未来の為に
『薄々そうなんじゃないかと思ってはいたんです....やっぱり、ユスタリカさんは笑顔がよく似合う素敵な女性だったんですね』
だいぶ背伸びをした。自分らしくない、なけなしの勇気を振り絞った言葉がシノの口から出ることはなかった__
「私は産まれながらにして呪われているのです」
__彼女の告白を聞かされたから。
◇
彼女は着込む外套のフードをはだけさせると、初めて明かされた素顔に僕は、息を呑んだ。誰もが眼を見張るような整った顔立ちを押し留めていた、外套の認識阻害性能__魔法と呼ばれる異能のポテンシャルの高さ__に驚愕させられた。
とはいえ、聞き捨てならないものもある。
『私は産まれながらに呪われている』なんて聞かされれば無意識の内に良心に従っていた。
「の、呪い?....身体の方は...大丈夫なんですか?」
身を案じて、神妙な面持ちでシノは素顔を晒したユスタリカに問いかけていた。
『純粋な眼が私を映す...恐れを含まない表情で...こんな事が...果たしてありえるのだろうか....』
シノの当たり前のような対応は、一言は、ユスタリカにとっては当たり前とはほど遠い、例のない特例。生涯で初めて真摯に向けられたもの__まさに渇望しているものだった。
いついかなる時でも、一度、彼女の素顔が晒されれば、阿鼻叫喚の地獄のような時間が始まってしまう。それは今の今まで揺らぐことなかった決定事項。彼女自身も幾度の実体験を経て痛いほど身に染みていた。
一度の例外なく__種族問わず向けられた恐怖に染まりきった視線に罵声。
しまいには友好的な関係に在った者達から向けられた刀身、殺意に満ちた一矢。...自衛のため止むなく短刀や弓を用い、生き残る為に応戦することも少なくなかった。その度、彼女は相手を返り討ち、心を擦り減らせながらも縁を切って、涙もなく姿を晦ませた。
今回は状況的にも戦闘になることなかったとはいえ、シノの拒絶による抵抗は大いに考えられた。だが、浮世離れした彼には並々ならぬ縁を感じていた...淡い期待の元、自ら素顔を晒す試みは功をなし、積年の想いから渇望していた温もりにようやく迎えられた。意を決した甲斐があったとユスタリカは目元を拭う。
『久しく見なかった涙でぼやける視界に彼がいる。温もりをくれる人がいる。無垢なシノの姿に』我に返れば平静を装ってしまう私はまるで可愛げがない....
「.....。やはり...私の目に狂いはなかった。貴方は他の者と何かが違う...。だからこそ、こうして自ら素顔を晒したわけですが....。....そうでしたね、呪いによる身体への直接的な影響はありませんのでご安心を...」
「直接は?」
どうにも含みがあるようで、困ったように彼女は微笑む。
「.....。コレを見てどう思いますか?」
「どう...と言われましても...」
言葉に詰まり目が泳いだ。
「呪われた私は...目を背けたい程に醜いものですか?それとも単に恐ろしい存在として映ってますか?....本当は今すぐにでもこの場から逃げ出したい貴方が居る...」
いつものような淡々とした口調はそのままに、真意を探るように真剣な眼差しで突如始まる尋問に心当たりがなくてタジタジながらに否定する。
「ええっと....言ってる意味が...よく分からないんですけど...あの...」
「....。そうですか。失礼致しました。冗談が過ぎましたね...」
「因みに呪いが冗談という...」
見定めるような不躾な視線は変わらないはずなのに、少なからず圧を感じた。込み入った話なだけに軽はずみな発言は不味いと悟った。
「どうしました?続けてください」
「ぁ..いえ...すみません...なんでもないです...」
もう一度精細して考えよう。彼女はコレを見てどう思いますか?と言った。この場合のコレとは彼女の発言から具体的には顔面を指しているのだろう...。そして、今求められているのは...顔面を見た上での感想で間違いないだろう...
でも...僕の口からはとてもとても伝えられそうにない....言葉にする勇気があるならば、病床に伏せる前のかつての自分なら彼女の一人や二人ぐらい出来た....かもしれない。
本当に綺麗な人にマンツーマンで綺麗だと言葉にして伝えるのは案外難しい。少なくとも生前の僕には出来なかったことだ。
それは今も何ら変わらない....
呪われていると聞かされたのに、出てきたのはシミ一つないようなきめ細やかな、あまりにも綺麗な顔だった。呪われてる?どこが?訳がわからず混乱したあたりで、それとなく流し見た、特徴的な耳に視線を釘付けにされ反射的に「あ..」忽ち彼女の微笑みが自嘲めいたものに代わっていた。
「もしかしなくても呪われてるのは...耳...ですか?」と真面目な僕。返答は真顔の「違います」だった。
「「.....」」
呪いの根源が耳だと思っただけに、少し...いや....かなり恥ずかしかった...
