Case08.アクセス
「なんだ、期待外れだな」
思わず口にしてしまった。
ルネの記憶の世界がロボットアニメとは無関係に見えたからだ。
『サイテーね。そもそも、作曲家のファンだって言ってたでしょう』
ナビのため息が頭の中をくすぐる。
赤い壁紙、温かな間接照明、ふかふかの椅子。応接間だ。
そして、情報化時代以前から愛されている暖房器具、暖炉。
そのマントルピースの上には、大きな鏡が設置されている。
「この景色は有名な童話のものだろう?」
『白猫と黒猫はいないみたいだけどね。わたし、あの作品はキライよ』
「なぜだ?」
ぼくは首をかしげる。
ノマドは以前、この作品をわざわざ紙の本で所持して読んでいた覚えがある。
『ナンセンスだもの。作者も小児性愛者だし』
「作者の性癖は研究で否定されているぞ」
『そうでない証拠がない。ファンや利権者が認められないだけ。認知バイアスが掛かってるわ』
「悪魔の証明だろう。それに、作品と作者は切り離して考えるべきだ」
『あなた個人の意見よ。わたしだって最初は好きだったのに……』
何かあったのだろうか。興味が沸いたが、今はそれを論じるときじゃない。
この部屋には、ルネのトラウマに関連しそうなオブジェクトは見当たらない。
応接間にはドアがあるが、この場合、先へ進むには「鏡」が正解だろう。
記憶の世界は広い。一発でトラウマ箇所を引き当てるのは稀だ。だが、ラベルが消去されたデータのアクセス痕を頼りに潜っているため、ヒット率は悪くない。ジェムソン氏の場合は典型的な「教育ママ」と「完璧主義者のつまづき」で、世界は「法廷」だったが、ルネの場合はなんだろうか。
当然のように鏡の中へと手を差しこみ、その向こう側へ。
チェスのコマと出逢えるかと思ったが、そうではないらしい。
レンガ模様の校舎。制服姿の学生たち。
そばの森では木洩れ日を受けながら練習をするスクールバンドの姿。
見上げれば雪の積んだ山も遠くに見える。北欧のイメージ通りの牧歌的な風景。
『スイス地区のマージナルにあるハイスクールに酷似してる』
ノマドはそう伝えると……急に吹き出した。
「なぜ、ぼくまでが学生服なんだ?」
サイズが合っていないのか、はちきれそうになっている。
『クライエントの認知の影響でしょうね』
「いつものやつか……。学友程度には信頼されてるとみていいか?」
ノマドがまた吹き出した。きっと、「あれ」を思い出しているのだ。
過去にぼくを「ゴリラ」として認知し、記憶の世界にその霊長類そのものの姿で投影したクライエントがいたのだ。
以来、彼女は「ゴリラ」と「アルツ」と「おもしろい」を関連付けしてしまっている。
目の前を女学生が通りすぎた。
ミッドナイトのジャケットにワインカラーのプリーツスカート、そして視線を吸いこむ漆黒のタイツだ。彼女には顔が無かった。ただのエキストラということだろう。教師らしき白衣の男も、スケッチをしている少女も、隣り合って草の上に座る男女にも顔が無い。それでも、部活動の掛け声や楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「学生か。やってみたいな」
『制服のデザインには好感が持てるけど、コミュニケーションには疲れそうだわ』
しばらく探索をするが、特に有意な情報はナシ。
最初に目についたスクールバンドすら全員がエキストラだった。
「学生生活に問題があるのなら、日記にヒントがあってもよさそうだったが」
『見て、アルツ。運命の糸よ』
地面に赤い糸。
毛糸のようだ。それは校舎の中へと伸びている。
校舎に入ると、景色が一変した。
床は白と黒のチェック。壁は雲の浮かんだ青空の壁紙。ロッカーが並んでいるが、これもまた青と赤の二色で互い違いに重ねられていて、チェック模様になっている。
それだけでもちかちかしてくるのだが、もっと酷いものが歩いていた。
校舎内を闊歩しているのは学生ではなく、楽器だ。黒い手足の生えたバイオリンやギター、サックスが歩き、ドラムセットたちは談笑している。
「頭がヘンになりそうだ」
『ルネの興味の影響が濃くなってる。近づいてきたわ』
「どこかの教室内か? 総当たりは骨だな」
ため息とともに焦りを覚えた。すでに屋外の探索に時間を喰っている。
ぼくらがアクセスをした記憶は微量ながらも本人も認知をする。
トライアンドエラーが過ぎれば無駄な断片データが復活し、症状が悪化しかねない。
だが、ナビの『赤い糸はまだ続いてるわよ』の一言に安堵した。
その糸の伸びている先は教室ではなく、赤と青のロッカー群だ。
「このロッカーだけ扉が壊れている」
青、赤、青、赤と並ぶ端のロッカー内に糸が伸びており、その中には赤い毛玉。
