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8話『嘘を吐く鏡』

 朝。母親を起こさないよう、物音を立てないように廊下を歩いてトイレに行く。


 まだ慣れない下半身の感覚。男の頃にはなかった、定期的に訪れる重みと鈍い痛み。それらの不快感に舌打ちしながら、用を足してトイレから出る。


 顔を洗って歯を磨く。


 なんてことは無い、どこの家庭でも行われる単純作業。


 この工程を行う度、俺の心は何重にも張られた蜘蛛の巣を払うような不快感に苛まれる。



「……」



 寝起きで髪型の乱れた半目の少女が、間の抜けた表情で歯ブラシを動かしながら俺を見ている。



「……」



 いつまで経っても目を逸らさず、ひたすら真っ直ぐ俺を見つめている。


 こういう風に他人から見つめられることは嫌いだ。

 母親は俺がなにかする度にその行動をじっと監視するように見てきた。

 物を落とせばすぐに近付いてきて俺を叩く。戻す位置を間違えても叩く。置きっぱなしにしても叩くし、邪魔だという理由で叩かれる時もある。


 見られるのは嫌いだ。注目されるのは嫌いだ。


 嫌いなのに、目の前の少女は俺の気持ちなど知らんぷりしてジーッと、飽きもせず、面白くもなさそうに、ただ感情のない瞳を俺に向けてくる。



「……」



 少女の顔が不愉快そうに歪む。その顔をしたいのは俺だ。なんでコイツが、俺に向けてそんな顔を見せてくるのだろう。



「……っ」



 更に不愉快そうに歪む。今の母親をそのまま幼くしたような、父親とは似ても似つかない顔をした少女が、まるで俺を強く憎むかのように睨みつけてくる。





 パジャマを脱いで、下着姿になった少女と目が合う。


 少し膨らんだ胸と、それを隠すように包み込むブラジャー。男物にはないようなデザインのパンツ。


 周りの男子よりも少しだけ高い背と、ぶくぶくと肉がついていく体型。


 鏡の中にいる少女が寝癖をクシで梳かし、肩より下まで伸びた髪をゴムで結んで母親に教えられた通りの二つ結びにする。


 母親が選んだパーカーを着て、母親が選んだスカートを履く。



「俺は、男だ」



 鏡の中の少女が高い声で意味のわからない言葉を呟く。


 男だと言うのなら、長く伸ばした髪を二つ結びになんてしないし女子が着るような服も着ない。下着だって男物を着けるはずだし、こんな体型にはならない。



「理子、は……」



 鏡の中にいる瑠璃川理子が自分の名前を呟いた瞬間、今までよりもずっと不快感に満ちた表情で俺を睨んできた。



 鏡が嘘を吐いている。



 俺が女になった時、母親は一気に優しくなった。


 自分に顔がそっくりだから、色んな服を着せたり髪型を試したりと今まで以上に接してくれるようになった。まるで俺のことを着せ替え人形にするかのように。


 あの母親が優しくなったんだから、俺は本来この病気に感謝するべきなんだ。病気のおかげで母親が俺を見てくれるようになった、もしかしたら昔の夢も叶うのかもしれない。


 それなのに、鏡に映る瑠璃川理子はいつだって不快そうな表情を浮かべている。


 何が不満なのか分からない。何を求めてるのか分からない。母親の事を好きになりたいって言ったのは自分自身なのに。この現状に満足できない理由なんて1個も無いはずなのに。



