難敵②
弓を引き絞ったまま後方待機するユスタリカは、生きた心地がしなかった。
魔物との戦闘で死闘を繰り広げるのは一度や二度ではない彼女だが、一切の手出しをせず、死闘を参観するという行為は実に初めての試みだった。
醜悪な魔物と対峙すれば空間にピリッと走る緊張感。殺伐とした空気に鼓動が早まるのには理解がある__だが自身が矢面に立つ時とは全く異なる、異質の緊張感に襲われた胸の奧は圧壊されそうな苦しみが続く。
シノに短刀の扱いを仕込んだのは私自身....確立した独自の戦闘スタイルにはハラハラとされっぱなしだった。オークを前にしても果敢な攻めの数々に目を見張り急速な成長を嬉しく思いながらも、オークが反撃に転じる度に、何度オークを射殺してやろうと画策したことか...それを可能にする腕前はあると自負している。しかし、不規則に動き続ける的を前にして、突きつけられる現実は厳しいものだった。....その都度、頭の中で矢筒に残る矢の残数を数え直し、唇を噛み締めもどかしさを募らせた。
シノが窮地に陥った際に、確実に難を逃れさせる為、彼の後方待機で、弓を引き続けていた__彼が最初のオークを捻じ伏せた今、構えを解きつがえた矢を__右手と左手をダラリと下げて少しの休養に充てる。
「......。はあ....。心臓に良くない....」
どうやら私は...男にただただ守られるだけのか弱い女の気持ちを到底理解出来そうになかった。男が優勢でも劣勢でも自ら進んで武器を取り同じ土俵に立って貢献したい...なんなら獲物を横取りしてでも男を危険から遠ざけたいと思ってしまう男勝りなたちのようだ。
幼少の頃、本に出てくる...勇者に守られるだけの姫の姿に少なからず憧れを抱いた事が、女の身である私にもあったが....
◇
〈幼少のユスタリカ。エルフの里の自室にて読書〉
いずれ私の前に現れるかも知れない、私の素顔を見ても恐れない特別な人が、もし....私の為だけに奮起し武器を取って困難に立ち向かってくれたなら...どれほど....最上の喜びに心満たされるか...同時に稀有な存在が、私の為に傷付き、やがて命を散らす定めに、ただ指を咥えて見てる事しか出来ない無力な自分の姿を想像すると、何よりも恐ろしく苛立った。
運命の相手に与えられるだけ与えられ、返せぬ恩に胸を締め付けられつつも彼の窮地にすら助力しない。恩を仇で返すとはこの事か、彼の冷えきった亡骸の前で、ただただエンエン涙する__永久姫__守られるだけだったお荷物を許せなかった。
「お前に泣く資格はないのです!無能なお前のせいで彼は死んだのです!」
子供ながらに私は傍観者に苦言を呈した。
「後から後悔するくらいなら...武器を取れば良かったのです。常に彼に付き纏い守られていたなら...彼の足手纏いになっていた自覚があったのなら...せめて邪魔にならないよう彼と出会った日から技を磨けば良かったのです.....そうすれば自衛だって....共闘だって...悲しい結末だって..きっと回避出来たのです...」
◇
書 無名英雄と永久姫
子供向けとは思えない一冊の書物の、心抉るような結末に心揺さぶられたユスタリカは、来るその時__運命の人と巡り会えた時、永久姫と同じ轍を踏まないように__共闘出来るように__私だけの無名英雄を死なせない為に強くなる事を決意した。
【無名英雄と永久姫】は正にユスタリカの運命を分けた、少なからず人格形成と、生き方を定める一冊となった。
無名英雄の最後は、魔神ディアブロスの攻撃から永久姫を守る為、身を投げ腹を穿たれたことに起因する。無名英雄は致命傷を負うも彼女の前では強がり、泣き謝る彼女に微笑みかける。覚束ない足取りながらに再起し、巨悪の権化に立ち向かい刺し違える事で彼の生涯を終わりを迎えた...