「変な気は使わないでください、私と貴方の仲です。.....。はぁ.....ほら...目を逸らしてばかりいないで私の顔を見なさい。....どうか...これまでの恩をここで返すと思って、見たままを..思ったままを教えてください...お願いします...」
「....」そ..そうしたいのはやまやまですが...
ユスタリカさんが綺麗過ぎてただただ辛い。美人と見つめ合うなんて幸せを置いて他はないのだろうけど...視線が泳ぐ...。最早自分の意思ではどうしようもなく...抗えない。
力になれず...すみません....。胸の内で陳謝した。
耳はどうやらナチュラルで、露出したどこかが呪われているらしいのだが、この目には異常らしきものは映らない。見れば見るほど疑念は積もる一方。
本当に彼女が言うように彼女は呪われているのだろうか?
分かるのは、特徴ある耳と容姿端麗なこと、フードが降ろされ露見した素顔には感情が明確に投影されていること、揺れる眼差し相まって破壊力凄まじいことこの上ない...
ここまで来ると確信に変わった。根性無しの僕が事を難解にしている。解決策も持ち合わせながら敢えてそれを用いないのは我が身可愛さとユスタリカさんとの今の関係性を壊したくない自分なりの言い訳だ。恐らく彼女はその質問が僕の口から出るのを待っていた。だから続きを促した......でも..僕にはハードルが高すぎて....出かけた言葉を有耶無耶にしてなかったことにしてしまったから、彼女は手札をきって促した。僕にこの場で恩返ししろと尻を叩く....ユスタリカさんは...ずるいです....
本当に呪われてるんですか?滅茶苦茶綺麗じゃないですか。乞われている言葉__ただの一言二言が何よりも僕には難しい...
そ...そんな顔されても...僕は屈しませんよ!?
「.....」
よくよく考えたら....僕、ユスタリカさんに今馬乗りにされて....
状況が状況なだけに失念していたが、彼女の柔らかな臀部と太腿周りの温もりが、おもに僕の腹部から下腹部あたりに集中している。が、この際関係ない。異性と触れ合ってる事実だけで充分だった。
時をおかず、ポン!
童心を忘れず真っ赤な茹でダコになった僕は、美人をますます見れなくなった。それでも身体は素直に喜んでいる。柔らかいし、温かいし、良い香りがするし、異性に接して嬉しいものは嬉しいし、退いてくれとも重いとも微塵も思わないが、変な汗が吹き出すのを自覚した。なんならしばらくこのままでも、でもでも恥ずかしいし、でも....チラ、チラと顔面に視線が吸い寄せられるのは若い雄の性なんじゃないだろうか....
呑気な僕の心情を知ってか知らずか、ユスタリカさんは曇ってしまった。
「...。ここまで言葉にしても何も言ってはくれないのですね....」
次第に復活した瞳のハイライトは大きく揺れていた。ため息に次ぐ溜息、唇を噛み締めた。目はこちらを捉えているようで何処か焦点がズレているような....落胆の色が濃い彼女__を目の当たりにするも、未だ赤面から脱しない僕はフォローを入れられなかった。ただ背徳感から、逃避していた。
彼女はユグドラシル(仮)__この世界に来た時に見た超巨大神樹の守り人の一族。異世界好きに嫌いな者はいないだろう、誰もが邂逅を待ち望む存在、エルフさんその人に違いない。
爽やかな若草色の髪をポニーテールにした耳長の緑眼少女は、僕と同等あるいは少し上ぐらい...10代半ばから後半ぐらいの容姿をしていた。大人びた雰囲気を纏う彼女だったが....あ...また...
