◯出席番号29番 ②
もうすぐ学年が変わる。
そうしたらクラス替えかぁ。なんて、憂鬱なんだろう。
もし彼女と別のクラスになってしまったらと思うだけで、心が締めつけられる。
一学期は肩より上の長さしかなかった髪も、彼女に憧れてだいぶ伸ばした。
高校生になったらコンタクトにしてもいいとお母さんが言ってくれたから、あと一年ちょっとでこの陰気臭い眼鏡ともおさらばだ。
そういえば、合唱コンの時の彼女はいつもに増して輝いていた。
神田さんみたいにピアノを弾けることをアピールすることなどなく、ただただクラスのために頑張ってくれた。あの綺麗な指から奏でられる音は本当に素晴らしかった。
私には絶対無理だけど、いつかピアノが弾けたらいいなと思ったくらいだ。
勉強も相変わらずできた。私も見習ってちょっとだけ成績が上がったけど、まだまだ彼女の偏差値には追いつけそうもない。
私はいい方に変わっている。少しずつ彼女に近づいている。でも同じところまで行けないのもわかる。離れるのも嫌だ。
ある日の朝、彼女は上履きを履いていなかった。
「ど、どうしたの? まさか……」
「ああ、これ? うーん、どっか行っちゃった」
「そん……な……」
私は小学生の時、上履きや筆箱、体操着等を隠されたことがある。
隠した本人達はただ揶揄っているつもりだろう。でも、私は心底嫌だった。
あの時のことはあまり思い出したくない。
何で彼女が? 何をしたの? 私と違うでしょ?
彼女は虐めていい存在じゃない!
「誰がやったの? 私、先生に言う!」
「待って!」
「でも!」
「……待って。……大丈夫だから」
「……」
そんなこと言ったって、全然大丈夫じゃない!
「うーん、確かにこのままじゃ困るよね。画鋲とか踏んだら流石に痛いし」
そう呑気な言葉を発すると、彼女は職員室へ向かった。
うん、そうだよ。言った方がいい。私の時は先生があまり真剣に対応してくれなかったけど、今は私がいるから。
職員室で担任の大崎先生を見つけた彼女は、上履きがない理由をこう話した。
「前に汚れた上履きがしっかり洗えてなかったみたいで、動物に持っていかれてしまったかもしれません。ちゃんと落としたつもりだったんですけど」
「え、マジかー。血、ついてたもんな」
「はい」
「……本当に動物?」
「はい」
「そうかぁ。動物……ね」
彼女の足元を見ながらそう答える先生。職員室の入り口の前でその様子を見ていた私は、別の先生に怪訝な顔をされる。
「入るの? 入らないの?」
「あ、いや、すみません」
仕方なく廊下で待っていると、すぐに彼女が戻ってきた。
「何であんな嘘を?」
「嘘じゃないよ。血がついたのは本当。とりあえず、体育館シューズでいいって許可もらったから、教室戻るね」
「あ、私も行く」
もしかして犯人に心当たりがある? 庇ってるの? 何で?
たくさんの疑問が出てくるが、私には答えが見当もつかない。
結局、この日の彼女は一日体育館シューズで過ごすことになった。
その日の放課後、彼女は部活に行ってしまった。
今日は一緒に帰れないのかな?
そうだ、この時間に上履きを探してあげよう。隠された経験がある私なら、きっと見つけ出せる。
張り切って校舎内を探し回っていた私は、体育館近くの女子トイレにやって来た。
トイレは隠す場所として鉄板。
他の所も、誰にも見られていないことに気をつけながら男子トイレにだって入った。見ていないのはあとここだけ。
中に入りひとつずつ扉を開けて確認する。タンクの中や頭上も隈なく。最後に掃除用具の中まで見てみるが、上履きは見つけられなかった。
「うーん、ここじゃないか」
あと何処を探そうかと考えていると、トイレにひとりの女子生徒が入って来た。
「何やってんの?」
「え、あ、えっとー、探し物があって」
やって来たのは神田さんだ。
男子……特にカズヤ君によく媚を売っている女の子で、同じクラスだけど話すことはない。
「……探し物って?」
「……上履き」
「履いてんじゃん」
「私のじゃなくて……」
「ふーん」
すると何か考える素振りを見せた。
「アタシ見たかも、上履き」
「え、本当!」
「嘘ついてどうすんのよ。えっとー、確か向こうかな。掃除の後ゴミ捨てに行って、そこで見たような気がする」
「っ!? ありがと、神田さん」
「どういたしましてー」
お礼を言うと、私は急いでゴミ捨て場の方へと走った。
もし間違って他のゴミと一緒に捨てられるようなことがあってはいけない。
早く見つけないと!