「....」
人知れず世界の命運を背負い単身戦っていた無名英雄とシノは違うように、この場においてお荷物の永久姫の姿はなく私は彼を支えられる。
物語では魔神と相討った無名英雄を前に永久姫は泣き伏せた。
そんな展開私は望まなかった...許せなかった私の現実は__魔物を地に転がした、私を孤独から救ってくれた無名英雄は立っている。
かつて儚くも夢見た無名英雄と永久姫の立ち位置___身を挺するシノに後方の私__に胸の高鳴りは静まることを知らない。ドクドクドクドクと耳障りなまでの自身の鼓動に、ここまで心乱されたのはいつぶりだったかと思い返すが、この類のものは知らなかった。
弓を握る左手は結ばれたままに胸に置かれた。
ここが...温かくて...切なくて...今すぐにでも彼の許へ駆けてゆきたい、彼を抱きしめたい私が居た。
「もう...本当に...彼なしでは私は生きていけそうにない..」
依存具合では、何時ぞやに罵倒した永久姫に顔向け出来ないかもしれない...
「...シノ...今はただただ貴方の元気な声を聞きたい...」
逸る思いからユスタリカは魔法を行使する。
詠唱と呼べるかどうかの短文。
「念話__」
体内の何か__内包する魔力が緩やかに減少し始める気配がする。
◇
『一先ずご無事で何よりです__』
「うわっ!?」ユスタリカさんの声が突如頭に響き変な声が出た。
「フガッ!」
互いの手が届くかどうかまで肉薄していた為、ここだとばかりにオークの渾身の大振りが振るわれた。それを難無く躱し大きく退くと額を拭った。
『ふぅ.....』
『失礼しました....』
『大丈夫です。それよりも...これって...〈念話〉ですか?』
一定距離__効果内の相手となら声なく対話を可能にするという魔法...恐らくはその認識で合っているが好奇心からついつい聞いてしまう。
『そうですが...__余計な説明をしている時間はなさそうです。間もなくオークが一体合流します。その数十秒後にはもう一体___』
我に返ったユスタリカは優れた視力から遠くの敵を見据え、シノに状況を伝え助言をする。
『__そのため、まともに打ち合うことはせず、撹乱しながら隙を見て、先程のように無力化出来るよう立ち回ってみてください。またオークは石を武器として振るい稀に投石してきますので複数相手取る場合、常に周囲の警戒を怠らないように気を付けてください』
『こ...今度は二体ですか!?』『僕..ダンジョン初日ですよ?』『...が...頑張ります....ですが..その...知ってたなら...オークの前情報欲しかったです』『....知ってるかどうかで生存率も変わってきますから...』
心の声がダダ漏れで余計ものが間々に入ってしまったがもう遅い。
『すみません...考え事をするあまり機会を逃しました...』
『....。ユスタリカさんでもそういう事あるんですね....。ちなみにこの、オークは放置で良いですよね?』
目を潰され機動力を奪われたオークを一瞥するとユスタリカさんの方に目を向けた。事の顛末を見ていただろうから説明は不要だろう。
『....捨て置いて問題ないでしょう。私が念の為、警戒しておきますので次に当たってください。恐らくは次からが本番です。仲間の悲鳴を前方に聞いて、警戒し始めました...また追い立てられていることから相当気が立っている...死を覚悟して向かってくる魔物は強い....気を付けて右からです』
ブン!
「ちょっ!危なっ!もっとゆとりを持って教えてくださいよ〜〜〜!!!」
戦闘が始まれば音信不通になっていた。
「プギイッ...?」
顔面からダイブするように大きく飛ぶと受け身をとって転がった。丁度今しがたまで僕がいた地面に石を打ち付け割ったオークが立ち竦んでいた。
び..びっくりした...
