ブラグドッグ
「今更そんな事を言い出すのか?この屋敷のそこかしこにブラグドッグと書いてあるだろ。」
レインはそんな事に全く気付いていなかった。
「この訓練場の入り口にも堂々と書いてあるぞ。グリーニヤの話を聞いて感づいたとばかり思っていたが……」
「え、嘘!?」
レインは大慌てで訓練場を飛び出し、訓練場の入り口を注視した。そこには犬を象って作られた紋章とブラグドッグの文字がはっきりと存在していた。
「え?これに一週間も気付いてなかったのアンタ?」
「やめて……」
続いて訓練場から出て来たカリンが呆れたような視線をレインに浴びせる。レインは恥ずかしさの余り顔を手で覆ってしまった。
「お前の間抜けさは十分理解した。取り合えず中に戻れ。話の続きだ。」
「……はい。」
赤い顔のレインは俯いたままパドに連れられて訓練場の中へと戻って行った。
「それで話の続きだが、カリンが先程零した協力と言う言葉、それはつまり俺にそのジェイルと戦えと言う事で良いんだな?」
魔方陣を片付け、話を再開する。レインとしては漸く本題に入れたという所だろうか。
「ああ、敵の戦力が未知数な上、市街での戦闘になる可能性が高い……と思う。だからパドには出来る事なら戦闘の協力を、仲間達には住民の避難について協力して欲しい。」
レインはパドに出来る限り最大値の要望を伝えた。パドの体質が改善していない状態で恐らくリードクラスの化け物と戦わせるのは気が引けるが、それをパドに伝えて機嫌を悪くさせたく無かった。あくまでフラットに、パド自身に戦えるかどうかを決めて欲しかった。
「それは俺の仲間達が足手纏いになるからだと捉えていいのか?」
(そっちに食いついたかぁ!!)
それは誤算だった。しかし、ここは誤魔化す訳には行かない。余計な犠牲を増やさない為にも。
「そうだ。」
レインは彼らが戦闘面において役に立たないと確信していた。横でカリンも同意するように頷いている。
「……それは経験則か?」
パドの目が鋭く光を帯びた。
「ああ。リードと戦った時、俺の魔法で攪乱は出来ても傷を負わせることは出来なかった。それどころか、カリンの炎で受けた傷ですらも即座に修復されていた。」
レインはリード・ジストロックの最期を思い返す。カリンの無尽蔵にも思える魔成素の全てを出し切った一撃を喰らっても、なお死にかけで立ち上がったあの姿を。
「俺やあいつ等の様に普通の強さじゃ駄目なんだ。あの憎悪の化身、呪いの獣を打ち倒すには……異常じゃなきゃ駄目なんだよ。」
レインは自分の力の程を理解しているからこそ、あえて厳しく彼らを戦場から遠ざけたのだ。
「……本当なら危険な役回りは俺達が務めるべきだが……」
「ん?何だって?」
パドが何かを呟いたが、レインには聞き取れなかったようだ。
「何でも無い。兎も角、俺達の様な高い魔法能力を持った祝福者でなければまともに殺り合えないのは分かった。それなら俺一人で戦えば良いだろう。わざわざお前達が出なくてもそれで、」
「無理よ。」
パドの言葉を遮り、カリンが強く否定の言葉を口にした。
「無理だと?」
「ええ、無理。アンタアイツ等を舐め過ぎ。あたしと素手の戦闘は互角、魔法を撃つだけで身体はぼろぼろ。アンタが今までどんな敵と戦ってきたか知らないけど、アイツ等はそんなんで勝てる程弱くないわよ。」
カリンはパドに詰め寄って行き、彼の額に指を突きつけた。パドの身体はカリンの指に押されて壁際まで後退した。
「じゃあお前等はそんな奴とこの出来損ないを戦わせようとしたのか?」
痛い所を突く。レインが葛藤していた所をダイレクトに引っ搔いて来た。二人は黙り、何も言えなくなる……
「そうに決まってるじゃない。」
いや、カリンはそんな事を一々気にする性格はしていなかった。
「えぇ……」
「そりゃアンタを誘ってるんだからそう言う事になるでしょ。あたし達が言ってんのは一人で戦うんじゃなくて力を合わせて戦いましょって事。それくらい分からない?」
煽りを感じるような言葉使いだったが、言われたパド本人は冷静にただ黙っていた。
「何とか言いなさいよ。ほら。」
何も言わないパドに詰め寄るカリン。
「カリン、その位にしておけ。大人げ、」
「いや、俺が悪かった。」
黙っていたパドが口を開いた。彼の口から出たのは珍しく謝罪の言葉だった。
「あら、素直に謝る事も出来たのね。」
「少し馬鹿な事を言った自覚位あるさ。カリンの強さはさっき嫌と言う程思い知った。そんな奴が苦戦した敵と同類の者を一人で相手したくは無い。今回ばかりは飲んでやろう。……まあ一人で戦っても別に良かったが。」
最後に余計な事は聞こえたが、パドの発現はつまり……
「それって……!!」
「協力してやろう。レイン、お前の頼みだ。たったの条件一つでお前の槍となってやろう。」
パドからの協力するとの答えに一安心するレインだったが、その後の条件で表情が曇り出した。
「条件……?」
するとパドはにやっと笑った。本当に笑みが上手くなったものだ。カリンは感心した。
「その戦いが怒るまでに準備は万全にしておきたい。そうだろ?」
「まあ、そうだな。」
否定の余地が無いので軽く同意するレイン。しかし、それは巧妙な罠だった。
「だから、それまでに俺の体質を少しでも改善しろ。それが条件だ。」
無理難題だ。
「終わった……カリン、パドの協力は諦めよう。」
「え!?そんなに無理なの?」
状況を毛ほども知らないカリンはレインの降伏宣言に目を丸くした。
「落ち着けレイン。俺は何も全部を終わらせろと言ってるんじゃない。付け焼刃程度で良いんだ。」
「それを見つける為の計測をこの一月やっていたんだよ……!!」
「そうなのか。でもお前なら出来るだろう。後は早く終わらせると言う焦りと時間以内に終わらせると言う覚悟が足りないように見えたのでな。」
レインは内心憤慨していた。それがどれだけ大変な事か理解出来ない非魔道具技師の考慮の浅さに。
しかし、そう思われてしまうと言う事は温かったのだろう。体調を崩したくない気持ちが透けていたのだろう。自分の内にある真剣さを見抜いて貰えなかったのだろう。
レインの中で一つ、芽吹いた瞬間だった。
(なら見せてやろうじゃないか。俺の職人としてのプライドを!!)
