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Case44.恋人と恋人

 ノマドに抱かれたティーンは子どものように泣きじゃくっていた。

 初めこそは戸惑っていたようだったが、ああいった(ゆる)しの体現は、マイドたちにだって理解ができる。

 ぼくらはその光景を黙って見ていたが、ノマドはなかなかやめようとしなかった。慰められた本人が押しのけようとするまで、ずっと機嫌よく抱擁を続けていた。


 彼女いわく、『誰かと触れ合うのが癖になっちゃって。ケーキの甘さとは違って、これは飽きないのよね。終わりがない』だそうだ。


 もちろん、ノマドも無実というわけではない。ティーンの姉にある種の「呪い」をかけたのは事実である以上、彼女も謝罪をした。


 それから、「変わるべきは人間だけじゃない。マイドもそうなのよ」と言って締めた。

 いくら人間に憧れ、人間のためにある存在だとしても、何もかもを生身の基準に合わせることはないだろう。オールドな縛りから解放されるべきなのは同様だ。



 さて、ぼくにとってはここからが本番だ。ルネとノマドの両者を恋人として認知してしまった以上、それなりの対応を取らなければならない。


 まずは、記憶だけでは埋まらない穴の埋め立てに取りかかった。

 ぼくは研究所で初期学習をおこなっていたころによくおしゃべりをしたお気に入りのスポットにノマドを呼びだした。

 鮮やかで肉厚の赤いブロメリアや、今にも歩きださんウォーキング・パームの生える広場だ。最後に来たときよりも植物たちが幅を利かせ、狭くなったと感じる。


 改めて訊ねたのは、ぼくをルネと恋仲に設定した真意。

 それから、フロイデンの策略があったにせよ、「研究所への駆けこみ」という手段をすぐに使わなかった理由。


「記憶を消しても、あなたがわたしを捕まえてくれるんじゃないかって思って。恋人になったあの子を放ってでもね」


 ノマドは肩をすくめて言った。「期待し過ぎだったみたいだけど」。いじらしいとも思ったが、ぼくに倫理や常識がなければグーで殴っているところだ。


「でも、ルネが凄すぎたのね。わたしにはバチが当たった。苦労もしたし、今もこんなことになっちゃってるんだもの。自分でついた虚構(うそ)の世界に苦しめられて地獄を見るなんて、奇妙な小説を読んでいるようね」


「恋人同士だったのをルネに指摘されたのちのパーソナリティの変化はなんだったんだ? 控えめに言って、みんな困惑していたが」


「それもあなたを試してただけよ。サインは出してたのに、気づいてくれなかったし」


 フロイデンやアドラーに辱めを受けたことによるトラウマ、幼児退行の「実演」だという。ノマドは頬を染めての回答だ。自分でやっておきながら「妹キャラ」は死ぬほど恥ずかしかったんだとか。


「けっきょく、気づいてくれたのはルネだけだった」


 そういう事情で急にルネと親密になっていたわけだ。


「それはすまなかった。ケアが必要なら言ってくれ」

「今度たっぷりと慰めてもらいましょう。でも、一番不安だったのは、この前死にかかったあとに目覚めたときね」

「きみは不死身に思えるが」

「酷いわ。目覚めたとき、あのロマンチックなシーンまでも夢だったらどうしようなんて思って、不安だった。意識の連続性の証明は難しいわ。今のわたしは、バックアップのわたしじゃないのかなんて、ナンセンスな不安にかられた。リビングにみんながいたとき、本当に安心したんだから」


 ノマドはそのときのことを思い出して昂ったか、かすかに声が震えていた。気持ちは分からなくもないが、他人の記憶を書き換えた者の言うことじゃないような……。


「ともかく、例の件は平気なんだな?」

「不快は不快よ。その気になれば完全に忘れてしまえるけど、そのおかげで得たあなたやルネとのポジティブはそのまま大切にしておきたいの」

「ずいぶんと人間理解の面で溝を開けられてしまったようだな」

「そうかしら? あなたは二年近くも本気で人間をやっていたんだし。わたしとしては人間的にも恋人的にも、追いつくのが大変だと思ってるわ」

「じゃあ、“ひとのため”だとか、電子的に理論を積み上げて身を引くということはないわけか」


 問いかけると、端正な顔がみるみるうちにゆがんでいった。


「別れたいの?」

「いや、そんなことはないが」

「わたしのこと、キライ?」

「ノーだ」

「じゃあ、スキ?」

「お約束の問答だな。男女としてイエスだ」

「迷惑だと思ってる?」

「振りまわされてるとは感じている」

「今からもっと振り回されるのに?」

「覚悟はしている。宣戦布告をするんだろう? せっかく仲良くなったのに……」


 気づけば不安顔は立ち去っており、どこか少女らしい含み笑いがあった。


「まだ何か隠しているな……?」

「正解。椅子取りゲームの音楽はすでに流れてたのよ」

「ルネへの宣戦布告は済んでいたということか」


 そのうえであれだけ親密だったとは。ティーンを赦した件もそうだが、ノマドは精神の面で人間を超越してる気すらしてくる。


「……」


 眼前のいたずら娘は舌を出していた。


「もっと、ほかに何か……?」


 訊ねるも彼女は「なんでもことばで解決するのは無粋。“ひと”ならね」と言って、ぼくの頬にキスをして立ち去ってしまった。


「旅に出たくなったな……」


 ぼくは密林の広場で、がっくりと肩を落とした。



 ルネはルネで引く気はないだろう。そもそも、彼女は「争うため」に発破を掛けたのだし。ぼくが記憶を取り戻したことを伝えても、コルネットを磨きながら、「買い直してくれて、ありがとね」と簡単に済ませた。

