魚影幽郭-壱-
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「水に溺れる夢を見るらしい」
ザクザクと雪溶け道を進みながら話し始めた神田。
いきなりの切り出しに目が点になる俺とチューマン。
「いきなり何の話?」
「今から行く病院の“噂話”よ、入院していた殆どの患者が見ていたそうよ。」
「マジでぇ?ありえねぇだろ」
「そうね。当時は相当広まった話だったらしいよ」
「てか、当時っていつの話だよそれ」
ちょっとまってねー。と神田は言うと、カバンから携帯電話を取り出し記録を辿る様に画面を流し見る。
「あー、15年前頃ね。やっぱり利用者の人がだんだんと居なくなって経営が難しくなったみたい。ちょっと見てみる?」
神田は俺に黒い携帯電話を渡してきた。方向キーの下を押し、【一般記録】と【非公開記録】があった。
非公開記録?今から行く所に何かあったりしたのか?
カーソルを【非公開記録】に合わせ、記録画面を一読する事にした。
『
院内極秘記録(抜粋)
件名:死亡事案に関する再検証報告
対象:入院患者死亡例(複数件)
患者申告による共通夢内容
•足部を掴まれる感覚
•喉に毛髪状の異物が侵入する感覚
•魚様顔貌の女性像の視認
※ 本症状は年齢・性別・疾患を問わず共通して認められた。
なお、患者が生前訴えていた「水に溺れる夢」「喉に異物が絡みつく感覚」、との関連性については、現時点では医学的説明が困難であり、経過観察および継続調査を要する。
夢の終盤では必ず足を掴まれ、抵抗する間も無く底へ引き摺り込まれる。掴まれる感覚は、目覚めた後もしばらく残っていたと証言有り。
当初は個人の悪夢として処理されていたが、苦しみから逃れるために自殺者が多発。
現場状況および関係者からの聴取内容を総合的に判断し、本件は第三者の関与を認めず本人の意思による自殺と推定。
【死因は溺死】
再検証結果(非公開)
所見:気道内に、通常では説明困難な量の毛髪様異物を認める。
本所見は、溺死において一般的に確認される所見とは一致せず死因を溺死と断定するには重大な矛盾を含む。
呼吸器系に、水の侵入を示唆する所見を認める。ただし、発見状況および周辺環境において通常想定される水没条件は確認されなかった。
「水が呼吸器へ直接作用した」可能性を強く示唆するが、その侵入経路および発生機序は医学的に説明不能である。
再評価による推定死因
水性因子による急性呼吸不全(原因不明)
総合判断
社会的影響および院内混乱を考慮し公式記録上は「溺死」として処理する。
時期を追うごとに同様の報告が増幅。
「集団で同じ悪夢を見る」という状況はかなり異例であり、医学的・心理的・環境的な観点から段階的に調査と対応を試みたが原因は不明。
この噂は次第に院外に広まり、利用者数低下、転院希望などが相次ぎ、最終的に患者数は回復せず、病院は運営を終了。
公式記録上の死因は「溺死」として統一処理。
本再検証結果については院内関係者以外への開示を禁止する。』
携帯の画面をこのままにし、隣のチューマンに渡した。
ざっと目を通して、不思議に思ったことがあった。
「なぁ、神田。お前、なーんか俺たちに隠してないか?」
「ッ!?、......なによ急に」
余裕そうにしていた顔がものすごい勢いで此方に振り向き、ギョッとした顔が露わになった。
「この情報なんで知ってるんだ?」
なぜ、“公式に残っていない”情報をお前は持っているんだ。と云う意味を含めた圧で問い詰める。
「はにゃ?最近はいんたーねっと?からの情報が凄いものよ。そんなん調べたらいっぱい出てくるしね...遅れてるねー君たちは...あははは」
反応がしどろもどろになっている。
丁度読み終わったチューマンも一言添えた。
「あ、確かに公式記録に残されていない事ばかり書いてあるね。じゃあこの情報はどこからのなんだろう?」
「あちゃー、そっち読んじゃった?」
神田は頬を掻きながら、言葉を詰まらせている。
「んー、我ながら不覚だったなーまさか見せちゃいけない方の資料を見てるとは思わなかったなー......だけどまぁ...◾️◾️◾️◾️」
ボソボソと最後の方に何か言っていたが、そこまで聞き取れなかった。
おっちょこちょいな性格がここでボロを出しているようだった。
こいつどこか抜けてるんだよなぁ。
気を取り直して神田に問いただす。
「はぁー、そんで、なんなんだよその情報源は、場合によっちゃ一緒に行けねぇぞ?ちょっと怖いし君ぃ......」
「あー!ちょっと待ってそれだけは勘弁!ちゃんと話すから!」
「話すって何をさ?」
足を止め、歩道に立ち尽くす3人組。
程なくして神田は話を進めた。
「......えっとね。あんまり表沙汰には言えないんだけど、私、『退魔士』なんだよねぇ...あはは」
「ん?」
「は?え.....?たいまし?」
俺とチューマンの時が止まる。
大凡、女子高生から聞き慣れないワードが聞こえ、頭が上手く働かない。“たいまし”とは何だ?もしかして“邪”を祓うやつあれか?そんなもの存在するのか?
