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Case06.ひたむき

 翌日、朝食をホットサンドにするかオープンサンドにするかと迷っていると、インターホンが鳴った。自宅兼心療内科としてやっているが、まだ診療時間じゃない。


『来客だ。出てくれないか?』


 寝室に通信を飛ばすと『眠い……』との返答。

 アンドロイドにも睡眠が必要だ。

 体験データの整理や、経験による人間模倣プログラムの修正に割り当てられる。

 演算能力に長ける彼女でも、昨日の体験を落としこむのに「迷い」があるのだろう。


 ノマドは文句を言いながらも寝室から出てきた。

 ところが、ぼくはあいさつを中断してまで彼女を静止しなければならなかった。


「服を着ろ!」


 下着一枚しか身につけていない。

 脱衣は高速処理時の加熱への補助的対策。

 開発者こだわりのボディラインは蠱惑的で、思わずぼくの電脳は本能と倫理の演算を始めた。


「……!」


 ビンタを張られた。酷くないか?

 人間らしさのために「たまに寝ぼける」を設定したのは彼女自身なのに。


 頬をさすり、「ま、これも人間らしいやりとりの一幕かな」とつぶやきながら、応答用モニターに向かう。


「すみませーん!」

 玄関のドアの向こうから元気のいい声が聞こえてきた。

 思わず固まった。モニターを確認しなくても誰だか分かった。

 この音声パターンは、故意に保護記憶領域にセーブしていたからだ。


『予言通りでしょ?』


 得意げなささやきがシャワールームのほうから飛んできた。

 どうやらぼくが対応しなくてはならないらしい。

 ノマドに阻止されることを、少し期待していたのだが。


「いるんでしょー?」 


 少女が声をあげている。

 続いて、何やらラッパらしき音色が「ぷっぷー!」と響いた。


 とにかく、出なければ。

 一度帰ってもらって、正式な予約を挟んでやりとりをしよう。


 心療内科の患者としては受け入れる予定だが、記憶繋ぎ屋(スプライサー)の依頼人として受け入れるかは別だ。それに足るだけの事情が無ければならないし、相手が信用できるかどうかも見極める必要がある。


「おーい、記憶繋ぎ屋さーーん! 開けてくださーい!」


 ぼくは駆け出した。

 玄関先で違法行為をわめきたてられると困る。


 慌てて扉を開けると、やはり大きなみつあみを背に垂らした少女が立っていた。

 確か名前はルネ・セシュエ。


「診療は九時からとなっていますが」

 いったんはとぼけよう。


「スプライサーでしょ!? 知ってるんだから! 私の記憶、消してください!」

 引く気はないようだ。


 ほとんどのケースでは半信半疑でやってきて、通常の治療中に噂のことを口にするという形で依頼人となるのだが。


『助けてくれ。面倒なパーソナリティの子のようだ』

『今シャワー浴びてるから無理』

 通信にわざわざ水の音まで乗せてきた。着替えるだけじゃなかったのか。


「うちはただの民間の心療内科です。ヘンなことを言うと警察に通報しますよ……」


 ぼくは扉を閉めようとした。

 ところが、サンダル履きの足がねじ込まれ、


 ぷーーーーっ!


 ルネは金色の楽器を口につけて、思いっ切り吹いた。

 閑静な住宅街に響く騒音。


「きゃーっ! 助けてーっ! 大男に、連れこまれるぅーっ!」


 言いながらもぐいぐいと肩をねじこもうとしてくる少女。なんて子だ!


