Case46.演者とアドリブ
『デリートしたトラウマまで復元したのか!?』
責めると、ノマドは『彼女がどうしてもって言うから。でも、配信でオールドを演奏するなんて聞いてなかった!』と返す。その声にも焦燥が感じられた。
スタジオからの映像ではルネがむせこみながらも、なぜかコルネットの掃除をしている。コメントには病気などを心配するものがあるが……。
『ここで配信が中断されるのが一番マズい。ルネはなぜこんなことをしたんだ?』
『わたしだって聞きたいくらい。でも、こっちもちょっとマズくなってきた』
ノマドが送ってくる視覚情報に映りこむフォーエフの機影が増えている。ちらと見える地上にも、スパイダーやキャンサーなどの雑魚寄りの自律兵器の放置が散見された。
『無理はするな。厳しいならクラックしてしまえ』
『まだ山場は越えてないわ。演出家のつもりじゃないけど、ピンチのひとつくらいは見せとかないと』
ノマドが自律兵器をハッキングしてしまわないのには理由がある。彼女の戦闘の模様も客観的視点で配信チャンネルのひとつに組みこまれているのだ。みずからがばらまく羽毛状のナノマシンにはレーザーの幾何学模様の反射や映像撮影を任せており、その制御に処理能力の多くを宛てている。
『ルネのほうが手間取ってるなら、きみが魅せるべきなんじゃないのか?』
助言したつもりだったが『手間取ってるなんて言い方、最低よ』と返された。
ルネは周りに奇行を止められ、いったんマイクのあるデスクへと戻った。トラウマ起因の強迫性の行動だろうが、痙攣を伴う気絶や、発症前後の記憶喪失まで経験したのと比べれば軽度だ。
額に化粧まじりの脂汗を浮かせ、ロマから水とタオルを受け取り、ティーンにメイクの直しを任せている。
彼女は水をひと口飲みくだすと、再び席を立ちスタジオへ向かった。
まだやるつもりなのか。先ほどの発作は演技ではないだろう。力技でトラウマの克服の披露でもする気か。
ぼくは心配と呆れの両方を持て余しながら、モーセへの移乗攻撃作戦を開始する。接舷させて乗りこむのではなく、母の胎を破っての突入だ。
『私ね、イヤなことをひとつ忘れたままなの』
ルネはコルネットを拾い上げた。
……迎え討たんと現れたフロイデン派。人間とマイドの混成部隊だ。シュタイナーのサイボーグ部隊が容赦なく射殺する。焦げくさい。
『何を忘れているのか、よく思い出せないのだけど、忘れていたことを思いだしてから、あの曲を吹くと、ここが熱くなって、さっきみたいになってしまう』
彼女の手が後頭部を撫でる。
……サイボーグやマイド兵たちは死体を振り返った。すぐに次の敵に対応したために、その表情は分からない。
『あんなふうになっちゃうくらいにイヤなことがあったから、きっとエビングハウス回路が忘れさせてくれたんだと思う。だけど、その忘れたいできごとがあった相手とは、いいことや楽しいこともたくさんあった……』
ことばを切り、彼女は言い直す。『あったはず』。
……ぼくは死体と残骸を跨ぎ進む。主役はステージまでエスコートされるだけだ。
だが、ぼくは知っている。彼らも敵として「ひとびとのため」に徹していたことを。
『チップのプログラムは、イヤな気持ちを消してくれるよね。専門家のひとに聞いたのだけど、気持ちだけじゃなくって、不快な思い出に関連したことも消したり書き換えたりもしてくれるんだって。だから、そのひととあったはずのいいことも、少しづつ無かったことになっていくの』
ノマドのほうは劣勢が続いているようだ。回避ばかりになっている。冷却ガスの噴射も細切れだ。
これ以上のレーザーの連続使用は動力に支障が出ると機械的な報告。散布できるナノマシンの残量も二割を切った。
迫るフォーエフ。二羽による挟み撃ちだ。相手も学習している。
らしくない。レーザーを撃つ手のひらが二羽のあいだでさまよう。
