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Case13.レモン・ジェラート

 ノマドの強制アクセスにより、ビルにいた人間は全員が記憶の操作を受けた。

 ところが、想定外の事態が発生した。

 本来ならば、ノマドはぼくらの正体や決起集会に関しての事象を都合よく書き換えるはずだったのが、予定を変更して短期の記憶喪失だけに留めたという。


「あいつの回路、普通じゃなかった」


 ベッドに横たわるノマドは悔しそうだ。

 チョールヌイのエビングハウス回路にプロテクトが掛けられていたという。


「きみでもロックを破れなかったのか?」

「軍用でも政治家用でもなかったのよ。あれに手間取ったせいでデリートに切り替えざるを得なかったわ」


 チップが覚醒時に強制的なアクセスを受けると、保護のために失神する。

 だが、チョールヌイはそれを免れ、あまつさえノマドが遠隔操作でロックしておいた入り口も開錠して逃げおおせてしまっていた。


「ドアを破られたのはいい。簡単なプログラムだったから。でも、わたしが破れないプロテクトってなんなの?」


「電子的ではない防御手段か? 回路に手を加えたとか」

「あいつにそこまでの技術力があるはずがない」

「だったら、カミヤ少佐のように脳が抗ったとか」

「バカげてる。わたしの処理は人間の神経伝達よりも早いのに」

「だとすれば、やはり……」


 “赤き地平の先”からの協力者がいるのか?