本当に魔法と呼ばれる異能の力は凄いと思う。
念話に関して挙げるなら、こうして一人が油断していても遠くから状況を捉えているもう一人が、身に迫る危機を伝えれば、咄嗟に回避行動を取らせる事ができるから。
電話のようだが媒体を用いず手が塞がらないのも有り難い。
地下迷宮内で、念話の恩恵に最大限預かれるのは、やはり複数人でパーティを組んだ時だろう。複数の魔物と対峙する__戦闘に専念するパーティーメンバーを、一望出来る面々が適宜状況を伝え合い、サポートすることにより前衛は危険を事前に回避しやすくなる。また互いが互いにサポートすれば死角がほぼなくなる利点がある。
シノとユスタリカ二人だけのパーティメンバーだけでも預かれる恩恵は多大にある。前衛は一人だが、実際一人で戦闘するのと違って周囲に余計な神経を磨り減らさずに済む。何かあればユスタリカは声を上げシノは指示に機敏に応じ、即した行動をとるだろう。
ユスタリカに全幅の信頼を置くシノには正に鬼に金棒だった。
しかし、【念話】は魔法である以上、魔力と呼ばれる人体が内包する有限のエネルギーを消費し行使される。エルフは魔力総量や魔法そのもの、魔法技術が優れている者が多いが、されとて無限ではない。
長期戦を見据えユスタリカは【念話】を適宜使用する。
「...ついつい文句は言いましたが...ありがとうございます、ユスタリカさん」
何より冷静になればなるほど、新米の僕一人だけでは真っ向から立ち向かえそうにない、この醜悪な見た目の無傷のオークにも、一人で立ち向かってるんじゃないと思えれば立ち向かえる。
そうこう考えている内に、累計3匹目のオークが合流している。石を割ってしまい手持ち無沙汰になったオークBが羨ましそうに、オークCの持つ石に視線を釘付けにしていたが、オークAが落とした石を見つけるとそちらに歩みを進める。
意図に気づいた僕は空かさず割って入り牽制の一線__威力よりもスピードを優先した一撃__を腹に見舞った。
石を背に負う形で位置取り睨みつけた。
「.....」
むざむざ凶器をくれてやるほどの余裕は僕にはない。2対1ともなれば尚更だ....
「...お腹周りも当然のように肉が厚い....」
オークの腹の表皮を切り裂いた刃先が、その奥の肉に触れ繊維を少し切り裂いた時の手応えは芳しくなかった。
早速雲行きが怪しいが、情報の収集と進行を食い止めることは叶った。
「ブヒッ?」
腹からツーと伝った青い雫にオークは手を重ね意味ありげに体液の付着した掌を見ている。今にも喋り出しそうな剣呑な雰囲気の中、オークCは転がった同族に目を向けたまま逸らさず静観している。
知能の高さが窺えて不気味に映った。
冒険者初日の僕が仕留めたのは子鬼だけだが、奴らは基本群れて騒がしい。
弱い奴ほどよく吠えるか、群れる。或いは両方と聞かされていたが....オークには当て嵌りそうにない...
比較するなら〈騒〉と〈静〉その差はやはり強者故の落ち着きなのかもしれない。1体目は奇襲が偶然決まっただけに過ぎないのだと厳粛な雰囲気を纏う豚顔に覚悟を決め短刀を構え直す。
一筋縄ではいかない、正真正銘の強者達に目を開けたまま深呼吸__
「.....。ぶーおっ....」
「え?何...ぶおって...」
間抜けな声を上げたオークに迂闊にも僕の気は緩んでしまった。
「ブオ...ブォッ、ブォォッ、ブォ、ボオオオオオオォォォォォォォ!!!!」
「ボオオオオオオォォォォォォォ!!!!」
ゴブリン〈騒〉とオーク〈静〉その差はやはり強者故の落ち着きなのかもしれないって、言ったけど.....そうとも限らないかーも?