曇った。...曇ったユスタリカさん....曇タリカさんの昔語りとチクチクが始まった。
「私の呪いの発現は産まれながらにしてと母から聞いたことがあります....そのため本当の私の容姿を知る者は今尚、私だけに留まります...傍から見れば醜悪な恐ろしい見た目の...呪い持ちの私が、ここまで生きてこられたのは父が里長だった為...運が良かったに過ぎません...。父は権力に物を言わせ早急に認識阻害を付与した衣服を里一番の魔法技師に仕立てさせました...その他にも箝口令を敷いてくれたお陰で母の出産に携わった者と立ち合った一部の者だけが、呪い持ちの誕生を知るだけに留まりました。年月が経ち私は成長し、それでも近親者以外との接触は許されず...私は律儀に従った。身内と接するときも必ず、認識阻害の付与を施された衣服に全身を覆われている状態で..みんなみんな私と関わることを酷く恐れていた....心の底では両親や姉までも...ははは....。幽閉はされていませんでしたが、自由な外出も出来ぬのも事実で軟禁状態にはありました....頻繁に遊びに来る小さな妖精たちとの密会と読書がささやかな私の楽しみでした。ある時、執拗に聞こえた....誰かが私を呼ぶ声に、緊急性を感じ取り自室を飛び出しました。その時に周りを見ずに同族とぶつかり....フードがハラリ....と。それからは本当に本当に大変でした....。命からがら逃げ出して、姿を晦まし、数日を跨ぎフードを被り直して里へ戻れば、里中総出で大捜索が行われているのでした....そこからは問題は起こることなく両親に迎えられ幽閉生活が始まった。それから時が経ち私は、ある時、里を飛び出して世界を知るためオルロスに寄り地下迷宮に潜り冒険者を始めた。でもそこでも油断から....ハラリ....素顔を見て、恐れなかった者は今までなかった....同族にも恐れられ....人族等他種族にも矛を向けられることもあった....。彼らは皆、自分にとって一番恐ろしいモノの名を上げ、自衛のために武器を取ったと、返り討ちにし問いただした時、恐怖に顔を染め上げながら教えてくれました。どうやら私の顔は、容姿は見る者によって変わるようです。アサシノさんも...この顔がどうしようもなく醜いから先程からチラチラと視線を外すのですか?そうなのですね__いったいアサシノさんの目にはどんな醜い化け者が映っているのですか、教えてください」
認識阻害が付与された外套を常時身に纏うことから訳あり人なのは分かっていたけど、す....凄い闇を抱えた人だったようだ....普段の淡々としたユスタリカさんから想像出来ない曇タリカさんに迫られれば、堪らずフォローに回っていた。
「ば、化け物?については良く分からないですが...僕が目を逸らすのはそういうのではなくて...その...健全なモニョモニョモニョモニョ...」
「そういうのではなく?」
曇ったまま小首を傾ける姿がまた、うっ..と来る...
「や..その、ユスタリカの素顔を初めて...しかも至近距離で見たもので...思わず......後は僕の反応から察してください....」
ジーーーーーーーー
「ぼ、僕には刺激が強すぎます...これ以上は勘弁してください...」
「つまり....この顔があまりにも醜いためこっちに向けるなということで合ってますか?」
ジーーーーーーーー
「ち、違いますよっ!寧ろ逆です、逆!___あまりにもユスタリカさんが、ぁ....」
顎に手を当てた彼女は目を細め、「逆...」言葉を舌で転がすように吟味し始めた。
◇
遺伝だろうか、それとも危機的場面でも生還してきた賜物だろうか。地頭がいい彼女は曇ろうが、病もうがやはり頭は良かった。曇タリカ或いは病ミタリカは策士であった。
自分が得たい情報のために巧妙に罠を張っていた。無垢なシノそんなこととは露知らずまんまと引っ掛かってしまった。
結論から言うに成果は上々。将棋でいうところの王手に当たる局面に入った。
彼は『化け物』と『醜い』という言葉を真向から否定した。つまり....シノには少なくとも化け物ではない・醜くない私が見えている。その認識でいいのだろう。どんな私が見えているのかは、このあとじっくり....そんな猶予は無いが、問い詰めれば吐いてくれるだろう__悲観的になるのは、彼の話を聞いてみてからでも良いのかも知れない。期待から曇りが瞬く間に晴れていった。
「.....では。私の目を見て続きをどうぞ。...因みに、私に嘘は通じません...そのことを貴方が覚えているかどうかは知りませんが....あまり時間もないことですし、もう逃がしません、男なら覚悟を決めなさい」
馬乗りにされたままの僕は蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。ならば一層沈黙を通して白を切ろうかと悪足掻き。魔物の立てる音__反響音を聞きながら、あとどれぐらいの猶予があるかと考えた。
「.....」
目が覚めてから今に至るまでなされるがまま留まっていたのは、何もユスタリカさんの感触と温もりに浸っていたかっただけではなかった。既に何度か試したことだが、思いの外、身体に力が入らない。
今では指は動くし手も挙げられるだろう。だが足の方が未だ重い。
こうしてダンジョンで目を覚ましたからには、敵__魔物と呼ばれる魔核を内包する生物__の攻撃を受け、気絶或いは瀕死の2つに一つの状態にあったのだろう。覚えている限りのユスタリカさんの呼びかけ具合から察するに恐らくは後者で.....
だから....納得した。ダメージがあまりにも深刻だったから...意識があるのに...僕はなかなか目覚めなかったんじゃないだろうか?そこに回復の程度は知らないが回復ポーションの使用と懸命な呼びかけによりこうして死の淵から生還できたんじゃないだろうか...
