Case09.Villain
暗転から次の舞台へ。
狭いが木の温かみのある部屋。壁には映像観賞用の大型ディスプレイ。ウサギ柄のシングルベッド、オールドライクな木の棚には絵本や人形が並び、窓ではレースのカーテンが静かに揺れている。
それから、配役のある人間がふたり。幼いルネとさっきの男性だ。
いっぽうで、ぼくはここでは観客らしく、姿を持たなかった。
ふたりが何を話しているかは分からない。無音だ。
男性がルネに何かを手渡した。小さなおもちゃのラッパ。
ルネははしゃいだ様子でそれを吹き、男性も満足そうにルネの頭を撫でた。
思い出に迷いこんだのだろうか、この映画の先に答えが……?
ふたりがフェードアウトして消えると、ディスプレイが点灯した。
映し出されるのは“熱血解放リブレイザー”のオープニングシーン。
さっきよりも少しだけ成長したルネが、おもちゃのラッパを片手にそれを食い入るように見つめている。
再びフェードアウト。ディスプレイも消える。
次はハイスクールの制服に身を包んだルネだ。
そして、例の男性が黒いハードケースを彼女に手渡した。
彼女はケースを開き、中の金属の反射を受けて顔を輝かせた。
それから「ありがとう、おじさん!」と言って、男性に飛びついた。
フェードアウト、フェードイン。
バックミュージックは、“繰り返されるオールド・カルチャー”。
ルネがオールドのコルネットパートを練習している姿が現れては消える。
このころはまだ吹けていたということか?
再びシーンが変わり、またも無音が訪れる。
ベッドに腰掛けた少女。
彼女は制服を着ていなかった。
一色に染まっている。
夜よりも深い色。
ルネはまっくろで簡素な衣装を身にまとい、膝の上にコルネットのケースを乗せて泣いていた。部屋までもが暗幕に覆われたかのように暗く感じる。
「おじさん、急に死んじゃうなんて酷いよ」
「人間の歴史」には、海馬体にエビングハウス回路を装着するようになった経緯は記録されていない。ただ、委縮してしまった海馬と、生まれてすぐに記憶補助のための生体チップを埋めこむ事実だけが残る。
チップは、つらいことや悲しいことを忘れさせてくれる。それでも、ある程度の取捨選択がおこなわれる。忘れても構わないものだけ。忘れたほうがいいことだけ。たいていは「気持ち」だけを取り去る。別れの事実まで忘れてしまうと、世の中が滅茶苦茶になってしまうだろう?
たった一晩で喪が明ける。人類は賢く進化したわけだ。
でも、それは本当に正しいことなのだろうか。
『彼を失った悲しみを復活させて、記憶をスプライスしてやろう。プロ奏者になることをはなむけと設定すれば、彼女はきっと乗り越えられるだろう』
ノマドへと通信を飛ばした。無言。
『どうした? 返事をしろ』
ルネが目覚めそうなのだろうか。
ぼくはここでは実体を持たない観客だ。できることはない。
不安を弄んでいると、ルネの部屋の扉が開いた。
……妙だ。入ってきたのは、亡くなったはずの「おじさん」だ。
次の瞬間、窓ガラスが割れ、レースのカーテンが激しくはためく。バックミュージックとして流れていた“オールド”の旋律がめちゃくちゃになり、ベッドの上のルネが酷く咳きこみ始める。
そして、おじさんは言った。
――ちゃんと咥えるんだ。これはコルネットの練習になるんだよ。
トラウマの正体が分かった。類推されるパターンでは最悪のもの。
『いったんカットアウトしろ! この次元のできごとだと、リプレイどころかここでの再現も危険だ!』
ぼくは呼びかける。ノマド。返事は……。
「お断りよ」
声は舞台上から聞こえた。通信ではなく、くちびるでつぶやいていた。
少女と男のあいだに現れたのは、学生服に身を包んだ女性。彼女はブラウンの三つ編みではなく、ローズアッシュのボブをいただいていた。
『何をする気だ!?』
「あなたは黙ってて」
ノマドは静かに言うと、片手を高くかかげた。すると世界が割れ、暗闇の中から巨大なロボットが現れる。あれはリブレイザーのかたき役、アポナントだ。
「デリート」
女が腕を振り下ろし、男を指差す。
あるじに従えられたアポナントが巨大なつるぎを持ち上げた。
『待て! 不用意にトラウマを削除するな。コルネットをくれた男だぞ!?』
叫ぶも無情。一刀両断。
……同時にルネの世界との接続も切れた。
跳ね起きベッドを見ると、ルネが身を起こして咳きこんでいた。
「大丈夫か?」
ぼくは彼女の背をさすってやる。
ノマドはどういうつもりだ? ルネはコルネットを憶えているか?
いや、精神状態のほうが心配だ。
乱暴なパートナーを咎めようと、ぼくは振り向いた。
だが、正気を疑わなければならなかったのは、彼女のほうだったらしい。
カウンセリングルームに立ちつくす黒ドレスの女。
彼女はテーブルを床へ叩きつけていた。
落ちたノートパソコンがディスプレイにクモの巣を作っている。
それから、テーブルに挟まれてひしゃげた黄金のパイプと、散らばったピストンバルブたち。
「なんてことしてくれたの!?」
ルネはベッドから飛び出し、壊されたコルネットの破片をかき集めた。
たとえ部品をみんな集めても、マザーグースの卵のように元には戻せない。
「酷い! あんまりだわ! 詐欺どころの話じゃない!」
ルネは仇を見上げて睨む。しかし女は「知らないわ」。
「おもちゃや練習用じゃないのよ!? とてもじゃないけど買い直せない! それに、お金の問題だけじゃない。これは……このコルネットは……」
ルネは黙りこみ、後頭部を押さえて表情をゆがませた。
『なんでこんなことをした!?』
ぼくはまくしたてる。
記憶の世界で無茶をした意図は?
