◯出席番号10番 ②
勉強は好きじゃない。
でもやらないわけにはいかない。それはわかっている。
どこから集めたのか、大量の塾のチラシを机に並べた母親からの無言の圧に負けたオレは、適当に手に取った塾へ現在通っている。
まだ塾なんて早いんじゃないかと思って入塾した一学期は、そんなにモチベーションも上がっておらず「モリオが行くなら」と一緒に入ったカノジョと共に何となく通う状態だった。
流石に二年の三学期にもなると周りは既に受験を意識し出し、オレも受験真っ只中の三年生のオーラにやられそうになる。
塾のクラス分けは当然下のクラスではあるが、そろそろちゃんと向き合わないといけないと思い、こうして午前中の部活を終えて自習室にも来ている。
まあ来ているだけで、成績が上がったかどうかは別の話だ。
今日のカノジョはダンス部の練習で一緒ではない。もうすぐ卒業する三年生への出し物の準備で忙しいようだ。
正直寂しいが、こればかりは仕方がない。
自習室は一・二年生と三年生で分かれている。受験ハイの先輩と同じ空間は辛いから助かる。
向こうだって同じだろう。大事な時期に邪魔されたくないはずだ。
夕方からの授業前に、この教室には二十人程の生徒が来ていた。
オレもそこに混じってプリントに手をつける。
一時間程経っただろうか。午前中の疲れもあってか、だんだん眠気が襲ってくる。
あー、眠い。……でも寝たら怒られる。
教室の前には『私語厳禁』『飲食厳禁』『居眠り厳禁』のポスターが貼ってある。
たまに見張りに来る講師にこれらが見つかると、一週間の自習室使用禁止令が出されてしまう。
今までにカノジョとのおしゃべりで二回、飲食と居眠りで一回ずつ罰を受けたことがあるオレは「次やったら一ヶ月禁止」の罰が待っている。それはマズい。
よし、ここは気分を変えよう!
社会のプリントを片すと、オレは代わりにバックからスマホを出した。
英単語でも聴いたら気分転換になるだろうと考えたのだ。
プレイリストから英語に関するものを探して再生する。だがここで大きなミスを犯す。
眠気でボケていたのだろうか、教室中に大音量で歌が流れてしまう。
「うわっ!」
急いで曲を止めたが、周りの生徒が一斉に反応する。中には睨みつけてくる奴もいる。
「……すまん」
この場に塾の講師が見回りに来ていなかったのは運がよかった。
この程度ではチクリそうな奴もいないだろうし、二秒程で止められたのも大きいだろう。
もしここに三年生がいたらどうなっていたか。
「ん?」
なんとなく視線を感じて斜め後ろを見る。すると同じクラスのアイツと目が合った。
「っ!」
すぐに目を逸らされたが、何だろう? やっぱり迷惑だったか?
アイツとは、あの怪我の後にお礼のハンカチを渡してから特に接点はなかった。
その時も「別に大したことしてないからいいのに」と言われた。隣にいたカノジョから強引にお詫びの品を渡され、すごく困った様子だった記憶がある。
ちなみに、今でもオレの腕には傷が残っている。野球に全く影響はなかったけど、この傷を見るたびに「ちゃんとしよう!」と思う。
まさか適当に取ったチラシの塾に通っているなんて思わなかったから初めは驚いたが、その後のクラス分けで別々になった。
こうして自習室に行った時や自由スペースで会うことはあるが、話したことはない。
……さっきのは気のせいだろうか?