『やっぱり小児性愛者だったのね』

 半笑いの通信だ。インターフォンをハックしてるな。


 ともかく、社会的信用を人質に取られたら従うしかない。

 ぼくはしぶしぶ少女を招き入れ、カウンセリングルームで待つように指示した。


 ……のだが。


「これ、あなたが作ってるの?」

 

 キッチンに侵入された。

 ルネはサンドウィッチの材料や、待ちくたびれたフライパンを覗きこんでいる。


「二人分あるけど、あなた一人でふたつもカップを使わないわよね」

「妹がいるんだ。朝食を手早く済ませるから、待っていてくれないか」

「あの綺麗なひとが妹さんだったのね。こんな大男とは似ても似つかない」


 どうやら、駅のホームで遭遇したことを憶えているようだ。

 っていうか話を聞け。


「きみの印象がどんどん悪くなるぞ。足を踏むだけじゃなく、犯罪者呼ばわりまでして。あわや逮捕のところだったぞ」


「すでに出逢ってるなんて運命的よね。でも、確信できたわ。あなたたちみたいな若いのが開業医なんてできるわけない。依頼を受けてくれるまで帰らない」


 ルネは引き続きうろつき、プロテインシェーカーを見て「計量カップ?」とつぶやいた。


「仮にぼくらが闇医者だとしても、依頼を受けるかどうかは別問題だぞ」

「お金ならあるわ。本当は新生活のための貯金だけど」


 少女はかたくなだ。

 何度か問答を続けるも、キッチンから動こうとしなかった。

 彼女のやり方はスジとしては正しくはない。


 ところが、電脳が「折れるべきだ」との判断を下した。

 白状すると、創作物から学習したぼく好みの「お約束」を感じたのが原因だ。


 受諾の約束をして、ルームに案内しよう。

 ぼくは単に促すつもりでルネの背を軽く押した。


 すると、彼女は突然、大きな悲鳴をあげて転倒してしまった。


「びっくりした……」

「びっくりしたのはこっちのほうだ」


「ごめんなさい。急に身体に触られたから」


 助け起こそうと伸ばした腕を途中で止め、「ケガはないか」と訊ねる。


「平気、ありがとう。ついでに座りこみをしても?」

「その必要はない。ぼくの負けだ、依頼を受けよう」


 見る見るうちに少女の顔が晴れやかになっていく。

 タッチに過剰反応したくせに、ルネはぼくの手をがっしりとつかんだ。


「……軽蔑するわ」

 背後から声。振りかえれば黒いドレスに身を包んだ我が妹。


「何を軽蔑するんだ」

「自宅に少女を連れこんで押し倒した兄を」


「きゃー、食べられちゃうー」

 ルネが何か言った。


「食人文化は原始時代から忌避されてきたものだわ」

「そういう食べるじゃなかったり?」

「そういう……?」


 ノマドが停止する。「そういう」の意味を検索してそうだ。


『冗談よ。受けることにしたのね? 正直言って、わたしも気乗りがしないけど』

『楽しんでいたくせに。予言通りになったんだ、しっかり働いてもらうぞ』


 返事がない。


「えーっと、そこでふたりに黙られると微妙に不安なんですけど」

 ルネはそう言うと「ぷっぷ」とラッパを短く吹いた。



 朝食を手早く済ませ、カウンセリングルームへ。


「……自己紹介も済んだところで、さっそく本題に入ろうか」

 斜め向かいのチェアに腰掛ける少女へと告げる。


「意外ね。センターのお医者さんは、私が話しだすのを待ったわ」


 ルネは手にしたラッパを持ち上げてみせた。


「これは私のコルネット。プロ奏者を目指してるんだけど、吹けない曲があるの。“繰り返されるオールド・カルチャー”って曲は知ってる?」


「有名なジャズ曲だ。バックミュージックとしてあちらこちらで耳にする。きみなら吹けそうだが」


 朝食をとっているあいだ、ルネはカウンセリングルームでコルネットで曲をいくつか吹いて暇を潰していた。前情報を持っていたはずのノマドも、「プロ並みね」と驚きの感情を見せたくらいの腕前だ。


「“オールド”はね、単なる定番曲じゃないの。コルネットの基本的な演奏技術がひと通り詰まってて、練習曲としてもメジャーになってる」

「“ショドー”の“永”の字みたいなものか」


「その例えは分からないけど、コルネット奏者の試験にはオールドは必修なの。一度は落ちたんだけど、向こうで貰った診断書を理由に再試験の申し込みをしてるの。試験は来週よ」