「……その顔、やめろ」



 鏡の中の瑠璃川理子はもう不快そうな顔をしていない。俺がそうするのをやめたから、鏡の中の瑠璃川理子も合わせてくれたんだ。


 それなのに胸の中の不快感が消え去らない。


 普通の顔をした瑠璃川理子が、瑠璃川理子の顔が、受け入れられない。


 瑠璃川理子の顔が嫌いだ。鏡は俺に、嫌いな奴の顔を映し出してくる。



 鏡が嘘を吐いている。







 今日の体育は男女混合でドッジボールをするらしい。つい、舌打ちが漏れる。



「背の順でチームを分けるぞー」



 担任の指示を聞いて生徒がまばらに分かれていく。

 背の順で分けた場合、俺は女子が多く固まっているチームに入ることになる。

 この頃急に身長が伸びる女子が増えてきた。不思議だ。男子の大半が女になった俺より小さいなんて。


 女子チーム……。そう意識した途端、胸の中がチクリと痛くなった。線の向こう側で馬鹿やっている男子を眺めていると、羨ましい気持ちになる。



「うわっ! 正面から見るとやばくね? 瑠璃川」


「すげー胸。何センチあるんだろうなあれ」


「……」



 男時代の俺を知らない、純粋な女子として初めの方に話した事がある男子達がこっちを見ながら隠す気のない声量で喋っている。



「体操服になると余計デカくなるんだな」


「下は裸なんかな? だからそのままなんじゃねーの?」


「やべー!」



 ……なわけないだろ。ブラしてるわばーか。


 体操着の布地のせいで私服の時より胸が目立ってるだけなのに、なんで裸の上からそのまま着てるって言われなきゃならないんだ。そんな事を言い出したら、



「デブのくせに中に何も着てないとかテロでしょ」


「そんなに胸をアピールしたいんだ、嫌な奴」



 ほら。こんな事を言われるからやめてほしいんだよ。こっちは女子が多いチームにいるんだぞ、気まずいよ……。




 近くの女子からの陰口には無反応を貫きながら飛び交うボールを何とか避ける。


 女に変わってから運動神経が悪くなった感じはないって思い込んでいたけど、もしかしたらちょっとだけ悪くなったのかもしれない。

 足が思ったよりも早く動かない。それに、体を動かすと胸も意味不明な動き方するせいで体重移動が変になる。


 それに今日は生理の日だ。


 お腹の下の方が重くて鈍い痛みがずっと続いてる。激しく動こうとするとナプキンの感触が気持ち悪くなるし擦れて余計イライラする。

 こんな事なら先に担任に「生理だから見学する」って言えばよかった。


 ……言えないか。今までそういう系の相談を他人にしたことはなかったし。

 す それに男だった頃の連中に知られたらそれでまた何か言われる気がしたし。体育で見学とか周りから注目されたくないし、最初から見学なんて選択肢はなかったや。



「……いってぇ」



 駄目だ。もうあんまり動けない。女子は何故かアリみたいに固まってボールから逃げてるし、その中に紛れ込めば当たることもないだろう。



「ちょっ、こっち来ないで瑠璃川! 狙われてるのあんただから!」


「えっ」



 こっち来ないでって、そんなハッキリ言う……?


 普段と違って余裕無いからか、女子の群れの先頭に居た子が強い口調で俺を拒絶してきた。それに驚いて立ちすくんだ瞬間、線の向こう側でボールを受け取った男子がこっちに向かって腕を振り上げたのが見えた。



「やばっ」



 即座にボールを受け止めようと強引に体の向きを変える。


 足がもつれ、バランスが大きく崩れた。と同時にドンッ、という強い衝撃が俺の腹に走った。



「っ……!?」



 息が詰まった。

 痛い。痛いだけじゃない。


 内側から締め付けられるような生理痛とボールの衝撃が重なって胃がひっくり返りそうになる。

 それと同時に股から血が漏れるんじゃないかという不安と恐怖が一瞬で頭を埋め尽くし、俺は床に崩れ落ちた。



「ふっ、うぐぅ……っ」



 驚きによって麻痺していた本来の痛みが倒れた拍子に襲ってきて、たまらずその場で小さくうずくまる。


 やばい。周りがざわつき始めた。倒れた時すごい音が鳴ったし、その後うずくまって泣いてるんだから周りもびっくりするか。



すぐ近くに人が集まってきて口々に「え、大丈夫?」「やばくね?」などと俺を見下ろしながら言ってるのがわかる。

 こんな時ばっかり、普段は無視してるくせに。なんて恨み言を呟きたくもあったけど、そんなことできる余裕はなく俺はただ呻くしか出来ない。



「りひ」「瑠璃川!? 大丈夫か!?」



 一瞬、慎也の声が聴こえた気がした。けどその声は後から来た卜部の声にかき消された。


 なにか返事したいのに今更になって人前で泣いているという恥ずかしさとか、男だった頃の自分と比較して折れそうなプライドが邪魔して何も言えなくなる。その様子を見て大怪我だと思い込んだのか、卜部は俺の体を激しく揺すり始めた。



