Case05.それはテロ行為か?
ノマドが席に戻り、おのおのラーメンの注文をする。
ラーメンは単純な食べ物だ。
小麦粉をこねて延ばした麺をスープに浸して具材を乗せたもの。
しかし、出自は複雑だ。
第一文明時代の中国大陸、あるいはその系譜の国にて誕生し、隣の島国日本にて改変、それが国外に輸出されて世界的なフードとなった。
ラーメンに限らず、日本が文化においてこのような形で関与したケースは多い。
文化も独特で、当時は世界で人気だったというが、残念ながら日本は現在、存在しない地域となっている。
日本列島が数度の文明危機や気候変動によって消失してしまっているからだ。
各アジア都市にも日本区画は存在せず、サルベージされた文化データだけでやたらと頻出する謎の国扱いだ。
ラーメン屋の店主は「ちょんまげ」スタイルだが、本当にあんなヘアスタイルをした民族だったのだろうか。ぼくの好きなアニメーション作品もかの国が源流だというが、特に「ちょんまげ」を見たことはない。
「こちら、大焦熱地獄そばになります」
ノマドの前に置かれたどんぶりは、まっかな粉で埋め尽くされている。
「わたし、こんなのを注文したの……?」
「そうだぞ。いちばん刺激的なのをと言ったのはきみだ」
湯気の向こうの彼女はフリーズしてしまっている。
「今日はノマド姉ちゃんのいろいろな顔が見れて面白いね」
ロマはシンプルな「しょうゆラーメン」をすすっている。
「こちら、ニンニクマシマシモヤシマウンテンになります」
ぼくの前に置かれたのはモヤシのチョモランマが乗ったラーメンだ。
「……!」
向かいの席の椅子が、がたりと大きな音を立てた。
「酷いにおいだわ!」
「なんでだ? ウマそうじゃないか。野菜もたっぷりでヘルシーだ」
「ラーメンは、カロリー的にどれもヘルシー足りえないわ。その量のニンニクだって、人体の腸内細菌に対して有害だと思われる!」
ぼくは彼女に『アンドロイド然とした口調になってるぞ』と注意した。
しかし、返されたのは「侮蔑」の表情と、鼻をつまむアクションだ。
失礼な奴だな。ニンニクを食べるとパワーが出るというのは常識だろうが。
ぼくの筋肉だって、きっと喜んでいるに違いない。
「ひとのことはいいから、自分の分を食べたらどうだ? まさか、食事を粗末にするなんてことはしないよな?」
ノマドは、ちらとまっかな海を見たあと、スカートと姿勢を正し、箸を手に取った。
細い指が器用に箸をあやつり、控えめに麺をつかみ、もう一方の手が頬に掛かる髪を退ける。
「もっとがっつりいきなよ」
横の席で少年が笑う。
受けて立ったようで、箸が大量の麺をつかみなおした。
赤い滝のようになった麺たちがくちびるへと吸いこまれていく。
ふと、ここでひとつ疑問を覚える。
ラーメンがまっかだが、彼女のくちびるも地のスキンよりも赤い状態だ。
化粧室帰りなのは分かるが、今から食事をしようとする女性の行動としては論理的じゃない。
やはり今日のノマドは、少し様子がおかしいような……。
「えぶぉっふぉ!」
聞いたことがない音がした。
それから、「味覚センサーが!」の悲鳴が続く。
そしてぼくもまた、「視覚センサーが!」と叫んでいた。
ノマドの吹き出したものが目に入ったからだ。
思わず「センサー」と口にしてしまったが、横にいる少年は大爆笑して気づかなかったようだ。
「カプサイシンを使ったテロ行為だ!」
ぼくは慌てて濡れふきんで目を押さえる。
「あなたのニンニクだって化学兵器よ!」
息を吸い直して鼻を押さえるノマド。
阿鼻叫喚なことになっているが、言ってしまえば呼吸の不要なアンドロイド体だ。
裏で『今のリアクション、どう?』なんて余裕のささやきが届けられた。ぼくは『マンガ的だが合格だ』と返信した。
ノマドはけっきょく、顔を紅潮させて汗だく(普段はあまり使わない人間の模倣機能だ)になってラーメンを平らげた。
大焦熱地獄ラーメンを頼む客は稀らしく、スープを飲み干したときは拍手が起こった。ちょんまげの店主も「やるじゃねえか……」と言って鼻をすすっていた。
ちなみに、ぼくのタンクトップにはたくさんの染みがついた。
「……ひっく!」
また珍しい音がする。
「しゃっくりだ。うちのママも、からいのを食べるとそうなるよ」
ロマが言う。
だが、ノマドからは『バグったわ。辛味に対してしゃっくりは設定されてないのに』との通信。人間を模倣する機能は学習で書き換えられることもあるし、そのせいかもしれない。
面白いので、ぼくは彼女のその反応を「可愛い」にカテゴライズしてやり、それを報告した。
「へくちょん!」
ノマドがくしゃみをした。多分、わざとだ。
お冷で味覚センサーのお清めをしているタイミングを選んで、ぼくのほうを向いてから盛大にぶちかましたしな。
ロマはまた爆笑だ。
「……はーあ。面白かった。今まででサイコーの誕生日祝いだったよ」
「それはよかった」
