は全員兜を被っていないのだ。 先程の騎士とは明らかに材質の違う全身鎧を纏い、それぞれ武器を携えているにも関わらず、何故か顔が丸出しであった。
さらさら長髪金髪さん。
角刈りっぽい銀髪さん。
逆立つ髪した赤髪さん。
もこふわ羊の白髪さん。
ちりちり頭の茶髪さん。
つるつる無毛禿頭さん。
そんなイケメン六人衆である。
そう、禿げさんもイケメンだ。 お稚児さんとか囲っていそうな、美形な坊さんタイプのイケメンである。
そんな彼等の後ろに控えるのは瀟洒なドレスに魔法の掛かった手甲を付け、ティアラを被った女性。
そのキツい目つきは十年経っても変わっていない様だ。
「久しぶりだね、カテリーナ」
マウスピースを外した為、エドワードと対した時よりは滑舌の良いアルデアだ。
といってもここ十年、他人とまともに話していない彼の声は、通りが悪い。 やはり聞きにくいモノだった。
それでも王族として様々な人と対してきた彼女の聞き取り能力は高い。 自身の名を呼ばれた事は理解出来たらしい。
「お前の様な変態は知りません!
さあ、やーっておしまい!!」
『あの時』の様に、彼女の号令で六人が動き出す。
だが、彼もあの時の彼ではない。
ひたすら鍛えたその肉体は、武器も魔法も徹さない。 それは実践済みなのだ。
金髪さんの細剣が殺意満々で喉元 ――秘中と呼ばれるそこを貫こうとするが、鋭利な剣先ですらそこを刺し貫く事は出来ず、逆にその勢いで細剣は曲がり、折れてしまう。
折れた剣を見る金髪さん、ボーゼン。
銀髪さんは距離を取って、弓での連射だ。
額、目、口、鳩尾とヤバそうなところを微笑んで射っているが、直ぐにその笑顔は凍り付いた。
額への攻撃は矢が砕け、口への攻撃は歯で止められ、鳩尾には刺さらず、目への一撃は何故か瞼に弾かれた!
赤髪さんの武器は斧槍。
両手で振り回すその姿は正しく三国無双! 何処の三国かは解らないが古くからの言い回しである。
遠心力をも利用した力強い一撃がアルデアを襲うが、彼の筋肉はそんなモノで断ち切られる程弱くはなかった。 並みの人間であれば肩から脇腹まで袈裟斬りにされてしまうであろう一撃は、分厚い僧帽筋で止められてしまう。
多少食い込みこそすれ、鎖骨にすら届かない一撃は皮膚表面に赤い跡を付けるに留まった。
赤髪さん、口をあんぐり。
白髪さんは魔法要員。
太陽の光を収縮させ、一本の光線を放った ――のだが、それは黒光りするボディオイルに反射された。 何故か反射した。 敢えて言うなら反射するっぽいから反射したのだろう。
跳ね返った光線は白髪さんの髪に一陣の逆モヒカンを作った。 その超高速モーゼと言うべき海割りならぬ髪割りは、きっと元に戻る事はないのだろう。 そう予感させた。
白髪さんは絶望に泣き崩れた。
茶髪さんは魔法剣士だ。
握りしめた手に炎の長剣を生み出し上段へ構えたが、白髪さんの反射された光線がその剣を融解してしまった。
金髪さんの様に、信じられないと言った風に己の手を見つめる。
禿頭さんは回復要員。
皆が怪我をするのを今か今かと待ち構えている。 それが彼に与えられた仕事なのだ。 白髪さんの髪は気にしない。 だって怪我じゃないし。
イケメン’sの攻撃が一通り終わったのを見計らってアルデアは攻撃に転じた。
身体をやや前傾にして拳を付き合わせる様なポーズを取る。
首横の僧帽筋や肩の腕の太さを強調する、もっとも力強いと言われるそれは『モスト マスキュラー』と呼ばれるポーズである。
僧帽筋は異常に膨らみ、太い腕は硬く引き締められていく。
その姿は筋肉の芸術と言っても過言ではあるまい。
その雄々しさを直視した者は余りの感動にきっと涙する事だろう。
力強く握られた拳と拳の間に目に見えない、それでいて魔力ではない『何か』が溜まり圧縮された。 空気が風となり、塵が渦と化し、集まる。 集まっていく。
「させませんわ!
小隕石!!」
カテリーナはイケメン’sがやられてもまるで動揺せず、また色んな意味で直視しがたい変態の姿から微妙に視線を逸らしていた為、特に涙するような事もなく己の最強魔法を放っていた。
「HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!」
その『敵ながら天晴れ』な姿にアルデアは呵々大笑。 白い健康的な歯が眩しい満面の笑みで迎え撃つ。
ポージングは『モスト マスキュラー』から極自然に『サイドトライセップス』へ。 腕を横から見せ上腕三頭筋を強調するそのポーズは、腕以外にも胸の厚みや足の厚みなど、身体の凹凸を見せるものだ。
先程蓄積された『何か』が腕全体に浸透し、強く輝き始める。
そこへ、カテリーナの喚び出した、直径10m程の赤熱する隕石が直撃した。
その瞬間に彼のポーズが『アブドミナル アンド サイ』と言う、腹筋と足を強調する頭の後ろで手を組んだ様なポーズに変化した事に気づけた者はいなかっただろう。
光り輝く腕が中段から上段へ跳ね上がり、小隕石を打ち砕いたのである!
