◯ (最終話)
今日はいつもよりレッスンが長引いた。
別にプロになりたいわけじゃないから、先生もここまで私に時間を注いでくれなくてもいいのにな。
帰ろうとしたところで、カズのおばあちゃんが煮物のお裾分けを持たせてくれた。
たまに待ち時間に食べたことがあるけど、お出汁がよく効いていて私の大好きな味だ。
でも、これは流石に多い。
そこでふたりの計らいで、カズに送ってもらうことになった。
帰り道、私達は黙々とただ歩いていく。
誰にも見つかりませんようにと祈りながら、私は自然とどんどん早歩きになっていった。
すると、カズが話しかけてきた。
「……なぁ?」
早く帰りたいんだけどなぁ。一体何だろう?
「今日さ、先生から渡されたろ。あれ、何て書いてあった? 俺は特に気になるのはなかったけど」
あぁ、あれか。
え? 何で今その話?
話題がないなら、無理して話しかけてこなくていいのに。
「……私も。特にないよ」
「……そっか」
適当に答えてみてから、私はレッスン前に家で読んだそれを思い出した。
それぞれ名前は書かれていなかった。
でも、私にはわかった。いったいそれは誰が書いたものなのかを。
人の書いた文字には癖が出る。
『授業中に黒板に書いたもの』
『日直の日誌』
『課外活動のレポート』
『廊下に貼り出された美術の課題に書いてある、名前とその題名と一言』
日常のいろんな場面で、ひとりひとりの書いたものが目に入る。
そして筆圧や線の太さ・文字の大きさや間隔・書き終わりの処理の仕方等様々な違いが現れる。
私にはそのひとりひとりの特徴から、そこに書かれていないはずの名前が頭の中に浮かんできた。
渋谷さんは、私にはなれないキラキラとしたリーダーシップがある。
いずれ彼女は世界中で活躍できるだろう。だって、それだけの行動力があるから。
それにしても、私なんかを頼ってくるなんて……。
決して自分を過信しないで、誰かを下に見ることもない。
渋谷さんこそ、周りが見えているんじゃないかな。
モリオ君の歌は、きっとたくさんの人にも届くと思う。
本当はあの時もっと音楽について話したかったけど、カノジョが来ちゃったから……。
彼の内面が好きなわけじゃないのに嫉妬深いところがある子だから、すぐにあの場を離れてよかった。
調子に乗り過ぎなければ、彼は上手くいくはず。
アオイちゃんは、私に憧れを持ち過ぎている。
そんな価値があると思えないんだけどな。迷惑ってことはないけど、彼女まで私みたいになって欲しくない。
せめて、見た目だけでも離れていってくれればと思う。
でも上履きを見つけてくれた時は、本当に嬉しかった。
目黒君も、私に対して優しすぎる。
何度か私なんかに挨拶してきてくれたし、とってもいい人。
他の人の前では話しかけてこないところは、どこかの誰かさんにも見倣って欲しいくらいだ。
彼には、彼自身の才能を伸ばしていってもらいたいと思う。
神田さんは、間違いなく私を嫌っている。
きっかけ合唱コンだろう。
彼女の嫉妬に、私はあえて何もしなかった。
アオイちゃんに飛び火することだけは防ぎたかったから、まだ何も起きていないようで安心した。
いつか間違いを犯さないことだけを願うしかない。
そして、カズ。
小さい頃から知っている、友達だった人。
彼のことは嫌いじゃない。むしろ遊んでいる時はとても楽しかった。
小学生の時のこともあり、だんだん周りの目を警戒して素っ気ない態度を取ってしまったけれど、あの家族といる時間はまるで自分の家と同じような感覚だった。
中学生になると、彼の人気ぶりを知り「近づいてはいけない」とお互いのためを思って学校で関わらないようにした。
それなのに……。
カズの優しさが辛かった。
別にひとりでも平気なのに、近づいてくる彼。私に接することで、他の女の子の心が苦しめられていくのがこちらまで伝わってきた。
だから今こうして一緒に歩いているのを、誰かに見られるなんてことは絶対にないようにしたい。
それにしても、「他人から見た自分」……かぁ。
人は勝手に作った固定概念を押しつけるもの。
だから私は「変わっている」という印象を持たれ、それが伝染し、生きづらさを感じている。
やがて河川敷へとやって来た。まっすぐ伸びる道を十分程進めば、もうすぐ私の家に着く。
すると煮物の容器が入った風呂敷を持ったままのカズが、また話しかけてきた。
「何、考えてる?」
「え?」
「何か言いたいことあるなら、ここで叫ぼうぜ」
「……急にどうしたの?」
「ここさ、部活で何度か走ったことあるんだけど、走った後に叫ぶとすっげースッキリするんだ。だから……うん、まずは走ろう!」
「え!」
そう言って彼は私のピアノバッグを左手で奪って、目の前の道を全速力で走った。
え? どういうこと?
それを見て驚いてしまったが、荷物を持っていかれてしまったため仕方なくすぐに追いかけた。
百メートル程走って、「ハァッ、ハァッ」と呼吸を整える。
「わぁーーーー!」
「っ!」
突然叫び出したカズにビクッとする。
「言ったろ、『叫ぼうぜ』って。ほら、やってみろって」
「え……」
「スッキリするから、ほら」
「……」
何なの、もう。
今の私が叫びたいこと? そんなの……。
さっきまで考えていたことが、自然と口から溢れそうになる。
いいのかな、言っても。
私は大きく息を吸うと、川に向かって叫んだ。
「私のこと、勝手に決めつけないで! 何も特別じゃない。変わり者なんかじゃない。優等生でもないし、そんなに優しくもない。強くもない……ていうか、ちゃんと傷ついてる。怒ってないのに『怒っている』だとか私の感情まで決めて、たまに人間らしいと思ったら『意外だ』とか言って……。私は私。想像の『私』を押しつけないで!」
一度酸欠状態になったのを粗い呼吸で元に戻して、私はカズからピアノバッグを返してもらい再び歩き出した。
「あー、ちょっとだけスッキリした!」
私の想いを聞いていたカズは呆気に取られたような表情をして固まっていたが、すぐにハッとして動き出した。
「期待してたのと違うんだけど」
「期待って?」
「いや……何でもない」
さっき走ったから、煮物の煮汁が溢れていないか心配だ。
カズが持つ風呂敷の中身を気にしながら、私は帰路に着くのだった。
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