気にしても無駄だ。しっかり操作を確認して、オレは英単語に切り替えた。
暫くして、少し小腹が空いたオレは授業が始まるまでの間自由スペースで休憩を取ることにした。
家から持ってきたパンを頬張っていると、目の前に誰かがやってきた。
「……あの……さっきの曲って……」
「ふぇ?」
話しかけてきたのはアイツだった。
突然だったため、思わず変な声が出てしまった。
「あ、急にごめんね」
「お、おう……あ、さっきはごめん。うるさかった?」
お茶を飲み呼吸を整えてからそう問うと、彼女は首を振った。
「ううん、そうじゃなくて……聴こえてきた曲が気になって……」
「あー、えっと……これ?」
オレはプレイリストから、さっき誤って流してしまった曲を表示する。
「海外の歌手でさ、まだ全然有名じゃないけど曲がいいんだよね。カズヤに教えてもらったやつで、新しいけどスッと入ってくるとこがいいんだ」
「……やっぱり」
「もしかして、こういうの好きなの?」
かなり激しめの楽曲が多い歌手だから、絶対合わないと思ってた。
「この人の曲の原曲って、クラシックなの。馴染みのある曲を大胆にアレンジするのが凄く上手だなって前から思ってて……」
「へぇー」
クラシックとか全くわからないから知らなかった。
でも言われてみれば、初めて聴くのにどこか懐かしい感じがする。
「クラシック好きなんだ? あ、合唱コン、ピアノだったもんな。よくわかんないけど上手かったし」
「……ありがと」
すると、彼女は視線を少し迷わせてからオレを見た。
「……モリオ君も、歌、上手だったよ」
「え、そう?」
歌は確かに好きだ。カラオケもよく行く。でも褒められたことはないぞ。
「うん。合唱向きじゃないしちょっとクセがあるけど、他の人にはない独特のいい声だと思う。ちゃんと練習すれば彼みたいに……」
そう言いながら、オレのスマホに表示されている歌手を指差した。
「いやいや、それはないって! 歌は好きだけど、カラオケの採点はよくないし」
手をブンブン振りながら否定するが、彼女は真っ直ぐこちらを見てくる。揶揄っているようには思えない。
ちょっと居心地が悪くなって、オレは話題を変える。
「あ、この歌手が好きならCD貸そうか? 家にあるからさ」
「……大丈夫。借りたことあるから」
「そっか」
CDを貸してくれる友達がいるなんて意外だ。誰だろ?
よく一緒にいる田端もこういうの興味なさそうだけど。
「あ、休憩邪魔してごめんね。私、もう教室行くね」
「ん? あ、じゃあな」
何かに気づいて慌てて彼女は去っていった。
どうしたんだろ?
「モリオ!」
不思議に思って後ろを振り返ったと同時に、カノジョが姿を現した。
「お疲れー。授業までまだ時間あるよね。ご飯食べよっと」
部活を終えたカノジョが隣に座っておにぎりを食べ始める。
「なんかー、最近部内がピリついててね、ちょーサイアク。主にナツコが原因なんだけど、全然揃わなくてー。それでみんなで怒られてたのー」
私語も飲食もOKのこの場所で、そのふたつを器用に両立するカノジョ。その愚痴に付き合いながらも、オレはさっきのことが頭から離れない。
「歌……か……」
「え、何?」
「いや、何でもない!」
「ふーん。……ねぇ、さっきあの子と何話してたの?」
「何も! って、見てたの?」
「うん。で?」
「本当に何でもないって。自習室でオレがうるさくしちゃったから謝ってただけだよ」
「ふーん」
嘘は言ってない。そもそも何もやましい事はしてないんだ。何を慌てる必要がある。
食べ終えたカノジョのゴミをクシャッと握ると、荷物を持ってオレはゴミ箱へ向かう。
「そろそろ時間じゃん。行こうぜ」
「あ、待ってー」
今度の休み、カラオケ行こうかな? あの歌手の曲は流石にないと思うけど、似た声の外人の曲ならあるかも。
そうだ、カズヤも誘おう。いろいろ詳しいし。アイツに言われたことも話してみようかな。カズヤも、自分の好きな曲を他にも好きな奴がいると知ったら嬉しいだろ。
うん、そうしよう。
そんなことを考えながら、オレはカノジョの手を取って教室へ急いだ。
あ! あれ、どうしよう。オレにとってのアイツ……。
『音楽のセンスがあると思う』