筋肉バンザイ! マッチョ最強!
攻撃魔法としてはほぼ最強の隕石召喚に加え、彼の三つのポージングのエネルギーは想像を絶するものであった。
――その瞬間、全ての音が消えた――
凄まじい、そうとしか言えない衝撃力はアルデアを中心に嵐のように吹き荒れた。
もしその光景を成層圏から確認出来る者がいれば、隕石が落ちた瞬間、そこから砂塵を飲み込んだ風が大渦を巻き、一息に王都を飲み込んだ光景を見る事が出来ただろう。
それは蚊取り線香の中心から火を付けた光景を早送りすると解りやすいだろう。 中心から、円を描くように全てを灰燼と化すのだ。
幸いだったのは王城が小高い場所にあった事と、衝撃が若干上向きだった事だろう。
衝撃点のすぐ側に存在した城は跡形もなく砕け、消し飛んでしまったが、王都の家々は殆どが屋根を吹き飛ばす程度の被害で収まっていた。
もっとも、王城に近い位置にある様な、貴族の館の殆どは半壊、もしくは全壊といった有様だが。
なので、アルデアの立つ周辺は見渡す限りの瓦礫の山と化していた。
どう見ても個人の出したエネルギーではないのだが、そこに疑問は欠片もない。
何故なら筋肉は全てを凌駕するのだ。
何の問題もないのである。
とは言え……
「…………やり過ぎた、かな?」
十二年前の屈辱、王都での蛮行 ――そう彼は思っている―― と、一応の理由は在ったにせよ、ここまでするつもりはなかった彼である。
王城という政治の中枢を破壊してしまったのだから、これから国は随分と混乱する事だろう。
これで国を動かしてきた貴族の殆どがしばらくはまともに行動出来なくなり、その間に閑職に追いやられた様な者達が国を動かす様になるだろう。
そう考えると、やり過ぎでもなかったのか? と彼は思い直す。
そもそも貴族教育を離れて久しい彼である。 政治問題などはピンとこない。
(まあ、いいか)
ここまで派手にやらかしたのだ。
これでは家に戻る訳にも行かない。
ならばどうするか?
ふたつに割れた顎に手をやり、首を傾げる。
(――そうだ、旅に出よう!)
ボン! と手を打ち合わせる。 ポン、ではない。 ボンである。 圧縮された空気が鈍い音を立てたのだ。
そうと決まればと言わんばかりに、アルデアは城だった瓦礫に背を向け歩き出す。
「――逃がしません!
落雷!」
今の「ボン」で目を覚ましたのか、カテリーナが魔法が炸裂する。
だが『リラックスポーズ』は継続中だ。
チリチリもビリビリもせず、笑顔で振り返る筋肉。
「煉獄の炎!」
そんな笑顔を掻き消さんと、放たれた黒い炎が彼を包み込む。
その時起こったのは悲劇だったのか喜劇だったのか。
これまで幾多の攻撃に耐え抜いたブーメランパンツがついに焼き切れたのだ!
――ボロン
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん?」
「……………………………………――――――すぅ…………みぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
カテリーナは数瞬は何を見たか理解出来ず、それが何か解った後、何故か深ーく息を吸い込み叫び声を上げた。 大絶叫。
その音量は周囲の音を全て掻き消す猛吹雪の如く。 物理的な振動を相まって、周囲を震えさせた。
アルデアの股間にぶら下がるモノも。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!! ぁ…………」
絶叫二連発は彼女の肺活量では耐えきれなかったのか、酸欠状態になったカテリーナは失神してしまった。
――バタンキュー
「………………」
そんな彼女を見て、アルデアは首を傾げた。
攻撃されたのは解るが、絶叫が続いた事に理解が及ばなかったのだ。 彼は知識も情緒も倫理観すらも、その精神性は十歳の時点で殆ど止まっているのだから。
(まあ、いいか)
彼はカテリーナを小脇に抱えると、全裸のまま歩き出した。
――英雄は修行をし、そして旅に出るものなのだ。
かつての屈辱を晴らし、王都の秩序を取り戻した ――と思っている―― 彼は満足げに笑顔を見せながら、再び宙へ舞った。
これはやがて『金剛の魔王』と称される様になるアルデア=ハオブトロレの物語である。
ちなみにアルデアの耳の中には鯨の耳垢栓の如く、垢が溜まっています。←きたなっ
作中彼の聞こえが悪いのはそのせいです。