また...返しきれない恩が積もっていく。
だというのに僕は意気地なしだ....。彼女の期待の眼差しから目を背け続けている。
背を押してもらっているのに....あと少し....あと少しが僕にはどうにも踏み出せない...
溜息が重なった。
「....相も変わらず往生際が悪い...」
痺れを切らしたように、臀部を滑らすようにゆっくり後退させて__確信を得ようとグイグイ顔を近づけてくる強攻策に出たユスタリカさんに背筋がゾッとした。
ま、不味い...このまま僕が返答を渋っても、僕の僕が....勝手に返答してしまう...
それだけは不味い。一度言葉にしてしまった以上もう取り消せないなら保身のため早めの判段を__
「わっ、わかりました!言います、素直に言いますからそれ以上動かないでください!」
「....」
「あの...その....ユ、ユスタリカさんの素顔が想定以上に綺麗で..緊張して言葉が紡げませんでした。それにエルフ族だったのにも驚かされましたし...あ、でも決して悪い意味ではなくて...寧ろ好印象で...今まで僕が出会った女性の中で、ユスタリカさんは間違いなく一番綺麗で..あのっ!...本当に恥ずかしんでこれ以上は勘弁してください...」
目と鼻の先で、ピタリと彼女の動きが止まった。
「..今...わたしをエルフと」
「言いました!ユスタリカさんは若草色の髪の、緑眼、超絶美人のエルフです!」
納得したのか、すーっと身を引く彼女は初期位置に戻った。訪れる二人の沈黙に、今度は負けじと目を逸らさなかった。不意に乙女の顔になった一瞬を僕は見逃さなかった。
「.....。コホン。そうですか....どの言葉も偽りないですか...そうですか。そうですか、そうですか。どういうわけか貴方には....ありのままの私が見えている。父も母も姉も誰も本当の私の素顔を知らないというのに。....。不思議だ。そして....もう一つ不思議な事がある。関わる者全てに忌み嫌われた私の心には形容できない虚しさが存在していた。だというのに、たった一人、貴方が本当の私の姿を知っている事実だけで....私は今救われている..それに__」
それになんでしょう?この妙な胸の高鳴りは...私は知らない.....
「__いえ。その...アサシノさん....いいえ...シノ。身勝手なのは重々承知していますが....貴方さえ良ければ...貴方の一生を私にください__」
((!?))
「__それでは私が告白しているみたいですね。誤解しないでください__」
(....ふぅ)
「__まぁ、貴方が望むなら私は貴方との子を産むのはやぶさかでないですが___」
((!?!?))
「い....いえ、忘れてください。本当に......忘れてください。.....。また貴方の頭を鈍器で早急に打たねばいけなくなりました....すみません」
おもむろに彼女は外套の中に手を突っ込み腰元のアイテムポーチを弄った。
「へっ?ユスタリカさーん.....それってどういう?」
「....。そうでした。回復ポーションはもう....。...。良かったですね...命拾い出来て...」
ほんのり赤みを帯びた頬に、真っ赤な耳。シノは青ざめ2つに気づけなかったものの狂気を帯びた微笑に身が縮む。
「....聞かなかったことにします」
「脱線しましたが、私が言いたかった事を簡潔に__いついかなる時も貴方の横に立つ資格を私にくださいということです。時間の許す限り私は貴方と共に在りたいのです。貴方がこの先もダンジョンに潜り続けるのなら貴方の矛となり、盾となる事を誓います。急事の際は何を置いても貴方だけを優先します。その他にもあなたが望むなら、どのようなことでも.....可能な限り応じます。それが私があなたに還元出来る対価の全てです。書面を用いないエルフ流の口頭契約ですが......。もし、あなたが私を受け入れてくれるなら__どうせならこの手をおとりいただけないでしょうか___」
今日一番の笑顔で輝いて見える彼女はただただ綺麗だった。すっと伸ばされた右の手__を見て、僕の手は伸びる。だが思い留まった。安易にとるわけにはいかなかった。
彼女は僕と歩むことに意義を見出したように、僕もまた彼女と過ごす日々に意義を見いだしていた。それも彼女が想うよりも前__出会った当時から。それに今日の一件で__未だ問題解決に至っていない現状だが__生涯を賭しても返せないような大きな大きな借りができたことも踏まえ。
この契約は、対等以上、彼女に優位なものでなければ成立は認められない。何より僕のプライドが絶対に許さない。
彼女が勇気を出して言動で示したように、僕も、今の今まで逃げ続けた僕だけれども、出来る精一杯をぶつけてみようと考えた__例え、一瞬、彼女を曇らせてしまうことになろうとも...
