第参話 午後のデート
「ねぇ。手、つなごっか?」
崖の斜面にある旧い公園へと続く坂道の手前、若いカップルとすれ違ったすぐあとに、横を歩く祥子に向かって僕は言ってみた。意表を突かれたのか彼女は大袈裟に驚き、それから、何言い出すの、と軽くいなしてくる。だってさ。天気もいいし。
「そぉね。坂道だし、あぶないから手、繋いでもらおっかな」
そう言って祥子は、左手を僕の右手に絡めてきた。細くてしなやかな指。薬指の指輪は気にならない。
昼前に駅で待ち合わせた僕らは、以前一緒に歩いたときはこんなに小洒落ていなかった歩道を抜けて中華街へと入っていった。
十年ぶりに逢ったあの日からひと月、僕らはほぼ週一で、こうして午後のデートを繰り返している。祥子の子どもたちが学校や習い事で不在のとき、僕が火急の仕事を抱えてないとき。今日で五回目か六回目。どうしてこんなに話すことがあるのかと思う。まるで付き合い始めのころのようだ。むろん、話題は当時とは大きく異なり、家事の話や日用品の買い物、子供のことが中心だが。
「今日は何時まで大丈夫なの?」
「ん。今日はね。も、いいの。ほら。先週の土曜日、電話しただろ。あのとき出社して書類を仕上げちゃったから、今日はもう出番は無いんだ」
その店自慢の炒飯と焼売、五目焼そば、それにビールを注文しながら僕は答える。
「もう。完全に仕事戻る気ないのね」
苦笑いする祥子。
昼時の混雑の中、相席を想定する店の指示で、狭いテーブルを前に並んで座った僕らは、いささかの屈託も無いカップルのように楽しげに食事する。向かいに案内されてきたグルメ巡りらしい若い女性の二人組からは、いったいどんな風に見られてるのだろうか? 堅い仕事には見えないラフなジャケットの中年男と年輪を重ねてはいるが充分に美しく優雅な立ち振る舞いの女性。夫婦? それにしては話の内容に生活を共にしてる投げやり感が無いし、だからといって落ち着き過ぎ。会社の上司と部下って感じでも無いし。彼女たちの仮想の視線を想像して自分たち二人を眺めてみる遊び。なんだ。あの頃とぜんぜん変わってないじゃん。
「時間があるんなら、今日はヘンなとこ付き合ってもらっちゃおっかな」
僕のコップにビールを注ぎながら、祥子は悪戯っぽく笑った。
坂道を登りきると二人とも軽く息があがっていた。日陰ばかり歩いてきたというのに背中にじんわりと汗がにじんでいるのが判る。信号が止まれと合図している横断歩道の前で繋いだ手を自然に離した彼女は、道の向こうの建物を指して目配せした。なるほど。地元では有名なお嬢様学校だ。
「ごめんね。つき合わせちゃって。願書をね、もらっておこうかなって思ってね」
そういえば以前、娘さんに編入学をさせたいとかなんとか話していたっけ。
どうする?ネクタイでもしようか?
莫迦ね、面接じゃないんだからと言いながら、僕の腕を軽く促す。信号は変わっていた。