第二章 自由都市
こっそりと二章。
この章に登場するキャラクターからHNを取りました。狙ってる訳じゃないよ?
すこし文章おかしいかもしれませぬ。
俺は表面上は無表情を装って中型のカットグラスを柔らかなコッカと呼ばれる小動物の皮から作られた布で磨いている。
コッカの皮は加工されてもなお良質なコーティング剤となる油を分泌し続けているので、よほど酷い汚れでもない限り一拭いするだげでグラスはほれぼれするほどピカピカになるのだが、俺はさっきからずっとこのグラスだけを磨き続けている。
他にも磨いたり洗ったりする必要のあるグラスやらコップは山とあったが、それでも俺はこのグラスだけを洗い続けている。
何故ならと言うと、このグラス専用の客が今日ここ、バー“ルルイエ”にやってくるからだ。
因みに専用とは俺が勝手に決めたことだがマスターは黙認してくれている。
彼女は三日前に仕事で森へ出かけた、おそらく今日辺り帰ってきて行きつけであるここに来るはずだ。
彼女専用のグラスだけでなく彼女…というよりも“クトゥルフ”の信者が好んで飲む蜂蜜酒、それに軽く煎ったピスタチオも適度に塩を振って用意してある。この前彼女が俺のピスタチオは塩加減が絶妙だと褒めてくれた、いかん、思い出しただけで頬が弛んでくる。
「シュルツ」
後ろで俺の名前を呼んだのはこの店のマスターだ、本名は誰も知らないし聞いてもはぐらかされるだけなので俺も聞こうとは思わない、だからただ、俺は彼のことはマスターと呼んでいる。
マスターは珍しくヒトである俺を差別しない“ハイエルフ種”のエルフだ。エルフ間での種族というのはヒトでいう人種の事だ。
“ハイエルフ種”は数が少なく純血種が産まれにくい、そのかわり膨大な“魔力”を産まれ持ち他のエルフよりもずっと頑丈だ。
そして極度の“ヒト嫌い”で有名でヒトにも権利が認められるようになる開拓歴の初めまで“ヒト狩り”を続けていた種属でもある。
「シュルツよ、意中の相手が来るから浮かれる気持ちも分かるがな。給金分の仕事はしてもらわないと困るんだが」
マスターが年月を経て得た渋みのある顔に苦笑をうかべつつ俺に言った。
俺は、自分の顔が自分で分かるほど赤くなるのを感じ、はずかしくなって苦し紛れに俯いて小さく謝った。
「シュルツ!彼女が来るからって俺たちを無視すんなよ!」
「寂しいじゃねえかよー」
ここの常連のヒトの客が俺をちゃかす、畜生めこの前ポーカーで絞った腹いせか。
俺が腕を振り上げて怒鳴ろうとした時、カウンターから離れた席で安酒を煽っていた“ダークエルフ種”の若い男が吐き捨てるように呟いた。
「穢れた血の事でうるせぇんだよ…」
一瞬で頭に昇りかけた血が退き…その倍以上の勢いで沸騰した。多分俺はあと数秒扉が開くのが遅かったらグラスを(しかも彼女専用の物を)全力で投げつけてしまっていたことだろう。
軋んだ音を立てて両開きのオーク材の古ぼけた扉が開いた、蝶番が錆び付いているせいでいつも開く度にベルが聞こえないほどの音を立てるのだが、マスターは修理する気はないそうだ。
扉の向こうには俺の待ちわびていた人が居た。
陽光を浴びて艶やかに光る漆黒の長髪はまるで上質な絹のようで、その髪が彩る輪郭は上品で貴族めいた面長。
その顔に全てのパーツが神が定めたかのような黄金律で配置されている。
すっと通った鼻梁、つやつやとつみ取ったばかりの桃のような艶を持つ唇。
大きく、まるで最高級の黒曜石を加工して作ったかのような瞳には、底が見えない神秘性が秘められている。
目を背けたくなるような醜い傷、それですら彼女のミステリアスな美を引き立たせる添え物でしかない。彼女の右目は無惨に潰れ、引きつれたような傷跡が走り、その瞼を黒い金属製のインプラントが塞いでいた。