「それは....出来ません。すみません」
「ぇ?」
予想外の返答にやはり曇タリカさんが現れた。
「僕から手を取ることは...間違っても出来ません....悔しいですけど僕にはその資格はないんです....」
「シノ?」
「いつまでも....ユスタリカさんに頼れないと知っていたから...僕は今日、貴女の助力を断りました...でも....こうしてユスタリカさんの判断で助けてもらわなければ...僕は...今頃死んでいたんですよね?」
僕自身の発言に何より僕が半信半疑だった。それでも控えめにだが彼女は確かに首を縦に振った。
「....。悔しいです......。自分がどんな風に...どんな魔物にやられたのかさえも何も覚えていないんです...。僕は...昔から弱い自分が大っ嫌いでした。..でも....弱い僕は弱いまま...何も変われずに終わってしまった.....。でも....こうしてもう一度チャンスを与えられたからには、今度は理想の自分になれるように精一杯頑張ろうと思ったんです...でも現実は...甘くなかった...それでも....すぐ..強くなりますから....ユスタリカさんを守れるよう強くなりますから...それまで少しの間...今までみたい頼っても.....良いですか?今はまだ....情けない、カッコ悪い僕ですけど....これからも貴女の隣に立つことを許して貰えますか?....」
こんな...涙の浮かび上がったみっともない顔では、目を合わせられない僕は、自分の左手という遮蔽物を隔ててようやく決意して述べていた。
「......。そういうことでしたか安心しました。勿論です。少しと言わず生涯私を頼ってください。何時でも私は貴方の側にいますから」
恥ずかしげも無く放つ言葉に、いつか僕も貴女みたいになれたなら...と密かに憧れた。
「貴女が望むなら僕は何だって...僕に出来ることは頑張ってします....ユスタリカさんが今まで苦労した、その分以上に幸せに出来るよう...精一杯頑張ります....ですからこれからも....末永く宜しくお願いします........これが僕の要求と僕がユスタリカさんに返していきたいものです。....良ければ手を...」
彼女はもう僕の手を取っている。
「手を差し伸べたのは、シノ__貴方です。仮に後悔しても、もう遅い。私はもう...貴方という人間に触れてこの温もりを知ってしまった。絶対にもう貴方を離しません。この先何があっても絶対に....」
いつもと変わらぬ淡々としたものなのに並々ならぬ決意を感じた。孤独に耐えてきた彼女の痛みがそうさせたのか握り返されたこの手には歓喜と安堵の震えが伝わってくる。
半身から伝わる熱が二人の繋がりを強く感じさせた。
繋がった手と手の温もりが心地よかった。
合わせた目と目が、喜びに揺れていた。
互いが互いを求めた結果、最善の選択へ誘われる。
ユスタリカの決断が優柔不断なシノの背を推し導いて、一つの契約がなった。永遠を誓った契りは罰則なき口約束に過ぎないが、されども固く揺るがぬもの。
こと二人においてはそれ以上は必要なかった。
満ち溢れるような幸せに終止符を打つが如く、魔物の群れは着実に迫りくる。それでも今は、しばらくこのままで...
◇
純真無垢な真っ直ぐな温かい眼差しを整った顔が一生向けてくるものだから、ドクドクドクと痛いほど胸が高鳴っている。そこには邪な感情は一切なく、ただ純粋に、目と心を奪われていたシノがいた。
ふと、彼女の混ざり気のない笑顔の理由を探して、行き着いた答えは二人の奇妙な巡り合わせ。
聞いた限りでも彼女の境遇はきっと僕では想定の出来ないくらいの困難と苦痛の中にあったのだろう。それをおクビにも出さず今の今まで接してくれた事実に固唾を飲まざるを得なかった。
同時に彼女と過ごす日々の中で、これから少しでも癒していけたらと...いいや、幸せにするんだと誓いを立てた。
「あの.....取り敢えず...そろそろ降りてもらえませんか?」
「そうですね...残された時間も少ないですし状況を整理しつつ今後のことでも考えましょう」
お互いに名残惜しいような....やっぱり名残惜しいよな....でも事故が起きる前に彼女が退いてくれて良かったと思う自分が確かに居た。
◇
「良いですか?今私たちが取り残されている場所は___オルロス地下迷宮、一層と二層の丁度中間点、踊り場に当たります」
「オルロス地下迷宮....」
「はい____」
彼女は尚も続けるが僕の耳にはオルロス地下迷宮、以降の説明が入ってくることはなかった。
言葉にすることで実感する。言葉にすることで確信に変わった。あぁそうか、なるほど。なるほど。コレが異世界ダンジョン。
救護者は、目鼻立ち整ったどこかカッコよくも美人なエルフさん。介助人は、ダンジョンに憧れた新人冒険者。
本来、ダンジョンに存在しない人肌の温もりを覚え、新人はようやく意識を取り戻した。先輩と新人。互いに身を寄せ、温もりに安らぎを覚え、そうして一般的には番になってゆく。
冒険者の妻は冒険者。その割合が実に高いのは、死の間際に触れた人肌の温もりと声音にあてられてのことなのだろう。
かく言う僕も__先輩__ユスタリカさんに助けられ初めて見た素顔に一目惚れ。
これこそが異世界ダンジョンの醍醐味と言えるだろうか。初めて夢見たのは何時の頃か....