 それが彼女の焦る理由か。


 ルネは後頭部を押さえている。

 もういっぽうの手は膝に置いたコルネットのバルブに掛け、運指のみで何か演奏していが、その指は震えていた。


「きみほどの奏者が基本曲の試験を落とした体験を憶えてるのか?」


 人生における大きな失敗は過度なストレスとなる。

 それこそ、エビングハウス回路が消去して然るべき記憶だ。

 仮に代替の記憶で埋めたとしても、記憶領域には「試験に落ちたこと」ではなく「塗装工になることにした」ことがセーブされるはずだ。


 ルネはカバンから一冊のノートを取り出した。


『やっぱりね。依頼人に多く見られる趣味』

 背後に立つノマドがつぶやく。


 日記だ。わざわざ手書きで紙に記す懐古的な趣味。

 スキーマ・ネットワーク上では匿名が鉄則の現状では、人類の記憶能力への最大の毒となっているのは手記のたぐいだろう。


「寝る前につけてるのだけど、私の記憶とつじつまが合わないの。吹奏楽部の友達も憶えてないって言うんだけど、サビの部分にくると、呼吸が苦しくなってコルネットを落としてしまう……。技術的には吹けないはずはないのよ。演奏技術には自信があるし」


 ルネは視線を落とし、クロスでコルネットを磨き始めた。


「きっと……、何かイヤなことがあって、それが演奏の邪魔をしてるのよ。だから、あなたたちにその記憶を完全に消して欲しいの」


「プロになるのは諦めて、趣味でやるのを推奨するわ」

 ノマドが口を開いた。

 ルネは睨んだ。「意見は聞いてません」。


「悪いが、ぼくも断片データの削除は推奨しない」

「どうして!?」

 ルネは席を立ち、こちらに詰め寄った。


「その不快な体験が演奏技術と紐づけされてる可能性が高いからだ。記憶は無数の関連付けがおこなわれる。関連の記憶も全て削除しない限り、トラウマの完全消去は難しいだろう。そうすると、多くの記憶を失って日常生活に支障が出る可能性が高い」


「きっと、隔離病棟送りね」

 脅すノマドの声は少し楽しげに思えた。

 ルネはまた彼女を睨む。


「演奏がきっかけで蘇るトラウマなんだぞ? トラウマの関連として、演奏技術ごと持っていかれる可能性もある」


「それは困るけど……。ホントは詐欺だったりしないでしょうね?」

「失礼な。きみは記憶の消去(デリート)を要求したが、ぼくらは記憶繋ぎ屋(スプライサー)なんだぞ」


 ルネの瞳に不信が宿っている。

 でも、諦めていない。まっすぐな瞳。ヒロイン然としたそれ。


 ぼくはルネに提案をする。

 スプライスの正攻法。心理療法としてもかつて用いられていた手のひとつ。


 トラウマ周辺の記憶を復活させ、それと向き合い、解決する。


「きつそうな方法。……でも、普通の医者と何が違うの?」


「これは前世療法や催眠療法のような不確かなものではなく、エビングハウス回路に直接アクセスをしてデータ復帰させるという確実なものだ」


「頭の中を覗かれちゃうってわけ?」

 ようやく少女が歳相応の怯えを見せた。


「その通りだ。きみのプライベートのすべてをぼくらに晒すこととなる。トラウマをゲーム化して、みずからクリアしてもらうことになるだろう」


 ルネは黙りこんだ。


 ノマドが『準備をするわ』と通信を送ってきた。

 ルネの記憶に飛びこむ準備ではなく、彼女の短期記憶領域に強制アクセスして、「スプライサーの噂はウソだったことにする」準備だ。


 ここで引き返すクライエントは珍しくない。

 深層意識で解決を望んでいない場合は、無意識にトラウマにたどり着かないように誘導こともある。仮にデータの書き出しまでいっても、克服どころかリプレイ時に重症化するケースも。

 どんな記憶でもデータはデータだが、生体脳にまでダメージが及んでしまえばノマドには修復できない。つまりは廃人への道が拓かれる。


 くわえ、来週までという期限付きだからルネのケースは……。



「やる。諦めるくらいだったら、廃人になったほうがマシ。預けるわ。私の全部」



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