美と醜の奇跡のコントラストは見る者を魅了する、例えそれがヒトであろうがエルフであろうがそんな物は全く関係無かった。
「静かね、なにかあった?」
彼女は首を傾げて言った、純銀の鈴が鳴ったかのような美しい声だった。
客は照れ笑いを浮かべてそれぞれの会話に戻る、皆顔がほのかに赤いのは俺の見間違いではない。
彼女の名はアイナ。
ギルド(同業者組合)の狩人。
齢は今年で二七。
その痩躯を今は黒いロングワンピースと同色のジャケットでつつんでいる。
「久しぶりねシュルツ」
「ああ」
ああ、我ながらなんて無愛想な返事なんだろうか、声が震えなかっただけで御の字だがもうちょっと愛想良くは出来ない物か…
「いらっしゃいアイナ、なんにする?」 いつの間にかマスターが俺の横に並び穏やかな笑みをその顔に浮かべ立っていた。
この人はなんでこんなに美しい人の前でまったく物怖じもせずに立っていられるのだろうか。
聞いて見たいがそれはあまりにも格好悪いだろうなと思ったので聞くに聞けなくなってしまった。
変に高いプライドを持っても良いことなんか何にもないものだなとつくづく思う。
「いつもの」
そういって彼女は俺の前の丸椅子に腰を下ろした。
いつもの、もちろんさっき俺が用意していた蜂蜜酒とピスタチオの事だ。
俺はピスタチオを他の客より少し多めに持った小皿を彼女に差しだし、彼女のグラスに蜂蜜酒を八割まで注いだ。あまり入れすぎると見た目が悪くなるので少し少ないぐらいが丁度良いのだ。
「ありがとうシュルツ」
俺からグラスを受け取ると、彼女はまるで可憐な花が咲いたかのような溢れんばかりの笑みをその顔に浮かべた。
心臓が早鐘を打つ、駄目だ頭までぼーっとしてきた。
嬉しさと気恥ずかしさで思考能力を失いつつある俺が発する事ができたのはなんとも味気のない「どうも」という言葉だけだった。なんで俺は彼女の前ではこうも無愛想になってしまうのだろうか…
「昼食は済んだのかい?」
俺の醜態を見かねたマスターが助け船を出してくれた、本当にこの人には頭が全く上がらない。
「そうね、まだだし何か頂こうかしら」
彼女は少しだけ考えて、パンケーキを注文した。
俺はパンケーキを焼くべく厨房に下がる、無愛想な対応のせめてもの謝罪に美味しいパンケーキを焼こう、分厚くて大きいパンケーキを…
私は厨房へ去って行くシュルツを見送りつつ蜂蜜酒を一口啜った。
何ともいえない深くて濃密な甘みが口に広がる、甘みの中のほのかな苦みがありそれが甘みを引き立てている。
彼は終始無表情だったがどうにも他の客の話を聞けば普段は笑ったり怒ったりも普通にするらしくあんなに無表情なのは私の前でだけだそうだ。
もしかして嫌われているのだろうかとマスターに聞けば何故か苦笑いされてしまった。 何故かは分からないがきっとマスターは何か知っているのだろう、なにせあの人は六百年もの時を生きたエルフだ、ヒトの心一つ読むのは造作もないことだろう。
「なにか目立った事はあったかい?」
「特には何も、ただ巨鬼が妙に増えたわね、彼等は元々何人も子供を産むけど今年は異常ね。駆除した番の雌は一人で六人も身ごもっていたわ、犬猫じゃあるまいし普通は二~三匹で限界のはず」
私が森の中で始末した巨鬼の雌は自立することすらできなくなる程の大きなお腹をしていた、普通はそんなことにはならない筈だがそれはどうみても異常としか言いようが無かった。
