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氷獄の一蓮花‐承‐  作者: 浅倉由依
第一章『始まりの場所』
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4.カラスと

 歩くのにはとても不適切な傾斜を進んでいく。近場はすでに狩りつくしてしまっていたために、現在は少し遠いところまで足を運ばなくてはならないからだ。目的地にはなんとなくの目星がある。その距離をいくらか縮めるためにもこの経路を選んだわけだが、早々に後悔している。着物というのは全く大きく動くのに不向きなもので、所々の枝葉やぬかるんだ地面に足などを取られては冷や汗が止まらなくなる。まるでこの場所に生きる植物たちが意思をもって、レンをからかっているかのようだ。


 生態系やその成長についても、レンはやや首を傾げるようなこともある。例として挙げるならば、まさに植物に関係することだ。不思議なことに、一度その場所から植物を採ってしまえば、次がなかなか生えてくることがない。いや、確かに成長してはいるようなのだが、あまりにもゆっくりなもので彼の食事の速度に追いつかないのだ。詳しい成長過程を知らないのは確かだが、さすがに一、二ケ月経っても再び新しい山菜等が採れないのはいかがなものだろうか。


「わっ」


 突風に煽られ、足を踏み外しそうになる。近くにあった木々に掴まり、なんとか踏みとどまった。代わりに足元で小石が一つ、転がり落ちていく。高さはそれなりにある。ごくりと、生唾を呑んだ。




 野を越え坂を越え、やっとのことでたどり着いた新たな採取場所は、それなりに広さのある池その周辺だった。生い茂る草花が、生き物未開拓の地であることを証明している。

 やれやれと腰を下ろし、比較的綺麗だろうと思われたその水は、底が見えるほどに透明だ。

 顔を洗い、あたりの静けさに耳を休ませる。呼吸を整えて視線をあげれば、ちょうど池の先、木々の隙間から見えたのは、等間隔に木に固定されたしめ縄だ。兎太郎たちと塒を共にして数日、あれには近づくなと念を押されていたことを思い出す。どうやら洞窟を囲うように設置されているものらしく、話を聞けば邪気を払う魔除けのような効果があるらしい。あまりそういう類の話は信じていないが、従わない道理はない。それなりに広く囲っているようで、はじめ見た時以来、そのしめ縄を目にしていなかったのですっかり忘れていた。

 随分とかなり遠くまで来てしまったようだが、太陽の位置はそれほど変わっていないように思う。


 そんな時だ。例のしめ縄の奥で、なにやら人影の様な黒い存在が動いたようだった。目はそれなりに良い方だ。錯覚などではないだろう。

 さらに目を凝らす。まるで陽炎の様な揺らめきを起しながら、それは動き続けている。

 手で視界の周囲を遮断し、その一点に集中する。影はやはり人のようだ。もう少しでその詳細が明らかになるというところで、「やあ」とふいに声をかけられた。驚いて、間抜けな声を上げてしまう。

 兎太郎や、セイの声ではない。もっと声は高く、その調子はおちゃらけたような軽い雰囲気を匂わせる男のものであった。

 振り返っても誰もいない。あたりを見渡すも、影ひとつない。例の黒い人影も、見えなくなってしまっていた。正直、肝が冷えた。


「こっちこっち、うえだよぉ」


 語尾を伸ばして呑気に話す人物を確認するためにも、レンは顔を上げる。その視線の先にいたのは、一羽のカラスだった。羽音が風を切り、ゆっくりと此方めがけて高さを落としていく。先ほど話しかけてきた正体はこの生き物だろうか。

 いや、そんなわけないとレンは改めて左右を見渡した。カラスが人の言葉を話すわけがないと。確かに知能は高く、度々悪知恵を働かせて人々を感心させる存在であることは知っているが、流暢に話ができるほど器用でもなかったはずだ。


