Case53.ノーマディック・スプライサー
ぷっぷーーーーっ!
ぼくらの朝は、いつも目覚めのラッパから始まる。
部屋の面積の半分以上を占めるキングサイズベッドのまんなかで身を起こすと、ぼくの片側はすでに冷え始めていて、もう片方はまだ寝息を立てているのがたいていだ。
最初のうちは日替わりで食事係をまわしていたが、スプリンクラーのお世話になったり、ぼくとルネが舌の上をまっくろにしたりしているうちに、朝はルネ、昼は外食中心、夜はぼくが担当というかたちに収まった。
ぼくは身を起こして嗅覚センサーで今日のメニューを推理する。
おや? 朝からビーフシチューのようだ。欲張りなことにレモンソースの香りもする。
「おい、ノマド起きろ」
揺さぶるも、彼女はあっちを向いて背を丸めてしまう。
お約束ではあったが、ぼくも時計を見て、思わずあくびとともに首をかしげてしまった。まだ朝の五時じゃないか。
「あなたも寝ぼけてるの? 今日は出かける予定でしょ。私だって、ロマからの電話で起こされたんだから」
あきれ顔のルネはすでに髪を結い終え、着替えもメイクも済ませていた。
彼女はベッドの反対側に回りこむと、手慣れた様子でねぼすけの上体を起こしてやり、ローズアッシュの髪にブラシを入れ始めた。
「なんで牡蠣を食べてしまったの……」
世話をされるアンドロイド娘は「寝ぼけ設定」が出ている。最近は「たまに」ではなく「毎日」だ。それでも、脳内では列車の予約などを手際よく済ませているはずだ。
顔を洗い、朝食の席でパンとシチュー、それとパイクパーチのレモンソース煮を頂きながら情報番組をチェックする。
「ここのところ、この話題ばかりね」
「わたしたちの件はうやむやにする気かしら」
女子ふたりがニュースに対して何か言っているようだが、ぼくは高たんぱくミルクを飲みくだす音で掻き消して聞こえないふりをした。
最近は人間とマイドはお互いの国のニュースを交換しあうようになっている。それぞれの存在や法に関わる議論はもちろん、芸術やスポーツ、科学技術に関わる発表、果ては動物の赤ちゃんの映像まで。
交換すれば交換するほどに、お互いに似たようなことに関心を向けているのだとよく分かるのだが……。「悪癖」までも共通しているから困ったものだ。
『人間とマイドの初カップル誕生! 結婚披露宴はどちらの国でやるのか?』
ちらと壁掛けモニターに目をやると、ふたりの友人の姿が映っていた。
クスティナは現在、レッド・ラインの内外に遺された戦争時代やフロイデンの台頭時代の施設の始末に携わっており、ティーンはアイドル兼外交官だ。
ふたりは兄妹のような関係から始まったが、今や全人類のロマンティックスターと化して、連日ニュースで報道されている。本人たちは放って置いて欲しがっているが、これもひとのさがというものだから仕方がない。
「クスティナさんは、パパラッチから逃げようとしてダッシュしたら交通違反切符を切られたって。本当かしら?」
「ティーンは日曜礼拝を手伝ってた教会から結婚に対する反対声明をもらったって。教義とは反対のスタンスらしいわ。ナンセンス」
「人類は愚かね。でも、周りがどうあろうと選択はすべき」
「同意」
二対の瞳からこちらへと視線が向けれる。
ぼくはこの手のニュースが流れるたびに居心地を悪くしているのだが、形式や書類上の定義にはあまり興味がないので困っている。
三者が今の関係性に納得をしているというだけではダメらしい。ただでさえ人種が増えて厄介なところに重婚論争をぶちあげるのは勘弁だ。
下手をすると、ぼくよりもあっちのふたりのほうが仲がいい気がするのでなおさら手強い。
ところで、人種に関する問題は人間とマイドだけにとどまっていない。
個人情報が出ているケースはクスティナくらいのようだが、空母制圧の様子が放送されたために、サイボーグの存在が周知の事実となっている。
彼らのサイバネティクスの範囲は四肢程度に留まるため、「人間」の枠組みに入ったままだが、人体の機械化に関しては反対の論調が優勢になっているため、超人的な能力の使用に関する差別ややっかみのコメントを見ることも少なくない。
まあ、これは機能使用の自粛の徹底や、世代交代によって自然消滅する問題だろう。ちなみに、ぼくも人外的な機能は有事以外では制限をしている。
ところが、フロイデン派が残した「遺伝子を操作された人間」に関してはそうはいかない。
いつぞや戦場で遭遇した、シャーダ・フロイデン閣下親衛隊“処女のやいば”なるチームの構成員には、彼のDNAを挿入されたり、優秀になるように遺伝子を改変された人間が含まれている。
彼女たちは通常の受精卵をベースに誕生しており、普通に子孫を残せるためにさまざまな遺恨の矢面に立たされている。
