難敵①
斬りつけられた魔物の両目からは青い鮮血が飛散する。
飛びかかる勢いそのままにシノは相手の胴を足掛かりに回避行動へ繋げると見事に着地を決め次の一手の為に身構えた。
足蹴にされた魔物はヨタヨタと後退するも倒れることなく踏みとどまった。
体幹が優れ実に厄介だと認めざるを得ない。何より厄介だったのは分厚い肉の装甲には物理的な衝撃__蹴りによるダメージ__は今一つという点だった。
それだけに、渾身の一撃の成果は上々__初動で視力を奪えた意義は大きい。
「プギイッ!?プギイッ!?プギイッ!?」
奇襲を見舞われ痛みに喘ぐ地下迷宮の住人は__魔物と呼ばれるのに相応しい異形は二足二腕の醜悪な豚頭_手にしていた人頭大の石を地面に落下させ混乱の最中にあった__
__あからさまな隙を見逃してやるほど僕は優しくない。追撃を行うべく畳み掛ける。地を蹴り加速して__喉元を掻っ捌くため短刀を握る右手に力を込めて__肉薄す__
__!__突如、光を絶たった筈の両目に伸びる手を見た。危機感を覚えブレーキをかけると案の定、猛烈な速さで拳が視界を横切って行く。
怒りに任せて右手を縦横無尽にぶん回し始めた魔物から慌てて距離をとると、ブンブンと風切り音を伴う見境ない大振りは空を切り続け、シノには決して届くことはなかったが牽制としては優秀だった。
危なかった...飛び込んでいたらやられていた....。荒ぶる実力者の圧を前にしての素直な感想に唇を噛み締めた。
最大にして最後のチャンス。又とない勝機は一瞬に過ぎなかった。
油断していた訳じゃない、出遅れた訳でもない。それなのに僕の刃は届きすらしなかった...
短刀の有効範囲に踏み込むとなると相手の腕の長さから鑑みてリーチが僅かに劣り不利となる。魔物が荒れ狂う現状、わざわざ相手の懐に飛び込むのは自殺行為に等しいと判断して一定の間合いを保ち機を窺った。
だがどうだ。怒りの衝動に突き動かされ振るわれる右腕の勢いはそのまま衰えを知らない。
まるで無尽蔵な体力があるかのような錯覚。
対峙する魔物のポテンシャルの高さをヒシヒシと感じさせられた。
あわよくば尻尾巻いて来た道を引き返してくれれば....甘い目論見は外れ、逃げるどころか鼻をヒクつかせ、嗅覚を頼りにこちらを追い、確実に仕留めようと躍起になって前進する姿は実力者故の習性か。単に僕程度の雑魚なら逃避するに値しないと判断されたのか或いは後方から迫る__先輩方の異次元の強さに恐れ慄き、ヤケクソに藻掻き鬱憤を僕にぶつけたいだけなのか....真相は僕には分からないが...
僕は奴を。
奴は僕を。
障害認定して排除にかかるべく向き合っていた。
「ふぅ....」
僕の腕の何周りもある太腕から放たれる一撃一撃を真っ向から受け止められる程、全てを往なせる程、僕の身体能力と短刀の耐久力は高くない。大振りだが一振り一振り明確な殺意の下振るわれた拳には死を予感させるだけの迫力があり僕の心臓はバクバクと警鐘を鳴らしている。
不意打ちが功を成し、視力を奪えたアドバンテージは凄まじいながらも、奴を殺せる未来が見えない。
僕を探し求める、荒ぶる様子を目にしてからというもの、真っ向から打ち合いで勝利する自分の姿を想像することは出来なくなった。
埋めようの無い実力差が両者の間には存在している。
方や振るわれた拳は一撃必殺の威力を持ち合わせ。方や僕は刃物__刃渡り20cm程の短刀を構えるものの相手の命を脅かすだけの必殺を持ち合わせない。不平不満を嘆きたいがこの世は弱肉強食なのだから仕方ない....