「随分と久しいのに、無視しないでおくれよ。悲しいじゃないか」


 今までの思考をすべて薙ぎ払うように、カラスはレンの頭の上に降り立った。そのよく喋る口と共に。


「ふむ。君、こんなところで何をしてるんだい?」


 その尖った鳥足でげしげしと足踏みをしている。爪が時々頭や髪の毛に引っ掛かったりなどして痛かった。


「聞いてるのかい? おーい」


 ずきずきと痛む頭、そして喋るカラス。どうやら夢の類ではないようだ。


「え、カラスが喋っ……え?」


 どくどくと額から伝う感覚は、あまり好ましいとはいえない。っというかこれ、明らかに爪刺さってない? 血流れてるんじゃない? と脳内でひとり不安を抱えていた。


「? ボクだよ」


 新手の詐欺だろうか。この場合なんというのだろうか、と悩む中、


「……ちょっと、待ちたまえよ?」


 とカラスはその首を捻り、再び飛び立つ。今度はレンの顔の前に高度を維持すると、なぜかこちらの目を窺うばかり。


「あの、なにか……?」


 カラスの小さな黒豆のような瞳が太陽の光源を受けて、レンの顔を反射している。

 いったいなんなのだと怪訝そうな表情を浮かべていたレンだったが、その数秒後、なぜかカラスは独りでに笑い出した。まるで人を小馬鹿にするような笑い方だ。羽を曲げて腹を抱えるようにし、上空をふらりくらりと飛び回った後、またしてもレンの頭の上へと羽を下ろす。未だ笑いが収まる様子はなく、レンはいろんな意味で混乱の渦の中にいた。


「そういうことか。いやはや失礼、ふふ。ボクの人違いだったようだ」


 そう言って、カラスは一つ「カー」と鳴いた。


「初対面となれば自己紹介が先だろう。ボクは亜当(あとう)、よろしくね」


 なんて人間じみた礼儀正しい様子に、レンは思わず、


「……あ、レ、レン、です。よろしくお願いいたします」


 流れに身を任せるようにお辞儀をすると、座り込んでいたカラスが「おっとっと」と言って落っこちないようバランスを整えている。そういえばその主は頭の上でふんぞり返っていたのだった。(語弊)

「ねぇ、ここでなにしてるの? お話ししようよ。いい天気だね?」などと楽しそうに一人語る存在に、レンは似たような現状を思い悟る。兎太郎だ。彼は雪兎だが、このカラス同様違和感なく会話が成立している。最初こそ戸惑っていたが、今ではもう慣れたもので、喋る雪兎がいるなら、喋るカラスもいるということだろうか? この森は随分とメルヘンじみた異様な場所であると再認識した。


「あ、山菜。おいしそうだね」


 いつのまにか場所を移していたカラスは、先ほどレンが収穫した山菜や木の実を入れた網籠の上で、パクパクとそれらをつまんでいるではないか。


「あーー! だめですよ、これは僕のご飯なんですから」


 網籠からカラスを弾き、中身を守るようにして今度は威嚇する。


「はっはっはー、これは失礼。とてもおいしそうでつい、ね」


 反省の色もないカラスを前に、レンは早々に、このカラスのことが苦手かもしれないと悟る。ただの本能的なものではあるが、決して間違ってはいないだろうとも思うのだ。


「もう、なんなんですか。僕は暇ではないんですからね」


 はてどこかで聞いたようなセリフだが、今は気にしている余裕はない。

 冷たく突き返したつもりだが、目の前の生き物はお構いなしに距離を縮めていた。


「ごめんごめん、ボクは君と仲良くなりたいのさ。ねえ頼むよう、勝手に食べたことは謝るから、ね」


「まぁ……別にいいですけど」


 まるで人間のようにころころ表情を変えるカラスを前に、レンは調子が狂いそうになる。


 しばらくの間一人と一匹は、少しの会話を交えながら、同じ時間を過ごしていた。内容は極々平凡なものだ。好きな食べ物、嫌いな食べ物、何が得意で苦手かなど。そのほとんどはカラスが質問をしてレンが答えるという単純なものであったが、答えられるものは答えた。というか答えなければ、そのご立派な嘴で頭をつついてくるのだ。レンに拒否権はない。

 最初こそ簡単な質問ばかりではあったが、カラスは次第に深堀をしてくるようになっていった。「ここらの出身じゃないだろう? どこから来たんだい?」とか、「ご兄弟はいらっしゃるかな? 君の家族は?」といった具合に、自分との距離をぐいぐい縮めてこようと必死に思えた。少し、楽しそうではあるかもしれないが、そういう話になってくると、レンは口を一文字に結んでいるしかなかった。なにせ、記憶がないのだから答えられないのだ。


 止むことのない質問の嵐にとうとう嫌気が差したレンは、一つ声をあげる。そして自分の身に起こったことの経緯を事細かに話し始めたのだった。


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