つまり、ちょっとこの子は痛い子なのか、それともとても痛い子なのか?
「えっと、それはどういうことなの?そう云う設定的なやつ?あんま関わんない方がいい系?」
「もう!絶対そう言われると思った!ガチのやつよ!所謂そう云う家系なのよ!さっきの情報源は管理機関からメールに送られてるの!」
耳を真っ赤にした神田の顔は少し涙目を浮かべながら此方を睨んでいた。よっぽど言われたくなかったのだろう。
まぁ聞いたこっちが耳を疑うもんだからそりゃ怒るか。
そもそもその身分について話して良いモノなの?
疑問が次から次へと頭の中で溢れ出るが、真偽はどうあれ、あまり関わらない方が良いと分かった。
「あーそうなの。じゃあ後は『たいまし?』さんによろしく頼もう。帰ろうぜチューマン」
「ちょっと瞳護、流石に帰るのは可哀想だよ.....」
腰に手を置いたまま、ため息を一つ付く神田。
「いいわよ、瞳護くんは帰っても、ただ中馬くんは私と一緒に来てもらうわ」
振り返ろうとした身体を止める。
は?今なんて?
「なんで俺は帰って良くてチューマンは帰っちゃダメなんだよ」
「ごめん、訂正。一応君にも一目置いてたからさ、付いて来ては欲しい。だけど、言っておくと彼......中馬くん今とっても危険な状態なのは確かよ、彼を連れて行かないと手遅れになる」
「......どういうことだ?」
「そうね。さっき学校で...ほら昼休み中に話してた内容。あれ完全に“怪異”に魅入られてると睨んでいる。あ、次そこ右ね」
角を曲がり、道は急に細くなった。
両脇に迫る家並みが視界を塞ぎ、夕暮れの光が雪に覆われた道は、進むほどに路地の奥は闇を誘う様な不気味な赤い色に染まっている。
「怪異だぁ?」
昼休みに話していた内容からチューマンの命の危機に晒されるほどの事柄だとは到底思わない。『幽霊を見た』『恐いから一緒に確認してほしい』そういった事だ。ただ、それだけ。
幽霊を“見ただけ”で何故、その幽霊に“魅入られている”のか些か疑問だ。
「“見える”こと自体が異常なのよ」
その疑問に勘付いたのか、神田の一言の導入により不安を煽る。
更に神田は幾つかチューマンに質問をした。
「ねぇ、中馬くん、何処となく視線を感じたりしてない?身体全体を舐めまわされている様な感覚。もしくは、頭の中で指示を出されている感じしてない?」
「なんじゃそりゃオカルトが過ぎるだろ、なんか言ったれチューマン」
横目でチューマンの方に向けると、冷や汗をかいている姿が見えた。
顔色が悪く唇が震えていた。
「凄いね神田さん、本当に退魔士ってやつなの?......実は、朝からそうなんだ......何だか身体が重い感じがして、気を抜くと頭の中からボソボソ声が聞こえてる気がして頭がおかしくなっちゃいそうだったんだ。......ただ。」
「ただ?」
「うん、瞳護には恐いから一緒に来てほしいって言ったんだけど、実はちょっとニュアンスが違くて“ナニかに呼ばれてる”気がするんだ。だから行かなくちゃって思って。でもその思い込みが、発想が、もっと恐いんだ。頭の中で指示を出されている感じなのかな、多分瞳護が来てくれなくても、一人であの廃墟に向かってたと思う......」
「チューマン......お前......」
どうにも冗談に聞こえず生唾を飲む。
「でもよ、何でチューマンが必要なんだよ。」
歩きながら神田は顔を此方に向け耳を傾ける。
「その怪異とやらに魅入られているのは分かった。そいつに呼ばれているのも分かった。
だが、態々その現場に行く意味が全く分からない。 何故、危険だと理解した上でチューマンを連れて行くのか。それに、そのさっきから言ってる“怪異”が原因ってのがいまいちピンと来てない。ちゃんと説明がほしいんだけど」