ゴミ捨て場に着くと、私は用務員のおじさんに話しかけた。
「あの、すみません! 上履き見ませんでしたか?」
「ん? あれのことかい?」
用務員さんが指差した方を見ると、コンクリートの上に一足の上履きが置いてあった。その下には大きめの石があり、それは斜めに置かれていた。
「随分と土汚れ酷かったんだけど、綺麗に洗っておいたよ。だって、こんなところに上履きを捨てるなんて考えられないだろ? 今干してるところさ」
「ありがとうございます! たぶんそれです!」
近くに行って確かめると、まだ所々に汚れが残っていたが彼女の名前が書かれているのが見てとれた。
「この持ち主って君の?」
「いえ……友達……です」
「そうか。君はいい友達だね」
「私、いつも助けられてて。だから恩返ししたいと思っていたんです。……喜んでくれるかな」
「ああ、きっと」
「そうですよね。届けてあげなくちゃ」
用務員さんにもう一度お礼を言ってから、私は彼女の部活が終わるまで待つことにした。
書道部の部室の前で暫く待っていると、彼女が出てきた。
「え、どうしたの?」
「見つけたよ、これ。まだちょっと濡れてるけど」
「……」
上履きを手渡すと、彼女はそれを手に取ったまま俯いてしまう。
あれ? 嬉しくなかったのかな。
「ごめん、迷惑だった?」
「ううん、違うの」
すると、私の体を抱き寄せてきた。
突然のことで頭が真っ白になる。
「……ありがと、アオイちゃん」
「う、え……えっと……うん」
名前で呼ばれた嬉しさと、彼女の体温を感じるこのドキドキした気持ちで、心はゴチャゴチャだ。
墨の匂いが微かに漂って、それが辛うじて私を落ち着かせてくれる。
……役に立ったんだ、私。
「もう、本当に大丈夫だから。アオイちゃんが気に揉むことは何もない。だから無茶はしないでね」
「無茶なんて、そんな!」
「うん、わかったから。もう、大丈夫」
安心させるように背中を数回優しく叩いてから、ゆっくりと彼女は体を離した。
私は少し名残惜しい気持ちだった。
「待っててくれたんだよね。……帰ろ?」
「……うん」
そう言って湿った上履きを持って彼女は歩き出す。
「そういえばどこで見つけたの?」
「えっと、ゴミ捨て場の方で。神田さんが教えてくれたの。結構優しんだね、彼女」
「……そっか、神田さんが」
「うん。それで用務員さんが洗って干してたところを見つけて」
「山内さんかぁ。気が利くよね、あの人」
「え、知り合い?」
普通、用務員さんの名前なんて知らないよね。いつも作業着姿でいろんな場所にいるのを見かけるから、顔は知ってるけど。
「……前にちょっとね。後でお礼言わないと」
私が知らないところで、彼女に親しい人がいるなんて……。
って、そんなの当たり前だよね。私ったら何考えてんだか。
彼女の横顔を見ながら考える。
今回のことで、彼女は全く悪戯を気にしていなかった。
私なら過去のトラウマもあるけど、平然と過ごすことなどできない。
……強い人なんだなぁ。
そうか、あの課題。私なら彼女のことはこう書く。
『誰にでも優しく、そして強い人。心まで綺麗な憧れの存在』