強敵を前にピンチに陥る冒険者ちゃんの前に颯爽と現れ、華麗に救うカッコイイ自分。
へたりこみ。涙を浮かべる潤んだ瞳に、震える彼女に心安らぐ言葉に笑顔、救いの手を差し伸べる。
戸惑いながらも彼女は手をとり、触れる温もりに人知れず高鳴る胸の鼓動。
芽吹く淡い恋心。いつしか盛大に燃え上がりやがては生涯の伴侶へと昇華する。
現実は、反転。美しくも何処かカッコイイ、クールな女性に救われた僕の心は容易く射貫かれた。
「ユスタリカさんは....ずるいです...僕の計画がつい先程頓挫しました...」
「いきなりどうしたんですか...狡いとはいったい...私の説明の何処にずるい要素があったのか、そのあたり詳しく説明を聞きたいところです」
問い詰めるように再度ぐっと寄る顔に、純粋な僕は堪らず「それです!それ!」音を上げ退いていた。
「それとは一体...」
ユスタリカさんの抗議の声をスルーしながら、天井の無数の光源をぼんやり目に映した。この日、今し方の光景を一生涯忘れることはないだろうと悟り、熱を帯びた溜息が口から漏れ出ていた。
それほどまでに、気付けは衝撃的で力強く、かと思えば素顔を晒した彼女の表情が二転三転四転五転...どれもが新鮮で、思い返せば頬の火照りが止まらない...
これがもし、非現実なら、僕がこの先二人に求めるのは、多少のイチャコラ。でもそれは僕自身に当て嵌めた場合は対象外。何より、現実がそうはさせないだろう。
フガフガと鳴き声と共に地鳴りが響く。反響していることを踏まえても猶予は長く見積もっても10分ぐらいだろうか。
「ユスタリカさんは猶予はどれぐらいと予測しますか?」
僕は指を一本立てて天井を指さした。
「猶予?.......この音のことですか。長く見積もっても15分はもうないでしょう...早ければ10分もしない内にここに来るかと....」
仮に5分を最大に考えて、僕なら彼女とどう過ごす?
「.....。ところで....ここは一体...どこですか?」
「....。今し方説明を終えたばかりですが...まさか頭の方のダメージが回復しきっていない?いや....まさか....」
「?」
「ま...まぁ良いでしょう....もう一度言います」
当然のように疑問を投げかける僕に彼女も当然のように返してくれる。関係性に変化があったのにも関わらずいつも通りの対応でホッとする。互いに意識しすぎないこの関係性が僕は好き。
「ここはオルロス地下大迷宮、一層と二層を繋ぐ大階段の踊り場です。私が貴方をここまで運びました....それよりも、あまり時間もないことですし、この後の方針について話しましょう」
僕は嬉しいから良いんだけど...
僕の額に手を伸ばす彼女は変な癖があるのかもしれない。伸ばす手で頬に触れたり首に触れたり...ペタペタペタペタ。
「どこにも著しい炎症は無さそうですね...最低限何とかなったということでしょうか...」
満足したのか離れていった。
「...もしかしなくても僕...今向かって来てる魔物にやられたんですか?」
「それは....はい。一層で思わぬ相手から奇襲を受けた貴方は致命傷を負い先程まで意識不明の重体でした...」
あれ?その割には服がボロボロなだけであまり外傷がないような...あ、そっか回復ポーション...
「すみません....初めて尽くしの異世界ダンジョ...初めての迷宮に興奮しちゃって...自分の力量を見誤ったみたいです...ははは...___ところで..さっきからずっと疑問に思ってたんですけどパーティーの皆さんは?迷惑をかけたことを謝りたいのですが」
「何も...覚えてないのですか...」
「.....えぇっと...」
直近の記憶は、泥虎と呼ばれる新人歓迎パーティに加入した僕は初めてのダンジョン進出を果たし、初動でゴブリン相手に奇襲を仕掛け無事撃破。勝利の余韻に浸る間もなく...群れへ挑戦状を叩きつけていた事を知り脱兎の如く逃亡に至った。もしもの可能性に備え取り決めていたように、釣れた群れを所定の位置まで誘導すると、パーティメンバーによる挟撃で初戦を無傷勝利で飾った。その後、自身で倒した子鬼から魔核を抉り出すリーダーの顔がどうにも頭から離れない...