「えぇ、そのつもり。まず怪異について説明しなくっちゃね」
────怪異とは、幽霊や妖怪だけを表している言葉じゃないの。
例えば、呪い、都市伝説、異常現象、限定災害、etc...。
人の認識から逸脱し、現世に干渉する異常現象の総称を示してるのね。
海外では幽霊や妖怪の類を悪魔や魔物と名称してるけど、今はその話しはいいか。
つまりは、それに準じて人に害を及ぼすモノを纏めて、私たちは“怪異”と呼んでいるわ。
「じゃあ、チューマンはどれに該当するんだ?幽霊か?妖怪か?」
────人間の“呪い”よ
「......は?」
神経に障るひと言だった。
「中馬くんの場合、この呪いは現象ではなく事象なの」
「現象?事象?どういうことだ」
「呪いが“現象”している場所は自然に『起きてしまう』モノ。呪いの場になっているのね、
例えば心霊スポットが良い例。人が未練を残してその場所で命を落としたとすると、その場所に呪いが込められ溜まり場となるの、その影響下で怪奇“現象”が起こるってわけね」
瞳護は握り拳を作りギュッと力む。
呪い?なんだって呪いなんだ。こいつが何をした?
学校に行き、友達と遊んだり勉強や部活に明け暮れる普通の高校生だ。何をどうしたら呪われる人生になるんだ。
だからこそ、腹の底から腹が立ってしょうがない。
「事象は条件が揃った時だけ『成立する出来事』よ、“対象”が居て初めて成立する呪い。結論を言うと中馬くんは何者かに“対象”にされ呪いを掛けられている。そして、中馬くんをその場に行く事で怪異が顕現される。」
「つまりは、呪いの“対象”では無い神田がその廃墟に行こうが怪異は顕れないってことになるのか」
「あら、意外と呑み込み早いのね。そーなの、実は何度か、同業者総出で捜索はしたいのだけれど、怪異どころか廃墟そのものを見つける事ができなかった。術者を欺くほどの怪異ってこと」
「なんで?退魔士って名乗るくらいだから、その分野の知識と経験があるんじゃないのか?」
「あぁーそれを言われるとめっちゃ耳が痛い......退魔士は対象と対峙してやっと此方の土俵なんだよねぇ。呪いの解析は呪術士がやるものよ本来はね!!」
つまりは非検体が居ないとお手上げ状態ですって言ってるみたいなもんだろそれ、大丈夫なのかこいつら......。
ザクザクと雪が積もった細道を歩いていると神田は目線を右の建物の方に向け「あっ!」と声を出した。
その一言の意味を汲み取る間もなく右足を前に踏み込んだ瞬間だった。
────ドクンッ。
脈打つ心臓の高鳴りが一瞬高揚し、そのまま背筋に冷たい汗を誘発させる。
ぐにゃりと一瞬視界が歪んだ。
身体が重たい、視線を感じる、気分が悪い、息苦しい、呼吸をする度に、寿命が縮まるかの様な錯覚に陥っている。
「はぁ...はぁ...はぁ...なんだ急にッ?」
「大丈夫!?神田さん瞳護が!!」
「やっぱりね......これ付けといて」
神田はゴソゴソと鞄から指輪を取り出して、俺に渡した。
指輪の外周には全方位に翠色の十字架が装飾され、どの角度から観ても必ず一つの十字架が視界に入った。
指輪を指にはめた瞬間、空気の密度が変わったような錯覚が走る。世界が一枚、すーっと薄い膜を剥がされたかのように、輪郭を取り戻していく。
「すげぇ、息しやすくなった......」
「当然でしょ、私が丹精込めて製作した一品よ?場所によっては相当高く売れるはずよ」
「そうか、ありがとう。チューマンお前は大丈夫なのか?」
「うん、僕は平気。急に倒れたから心配したよ」
「あぁ、心配してくれてありがとな」