「良いぞ。やってやろうじゃないか。必ず方法を見つけて、お前を必ず戦場に引きずり出してやるからな。」
そう言ってレインは訓練場を出て行った。
「ちょっと待って!!レイン、どうしたのよ!!」
その後を困り顔でカリンは追いかけて行ったので一人残されてしまったパドだったが、上手く行ったと言わんばかりのしたり顔を見せていた。
その日からレインの研究の日々が始まった。
使っていなかった小さな物置部屋の中で、膨大な資料と彼のそう多くない財産を叩いて用意された大量の資材と向き合う毎日。偶に外に出たかと思えば何に使うかも分からない謎の器具を弄り回すだけ。
いつ食事を取っているのか、いつ睡眠を取っているのか。朝ライガが目覚めてから夜カリンが眠るまで、レインはひたすら魔方陣を作り続けた。
「なあ流石に止めた方が良いんじゃないか?」
「そうよね。前みたいに身体を壊されても困るし……」
物置部屋の前で相談し合う二人。レインのここ数日の生活を見かねてのものだ。
もう二週間を超えて三週間近くレインはこんな不健康な生活を送っている。以前よりも熱量が違う為レインの顔に疲弊は見られなかったが、それでも身体に蓄積した疲労の反動がいつ来るかも分からない。
二人はレインの身体を守る為に物置部屋の扉を開けたのだった。
「レイン、そろそろ休憩しねえか?」
ライガの言葉に対するレインの答えは無い。ただひたすらに筆を動かし続けている。
「ねえレイン。いい加減にしなさいよ。」
穏やかに話を進めようとしたライガとは対照的に、カリンは最初から感情全開だった。
「また嫌な夢見て泣きつきたいの?パドにあんな言われ方されてむかつくのは分かるけど、どう考えても只の発破掛けに決まってるじゃない!!そんなんでむきにならないでよ!!」
ばあぁん!!
レインがペンを机に叩きつけた。
「な、何よ。」
無言のレインに少したじろぐカリン。
「どうしたレイン?」
「……終わったぁ。」
そう呟いてレインは机に突っ伏した。
「お、終わったって……レイン?」
レインは顔を上げない。聞こえてくる穏やかな呼吸音が彼の意識の行く果てを示していた。
「寝てる……」
カリンは描き終えた魔方陣を下敷きに寝息を立てるレインの鼻を突っついた。
「んあ……」
変な声を上げ、嫌がるレインは起きそうにない。
「おいカリン。こっち見て見ろよ。」
ライガがカリンを呼んでいる。カリンが呼ぶ方を見ると、そこには異常にも思える程の密度を持った魔方陣の束が重ねられていた。
「うわ、なにこれ。迷路?」
「さっき終わったって言ってたよな?もしかしてこの束含めて魔方陣が全部出来上がったって事じゃないか?」
そんな訳は無い。レインは言っていた筈だ。この世の誰も作れない全人未到の魔方陣、これから作るものはそう言うものだと。
カリンはレインを信頼している。きっと本当に作れないのだろう。それでも何年掛かってでも挑戦するものだと思っていた。
信じられない気持ちでレインを見ると、眠る彼の下に敷かれている魔方陣に書かれた文字に気が付いた。
「100/100……って本当に……!?」
カリンはそれが意味の無い記号とは思えなかった。
もしその……数字の意味するものがカリンの知っているものならば……
(アンタ……何?)
カリンは怖くなった。
カリンの魔法を治し、ライガの魔法を治し、今度はパドの魔法まで。短い期間に三人が抱える難題を超えた救世主。
その信頼できる彼の“異常”な部分に、カリンは恐怖を覚えてしまった。
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次回の更新は8月20日12時頃です。
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