ギルドは妊娠した巨鬼を発見した場合、子供の数を確認する事を義務づけている、これは彼等のおおよその数を把握するためらしい。 確認となると無論腹を裂いて胎児を取り出さねばならない、出来れば思い出したくもないが私はしっかりと確認し証拠に胎児の臍の緒を全部持ち帰ってきた。後は感想文に近い形式のレポートをこしらえてそれに添えて提出しなければならない。ここで食事を済ませたら中央区画に本部を持つギルド【緋の灯火】本部に提出しにいくつもりだ。
「またスタンピート(大発生)が起こるかな?確か最後にこの大陸で発生したのはほんの三十年ばかし前だと思うのだが」
スタンピート、何十年かに一度おこる巨鬼が大発生する“局地的災害”。何らかの原因で巨鬼が大増殖し森に収まり切らなくなった巨鬼が群れを成して食物を求め、近隣の村々を襲うのだ。
発生する度に農畜産業に多大な被害を与え、種族に関わらず多数の死者が出る大惨事になる。軍がクラスター爆弾やナパーム弾、広範囲魔術で焼き払って納めるのが一番にして唯一の対抗方法だ。因みに三十年前の被害は特に酷く、自由都市以東の村が全滅、駆除のために二十二の村、十一の街、七の主要街道、そして森の五分の一を焼き払わねばならなかったそうだ。
それでも絶滅しないのだから奴等の生命力と繁殖力は凄まじいものだ。
「スタンピートなら気が早い今の司令官は今すぐにでもありったけのナパームやクラスターかき集めて準備し出すでしょうから、昔ほどの大惨事にはならないんじゃないかしらね。」
私の意見にマスターは苦笑をもって答えた。 今の軍司令官は気が早い事で有名で、早とちりして反エルフ同盟所属の疑いがあっただけで小さなヒトの集落を一つ大規模魔術で焼き払ってしまった事がある。
この事件は強引にでっちあげた証拠で本当に反エルフ同盟の集落を焼き払った事にされ、ヒトの集落の一つが消えたくらいの事は世間では大した事件では無く、一部の情報を知る者以外はこの事件の真相を知ろうとすらしなかった。
ブン屋(新聞記者)は芸能人のスキャンダルを求めてその尻を追うよりももっとこういう事に力を注ぐべきではないのだろうか。
「まぁ君も私も自衛の手段を幸いにも持ち合わせている事だ。もし起こったらあの暗愚な司令官がうっかりここを更地に戻してしまわないうちにさっさと店を畳んで、従業員一同逃げ出すとしよう」
頷き、ピスタチオの空を割り砕き、中身を一つ口に放り込む。よく租借して飲み下しグラスに少し残った蜂蜜酒を全て煽った。
「おかわりは?」
「いただくわ」
グラスを差し渡し、手慰み代わりにピスタチオの殻を幾つかまとめて握り砕く。ちまちま砕くのは面倒臭いがどうにもからの欠片が飛び散ってよろしくない。それでも私は基本的にはずぼらなのでこんな横着をしていまいがちだ。
再びその身に黄金色の液体を注がれたグラスが差し出された。私はそれを受け取り軽く煽る。アルコールが徐々に体を巡り体が火照ってきた、おそらく今の私の頬は赤く上気していることだろう。
しばらくするとシュルツが厨房から見るからに美味しそうな暖かい湯気を立てる直径十五センチ、暑さ五センチほどもある巨大なパンケーキを皿に三枚も、なんと三枚もだ、のせてやってきた。
大きく切られたバターも乗せられいて良い具合に蕩け食欲を誘う、その横のメープルシロップの小瓶もたまらない。
そういえばここ最近(主に仕事中の事だ)は粘土のような携帯食料のみのまともとは言い難い食生活を送っていたので俄然食欲が湧いてきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
思わず顔が綻ぶ、皿は両手で受け取ってもずっしり来るほど重かった。さて、どこから切り崩そうか………
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