7.生きているということ
「……いい、天気だね」
「そうですね」
朝、心地よい青空。柔らかな日差しに照らされ、二人は大きく息を吸い込む。昨晩、拠点に辿り着くや否や約二時間ほど、レンとセイは兎太郎からこっぴどく叱られていた。
「全く、レンくんだけならまだしも、君もとはね」
やれやれと態度も分かりやすく出ている兎太郎は、昨晩のうちに言いたいことを全て吐き出していたからか、今の調子は普段となんら変わりない。
セイはまるでいじける子供のように、傍にあった小石を素足で蹴った。
優等生だと思っていた少年の意外な一面が見れたことに、レンは嬉しさを滲み出してついにんまりと笑ってしまっている。
「なに笑ってるんですか、気持ち悪い」
「ひど!」
「こらこら、仲良くしなさい」
そんな戯れをいくらか繰り返した後、兎太郎はレンへと向き直った。そして土埃にまみれた頭のてっぺんから足のつま先までを見ると、「汚いから水を浴びてきなさい」とだけ告げる。確かに、昨日は色々と駆け回っていたからそういわれるのも頷けた。一瞬、昨晩の狂気的な鬼ごっこを思い出し、肝が冷えたりもした。もちろん心配をかけてしまうので、そのことについては一切話してはいない。
レンは軽く返事をしながら、そそくさと南の方角へと足を運んで行ったのだった。
身支度を整える。水浴びもそこそこに、兎太郎から預かった着物に腕を通す。さっぱりとした清々しい気持ちだ。おまけに天気も良い。天晴。
しばらくはその穏やかな日常に浸り、空に浮かぶ雲の流れを目で追うなどして時間をつぶしていた。
「呑気で羨ましいことですね」
背後から聞こえる少年の声に、レンは楽しそうに答える。
「だって、平和なのが一番だよ」
昨日のことも考えると、本当にそうなのだと叫びたくなる。あんな鬼ごっこ、もう二度とごめんだ。
「平和……じゃあ、こういうのは嫌いですか?」
セイがこっちへこい、というように、手招きをしている。慌ててついていくと、少し歩いた道の先、ちょうど草陰によって見えなくなっているその裏で、一匹の兎が罠にかかってぐったりと横たわっている。
「え、これって、」
「あなたが言ったんでしょう、肉が食べたいと」
「そ、れは……そうだけど」
どうも歯切れの悪い様子のレンに、セイは思っていた反応とやはり違っていたせいか、「迷惑でしたか?」と首を傾げていた。
「ち、違うよ、そんなことないよ。ただ……」
ただ、目の前の小さな生き物が、昨日の自分のように見えて、複雑な感情が芽生え始めている。しかも兎だ。申し訳ないが、これを食してしまえば、これからは兎太郎とどんな顔で接したほうがいいのか分からなくなるだろう。
いや、確かに肉は食べたい。けれど今の未熟な精神に、厳しい自然界の生存競争はまだ早いのかもしれないと怖気づいていた。
そっと兎の背中を撫でると、まだ温かい。上下する体から伝わる熱に、レンは唇を噛みしめながら、罠であるトラばさみを解いてやった。
「いいんですか?」
セイはただ、その様子を咎めるまでもなくそう告げる。
「僕にはまだ、刺激が強いかも……」
足には痛々しいほどの大きな傷跡が残ってしまっている。レンは咄嗟に自分の羽織の端を裂いて、兎の足に巻き付けた。大した処置はできないが、これくらいであれば、と気休めに思い立ってのことだ。
「……君も大変なんだね、ウサ子」
「なっ――あなたそんな変な名前を……!」
「えー。じゃあ、……兎子ちゃんとか?」
何か言葉を飲み込むように、しかし口をあたふたと忙しなく動かしていたが、全て諦めたのか最後にセイは項垂れる。
「セイくんごめんね、せっかく罠、仕掛けてくれてたのに……ん? セイくんだよね?」
「はぁ、まあそうですね、でも別にいいですよ。結局はレンさん次第なので。俺は肉を食べませんし。それより気を付けてください」
セイは忠告をする。
「なにが?」
「ここら一帯、トラばさみの罠仕掛けまくってるので。ちなみに俺もどこに仕掛けてるのか正確な位置は覚えていません」
「ええ~~~~~~~~!」
それはつまり、かなり用心していないと、今度は自分が罠に掛かってしまうこともあり得るということだ。
「い、痛いのは嫌かも」
「ふふ……」
下から、セイの笑いを耐える声が漏れていた。
「冗談です。俺はそんな初歩的なミスしません。他はすでに回収済ですし、どうぞ大の字で寝そべってもらっても構いませんよ」
「えぇ、それは僕がいやだ……」
なんて軽い冗談も言い合える仲にまで発展した関係性に、思わず顔が綻ぶ。
しまいにはお互いに吹き出すと、足元で兎が大きく跳ね、そのまま草木の中へと飛び込んで見えなくなってしまった。
「……挨拶もないなんて、薄情だね」
「まぁ元を辿れば、俺たちが悪いのでは?」
「……そうかも」
「っていうかそもそも……兎は人語を話しませんよ」
「あ」
兎太郎や昨日出会ったカラスのせいで、この脳みそも随分とメルヘンに毒されていたようだ。
へへっ、と紛らわせば、少しの沈黙が気まずい空気を漂わせていた。