瞬間、地上から青の狙撃。それは電子の娘へとまっすぐと伸び、羽毛型の光に当たり屈折してフォーエフの一機を貫いた。ノマドは礼をつぶやきもう片方を撃破。そんな芸当ができる男はひとりしかいない。
『私がオールドを吹くとおかしくなっちゃうのは、その書き換えが中途半端だからなんだって。この話を聞いたとき、勝手に消すなんて余計なお世話だなって思った。でも、オールドが吹けなきゃコルネット奏者にはなれないから、そのときは立ち向かった。それで、あるひとにそのイヤなことを、もうかけらも思い出せないように消してもらったの』
ルネは、つと表情を変えて語る。
『ねえ、知ってる? 人間たちとマイドたちも仲良しだったのに、そんなふうになって忘れさせられたんだって』
ふいに、ノマドからイレギュラー発生の報告。
物理撃破から無線支配によるクラッキング戦法に切り替えたものの、手駒として流用する予定だったフォーエフが支配しきれないという。例の銀のナノマシンが仕込まれているのかと問うも、フォーエフの体積程度なら問題外のはずだと返される。
『私はあるとき疑問に思ったの。いいことにしろ、悪いことにしろ、それがあったからこそ起こったことや、出逢えたひとがいる。何かひとつを否定して忘れてしまえば、全部をいっしょに否定することになるんじゃないかなって』
最悪よ。ノマドが言った。あれのAI、わたしだわ。だからなのね。イヤな子。
『でも、つらいことや悲しい思い出を持ち続けるのはたいへん。すごく怖いこと。それを忘れるために、癒すために、次から次に楽しみをかきこまなくっちゃいけなくなって疲れちゃう。忘れるための楽しみに急かされて、いつの間にか“本当のスキ”までも忘れちゃうなんてことも……』
早くもコピーAI搭載機を制御したのか、ノマドはその三角の尖端に腰かけて機首を撫でている。映像では彼女は何かをつぶやいたようだったが、ぼくには聞こえなかった。
『けっきょく、何が言いたいかっていうと、私たちの腕は二本しかないし、頭は一個しかないってことね。限りがあるのだから、楽しむことも、悲しむことも、誰かに宛がわれるんじゃなくって、自分で選びとりたい』
何やら脳味噌の着ぐるみがルネにノートを手渡した。あれは“繰り返されるオールド・カルチャー”のスコアだ。
『私は決めた』
ルネはスコアを受け取ると、それをまんなかからまっぷたつに破いて、ぽいと投げ捨ててしまった。
『やり直したり、繰り返したりじゃなくって、新しく始めることにするわ』
ルネがコルネットを構えた。ロマとティーンは「困った」と顔を見合わせているが、大脳新皮質ちゃんが新たなスコアを渡すと合点がいったか、急いでおのおのの楽器の前へと向かった。
『新曲を作ったから聞いて! タイトルはまだないけれど、一所懸命に演るから!』
刹那、タスマニアのあちらこちらでリズミカルに爆発が起きた。空から炎や光線が消える。戦闘機に腰かける女が、風の中で人差し指を立てた。
その指はタクトか魔法のステッキか。
指が振られると同時に、空に魔法陣。それに加わる地上からの光線と魔法。最後のあがきか、最大のウェーブで水を差しにやってきた戦闘機たちが一瞬で消し炭に変じる。
ご丁寧にその爆音はカットされて、コルネットの独奏が始まった。
立ち上がりは長く雄々しく、遥か地平にのぼる太陽を見つめる誰かを想起させて。
ピアノの伴奏が加わる。
機械の指がかなでる音色は及第点だが、弾きのモーションには感情が宿り、揺れる肩は森の木々を思わせた。
素人の少年のカスタネットは誰にでも刻めるビートだったが、その顔を見ていると、思わず合いの手が誘われる。
作られたものではない、本物のプロモーション映像といったところか。
『素敵なアドリブだったわよ、ルネ。わたし、指揮者にでもなろうかしら』
送られてくるノマドの顔がまっすぐとこちらを見た。
『あとはあなただけよ。主役さん』
* * * * *