未知の魔物の更に実力者ともなれば、冒険者初日の僕の手にはどうしても余ってしまう。相手が全盲になった今、圧倒的なハンデあってやっとどうにか対等....対等だと思わなければやってられない...
「....」
肌がひりつくような緊張感から手に汗握り、短刀の柄を握り直した。
冷静に考え直すと僕が今生きていること自体、奇跡なようなものだった。
ユスタリカさんの話ではこの魔物...二足歩行の豚っぽいところから仮にオークとしよう。オークの襲撃に遭い、僕の体は既に痛烈な一打をもらっている。
だが五体満足で再起し、こうして障害として立ち塞がり、今度は痛快な一撃を意趣返し。
まったくダンジョンというものは....こうも物語性に事欠かないとは....
馬鹿野郎と自分の頬を打ってやりたい。....迂闊にも程があった。未知の魔物しかも実力者相手に、眼前に飛び掛かるなんて...死を恐れぬ阿呆の所業としか思えない。でもあの時は目潰しこそが最適解に思えた。身体が勝手に動いていた。
一級冒険者に至る素質ある者は強者を前にした時、得てして冒険してしまうことをシノは知らない。そしてその愚かさ故に早死する傾向にあることも然り。
殺るか。殺らるか。2つに1つのルーレットに命を賭け、勝ち続ける事が出来るかどうか。五体満足で帰還できるか否かで冒険者稼業を生業にしていけるかどうかの線引きがなされる。
シノは、五体満足で佇み対峙した格上のオークは全盲に陥って挙動不審、冷静さを欠いている。
絶望を前に強気に挑む姿勢が今の状況を作り出していた__覚悟、思い切り、センス...高みを望める要素は充分に兼ね備えられている。足りないものは....圧倒的に戦闘経験。装備一式。彼が育つための時間。...この場を切り抜けるため求められるのは運が大半を占めるだろう。
魔物から目を逸らさないシノの頬には冷汗が伝っていた。
膠着状態が訪れるのは必然、だが何時までも足を止めている時間はない。敗走する魔物の襲来は単一のものではなかったのだから。
これは序章に過ぎず、続く気配が複数ある。後がつかえているというのに...圧倒的に優位に立ちながら迂闊に飛び込む事ができないのは歯痒いものだった。
「....」
チラリと振り返るシノの視線の先には、闇に同化したような弓を構えるユスタリカの姿が、遠くにあった。
仮に、手負いの魔物が彼女の許に辿り着いたとしても彼女なら一方的に返り討ちにするだろう。だから僕は心置きなく次の魔物に意識を切り替え....
そうじゃないだろう....僕の決意はそんなもんじゃない。
彼女の許に何人も近付けさせないと気概から僕は気配を消して、魔物の背後に回り込む。
魔物の増援が目視で確認できない今、少しでも機動力を削ぐ為に、有効部位を探るべく全身にくまなく視線を這わせた。狙うは...
僕の眼は特定部位を捉えている。王道を行く者が見れば侮蔑の眼差しを向けるだろうか?正攻法とは程遠い卑怯な目潰しに、次に狙うは足の腱...
.....
純粋な彼は僅かな時間、葛藤する。
奇襲に...目潰し...次は足の腱...って...まるで卑怯者と内なる僕が罵った。
根付いた倫理や道徳が、生きようと足掻く僕等を邪魔立てする。
相手は純粋な殺意を寄越し、対する僕は罪悪感と付き纏う死の気配から身を強張らせているというのに..不平等だ。...相手は強い上にしがらみはないだろう...だと言うのに弱い僕は....守るべき人も居るというのに育ってきた環境から心が揺さぶられる。
......。今すぐ変わらないと....良い子ちゃんのままじゃ絶対生き残れない...何よりユスタリカさんに何かあったら....僕は死んでも死にきれない。絶対に後悔したくない__僕は___先手必勝、歩み寄るように歩を運び一気に速力を上げ背後から襲いかかった__
倫理も道徳も恥もプライドもかなぐり捨てて、目指すは千変万化の冒険者。
型に囚われず自由奔放に魔物とし合う。
純粋に血肉と魔核__互いの命をかけた争奪戦を制した者が相手の全てを総取りにする。
それが異世界ダンジョンの本質だと僕は思う。
生存本能に身を委ね雑念が晴れば体が幾分軽くなった。
僕はただ、奪われる前に奪う......
