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第弐話 朱夏の始まり

 人混みに巻かれながら階段を下りていくと改札を正面に見る柱の前に、祥子がいた。こちらに気づき右手を腰の高さでひらひらさせている。

 十年、いや、正確には九年半ぶりか。サンノゼの空港で見送られたのが最後。あの頃より髪が伸びてる。でも変わってない。瞳も口許もスレンダーな体型も。きみは昔と同じように額の中央から手櫛で髪を掻き上げる。




「ごめんね。忙しいのに呼び出しちゃって」


 ほんのわずかだけスーツの腕に触れる右手。きみは上目遣いに僕を見た。

 大丈夫。普段ちゃんと仕事してるからね。

 なるべく恩着せがましくならないよう、努めて普通に受け答えをする。


 秋晴れには程遠い曇り空の下、僕らは古く由緒ある商店街へと歩き出した。僕がリュックを左肩に掛け直すのと同じタイミングで、きみもトートバッグを右に移す。


「普段運動してないから駅まで歩くのに汗かいちゃった」


 白いタートルネックのサマーセーターと膝丈の白いスカート、そして右手には淡い色のスプリングコート。その口調も、姿勢の手本のような背中のラインからも、十年の歳月は感じられない。


「月曜日だとお休みが多いの忘れてたね」


 とりあえずの目標としていた紅茶専門店のシャッターを見上げながらきみはそう言った。まだ屈託もなく毎日のように並んで歩いてた頃、たまに寄っていた喫茶店。そういえばそんな会話、したこともあったね。肩をすくめた僕らは別の居場所を求めて石畳を歩きだす。



 ブティックの二階にある無難な感じの喫茶店に腰を落ち着かせた。僕はコーヒー、きみもコーヒー。


「あれ? アッサムのミルクティーじゃないの?」


「最近、コーヒーにハマってるの」


「じゃ、さっきのとこは閉まっててよかったかも」


 ホントよね、と笑うきみ。鼻の上にY字の皺が浮かぶ。この笑顔を最初に見せてくれたのは、もう四半世紀前になる。

 知り合って一年半の同じ学び舎、そのあとの四年で二回だけデート。そして僕がこの街にいなかった空白の四年間。ようやく社会人になってきみのステータスに追いついた僕が、この前のきみのように突然連絡をする。そうして始まった蜜月の三年と破綻の二年。きみの結婚。僕の結婚。



 本当に久しぶり、と僕が言う。

「でもぜんぜん変わってないよ」


「嘘、すごいおばさんになっちゃったでしょ」


「それはこっちのことさ」


 僕らは一番仲良しだったころのように微笑み合い、語り合った。他愛の無いやり取りで失われた時間を大急ぎで繋ぎ直すかのように。

 軽い肩慣らしを終えた若手のピッチャーみたいに、きみは注文した飲み物が届くのも待ちきれずに近況を話しはじめた。今の住まいのこと、子どもたちのお受験のこと、町内会の理事を引き受けさせられたこと。合間に僕も、自分の生活や子どもの話を織り交ぜながら相槌を打つ。

 そんな軽快なリズムが、ご主人の話題になったところで変調した。



「浮気、してるの、もう何年も」


 やっぱり、ね。僕は胸の中でつぶやく。便りの無いのは良い知らせ。あるとすれば金の無心か相談事。十年ぶりの昔の恋人に連絡を寄越すとすれば、それはあまりにも在りがちな筋書きだろう。

 僕の目の前で瞳を潤ませながら訥々と語るきみを見つめながら、ああ、それでもきみの目の前に座るこの男は、きみのために出来る事ならなんでもしてやると決めてるんだな、と思う。

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