ぼくの出逢った数人だけなら秘匿してしまえたのだろうが、彼女たちの「予備」や「失敗作」という存在がのちにリークされたために、世間にも知られるところとなった。
面倒なことに、フロイデンは自分の趣味を推して開発していたらしく、遺伝子操作によって誕生した人間は、全員が女性で、しかも美少女ぞろいとなっており、数世紀ぶりにフェミニズム論争を隆盛させたうえで、市井の男女対立まで煽りだしているから厄介だ。とはいえ、彼女たちに罪は無いし、もちろん「ひと」の枠組みから外れることはないだろう。
生粋のフロイデン派の彼女たちは軍の管理下に置かれ、ヴァージニア・プフィル大佐(昇格したらしい)とフージャオ少尉の受け持ちで厳しい矯正教育を受けながら、ときおり町のカフェや映画館に出没しているとかしていないとか、ダン・カミヤ中佐(彼も昇格だ)から聞かされた。
ぼくもちかぢか、軍属カウンセラーとして再起する予定があるので、そのときにまた面白い話が聞けるかもしれない。
「ちょっとアルツ、聞いてるの?」
「どうせまたアニメか特撮のことを考えてたのよ」
女子たちからの白い目から逃れるように、ぼくは席を立った。
今日はこんなデリケートなラインを話す日ではなく、もっと境界のはっきりとした、生物としてのひとと、機械としてのひとの交流が解放される日なのだ。
本日、現地時間正午をもって、レッド・ラインの消灯、および、人間とマイド両国間の無許可往来の解禁がおこなわれる。
いよいよだ。人類は湧きに湧いている。
もっとも、道は完全には整備されていないし、草木の繁茂した領域を踏破しなければならない。それでも、始発の列車は満員で、乗客の何割かはしっかり旅支度を整え、大きな荷物を背負っていた。
「ねえねえ、みんなは向こうに行ったら、何がしたい?」
ロマ少年は駅で合流してからずっとハイテンションだ。
「私は演奏会と、ティーンの家に呼ばれてるわ」
ルネは向こうでも有名人だ。忙しくなるだろう。
「マイドの子たちに読み聞かせをしてみたいわ。わたしの口で物語を聞かせるの」
ノマドはぼくに大量の紙の本を持たせていた。もちろん、鏡の国を旅する女の子のおはなしをいちばん上に置いて。
「アルツは?」
少年からの問いに、ぼくは腕を組んで首をかしげる。
「じつを言うと、分からない。適当に誰かと会話でもしようかと……」
そう答えると、女子たちから呆れられてしまった。
だが盟友ロマ少年は、にやりとして、
「いいね。おれもそうしようと思ってたところ。ぶらぶらして、誰かと出逢うんだ!」
と笑った。
列車の中は賑やかで、乗客たちからあまたの希望や提案が聞こえてくる。
彼らはこれから、それぞれの旅と出逢いを経験するのだろう。
そして列車はマージナルを越え、緑の地へ……。
「ねえ、これって、けっきょく線が引かれちゃってない?」
えんえんと続く大草原、風歌う丘の上でルネが髪を押さえ、目を細めてうなった。
居並ぶのはリュックを背負った人間たちと、馬を連れたマイドたちだ。
ひとびとはレッド・ラインに居並び、スタートの合図を今か今かと待っている。
声は届くはずなのに、誰しもが黙りこくって、光ごしに見つめあっている。
消灯。それに合わせて少年が世界に向かって「みんな、おはよーっ!」と叫んだ。
警告の光と入れ替わりに、ひとびとがかたどったラインが克明になり、それはすぐさま崩れ、彼らはすれ違い、手を振り、あるいは手を取り合い、混ざり合った。
「わたしたちの夢がついに実現したのね」
ノマドがぼくらを見て笑う。
「これはファンタジーじゃなくって、現実よね?」
ルネが首をかしげた。
「さあ、どうだろうな。何がリアルで何がファンタジーか。些細なことだろう」
「現実だって、ファンタジーが投影したものに過ぎないのよ」
ノマドが言う。
「ファンタジーは終わらないわ。現実が紡がれ続ける限り」
ぼくらが目配せをしてほほえもうとすると、ブラウンの大きなおさげが割りこんだ。
「競争よ!」
ルネは草を蹴って駆けだし、かつての境界をぴょんと飛び越えた。
視線を横に戻すと、ノマドはもういなかった。
「やれやれ……」
ぼくは三人分の荷物を背負いながら、ゆっくりと一歩を踏み出す。
そして、草の波間に見えるライトのガラスを踏み越えた瞬間、風が凪いだ。
遠く続く地平線。空と大地を分かち、呑みこむように、抱きしめるように果てしなく。
終わりのないその先には、いったい何が待っているのだろうか。
……仲間たちの呼ぶ声が聞こえる。
『行こうか、遠くのどこかへ』
ぼくは誰へともなく返事をささやき、旅を始めた。
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