連動するように、共鳴するように雄叫びを上げる二匹。親の敵のように僕を睨みつけて突っ込んでくるのは__石なし__オークBは僕を鷲頭かもうと猪突猛進。
気抜けした僕は力が抜けてみっともなくも悲鳴を上げ背を向け逃げに転じていた。
「ぃ~~~~~やあああぁぁぁぁぁ〜〜〜!!」
目当ての石にすら興味をなくしたかのように身を投げダイブし躱す僕にまた、猪突猛進。
血走った眼に背を向ける、半泣きで逃げる僕には猪突猛進。
猪突猛進。猪突猛進...
『石持ちオークのところへ。私を信じて進み続けてください』
天啓が齎された。
藁にも縋る思いでオークCの元へ駆ける僕に待ってましたとばかりに...これ見よがしに奴はその場で石を振り上げる。...憎たらしくも、来いよと笑っているように見えてしまう。
正面の石、後方の狂気...このままでは、どちらに転んでも待つの死だ。
人頭大の石で頭蓋を砕かれるか、綿の詰められた人形の定めのように内容物を引っ張り出されるか...
『僕はユスタリカさんを信じてます....』
走り続けながら目を瞑ると鋭い風切り音が耳に届く。何かが恐ろしいスピードで迫ってくる...
知覚した直後の『回避!!』の思念に目を再び開け、渾身の力で飛んだ。直後__
「「プギイイイイィィィィィィィィッッッッーーーーーーー!!!」」
僕は生きてる?
ドゴッ!ドゴッ!ドゴッ!......
『ふぅ....』
生々しい異音に恐る恐る振り返って見れば、目元から鼻に至るまで....矢によって横一線消し飛ばされたオークが壊れたクルミ割人形のように同族の頭部を只管にかち割っていた。
「ブヒュ!ブヒュ!ブヒュ!ブヒュ!___」
陥没した頭から溢れ出す青い血、得体の知れない____ひぃ~~~~!?声を漏らさないよう手で覆い悲鳴を飲み込んだ。グジュグジュなジェル状なモノが溢れ出てくる前に魔物は絶命したのか、瞬く間にオークの全身は消え失せた。代わりに、ビチャ...と音を立てて親指大の漆黒の魔核が血の海に浮かんだ。
周囲の様子を窺った。
この場に残るは盲目のオークが二匹。それぞれ僕を狙い思い思いにその場で暴れている、姿は滑稽と思いつつも...哀れに思えた。
ゴメン...僕じゃ君たちを殺すのに時間がかかる。だから僕は君たちを殺せない....
「ブヒッ!ブヒュウウウーーー!!」
「ブヒュ!ブヒュ!ブヒュ!ブヒュ!___」
優に50mは超える距離から精密な強力な一射を放った当人に眼を向ければ、なんとなしに姿を捉えられる程度だった....
『ユスタリカさん...エルフって目良いんですね...エルフって....ユスタリカさんって....弓の腕本当に凄いんですね...』
訂正。単体ではオークといえどユスタリカさんにとっては難敵になりえないかもしれない。
訂正。弓は...恐らくは短剣も....オークに通ずる。但し...ユスタリカさんに限る....
『....。私の本気を全て避けきった貴方がそれを言いますか...。いいえ...この場では素直にありがとうとだけ言っておきます...っ!?ど..どうして....』
『?』
二体のオークを鮮やかな手並みで倒した、無力化したユスタリカさん。それなのに何処か焦燥感が滲み出ていた。
声が震えだした....
ユスタリカさん程の実力者が動揺する程の魔物は一層にはいないだろう。仮に挙げるなら今正に彼女によって容易く無力化されたオークが精一杯。じゃぁ....そんな彼女が恐れる展開は一つしかない....
オークに外見の異なる他の通常個体が合流するという新たなイレギュラー。
まさか...ね.....