「まさかこの中に入れとは言わないよな?」
『ヒントがあるかも知れない。チェックよ』
ナビに促され、青のロッカーを開ける。
中からは「器に入った茶色いシチュー」が出てきた。
『カウンセリング中に話していた好きな食べ物、ビーフシチューね』
ぼくはシチューをそっとロッカーに戻した。
記憶の世界は下手に変更してはならない。例えばこれをボルシチと取り替えると、ルネの好物がボルシチに変わってしまうかもしれない。
次は赤いロッカーだ。中からは「ほうれん草」が出てきた。
『彼女が苦手と言ってた食べ物ね』
「捨ててやろうか」
『やめなさい』
ほうれん草は食べたほうがいい。マッチョな船乗りを目指すなら特に。
二番目の青ロッカーを開けると、何かが飛び出し、ぼくの腕の中にすぽっと収まった。
白くて耳の長いもこもこ生物、ウサギだ。
『好物?』
「愛玩動物として好きなんだろう。彼女のポシェットにウサギの刺繍があった」
『よく見てるわね。いやらしい』
「なんでだ。青色に好きなもの、赤色にキライなものが入っているとみていいだろう」
手際よくひとつ飛ばしで赤ロッカーのみをチェックしていく。「代数の試験の残念な結果」を示すノート端末、バレーボール、縄跳び、ヘビ、ナメクジ、カエル、ナマコ、ナットー……。
「数学と運動が苦手なのは分かったが、たんぱく源を嫌うのは感心しないな」
『冗談を言ってる場合じゃないわ。ルネが“ねちょねちょは無理”ってつぶやいたわよ』
寝言は眠りが浅くなっているサインだ。
焦りの指数の上昇を感じながら、次の「キライ」を開く。
「……コルネットが入っていたぞ?」
『念のために付近の青を開けてみて。パターンの誤認かも』
開けようとするが、カギが掛かっている。いったんはそれを放置。ノマドの提案に従い、今度は青ロッカーをチェックする。麦わら帽子、白や黒のタイツ、裁縫と編み物の道具。
それからやはり、コルネット。
『ふたつのコルネットの違いは?』
見た目は同じだ。赤に入っていたほうを観察していると、マウスピースから粘度のある液体が垂れてきた。
「管楽器は手入れが面倒らしいな」
ノマドは特にノーコメントだ。
同じ品物でも状況次第で印象が変わることもあるだろう。
ポジティブを示す青ロッカーは、カギ付きを除いてあとふたつだ。
開けるとビックリ。中で女学生が眠っていた。
『ルネの端末の写真データにいっしょに写っていた子。親友のリケットさんよ』
「やっぱり青はポジティブだな。未掃除のコルネットがよっぽどイヤなんだな」
いちばん端の青ロッカーにたどり着く。
ところが、ぼくは慌てて中身から顔を背けることとなった。
『隠すことないじゃない。そういうレベルの好きとは限らない』
我が妹の声が冷たい。
入っていたのは「アルツ」だ。マッチョな腕がロッカーから垂れている。
容積的に物理法則を無視しているが、記憶の世界ではままあることだ。
『そんなことより、“あなた”の腕が何か持ってる』
カギだ。ゲームの攻略としては少し安直だが、それを先ほどのカギの掛かった青ロッカーに差しこむ。扉は素直に開き、中にはノートパソコンが置かれていた。
パソコンには見慣れた画面が表示されている。
アニメーション作品を提供しているウェブサイトのページだ。
「おい、見てみろ!」
思わず声がうわずってしまった。ノマドは『見えてるわよ』と気怠そうに返した。
ルネのお気に入りリストに“熱血シリーズ”が並んでいる。
しかも、第四シリーズの“熱血解放リブレイザー”までもだ。
「リブレイザーは作曲者が唯一違う作品で、評判が悪い。だが、これもお気に入りだということは、ルネは熱血シリーズそのものが好きだということだ!」
『どうでもいいわ。“あなた”がカギを持ってたのもそういうこと? でも、ロックまでして隠しておきたいってことは、恥じているのね』
恥ずかしがることなんてないのに。今度、時間を設けて語り合いたいところだ。
だが、ノマドが怒るだろうな。クライエントとの私的な付き合いはタブーだし。
「さて、ラストだ。答えか、それとも次のシーンへのいざないか……」
最後の赤ロッカーを開くと、またも人間が入っていた。
大人の男性だ。
「これは誰だ?」
訊ねるもナビはビジーを返す。しばらく待つと、『ルネの端末にもスキーマ・ネットワーク上にも顔はあがってない』との返答。
それから、『でも、彼女の父親に相似していると思う』と続けた。
親戚か。彼が何かヒントを握っているのだろうか。
そう思った矢先、ロッカーの中から腕が伸びて、ぼくを引きずりこんだ。
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