__短刀の間合いに入る手前_!_魔物は身を翻しノータイムでカウンターを合わせにきた。
時間の流れが何倍にも引き伸ばされたような錯覚を覚える中、僕の足はもう止まらない。
握られた魔物の拳を見て僕は静かに笑ってしまった。
下層の魔物。しかも実力者ともなれば頭が良い...分かっていたけど....流石に...
ブウウウゥゥン!!!
身の毛もよだつ風切り音__死の音に身構えていたから短刀で受けることを可能にした。
「くっ!?__重っ!!」
予想を遥かに超える衝撃に、一瞬の判断から力を受け止める事を諦めた。
拳と鉄の衝突の最中、チリチリと刃を削るような音を聞く。
火花が散る気配を前にぶわっと全身から汗が噴き出した。
短刀で滑らすように軌道を逸らし直撃を阻止するも、右ストレートの威力を殆ど殺せず慌てて無様にも飛び転がると仕切り直す。
「いなすだけで...手が痺れてる...」
左手に短刀を移し、じんじんする右手をグーパー、グーパー。握力の余地を確かめた。
握力に問題がないと分かればすぐさま臨戦態勢をとった。
オークは獣の面影が色濃いだけに、やはり馬鹿力。能力も折り紙付きだった。視力を奪われて間もないというのにいつしか冷静さを取り戻し、嗅覚や聴覚を頼りに合わせてくる順応性。
「これが実力者....」
下手な小細工は通じない...なら...
気合いを入れ直して、今度は真っ向勝負__音や匂いから気配を察知され振るわれた予想外の左腕に僕の身体は何とか動いた。短刀でいなし紙一重で走り抜けるとまた挑戦。
挑戦挑戦。紙一重を連発し左右の頬には薄っすら血が滲んでいる。
いなしにいなし足の腱を削れる機会が訪れた時__助走をつけた全力が振るわれた。
勝負は一瞬。
「__!__」
交差し魔物の肉に刃を走らせた。重い手応えに歯を食いしばり、強引に引き裂く感覚を覚えながら駆け抜け。
「プギイイイイイイイッッッッッッーーー!!」
忽ち耳を劈くような悲鳴が上がりオークは崩れ、肩で息をする冒険者は立っている。
「___硬かった...想定よりも遥かに....」
硬いと表現するよりも厚いの方が合っていた。
短刀を肉に置き残してこないよう全力で引き切って死守するのがやっとことだった。
目当ての腱は断てたのかは分からないが、最低限ズタズタには出来た。
片膝を着いた魔物は、その内地面を転がりのたうち回っている。少なくと2足歩行は困難になった筈だ。
「...よかった...欠けてない...」
刃毀れは未だ無い。ものは使いよう。
刃渡りの短い短刀では荒ぶるオークを仕留めるのは難儀なこと。だが機動力を削ぎ、場に縫い付けるぐらいは僕でも出来るみたいだ。
一抹な光が灯った。
薄鈍色の刃に付着した毒々しい青い体液を振り払うと戦闘の反省を始める。
もし....最初に...目じゃなくて喉を狙っていたら.....もし狙いが逸れて....肉厚な他の部位に刺さっていたら...短刀は持っていかれ僕は攻撃手段を失っていた....怒りの矛先は無力な僕に向けられ、最悪死んでいたかもしれない...