ドドドドドと地鳴りを奏でる本陣が近付きつつあるようだ。伴い異形の訴えがはっきり聞こえるようになっている。
一際大きな火の手が上がった時、ダンジョン内は赤々と照らされ僕の視力でも先を捉えられるまでになっていた。
遠くにオークの影も幾つか投影されていたが、間もなく魔鉱石の淡い蒼光が照らすのみとなって先が見通せなくなった。
討伐隊の面々が暴れ回っているようで、時折気合の入った肉声が聞こえてくる。でも声はそれを凌駕する地鳴りに飲み込まれる....
「はぁ?.....どうして...オーク以外に....あんなにたくさんの魔物が....」
答えは単純明快。人が群勢に追われれば逃げ出すように、逃げ惑うオークの一群に恐れを抱いた一層の魔物が逃げ出し合流した。群集が個を飲み込み更なる群勢となり皺寄せが来た。
心がポッキリ折れる音がする。
優に50は超えるかという一層の魔物と10を超えるオークの影を一瞬に見た。現実に打ちのめされ、崩れそうになる男に、ユスタリカは異変に気付き彼のフルネームを口にした。
『___しっかりしなさい!確かに....目を背けたいような光景ですが、あまり悲観しすぎてはいけない。大半は一層の魔物で構成された見せかけばかりの烏合の衆です。冒険者の姿も既にあります。全てを相手どらなくていい!奴らがここを通り過ぎるまで耐え凌げればいい!なんなら今から2層まで逃げてもいい!生きてさえいれば必ず回復して貰えます!だから諦めるな!アサシノ シノ!私も今から出し惜しみせず、本格的な援護を、その間に貴方もこちらに.....シノ?....私の声は....聞こえてますか?』
ユスタリカさんが何かを言っている。だけど頭には入ってこない。どれぐらいの時間、無駄にしていたのかは分からないが、時間にしては大したものじゃないと思う。
茫然自失の僕が我に返ったのは衝撃的な、あのきつけ__ビンタと、彼女から漂う香草の香りと直後の頬と唇に触れた柔らかな温もりからだった。
外套に全身を覆った彼女が名残惜しそうに離れた。
「ユスタリカさん....どうしてここに来ちゃったんですか?貴女なら...あのまま2層に逃げて時間を稼ぐぐらいわけない」
「シノ...私が踊り場で口にしたことを覚えてますか?私と貴方は__」
「「運命共同体」です.....よろしい」
「言いたいことは多いですが..もう魔物はそこです....はぁ...全く人生上手くいかないものですね...はぁ...」
「...ユスタリカさん...僕のせいで本当にすみません...」
申し訳なくて俯くと彼女の矢筒は既に空になって投げ出され、弓も足元に落ちていた。
「説教は後です...今は...踊りましょう....」
外套の中の腰元を弄っていた。左手で短刀を抜き放つユスタリカさんは、右手を無言でこちらに差し出す。意図を察した僕は息を吐き左手を伸ばした。
「...シャ..Shall we dance?」
「何を言ってるか分かりませんが...はい、喜んで」
今度は僕から右手を取り、指と指一本ずつを絡めていくと、彼女はドキッと身を弾ませた。満足したようにユスタリカさんは笑っていたと思う。ただ、認識阻害付きの外套が...フードが邪魔してちょっとだけ....名残惜しかった。
二人並んで魔物の一群に向かう。
ゴゴゴゴゴゴ!!!大気と地面が振動している。
遂には魔物の群勢が目の前に迫りくる。
今日一日の疲労か、先程の無理がたたったのか身体は重く嫌になる。
唯一の救いはユスタリカさんが隣りに居て、足並みを揃えてくれていること。
巻き込んで....ごめんなさい。啖呵切っておいて貴女を__
『アサシノさん』
『..。はい...』
『貴方の飛び抜けた回避の才能を見込んで__身を委ねます。私のことは一切気にせず、思うがままに本能のままに逃げ回りなさい。必ず合わせて見せます。では__踊りましょう』
握る右の手にギュッと力を込めたユスタリカは啖呵を切った。
自分の隠れた才能を知るという彼女の発言にシノは半信半疑で、しかし、次の瞬間には魔の手が眼前に迫る。
『シノ!』
飛び掛かって来たゴブリンの爪が眼球を裂く直前、身をサッと引いて、おまけとばかりに首を掻ききっていた。
「ギョエ!?」
ゴブリンは崩れ蒼の小指の先程の魔核が転がった。
散見できるオークの歩みは鈍くなった。
湯水が如く湧き出る__迫る魔物を前に正面に進むは愚かだろう?
