Case02.はざま
アニメを視聴し終え、続きをあれこれ想像していると、ノマドから通信が届いた。
『両手が塞がっているからドアを開けて』とのことだ。こちらもトレーニング器具で両手が塞がっているのだが、手伝ってやらないとあとがうるさい。
玄関へ出ると、両手にいっぱいになった紙袋をぶら下げた妹のほかに、もうひとりの姿があった。
「ホントに扉が開いた! すごいねノマド姉ちゃん!」
元気よく驚いたのは、こんがり小麦色の肌と黒髪のロマ・ボッカッチョ少年だ。
彼も紙袋を抱いている。
ジッピーでひと懐っこい男の子は、誰にでも物おじをせずあいさつをする。それがたとえ、“センター地区”からドロップアウトをしてきた療養中の人間であろうとも。
「アルツ兄ちゃん、こんにちは。今日もデカいね」
「それは身長のことか? それとも筋肉を褒めているのか?」
「両方さ」
たったそれだけだが、あいさつをされた側は、そのうちに彼より先に挨拶をするようになったり、ニ、三言の世間話をするようになる。そんな元気少年のことを、ぼくらはこっそりと「生きた処方薬」なんて呼んでいる。
彼の両親はクライエントだ。
記憶のスプライスは済んだが、現在は経過観察中。
本来なら、患者やその関係者との個人的な付き合いはご法度。
この闇医者的なスプライサー業に限らず、心理学の業界でも常識のこと。
それなのに、なぜ彼が友人のように振る舞っているかというと……。
「やっぱり、ふたりはテレパシーが使えるんじゃないの?」
いたずらっぽく笑う少年。
「そうね。そのほうが説明がつきやすいわ。アルツが気を利かせたなんて説よりね」
呼び出した張本人もすまし顔だ。
違法行為を含む施術中には、何者の介入もあってはならない。だが、ぼくらは二名同時の治療という初の試みに集中していたため、診療所への侵入者に気づけなかった。
そう、ロマ少年だ。
どこまで冗談なのか本気なのか、施術中のぼくらを見た彼は「ふたりは宇宙人ではないか」と疑っているのだ。施術中はぼくとクライエントが眠り、ノマドが両者に物理的な接触をしているだけなのだが、はた目には怪しく映ったのだろう。
ま、当たらずとも遠からず。
ぼくらアンドロイドは、人間社会が決別したはずの機械生命体だ。
かつて、第二の人類として受け入れられ共存していた高性能AI搭載人型ロボットの末裔……。
ともあれ、彼に付きまとわれることとなり、知らぬ間に友人というわけだ。
ぼくはタイムセールの戦利品を片づけてキッチンに立ち、夕食の支度を始めた。
調理はぼくのほうが得意だ。ノマドはレシピ通りに作ることはできても、微妙な匙加減やレシピ開発は苦手ときている。ひとたびオリジナルに足を踏みいれると、アンドロイドの繊細な味覚センサーがエラーを出力し、酷いときはキッチンのスプリンクラーも作動する。
いっぽうで、買い物やお出かけのプランを立てることに関しては彼女に軍配が上がる。きっと、持ちきれないほどに買いこまれた食材やこの少年の手伝いも、計算のうちなのだろう。
だから、ジェムソン氏の想定より早い覚醒には心理的負荷が掛かったはずだ。
今日はレモンを多めに絞っておいてやろう。
「ロマはそろそろ誕生日ね?」
「ノマド姉ちゃん、憶えててくれたの!?」
「もちろん。十歳になるのよね。おとなへの第一歩よ」
目の端でダイニングを見やる。
歓喜の声の直後だったが、見切れた少年は浮かない顔になっていた。
デリケートな問題だ。
十歳といえば、エビングハウス回路に法律や倫理、職能のベースプログラムのインストールを受ける年齢だ。人間の子どもはそれから、インストールデータの使いかたを学ぶ八年の“モラトリアム期”を経て、おとなになる。八年の経験過程ではもちろん、インストール前後だけでも人格が変わるケースも珍しくない。
『フォローお願い』
ノマドはコミュニケートに失敗すると、すぐにぼくに振ってくる。
「ロマは将来なりたいものとかはないのか?」
「サッカー選手とかって答えたらいい?」
珍しくヒネている。彼も人生の岐路に立たされているのを自覚しているのだろう。
「見つからないんだな? それを探すためのモラトリアム期だ。ハイスクールはいいところだし、スキーマ・ネットワークへのアクセスも解禁されるし、知識と自己の探求が始まる人生でもっとも面白い時期だぞ」
「アルツは前向きだね。でも、おれが悩んでるのは、おれのことじゃなくて、みんなのことなんだよ」
少年は腕を組んで大仰に鼻息を吐く。