 それも、こちら側でもトップシークレットだったノマドのアルゴリズムを知っている存在。


「博士たちに聞いてみたらどうだ?」


 ノマドは黙りこむ。返事を待ったが、時計の針が十秒を刻んだ。


「通信途絶なの」


 驚いた。任せっぱなしにはしていたが……。


「わたしたちが人間から離れたんじゃなくって、人間がわたしたちを捨てたと思ってるひとたちもいる」


「それはそうだが。そんなことになってるなら、ぼくにも教えてくれないと困る」


 咎められたノマドは起き上がろうとした。

 だが、こめかみを押さえ再び頭を枕に置いた。


「言ったって現状は変わらないし、任務も終わらない。心配になるだけよ」


 ぼくはため息をつく。

 彼女はなんでも頭の中で計算してしまえる。そのせいか、ひとりで抱えこむたちだ。


「無理はするな。細かいことはあとで考えよう……ん?」


 控えめな乳房と目が合った。


「なんで肉体を着ているんだ。熱が籠るんじゃないのか?」

「本当のハダカを晒すのはイヤ」

「兄妹だろうに。気にすることはない」

「いやよ、恥ずかしい」

「こちらのほうがエロティックに思える。人間の倫理的にもマズい」

「それでもよ」

「冷却の邪魔になるだろうに。合理的じゃないな」

「あなたに不合理なんて言われたくない。っていうか、じろじろ見ないで!」


 背を向けられてしまった。ビンタを想定したがそこまでの余裕はないか。


「チョールヌイもあなたも、わけが分からないわ」

「なんでぼくまで……。さては、電子処理で負かされたからスネてるのか?」


 ちょっと面白い。

 シーツを掛けてやると、触れもしないのに高い体温が伝わってきた。


「そのままだと冷却に時間が掛かるだろう?」

 今度は咎めているわけじゃない。

 なるべく優しい口調を心掛けた。


 しばらくして「レモン・ジェラート」の呟き。


「同じ冷やすのなら、シャーベットのほうがよくないか? あれは氷だろう?」

「オーバーランの空気も計算に入れたら大差はないわ。美味しいほうがいい」

「オーバーラン?」

「アイスをふわっとさせるために混ぜる空気のこと。ジェラートのいのちよ」

「詳しいな。ジェラートは近所のマーケットで見ない気がする」


 ……電脳にジェラートショップのアドレスが送られてきた。


「中央特区にしかない高級店じゃないか」

「ダメ? わたし、頑張ったんだけど。それに、ネットワーク上の情報操作もまだだし」


「分かったよ」

 ぼくは立ち上がる。

「できる妹を看病するのは兄の役目だからな」


「そうね……。いってらっしゃい、兄さん」


 なんとなく寂しそうな声。

 彼女は背を向けたままだ。どんな顔をしているのだろうか。



 ぼくは診療所を出て駅へと向かう。

 途中でロマに出会い、ノマドのことを訊ねられた。

 風邪をひいていると伝えると見舞いに来たがったが、今日は断っておいた。


 ロマはデータインストールの日が近い。

 体調が万全でないと、莫大なデータ増加によるインストール酔いが酷くなる。

 失敗して再インストールとなる事例も無くはないし、君子危うきに近寄らずだ。

 と、言っておいた。たんにふたりの時間を邪魔されたくない気分だっただけだ。


 ちなみに、ぼくらは風邪をひけない。

 過去に人間をまねして風邪をひこうとして、病原菌ナノマシンが開発されたことがあったが、あまりにもばかばかしいために封印された。


 それは置いて、倫理や知識のインストールはチョールヌイの目指す人間とは反対を行く行為だと言える。

 まさか、病院や生体チップのプラントに工作を仕掛けることはないとは思うが、少し不安だ。


 列車の中で携帯端末を使い、ニュースをチェック。


 再開発地区でファッション・マージナルのデモ隊の逮捕の報がある。

 ノマドが流したフェイクだろうか。

 不法占拠と警備や建設作業員の監禁、それから器物損壊。

 彼らは目覚めたときには軽い記憶喪失だ。やったのは彼らだが、身に覚えのない罪で逮捕されるのは、ちょっと可哀想だな。いちばん被害の酷い床は、ぼくが原因だし。


 しかし、千人のシンパを奪われようとも、チョールヌイ自身は逃げおおせてしまっている。

 彼はぼくらが人間ではないことを知っただろうか。

 攻撃を仕掛けてきたり、存在を公表されたりしないだろうか。

 もっとも、狂言だと思われて信用されないだろうが。

 とはいえ、殺すわけにもいかない。


 あんな愚かな夢を掲げる革命家でも、ぼくらにとっては大事な人間だ。


 ぼくらが夢見ているのは、再び人間たちといっしょに暮らすこと。

 その目的の邪魔をするのなら、彼には手を引いてもらわなくてはならない。

 そして、彼の背後に赤き地平の先に暮らす誰かが絡んでいるのなら、破壊してでもやめさせなければ。


 なんだかヒーロー活動っぽくなってきたようで、わくわくする。

 こんなことを言ったらノマドに叱られてしまうだろうが。


 ジェラートショップではカップルが目立った。

 若い男女、老いた夫婦、同性のペアもいる。


 かつては、人型ロボット人種の“マイド”も、人間とあんなふうに恋仲になったり、婚姻関係を結ぶくらいに仲がよかったという。


 関係性だけじゃない、彼らの作る小さなストーリーも大好きだ。


 たとえば、どこかの家から流れてくる夕食のにおい。

 食卓を囲む家族が見える気がする。

 公園のベンチに残るコロンの香り。誰かが誰かを待っていたのだろうか。

 同じ待つ人でも、ひじ掛けを指で叩いているのはイラついているから?

 それとも、機嫌がよくて、何かのリズムを刻んでいる?


 そういったエピソードをまたいっしょにつむぎたいんだ。


 ぼくらの領域に住む“ひと”はほとんどが機械だ。

 人間に似せているが、ぼくやノマドほどは似ていなくて、食事もできない。

 感情やスピリチュアルさえも電気信号。

 生活も人間をまねてはいるが理屈が先走り、まるで設定と配役にすべてを管理されているかのようだ。

 彼らは人間には不得手なことが得意で、みんな人間のためにありたいと思っている。


 だから、人間たちには人間のままでいてもらわなければいけないし、ぼくらマイドのことをもう一度理解して貰わなくてはならない。


 ひとの挿話や故郷を思うと、胸部がじわりとした。


 これは「寂しい」だろうか? 「懐かしい」だろうか?


 ぼくは足早に帰った。それから、わざわざ専用に買ったクーラーボックスからジェラートを取り出して、百点満点の評価を貰った。


 ひと口だけ分けてもらったレモン・ジェラートはすっぱい。

 それから袋に氷水を詰めて氷のうを作り、「看病ごっこね」と笑われる。


 ぼくたちは上手に「人間をしている」はずだ。

 プログラム的にも、今のこの暮らしが心地よい。


 ときおり、達成の困難な使命を忘れて、ぼくらだけでもこのままでいられたらなんて、ずるいことを考えてしまう。 

 それじゃダメだ。人間のため、だけれど、それはぼくらみんな、「ひとのため」でもあるのだから。


 もう少しだけ浸らせてほしい。このささやかな幸せに。


 しかし、願いは無情にも打ち砕かれた。

 ぼくらの正体を知るかもしれない男がインターホンを鳴らしたからだ。


* * * * *

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