膝に手を置いきながら神田の方に目をやると、彼女はストレッチをしていた。
「話している間に着いたね、奴のテリトリーに入った。もう後戻りは出来ない、覚悟はできてる?」
彼女が見ている先は、廃病院の入り口。
錆びた病院銘板には【第三・潤沼精神科医院】の文字が見える。
「なぁ神田、俺は行っても役に立てるのか?」
神田は目線を下す。
「その指輪、私の“魔力”が宿ってるの。雑魚処理程度なら余裕で倒せると見ているよ」
「雑魚って...あの中にはうじゃうじゃいるのか?」
「えー、僕が見た怪異だけじゃないんだ...」
「おっほん」
咳払いを一つして神田は話を続ける。
「そう言えば、まだ返答を聞いていなかったね、貴方が来てくれれば限りなく100%安全に任務を遂行できる見立て、さてどうする?」
「どうして?俺はさっきまで怪異の存在を知らなかったくらいだぞ?なんでそこまで俺が必要なんだ?」
「んー、そこまで必要じゃないけど?来てくれるなら超助かるくらい。
さっきも言ったけど君のこと結構一目置いてるのよ。聞いたよ、不良生徒18人に対して君一人で伸した話、それ聞いてピンと来たね。そのフィジカルと膂力に、私の“魔力”を合わさったら戦力になると思わない?
貴方を誘った理由はそんなもん、それで決心はついた?中馬君を助けるの?助けないの?」
「魔力?とにかくチューマンが危ないんだろ?そりゃ行くよ」
にこりと笑う神田の顔。
「ありがとー助かる〜。魔力について後ほど説明するね。あと、入る前に中馬君にはこれ渡しとくね」
またもゴソゴソと鞄から取り出している。
ドラ〇もんかこいつは。
「はいどーぞ♡」
可愛らしいマスコットキャラクターの様なクマの形をしたベルが見えた。
「なにこの可愛いの?」
「私お手製の霊鈴よ、これ持ってるだけで近づいて来ないし、鳴らしてるだけで並大抵の雑魚怪異なら死滅するよ」
「ウワースッゲーオレイラネージャン」
1998年12月25日17時23分
夕暮れの空は鈍く濁った橙色に染まり沈みきらない光が廃墟を照らしていた。
外壁の塗装は剥がれ、所々にひび割れたコンクリートの隙間から黒ずんだ苔が滲み出ていた。
窓ガラスの向こう側は夕闇と同化した闇が底なしに広がっている。
病院の正面玄関は、半壊した自動ドアが、歪んだまま口を開けていた。
神田は携帯電話を取り出し、誰かに電話はしていた。
「神田、協力者二名、合計三名。これから怪異討祓作戦を開始します。」
入り口の中から吹き出してくるのは、埃と腐臭、そして、わずかに混じる水の匂い。
喉を鳴らすチューマン。
手汗が止まらなく、吐息が加速する。
「それじゃ行くよ」
神田の合図と共に入り口に足を踏み込んだ。
♢
「なんだよこれ......ッ!!」
一言で云うならその光景は異常だった。
視界に広がるのは、壁や床に泳ぐ無数の“魚影”。
揺らめく影は、水面に反射した光のように、ゆらり、ゆらりと形を変えながら、白く剥がれた壁面を這う。
外から見たとき、入口の奥はただの闇にしか見えなかったが一歩踏み込んだ瞬間、その印象は裏切られ内部は淡く柔らかな光に満ちている。
天井の蛍光灯はすでに機能を失っているはずだが、どこからともなく滲み出す青白い輝きが、廊下の隅々までを静かに照らし、病院そのものが深い水底に変わったかの様だ。
足を踏み出すたび、床が微かな波紋が広がる。その波に合わせて魚影が揺れる。
影は、壁を横切り、天井を泳ぎ、そして一瞬、こちらの足元に集まったかと思うとまた散るように消えていった。
生き物の気配はない。だが、確かに“泳いでいる”。
水のないはずの空間で。
魚影幽郭編スタートです