「瑠璃川!? 瑠璃川!! おい、死ぬな!!」



 死ぬか。たかがボール当たった程度で死ぬわけないだろ。


 卜部が大袈裟に騒ぐせいで担任が俺の背中と膝裏に手を差し込み持ち上げて「保健室に連れていく!」などと言い始めた。恥ずかしい恥ずかしい、これってお姫様抱っこってやつじゃないのか? もう恥ずかしすぎて死にそうになるからこれ以上やめてくれ……!





 保健室に運ばれ、保健室の先生に優しく対応されたおかげでなんとか気持ちを落ち着かせることが出来た。


 保健室の先生は女の人だったので、そこでようやく生理のことを伝えたら「次からは無理せずちゃんと見学するんだよ」と言ってくれた。オマケにベッドで休んでてもいいと言われたのでお言葉に甘えて人生初、保健室のベッドで寝るというイベントをこなすことに成功。やったぁ。



「痛み止めは効くまで時間かかるから安静に」


「ありがとうございます」



 痛み止めを飲まされた上に、なんかカイロみたいな暖かい布みたいなものをお腹の上に敷いてくれた。

 よく分からないけどすごい、まるで本物の病院みたいだ。保健室って思ったよりもちゃんとした場所だったんだなぁ。


 カーテンを閉められ、人の視線が無くなってようやく少しだけ気が楽になった。けど、心は全然落ち着かない。



「はあ……」



 ため息が漏れる。

 もう体は女だし、着てる服も女物だし、そういうものだって受け入れようとはしていたけども。でも、心までは絶対に女になりたくないって思ってたのに。


 大勢が見える場所で、あんな風にうずくまって泣いちゃうだなんて。男の頃だったら絶対に起きない事態だった、少なくともドッジボールで当てられて泣くとか百パーセント有り得ない。嫌な気分だ。



「……理仁」


「うわっ!? え、え……っ? しん、や?」



 急にカーテンが開いてびっくりした。慎也が保健室に入ってきたらしい。



「慎也? えっと……なんでここに、てか、久しぶり……?」


「毎日会ってるだろ」



 会ってるというか。同じクラスだから近くに居るだけで話すのは去年ぶりだ。久しぶりで別に間違いはないと思うんだけど。



「どうしたんだよ、授業中なのに」


「先生に言って抜け出してきた。お前にボール当てたの俺だし」


「お前かよ……」



 俺にボールをぶつけた張本人は慎也だった!

 うん、別に驚きはない。主に男子チームのメインウェポンは慎也だからな、パスを受ける機会も多いんだしどうせそんな気はしてたよ。わざわざここまで来るのは意味分からないけどさ。



「そんな痛かったのか? さっきの」



 体を起こし、なるべく平気な顔で答える。



「それなりに。だけど倒れたのはそのせいじゃないから気にしなくていいよ」


「生理ってやつ?」


「げ……。なんだよ急に」


「保健室の先生が言ってた。だから出来るだけ話も短くしてあげてねって言ってた」



 えー?

 そういうのってあんまり男に話されたくないもんなんじゃないの女は。保健室の先生は女の人なのにそこ普通に慎也に言っちゃうの?

 塩梅が分からないよ。少なくとも俺は男に生理のこと触れられたくないんですけど。



「そんなに辛いのか、それって」


「ん、うーん……まあ」


「なんで目を逸らすんだよ」


「……あんまり触れられたくないんだよ。生理って女にしか起きないやつだから。お前とこういう話したくねぇよ」


「なんで」



 は?