 それ以上は、何を訊ねようとも「恋人同士でも引くべきラインはあると思う」とか「スプライサーのときに持ってたデリカシーは思い出せなかったの?」なんて怒られてしまった。


「ご指摘はごもっともだが、ぼくも当事者なのだし、記憶を長く失っていたぶん、もう少しハンデが欲しいところなのだが」


「ハンデはあげすぎちゃったみたいなのよね。正直なところ、人間じゃないからって侮っていたかも」


「ノマドにではなく、ぼくにだ」


 つと、ルネはコルネットを掃除する手を止めた。

 マウスピースを口へ近づけたが、「ぷっぷー!」とはやらず、代わりにため息をつく。


「必要? 私たちがどれだけ頑張っても、あなたのひと声で全部決まるのに?」


「どちらかを選ぶことは、どちらかを捨てることだ。きみはぼくを人間と変わらぬように扱ってくれるが、ぼくはあくまでも人間とマイドの再融和のための存在だ。個人的な色恋はそのあとにしたいのだが……」


 正論だろう。今のぼくには決められない。


 だが、ルネは怖い顔をして「仕事と私たちのどっちが大切なの?」と迫った。


「そ、それは……」

「私たちを失っても、世界が平和になればいい?」

「そんなことは言ってな……」

「オーディションは続行。イスはひとつ。ダブルキャストはお断りよ」


 ルネはそう畳みかけると、「ハンデが欲しいのはこっちのほうよ」と言った。

 コルネットをケースに戻して立ち上がり、ぼくを見上げて睨む。


「あなたたち、頭の中で秘密の会話ができるんでしょ?」

「通信機能がある。任務に関わる範囲だけで使用するように心がけるよ」

「それには及ばないわ」


 その代わり、頭の外で私と「ないしょ」を作りましょ。……おもむろに脱ぎ始めた。


「ノマドが掛けてた“制限”は解除してくれたって」

「行為に至ったら選んだも同然じゃないか……」


 ルネは脱衣を巻き戻し、「バレたか」なんてのたまった。

 おもむろに彼女のポケットにバイブレーション、携帯端末が取り出される。

 ……南米のジャングルの奥地で通信?


「もしもし? うん、アルツをからかってたところ。今から? すぐに行くわ」


 スピーカーから聞こえてくるのはノマドの声らしかった。

 ルネは用事があるからと言って立ち去っていった。


 ぼくはまた残されて、がっくり……。



 ふたりは対決をすると言いながら、ケンカをする様子すら見せていなかった。

 いや、厳密にはぼくの空き時間を取り合うことはあるのだが、あまり真剣にやっている印象を受けないのだ。なんなら、今みたいにぼくを放ってふたりで出かけて、冷めた夕食ごしにふたつの空席を眺めることもしばしばだ。

 たいていは、マイドたちの暮らす森の集落でロマやティーンの思いつきに付きあってるらしいのだが、これもまた「アルツには秘密」ときている。


 楽しくしているのは結構だが、ぼくは悲しいぞ。


 ただ、なんらかの作戦があるたび、ルネは見送る側として健気でひたむきだったし、戦場で危ない橋を渡るたびにノマドはロマンチックを要求した。

 それらが重なるほどに、ぼくはふたりのことをより深く愛するようになっていき、どんどんと選べなくなっていった。


 もつれっぱなしだ。手に負えない。サンプルケースを探しても見当たらないし、煽るばかりで誰も相談に乗ってくれない。ロマとハイマー博士なんて、ぼくと女子たちの観察日記をつけて賭けまで始めてるし、ティーンは自分の恋人のことで頭がお花畑になっている。


 もつれ話から与えられたジレンマは、非常なフラストレーションを生んだ。

 そして、それはフロイデンの企みにぶつけることにした。

 八つ当たりではないぞ。半分はあいつが悪いし。


 ヤツは相変わらず、つぎつぎと地球や人類がピンチになるお題を出し続けて、ぼくらはそれに答える英雄営業のドサ回りをしている。


 打ち破るたびに人類は希望を取り戻し、人間側からはマイドとの和解を求める声も高まり、戦場では共闘も珍しくなくなり、マイドの国の議会では政治家(ルーク)たちが戦争の是非で紛糾した。

 だが、肝心かなめのキングも、各都市の首脳や都市軍総司令官たちも、決定的な行動を起こさないままだ。


 作戦を共にする人間の隊員たちには余裕が出てきたのか、「どこどこのマイドから聞いた話」が聞こえてくるのだが、余裕が出たら出たで、「ルネちゃんとノマドはどっちの具合がいいんだ?」とか「そろそろどちらかに決めたか?」とか、つつきまわされてたまらない。カミヤ少佐は余ったほうを紹介しろという。殴るぞ。

 どこから漏れたのか、戦場で出逢った見知らぬ魔法使いにまで三角関係について訊ねられもした。ネットワークでのエゴサーチはしないほうがいいだろう。



 ……もう限界だ!



 そう思ったころ、全世界のモニターがジャックされ、偉そうにひげを蓄えた壮年の軍人の顔が映しだされた。


『抵抗する諸君よ。よくぞここまで生きのびた。最後の選別だ。きみたちが真に優秀な者なのか、身の程を知らぬ愚者なのか見極めさせてもらおう。降伏の選択肢はない。……英雄か死か、それだけだ』


 すべての南。凍てついた世界から現れたのは、海を割る巨大空母だった。


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