第六話 怪物との戦い(2)
「『えいがのひとみ』? なんだそりゃ」
シリルにとってまた訳の分からないワードが出た。さっきから目の前の怪物は分からないことばかり言う。怪物なのだから当たり前なのかもしれないが。人間に理解できるはずもないのかもしれない。
「その瞳こそが余が月に還る為の鍵。月への道筋を指し示す遺物じゃ。元々余のものだったのじゃ。故に余の元に戻るが道理」
「何言ってんだか全然分からねぇ」
シリルは長剣を無造作に振りまわしまた構える。実際さっぱりだった。
「ふむ、人間に言って分かることでもあるまい。特に貴様は人間の中でも頭の出来が悪そうじゃ」
「んだと、てめぇ」
シリルのこめかみに青筋が浮かぶ。
「その子の目が遺物.....。あなたはなにか知っているんですか?」
エリザは青年に問うた。薬が効いてきているのか。青年の脇腹の出血は治まりつつあった。しかし、青年はだんまりだった。傍らの少女も目を伏せるばかりで何も言おうとはしなかった。
「知ってるに決まってんだろ。でも言いたくないとさ」
シリルは言い捨てた。
「すまない。あまり公にしたくない話なんだ。明日詳しく明かす。それで今は勘弁して貰えないか」
青年は絞り出すように言った。
青年の声は酒場のような軽薄なものではない。そして苦痛だけから来るものでもない。本当に言えないのだろう。そして、その事実を歯がゆく思い、そして巻き込んでいるシリルとエリザへの罪悪感からこんな苦々しい声色なのだ。
「はっ、まぁ別に良いけどよ。そこまで戦闘に影響ないしな」
「ですが、これから依頼として請け負うとなれば知る必要のある事情です。明日は必ず話してくださいね」
2人は言った。
今はそれしかない。
どのみち話したくないと言っている相手から無理矢理情報を聞き出している余裕などないのだ。
「すまない」
青年はまた短く言った。
「ごめんなさい」
そして、傍らの少女も言った。
それがシリルとエリザが聞いた少女の初めての言葉だった。
「あんまり謝るな辛気くさい」
「そもそも、ここを生き残ることが出来るかどうかも問題です。しばらくすれば応援は来るはずですが」
これだけ派手に暴れたのだ。宿直に当たっている騎士団員が駆けつけるはずである。それでどうにかなる相手ではないが、本部の方にさらなる応援を呼ぶだろう。そうすればどうにかなる目は出てくる。
2人で撃退できないとなればそっちに賭けるしかない。
「冗談じゃねぇぞ。手柄を横取りされる」
「死ぬよりましでしょう。我慢してください」
相変わらず目の前の怪物の正体も『栄華の瞳』とやらも青年達の事情とやらも分からなかった。しかしとにもかくにも、戦うしかないのは変わりなかった。
シリルは長剣を構え、エリザは写書を開く。
「そういうわけだ。こいつを連れてくのは諦めるんだな」
「なるほど」
怪物は曇鸞な瞳で2人を睨んだ。しかし、
「飽きたな」
唐突に怪物が言った。
「噂に聞く騎士団とやらがどれほどのものかと思うたが、やはり所詮は人間。余の想像を超える程のものではないようじゃな」
怪物は不愉快そうに言った。
「おいおい、なんか勝手にがっかりされてるぞ」
「それは知った事じゃないですが。なんでしょうか、雰囲気が変わりましたね」
怪物はその両手をゆっくりと上げた。月を仰ぐようだ。4本の尾もゆらりと揺れる。そして、徐々に周囲の様子が変わっていった。
魔力の濃度自体に変化はなかった。しかし、
「なんだ、霧か?」
辺りに青い霧のようなものが立ちこめ始めた。
さらに、その霧の中から光の球が現れる。
足下のレンガがカタカタと揺れ、ずぶずぶと崩れ始めた。綺麗な玉になり、シリルとエリザの後から怪物の向こうまでがそうなってしまった。
ビリビリと大気が鳴り、夜空が虹色に歪んでいた。
エリザの作った足場もかき消えていく。
「これではまるで霊脈点、この周囲の環境が書き換えられているんですか」
「なんかヤバそうだな」
「相当ヤバいですね。ここはもう人間の世界じゃない。神霊や幻獣の住処と同じ環境です」
「じゃあ、『月の王』とかいうのもあながち嘘じゃないのかね」
「さぁ、それは分かりませんが。なにか始める気のようですね」
「じゃあ、始める前に止めるか!!」
言うが早いか、シリルは一目散にこの異常な変化の中心にある怪物へと突っ込んでいった。
「何考えてるんですか!」
エリザの制止も最早遅い。エリザの作った足場は怪物を中心として次々と消滅していたが、残ったいくつかを使ってシリルは怪物に斬りかかった。
「何回同じ手を使えば気が済むんじゃ、阿呆が」
そんなシリルに怪物は静かに右手を上げた。
「あ、やべぇ」
それを見る前にシリルは長剣を振り上げた体勢を空中で無理矢理ひねり、怪物の手の直線上から体を強引に外した。
それと同時だった。バキバキバキ、とすさまじい音が鳴った。
見れば景色が裂けていた。
亀裂が入っていた。
しかし、それは建物の壁に入ったのではなく、変わり果てたレンガの地面に入ったのでもない。
なにも無いはずの宙空の景色が真っ黒な向こう側を晒して引き裂けていたのだ。
「なんだこりゃあ!」
シリルが言うが早いか、その裂け目はバコン、とすさまじい音を立てて閉じた。
そして、また轟音が起きた。
それは周囲の建物や地面がひしゃげる音だった。まるで閉じた裂け目に引き寄せられるように周囲の建物が轢き壊されたのだ。
一瞬で景色が崩壊した。
崩れる瓦礫の中、エリザが法術で青年と少女を守る。
「まだ手遊び程度じゃというのに、仕方のない連中じゃ」
怪物が今度は両手を前に出した。
「シリル!! 次が本命です!!」
瓦礫の中からエリザが叫んだ。
「出し惜しみしてられねぇか!!」
シリルが首筋に手を当てる。
次の瞬間にも怪物のしようとしている何かが来る。しかし、
「なんじゃ?」
突然怪物が動きを止め不愉快そうに表情を歪めた。
「なに? やかましいぞ...........やかましい............ちっ、分かったわ」
そして、怪物は上げた両手を静かに下ろした。同時に、今まで周囲に起きていた異常な変化が一瞬で消滅した。光の球も青い霧も跡形もなかった。
「命拾いしたの、人間ども。次は殺すからのぅ」
そう言って怪物が宙を殴りつけるとそこが砕けた。向こう側は暗黒で、怪物は溜め息を吐きながらそこに入っていった。やがて、砕けた宙はまたバキンと音を立てて埋まった。わずかに周囲が揺れたのをシリルとエリザは感じた。
そうして、瓦礫の山に変わった街には静けさが戻った。
何が何やら分からなかったが、どうやら助かったらしかった。
「いやぁ、これはさすがに弱ったな」
シリルは言った。