向こうは2層に進みたい。こっちは最悪逃げ回れれば、生き残れればそれでいい。先輩冒険者達の到着を待てばいい。じゃあ...緩やかな後退で満場一致でいいわけだ...
死を__失明を目前に感じて、シノの中の何かが弾け忘れられた才能が開花する。
学習しない一層原産の阿呆をユスタリカさんは切り下ろし、続く阿呆を蹴り上げる。僕が退けば同じく身を引き、尚も続く猛攻を力で弾き宙で穿つ。
回避メイン弾きメインの僕に対して、挙動を合わせながらに迎撃、ゴブリンの数を減らす。それを手を繋ぎながらやってのけるというのだから.....末恐ろしい。
かく言うシノも天才である。
刃物もろくに扱ったことない青年が__少年が10日余りの鍛錬で短刀を自身の手足のように使いこなしている。危機回避においては直感から何となく危ないところが分かってしまう。だから、その軌道から身体を逸らす。すると盛大に空振った相手の懐ががら空きに、短刀を振るう__
「ギャアアアア!!」
__魔核がポトリ。今となっては簡単だ。
肉質もオークに比べれば可愛いものだ。
そう....オークに比べれば。
チラッと、一瞬後方を確認した。まだ階段までは距離はある。
圧倒的に多い小鬼。少数の頭犬鬼を、どれだけ減らせるかが命運を分ける。
裁断機のようにバサバサと、容易く魔物の命を刈り取るユスタリカさんは心強く百人力だ。だけど、足場が不安定な階段に辿り着く前に何とか攻勢に出たい。
「くっ!」
案の定、群れで纏まり始めた。後方から高みの見物を決め込むオークを目にし、如何に邪魔なく応戦出来るか、如何に安全地帯__空間を確保出来るか、重要性を再認識した。
魔物の群れに隠され、未だ先輩冒険者達の姿は見えない。だが確実に火の手は近づいている。足音が近づいている。
だからどうか......来るなら一撃で、来ないならせめて、今は大人しいオーク達を刺激しないでくれ...
緩急をつけたような足運びで後退。躱して、弾いて、反撃してを繰り返して__時にユスタリカさんの手を引き寄せて、外套に隠された彼女の綺麗な肌を守る僕__の手、足、顔には引っ掻き傷が増えていく。
彼女は余裕はないながらも迫りくる魔物の数を淡々と減らし、何とか認識阻害の魔法付与された外套を無傷で守る...流石だ。
しかし、形勢逆転は夢のまた夢。まだまだ残機が絶えないようだ....いつしか形勢は大きく傾き次第にゴブリン達に囲まれていった。
飛び掛かる一匹が現れれば、下から這ってくるような奴が現れるようになっていた。稚拙ながらも連携を見せ始めれば、その場合、素早く切り上げ、すかさず全力で踏み押さえていた奴の脳天を突いた。
ここぞとばかりに全方位からの殺意が濃くなった。ユスタリカさんと僕は何の示し合わせもなく、手を伸ばし回転__躍るようにして一周。飛び掛かって来た全てのゴブリンを魔核へと変えて事なきを得た。
やっと...目処が立った。
一瞬の隙をつくように身を屈ましていた第二陣__知性ある一体が飛び出してユスタリカさんに迫った。
流石の彼女も目を瞑り痛みを受け入れるべく目を瞑る。
だが、僕がそれを許さない。力一杯引き寄せ、反動で僕が彼女と入れ替わる。咄嗟に出した右手に爪が食い込み鮮血が噴き出した。
「っ!....」
歯を食いしばり右手を振るい叩き落とすと、次の瞬間短刀を脳天に深々と突き刺し、魔核に変えた。
横でユスタリカさんが何か言っている。だけど僕は大丈夫です、問題ありませんと淡々と。
思わぬ伏兵の抵抗に、いよいよ後がなくなったと一層の魔物達は僕らを無視し続々と脇を通過し__下層へ降りていく。
だけど変わらず僕の目には闘志は灯り続ける。
僕の勘が正しければ、オークはきっと.....