「....」
その後も...確か一人で先行させられた僕は、三匹のゴブリンに不覚をとり囲まれ、助けは望めないと腹をくくった。やむを得ず命を懸けた奪い合いが始まり。短刀を引き抜き、正真正銘の一対多。みっともなくも地面を転げ回りながらも何とか囲まれないよう立ち回り、綻びが出た個体に狙いを定め渾身の力を込めた一刀を見舞い、各個撃破。ダンジョンに転がった、ゴブリンの魔核を初ゲット。それからも新人教育は順調に進み、一人で手に負えない群れに遭遇したときは、チームワークを活かして撃破を重ねて.....それから...それから恐らくは何らかの魔物と鉢合わせ__
彼女だけは己を顧みず、死中に身を投じ..僕を助け出してくれたのか....
女の身でありながら男一人を運び、迫り来る魔物を退け、ここまで連れてきてくれた実力者に感謝しかない。
彼女こそが僕の憧れる英雄像そのもののようだった。
「ユスタリカさん...僕は...貴女みたいになりたいです...」
女神様のような恩人に、僕はこの後何が返せるだろうか....
「.....。...なんて顔してるんですか......」
「無事ここを出られたら...抱きしめてもらっても良いですか?」
「出てからですか?私は今でも構いませんが」
「そうでないと僕....この後死んじゃいそうで...」
「....。分かりました...約束です、必ず2人で揃って戻りましょう」
「はい...」
彼女は退くと一息入れて、おずおず手を差し伸べる。僕は受け入れ、感謝を告げると身辺のチェックを行った。
まずは得物__腰に携えられた短刀が入る革製のケースに触れて、一先ず安堵し、後に身体を触診した。
「痛む部位はありますが.....全然動けます。骨は折れてなさそうです。打撲と擦過傷、気絶だけで済んだのはユスタリカさんのお陰でですね」
笑顔で感謝を告げれば、外方を向いた彼女の耳がしっかりと赤身を帯びたのを僕は、しっかり見ていた。
「そうですか....私も覚悟を決めた甲斐がありました。....。ですが今私たちが置かれている現状としては芳しくありません。彼らに囮として捨て駒にされたシノさん。助けに入った私も主力の弓....矢の残機は心許無い...あの魔物達を仕留め切れず矢の回収出来てないのが辛いところです。せめてもの救いは矢が底を尽きる前に魔物の狙いが他の冒険者に移ったことで、こうして逃げ遂せたこと、今こうして貴方が目を覚ましてくれたことで私の行いは意味あるものになった__」
「その節は本当にありがとうございました」
「___ただ、ここはオルロス地下迷宮一層から二層、二層から一層を繋ぐ連絡路の中腹、外に出るには必ず奴らと私たちが鉢合わせすることになります」
何かに駆り立てられる魔物の声が鮮明になっている。邂逅は近いのかも知れない....
「すみません...僕のせいで__」
「....。貴方が謝ることではありません。貴方はパートナーですから、助けるのは当たり前のことです。問題は...」
問題は、僕を、僕とユスタリカさんを囮にしてでも尻尾を巻いでも逃げ出さなきゃ行けなかった程の魔物__数十を超える下の階層の魔物達が一層に留まっている点だという。
痛手を負いながらも帰還した新米冒険者達によって、既に冒険者ギルドにイレギュラーは伝えられているだろう。
それ即ち、緊急討伐隊の編成を意味する。
新人に手に余る魔物の討伐を片手間にやって退ける程の実力者で構成された討伐隊は、見る者が見れば__下層の魔物になればなる程、実力差を知覚出来るとされている。
格上が大挙してその階層に踏み入れた時、立ち向かうのは身の程知らずの阿呆か、確固たる自信で待ち構える実力者だと相場が決まっている。
今回においては層を跨いでの進出ということで、実力者に該当するだろうが、群れの一定数は、十中八九逃げに転ずる。少なくとも同種が数体、容易く狩られる姿を目撃すれば、自分の階層へと帰省本能が働くのだろう。
それでも優秀は大先輩方は取り逃すようなヘマはしないと思いたい。それでも万が一のときは....2層へと続く唯一の大階段を駆け下りてくる魔物と鉢合わせになるという事実に僕とユスタリカさんは、耳から入る情報で宿命を理解した。
「...私の致命的な判断ミスです。貴方の救命ばかりに気を取られ...後の展開を読みきれなかった..迂闊でした....あそこはリスクを取ってでも戻ることを選択していれば今頃はきっと.....」
「過ぎたことよりも今__今出来る最大限の準備をしませんか?」
「シノ....」
「と言っても、やれることも特になさそうですが...ちなみに僕の持ち物は...この、ユスタリカさんから預かっている短刀一本だけです...やばいです....」
「....。それが、神妙な面持ちで言うことですか....ふふふ....先程探らせて頂いたので既に知ってます__」
!?