機動力を削がれて尚、元気に鳴き叫ぶ魔物の姿に溜息が漏れる。怒りを持て余した健常な手足がドゴドゴと地面を打ち鳴らしていた。
短刀と弓矢が尽く相性の悪い魔物....。ユスタリカさんが何か言いかけて、言いにくそうに口を噤んでいたことを思い出していた。
無抵抗なオークの胸元に短刀を深々差し込めたとて心臓__魔核__に及ぶかどうか...。首を掻き切れば流石に死ぬだろうか?だが身が硬い...肉が厚く通りにくく、尚且つオーク自身の抵抗もある。身を持って体感したけど奇襲以外では、僕ではオーク殺すことは出来そうにない...。活発に動き回る魔物を前に、そもそも弓矢は必殺の武器になり得ない。少なくとも牽制ぐらいにしか使えないと僕は読む。
なるほど....僕とユスタリカさんの得物では...殺すに殺しきれない難敵....
「.....」
不条理な魔物があと何体...何十体向かって来るのだろうか....当然の疑問が胸をモヤモヤとさせた。
全てを相手取る必要はないかもしれない。僕を目にしても素通りする個体はいるだろう。
敵意ない個体には目を瞑り__ただ僕が道を譲れば....ユスタリカさんの許へ雪崩込む。
気分を変えた魔物が決意を固め、彼女の排除に動くかもしれない。
その時彼女は、彼女なら.....僕が彼女なら腹を括って応戦あるのみ。
「.....」
悪寒が走り情景が目に浮かぶ__異変に気付けば、物量に単身で挑む彼女の姿。僕は懸命に駆けるけど、行く手を遮るオークの一群。包囲され、ただただ回避に注力するもただの一撃で地に伏せる僕。意識を取り戻し定まらぬ視線で漸く捉えるは、蹂躙される彼女の姿。最後まで見届けることなく次の殴打で僕は永遠の眠りに就く__思い描いたのは最悪なシナリオ。頭を振った。
願わくば...ユスタリカさんだけでもこの場を生き抜いてほしい。彼女なら足手纏いの僕を捨て置けば、迫りくるオークをやり過ごし、立ち上る炎の許へ....実力者を撲滅せんとする先輩冒険者達の許まで辿り着くことは可能だと思う。
強硬策とはいえ、道中、ユスタリカさんの身に危険が及ぶのは看過できないことだけど、まぁ...きっと彼女なら大丈夫。いざって時は僕が盾になり、そこで僕はお役御免...
「先に合流して待っててください....すぐに追いつきますから...なんて伝えても、ユスタリカさんは頑なに言うことを聞いてくれないだろうなぁ.....」
チラリと彼女の方に視線を送った。
忠犬のように、妻のように...最愛の主人が再起するまで、己が身が滅びるまで、守護し待ち続ける__なんなら物言わぬ骸となった僕の身すら破滅の時まで守り続けてしまうような気配すらある...
「やっぱり...僕はこんなところでは死ぬわけにはいかない...」
死ぬわけにはいかないんだ。
僕が倒れれば__運命共同体の彼女を殺すことになる。
「...はぁ...」責任重大だ。
まだまだ相手の弱点を正確に理解できていないから....我ながらに卑劣だと思うけど、弱者の弱者なりの知恵を絞った小賢しい手段に及ぼうと思う。
今は生き残るためにも敵の芯まで理解することが必要だ。
次が来ないなら...今の内に調べなきゃ...何処が柔らかくて..何処が硬いのか...何処が強く...何処が弱いのか...僕は隅々まで君を調べようと思う...
やり場のない怒りからひたすらに地面を拳で打ち付ける魔物の元へ、シノは音なく忍び寄る。彼が行おうとしていたのは探究究明という名のヒットアンドアウェイ。要所要所に得物をぶち込み、その反応と手応えを記憶し、以降の戦闘に繋げようという非人道的な行いだった。
だがシノが行動に及ぶ前に事態は動くことになる。