「....」
全盲のオーク二匹もそこに居た。仲間に支えられるようにして。
同族の亡骸は既にないというのに夥しい青の体液で手を染め上げているオークが複数、怒りの形相で僕を睨む。
先頭のオークはあろうことかこちらに背を__仲間に目を向け一同の様子を窺っている。
フガフガブヒブヒとまるで独自言語を用いるような彼らに僕は決心して繋がれた手を解いた。
「シノ?」
話が纏まったようだ。オークの一団がこちらを睨みつけながらも、横を通過し、大人しく下の階層を目指し消えて行った。
合図はなかった__
一匹の勇敢なオークと対峙し、群れのリーダーだと確信し、コイツだけは倒さなきゃ....無心に駆けていた。
確信した...この障害こそが同族を痛めつけた張本人かと...短刀を映し、複雑に入り混じる中に微かに同族の残り香を嗅ぎ、怒りから地を鳴らした。
拳と刃を交えたのはただの一瞬だった。
拳はシノの渾身の一撃をいとも容易く弾き、刃物が宙を舞う。
呆気ない決着。顔面に迫る怒りの鉄槌を__僕はそれを首を傾け躱していた。
すれ違い、次に対峙すれば、卑怯者めと声が聞こえた気がした。
しばらく両者は睨み合った。
得物を落としたシノが冷汗を落下させるようなタイミングでユスタリカがオーク背中に一撃を見舞う。
「なっ!....」
刃が通らなかった....表皮を削ったに過ぎなかった。
こんな事がありえるのだろうか...衝撃からユスタリカは一瞬固まってしまった。
振り返りギロリと睨みを利かせたオークが鬱陶しいとばかりに拳を振り上げ彼女に見舞う__僕は懸命に叫び、駆けた__「ユスタリカさん!」__グシャ...とても頭から....人体からしていい音じゃない音を立てユスタリカは宙を舞って、階段に消えて行った。
「うわあああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
言葉にならない獣のような呻き声を上げ駆け寄る僕に、一瞥を向けたオークは、興味は失せたとばかりに腕を払い簡単に吹き飛ばすと階段を降っていった。
「ま..ま...て...僕は...まだ....ユス...タリカ...さん...」
階段に転がる自らが吹き飛ばしたよく分からない生物の頭部付近からは赤い液体が溢れ出している。だが、どうでもういい。生きていようが死んでいようがどうでもいい。今はただ仲間たちの許へ。
オークはユスタリカの死を確認せずに走り去った。
「ユスタリカさん...ユスタリカさん..ユスタリカさん..ユスタリカさん」
すぐ脇を走り抜ける頭犬鬼達には目も向けず、身体を引き摺るように僕は彼女の転がる階段を進み__血溜まりを目にし血が出るほど唇を噛み締め__身を寄せた__恐怖でフードを下ろして顔を見ることは出来なかった。
脈は未だある。
そうだポーション...
彼女の纏う外套を不躾に弄りアイテムポーチからポーションを__
出てきたのは4つの空瓶。
「..?..」
あ....。ぼくせいで....
ぼくのせいで......ぼくのせいでぼくのせいでぼくのせいでぼくのせいで____
「誰か..誰か....誰か...助けてください....ユスタリカさんを助けてくださあああああい!!!」
喉が張り裂けんばかりに僕は叫んだ。