「私の方は....手元には弓....矢は...矢は残り13本。近接用・予備の短刀合わせて2本。回復ポーションの空瓶が4つ。今日得た小ぶりの魔核が10程...その他には携帯食料や水__コホン、使えそうな物はこれぐらいでしょうか......これからどうしますか?上に生きますか?それとも下に?それともこのまま....」
彼女の得意武器はエルフのイメージに沿ったような弓だった。だが近接戦闘の実戦を通してその短刀捌きも一流である事を僕は知っている。
それでもやはり男である僕の頭の中では彼女を矢面に立たせるなんて考えられなかった。
「どれぐらいの数が残っているかは分かりませんが取り敢えず上にいきませんか?運が良ければ先輩方がその前に決着をつけてくれているかもしれません...期待はしない方がいいような気はしますが...」
「どのみち帰還には通らねばなりませんからね」
「ですね....魔物が向かってくる場合....そこで僕が正面から迎え討ちます。ユスタリカさんは初め後方で弓でのアシストを。状況に応じて自衛の為に短刀を抜いて応戦してください...」
「ですが、肉厚な奴らにはあまり効果が...いえ.....分かりました。ユスタリカ=リコルスは全身全霊を持ってあなたに害なす者__その芽を挫きます」
「じゃあ....アサシノ シノは、ユスタリカ=リコリスを守るために今から__冒険者らしく冒険を始めます」
「なんですか、それは?」
「今から...大切な人を守る、真剣勝負を始めるという宣誓.....僕なりの誓いの言葉です...やっぱり変ですか?」
「個性的とは思いますが人それぞれかと。運命共同体の相手として貴方程ふさわしい者はいない...私は幸せ者だ」
「僕も同意です...」
人族とエルフ族は笑いながら腹を括ると階段に脚をかけ、歩みだす。
「じゃあ、いきましょうか....」
「ええ...」
「その....上に着くまで手を繋いでも....ありがとうございます」
女々しい僕とは対象的な彼女に見習うところは多そうだ....
そんな風に....包み込むように僕からその手を取れたなら....ユスタリカさんはどんな反応をするのだろうか?
今は無理でも....いつかきっと___
「僕は....僕たちは無事にここを出て、まずはユスタリカさんに抱きしめて貰うんです。死亡フラグの一本や二本ぐらい必ず折ってみせます。行きましょう、僕たちの明るい未来のために___」
震える手はどちらのものか。
互いにぎゅっと固く結んだ。
「そうですね....」
ユスタリカはフード被り直すと人知れず微笑み、二人の将来について思い馳せた。
二人三脚の共同生活。素顔の私は彼と衣食住を共にし和気藹々の日々を送る。
どうせなら緑豊かな森の中に家を立て、休日は並んで料理も悪くない。
よく晴れた日には家の近くの泉で二人で水浴びを....邪だと彼は照れるだろうか?
夜は身を寄せ合って一つの肌掛け、一つのベッドを共有し、互いの温もりを直で確かめ合う。
朝は早々起床し抜け出て物寂しげに彼が私を探す。それを傍目にいけない私は悦に浸る。
ゆくゆくは二人の子供も悪くないけどしばらくは二人だけの時間がいい。
でもその時が来たら、一人でも、二人でも、三人でも、四人でも...彼が望むなら。
冒険者稼業は程々に。家族団欒を...
一層に辿り着いたとき、二人の手は自ずと離れた。配置につくため歩みを進めた女は階段から十歩程のところで立ち止まり、男はそこから五十歩程前に進み出る。両者の目は既に闘志に満ちていた。
この世では稀な黒髪の人族は腰元の短刀の柄に右手を触れさせ目を閉じた。外套に全容を隠すエルフは左手に弓を右手に矢を持ち、遙か先を見据え耳を澄ます。
想定よりも地鳴りが大きい...
どうやら冒険者の先輩方は僕の期待に沿う働きはしていないようだ。
魔法によるものか爆発音が耳を打つ度、地面と大気が振動する。断末魔の叫び__肉声が上がっては途絶えると継続的な地鳴りは微かに小さくなり、魔物は確かに数を減らしている。
今開演の狼煙が小さく上がった。
「シノ!」
「.....。行きます!」
開眼する。短刀を引き抜くシノは無数の魔鉱石が照らすダンジョン内を駆けてゆく。
夢見たダンジョンとは似ても似つかない、生命を感じさせないゴツゴツとした天然の石作り__無骨な地面を蹴り、跳躍。初めて相対する魔物の双眸目掛け、お礼参りの一線を見舞った。
「プギイイイイィィィィィィィィッッッッーーーーーーー!!!」