 いや、考えれば分かるだろ。

 なんで幼馴染と女ならではのお悩み話をしないといけないんだ。男同士で一緒に育ってきた相手としたくない話トップ3に入る話題だろ。そんな事も分からないくらい鈍かったっけこいつ。



「なんでってなんだよ」


「なんで俺と話したくねぇんだよ」


「慎也だからだろ」


「……は?」



 慎也の声が低くなる。びっくりして顔を見上げると、慎也は怒ってるような鋭い目つきを俺に向けていた。



「な、なに。どうした?」


「お前、変わったよな。女になっちまってから色々」


「いやいや、俺が変わったというより周りが俺に対して冷たくなっただけでしょ……」


「お前、登校復帰して最初の頃、自分のこと"理子"って呼んでたよな。俺でも私でもなく」


「あー……それは……」



 それは新しく平和な学生生活をスタートするために、自分が"女になった瑠璃川理仁"だってバレないようにする為、周りにそう覚えてもらおうとしてただけだ。

 あと女のフリするなら自分のこと"俺"とは呼べないし、かといって"私"とも言いたくないし、だから間を取っただけの事なんだけど。



「おかげでお前が誰か分からなかった。女の格好してるし」


「まぁ、バレないようにするためだし」


「バレないようにってなんでだよ。……てかなんで連絡の一つもくれなかったんだよ」


「え。……お前だって何もくれなかったじゃん」


「いきなり消えるから何かあったのかは分かってたし。引っ越した様子もないから連絡を待ってたんだよ」


「なんだそれ」




 そう答えると、慎也は何か言いたげな口を作った後にため息だけ零してその口を閉じ、俺に背を向けた。



「俺とはもう遊ぶ気ないのはわかった。避けたいんだろ、じゃあもう関わらねえよ」


「……は? ちょ、ちょっと待てよ」



 よく分からないことを言う慎也の腕を掴み引き止める。



「慎也のこと避けたいんじゃないよ。むしろ逆だから!」


「逆?」


「慎也って女の子と嫌いじゃん。でも俺、病気で女になっちゃったじゃん。だから以前と同じように普通に話してくれるか分からなかった。だからしばらく時間を置いて、もし行けそうなときがあったら話に行こうと思ってたんだよ!」


「……お前さ」


「なに?」


「いや……分かった。そういう考えで俺のこと避けてたんだな。おっけー了解」


「だから避けてたんじゃなくて!」


「怒んなよ。なんで怒んだよやっぱさっきのこと引きずってんのか?」


「引きずってねえし怒ってない! 避けてたわけじゃないって言ってんのに話聞かないじゃん慎也!」


「お前そんな大声出してイラつくタイプじゃなかったろ」


「だから、それはっ!」


「いいって。ごめんって。そういう理由があるならいいよ、安心した。俺、もうお前と遊べないんかなって思ってたからさ」



 そう言って慎也が歩き出す。



「こうして話す機会がなかったら多分お互いの気持ちとか分からなかったし、やっちまったな〜って思ったけど結果良ければ全て良しだよな」


「……良くないが。めちゃくちゃ痛かったんですけど」


「平気だろ〜そんくらい、理仁ならさ。それより、さっき言った言葉の通りならまたお前を遊びに誘っていいんだろ?」



 慎也がこちらを見ないまま俺に尋ねてくる。


「誘っていい、けど俺女子から目の敵にされてるぞ? もしかしたら慎也まで変な噂流されちゃうかもだけど」


「気にするかよ。女の言葉なんてほとんど嘘っぱちだろ、何の価値もねえよ」


「すっごいセリフ」


「あ、お前は一応除外しとくけどよ」


「……まあ、体は女だけどさ。心は男だから」



 そう言うとやっと慎也は俺のほうをチラッと見て「だよな」と少しだけ嬉しそうな声音で言った。


 慎也が保健室から去った後、一人で天井を見上げながら考える。


 なんだか少し、慎也の様子がおかしい気がした。まるで、俺からなにかしらの言葉を引き出したがってたというか。

 探偵ごっこをしてる時の、大真面目に下らない推理をしてる時の慎也と似たような空気を感じたんだよな……。


 なんにせよ、予想外ではあったが慎也とは喧嘩することもなく話し合いが出来たからよかったとしよう。さて。



「……お腹、いってぇ〜」



 生理痛、全然引かないし痛み止め効いてるのかなこれ。どうしよう、全然教室に戻れる気がしない。もう今日は早退しようかな、気持ち悪いし。でもそしたら母親と長く一緒に居ないといけないし……。


 はぁ。どうしたもんかなぁ。

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