「なんとなく、距離を感じちゃってさ」
ロマは両親のドロップアウトの都合で住まいをマージナル地区に移したものの、センター暮らしのときと同じ学校に通っている。
世界中にある各都市はたいてい、中心部に都市機能を集中しており、そこから離れるほど人口密度を減らし、一次産業区や人工の緑地が増える配置となっている。
俗に都心部を“センター地区”、田舎を“マージナル地区”と呼び、それらは都市の規模によっては数千キロメートルも離れている。
この中央ヨーロッパ都市も例外ではない。よって彼も毎日、亜音速列車で通学をしているわけだ。
だが、彼は放課後に向こうで友人と遊ぶこともあるし、友人が訪ねてくることも珍しくない。つまり、彼が言う「距離」は物理的なものではなく……。
「周りの友達が子どもっぽく見えるってことだな?」
「正解。アルツはやっぱり宇宙人なんじゃないの?」
『筋肉星人』
ノマドが何か言った。無駄な通信だ。
少年は少し笑ってから「スポーツ選手とか芸術家とか、分かんないな」と言った。
エビングハウス回路にインストールされたデータは、おのれの知識の一部となる。
法律家でもプログラマーでも、コピーアンドペーストで簡単に目指せる世の中だ。
いっぽうで、神経や筋肉は自分で鍛えるしかない。センスや直感、感性も同じく。
これらを活用するスポーツ選手や芸術家は、誰もが夢見る憧れの職業なのだ。
特に、チップのせいで海馬体や記憶行為と隣りあう脳機能の低下した今の人類には、なおさらハードルの高いものだろう。
もちろん、流行や個人の好みはあるものの、無数にあふれるコンテンツの中で他人に認められるのは容易くない。
趣味でやるのは自由だが、それで利益を得るには厳しい競争を勝ち抜き、国家から認定を受けなければならない。
プロになるにはモラトリアム期を夢の成就に注ぎこまなければならないだろう。
十八歳になって職業を選択する段となり不合格となれば、八年の大半は空白となり、コピーアンドペーストの職に落ちつくこととなる。
「みんな、夢見すぎだと思うんだよね。仕事は仕事、趣味は趣味さ」
インストール前の児童が口にするとは思えない言葉だ。
「きみの両親はその仕事に疲れ、こっちに流れてきたはずだが……」
ロマの両親のドロップアウトの理由は、不快データの蓄積による心身の不調だった。
彼らは平凡な接客や営業の職に就いていたはずだが、パーソナリティが対人に向いていなかったらしく、毎晩のように除去プログラムが稼働していた。
静かなマージナルに流れてくる理由としてはポピュラーなものだ。
「だからだよ。“コピペ”でも失敗しないように準備しておくほうが堅実だよ」
ぼくは「夢の無い子どもだな」と思わず口にしかかるが、ロマは続ける。
「それに、コピペだって大切な役目だし、憧れたって全然悪いことじゃないと思う」
現代人は芸術性のない職業を「コピペ」と呼び、蔑んでいる。
工場の検品、対人ストレスの溜まる接客、頭の痛くなるような計算の連続、それから危険な環境下での作業。
ぼくらの祖先たちは、それを好んでやっていた。
機械体の利点でもあるが、何よりも「人間のために」作られた友人だったからだ。
「これから、みんなのものの見方が変わるかもしれないわ」
おとなびた少年へのコメントを考えていると、目を疑うようなことが起こった。
ノマドが彼の頭を撫でている。
しかも、ぼくにも見せたこともないような「優しい」表情で……。
白く細い指がそっと黒髪の上を滑る。
ロマは首を縮めて、照れてるのかビビってるのか分からない表情をしたあと「あ、ありがとう」と言った。
なんとなく妹に役割を取られたような気がする。
ちょいと反撃をしてやろう。
「十歳のお祝いだし、欲しいものや行きたいところはないか? なんでもいいぞ」
「なんでも!?」
目論見通り、ロマは一瞬で子どもへと立ち返った。
ノマドから抗議のささやきが来るかと思ったが、特にナシ。
「じゃあ、“レッド・ライン”の向こうに行きたい。ジャングルとかさ」
「自然保護区は勘弁してくれ。逮捕されてしまう」
「冗談だよ。センター地区に連れてってよ。それで勘弁したげる」
「センターなら毎日かよってるだろう?」
「通学でね。学校のそばにゲームセンターやデパートは無いんだよ。みんなの話題にもついていけるようにしなくちゃね」
そう言って、おとなびた少年は肩をすくめた。
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