「最後には相応しいね」
ロマが何か言った。
ぼくは顔を拭く手を止め、ノマドも口をぬぐって少年を見た。
「じつはね、前に住んでたとこに戻ることになったんだ」
彼は言う。両親の決定だそうだ。
両親は正規の心療内科医からも認定を受けているため、療養中は国から生活の補助が受けられるし、こちらとしてもまだ観察中だ。
だが、彼らはロマが社会的データのインストールを受けるのを契機に、センター区へと戻るという。
センターとマージナルでは、触れる情報量が違う。ネットワーク検索はどこでも同じだが、耳や目、肌で得られる体験情報の差は圧倒的だ。
これからモラトリアム期に入る息子に選択の幅を与えたいのだろう。それに、友人たちと物理的な距離があるのも気にかけているという。
ロマは「大げさだよね」と肩をすくめていたが、やはり寂しげであった。
ぼくらも寂しい。寝耳に水の話だ。
ロマ本人はもちろん、彼の友人と公園で遊んだり、会話を楽しんだこともある。論理的思考を中心とするノマドですら、子どもたちとのやり取りには好意的だった。
「ま、列車ですぐに来れる距離だけどね」
その通りなのだが……。
道や公園であいさつをしたり、マーケットで出くわしたりなんてことは無くなるだろう。
感傷に浸っていると、それを邪魔するようにあちらこちらからアラート音が鳴り響いた。
「まただね」
ロマは携帯端末を取り出すと、ニュース情報を見せる。
“はぐれ自律兵器”による建造物への誤射。
現在の社会システムが整備される数世紀前に世界規模の戦争があった。
そのときに製造された自律兵器の回収し忘れが再起動し、暴走してしまうことがあるのだ。責任者の消えた今となっては、それは事故や事件ではなく、地震や嵐と同じような「災害」としてカテゴライズされている。
「今度はどこだ?」
「ヨーロッパ中央特区の中華料理屋だって」
「またそんなところが狙われたのか」
引っ掛かる。元が戦争の兵器なら、インフラや戦闘に関連した施設を狙うようにプログラムされているはずだ。
それに、中央特区はその名の通りセンターもセンター。当時の戦場からも離れているし、自律兵器が監視網を突破してやってくるには無理がある。
『やはり、テロだと思うのだが』
黙りこんだ妹へとささやく。
彼女が黙っているときは、ネットに意識をやって情報を集めていることが多い。
『どうかしら。戦争には興味がないから。人間同士のあいだでも、長らく戦争は無いし、考えすぎじゃない?』
自律兵器による事故が頻発しているが、不適切な標的への攻撃が目立つ。
文化レストラン、音楽祭、復興文化財施設など、文化的なものに偏っているのだ。
これは誰かがなんらかの思想のもと、テロ活動をおこなっているのではないかと、ぼくの電脳でもネット上でも噂されている。
『何かつかんでるんじゃないだろうな?』
『そうかも。でも、教えないわ』
『なぜだ?』
『あなたが放っておくたちじゃないからよ。アニメのまねごとをされるかもしれない』
『それの何がいけない?』
ぼくらも人間を模倣して造られてはいるが、スペック上、兵器としての転用も可能だ。ぼくも最新技術の人工筋肉と成人男性トップクラスの体格をもつため、市街地に入りこめるサイズの自律兵器くらいなら破壊できる。
ノマドのほうはもっと凶悪で、人間たちの持つスーパーコンピューターをかき集めても相手にならない演算能力と、無線通信によるハッキングが可能だ。
例の自律兵器だって、存在を感知できればその場で機能停止ができるはずだ。
『それがひとのためになるかどうか、分からない』
正論だが、助けたいという気持ちに折り合いをつけるのは難しい。
ノマドもそれに関しては同意してくれた。
「センターに戻ったら、戦争ロボを見ることになるかもね。撮影できたら動画送るよ」
「不謹慎だぞ」
「ありゃ、アルツなら食いつくと思ったのに。あれもけっこう、カッコイイ形してるじゃんか」
「それはそうだが……」
少年は携帯端末で過去の事故映像や、無人機のデータをチェックしている。
社会的なデータがインストールされれば、こういう発言は減るとは思うが、なんとなく破滅的な思考を持っているのではないかと心配になる。
「正直に言うと、アニメの世界みたいで、ちょっと面白いなって思うんだ」
彼はそう言い「怒らないでね」と付け加える。
「退屈、なんだよね。勉強にしたって、遊びにしたって。だってさ、おんなじことの繰り返しなんだよ。“これ”だってさ」
ロマは天井のスピーカーを指差した。
聞こえてくるのはウッドベースやトランペットなどの音色。
連想されるのは薄暗いオールドタイプのバー。
旧文明から蘇ったジャズ音楽。指折りの人気文化ジャンルの流行曲。
その曲名はずばり、“繰り返されるオールド・カルチャー”だ。
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