現実世界でまでコルネットを破壊した意味は?
……もしかして、「キライ」だからか?
嫌いだから、ルネの何もかもを破壊しようと?
『頭に響くから通信で怒鳴らないで』
ため息まじりの返答だ。
『彼女がこれ以上記憶を漁る前に、コルネットを買いに行ってあげて。“おじに貰ったコルネット”から、“あなたに買ってもらったコルネット”に上書きしてあげて』
『コルネットは買えるが、演奏技術はどうなる? いくらきみでも、そこまでの記憶操作は……』
『演奏と紐づけされていたのはあの男じゃない。アニメよ。感情特化が聞いてあきれるわ。女ごころが何一つ分かってないんだから』
ノマドはそう告げると懐中時計を取り出し一瞥し、退室していった。
ぼくはルネを取り押さえなければならなかった。
彼女は怨敵の背に激しい罵倒を浴びせかけている……。
ルネを落ち着かせ(まったく落ち着かなかったが)、ノマドの狼藉を謝罪した。すぐに新品のコルネットを買うために販売店へ向かい、経費という名目で代金を支払い、慰謝料代わりに治療費を無償とした。
ルネは「治療なんて嘘っぱちよ」と言いきった。彼女からしてみれば、ただ寝ていただけだし、当初予定されていたデータ書き出しもされなかったのだから当然だ。
だが、ノマドの記憶改ざんはパーフェクトだった。
公園にて“繰り返されるオールド・カルチャー”を試してみたところ、すんなりと吹き切ることができたからだ。ルネはぼくに感謝をした。
「夢の中で、あなたに助けてもらった気がする」
本当に助けたのはぼくじゃない。
それに、きみを助けたのはヒーローではなく、ヴィランだったんだ。
公園でちょっとしたワンマンライブを開いたあと、彼女は上機嫌で帰っていった。真新しいケースを抱いて、古いケースが置き去りになっていることには全く気づかないで。
帰宅すると住まいはまっくらで、ノマドは寝室で休んでいた。
『おかえりなさい』
「ただいま」と返事をしながら、ベッドに腰かける。
「穏便に救うには時間が足りなかったのよ。試験に間に合わすのにも、目覚める前にコルネットを処分するのにも。日記のほうも、こっそり始末しておいたわ」
「ありがとう。結果としてきみの判断は正しかったと思う。ルネの人格に異常は見られなかったし、オールドも吹けた。見事な仕事だよ」
「それはよかったわ」
ノマドは寝返りを打ち、背を向けた。
「でも、きみが悪者になってしまった。仲直りは困難なパターンに思える」
「別に構わないわ。あの子のこと、キライだし」
「嫌っている理由は?」
訊ねるも答えはない。
ぼくらの部屋は暗く、静かだ。
人間のふりをする女性型アンドロイドの呼吸と、オールド・ファッションが時を刻む音だけが聞こえている。
「きみの言う通り、ぼくは欠陥品かもしれない」
「あなたは体験情報を重視するタイプだから。わたしはデータと計算派」
「きみのほうが人間の心を分かっている気がする」
あのね。ノマドが言った。
「パターン化してしまえば、人間の行動や感情を理解するのは簡単なの。いくら複雑といっても、わたしの電脳で計算すれば、学習もすぐに完了するわ」
彼女は続ける。寂しそうな声で。
「でも、分かれば分かるほど、遠ざかっていくような気がしてしょうがないの。分かってないあなたのほうがよく分かっているような、そんな気がする……」
ぼくは答えず、彼女の髪を撫でた。
データ化できない感情が、思考回路が無いはずの胸中を焦がす。
「服だってね、分析すれば流行の傾向くらい分かる。でも、わたしが好きなのは、この黒のドレス一着だけなの」
それから言った。「愛とは正反対な色ね」。
「愛は人類すらも定義化してない感情だ。ぼくらが分かるには遠すぎる」
「試してみようとは思わないの? チャンスだと思うのだけど」
手に抵抗。彼女が身を起こす。
視線を感じるが、ぼくは目の前の闇だけを見ている。
「カウンセラーとクライエントの関係だ。あれだけ完璧なら、予後経過を診る必要もない。試験の合否も、ルネ・セシュエのプライベートな話だ」
そうすべきだと思った。一日中ルネに付きあっていたが、悪役を買って出たノマドのことがずっと頭から離れなかった。
「夕食にしよう。きみの好きな料理にする。味は変えず、いつものレシピ通りに……」
ありがとうのささやきとともに、彼女の熱を背に感じた。
――――。
いつか、これと似たようなことがあったような……。
デジャブか?
それとも、アンドロイドのぼくが記憶喪失? まさか。
だが、ぼくは何か大切なものを見落としているような、忘れているような……。
そんな気がして仕方がなかった。
* * * * *