災難
焼け跡と切り傷が残る訓練場の床にレインは魔方陣の書かれた用紙を広げる。その上に更に何枚もの用紙を重ねて立体的な機構を作り上げた。
「魔方陣ってこうなってるんすね。もっと雑なものだと思ってたっす。」
精密な魔方陣を見るのが初めてなアルネは重なった部分を指で突いている。
「アルネ。ズレるから余り触らないでくれ。
「あ、すいません。」
ズレた魔方陣を元の位置に戻すレインを見下ろすパドは、魔方陣の中心で棒立ちになっていろというレインの支持を真面目に守っていた。
「おい、アルネと馬鹿二人。お前等はもう用済みだろ。さっさと出て行け。」
パドはアルネと訓練(喧嘩)をしていたオッドとシーラに向けてしっしと手を振り払った。
「ええぇぇ!?そりゃないですよお!!」
「うちらの訓練中に横入したくせに追い出すつもりですかぁ?パド様、温厚なうちらも流石に切れますよ。」
馬鹿と呼ばれた二人はこの珍しいものをもっと見たいと喚きたてる。
「喧しい。……はぁ、せめて入り口の奴らを黙らせて来い。」
余りの五月蠅さにパドも折れた。入り口で中の様子を伺っている見物人達を追い出したなら二人は追い出さない、と恩情を与えた。
「「マジっすか!!」」
オッドとシーラは先程まで殺し合っていたとは思えないほどの息の合い方で入り口の連中を脅し始めた。
「あの二人は仲良いの?悪いの?」
レインはその光景を見て思った事を口にした。
「基本は良いっすよ。でもちょっとでも気に食わないことがあったら殺し合いで決着をつけるイカレっすよ。さっきの喧嘩の発端も、アルンが言ったどちらが強いのかっていう話題からっすからね。」
「結構面倒臭い奴らだ。お前とは多分性格的に合わないな。」
パドとアルネの話を聞いて、レインは確かに合わなそうだと内心思った。
迅速に見物人への脅し、もとい説得を終え、静かになった扉を閉め切った二人が帰って来る。
「これで良いですか?」
「これでうちらもここに居ていいんですよね?」
パドはレインを見る。邪魔さえしないのであればと前置きを付けてレインが了承すると、二人は飛び上がり、走り回って喜んだ。
「ああ!!魔方陣がずれる!!」
「お前等、やっぱり出てけ。」
……
「始めるぞ。」
レインが魔方陣の前に手を掲げる。その手に集まる魔成素をパドとアルネ、そして縛られたオッドとシーラが黙って見守る。
溢れる程に満ち足りたレインの手がゆっくりと降りて行き、敷かれた魔方陣の一枚に触れる。
そこから広がる白の光が魔方陣を埋めていく。レインが触れる小魔方陣からパドの乗る大魔方陣に移り、そこから四辺の中魔方陣に移って行く。
光で満ちた四辺の中魔方陣からゆっくりと光の筋が伸びて行く。白い線が何本も。それらが模様の光で繋がる。
まるで立体的な魔方陣の様に複雑に張り巡らされた光の筋がパドの周囲に魔法の結界を描いた。
ふぅとレインが緊張を吐きだし、魔方陣から手を放した。
「「おお!!凄えええ!!」」
縄で縛られて動けない二人が感動の余り騒ぎ出した。その声量に他の三人が顔を顰める。
「五月蠅いっす。ちょっとは静かに出来ないんすか?」
「ったく。よし、魔法を使ってみてくれ。」
レインがそう指示するとパドが両手を持ち上げた。すると、宿で計測を行っていた時には無かった緊張感というものが他の三人を包む。
(パドさんの魔法!?)
(見れるの?)
(悪魔と称されるパドさんの魔法が!?)
このアルネ、オッド、シーラの三人は未だにパドの魔法を見たことが無かった。アルネは戦闘の場には出ない為。オッドとシーラは別行動が多かった為だ。
だから三人はパドの戦いを見た仲間からの伝聞でしか知らなかったのだ。
「なん……!!」
(何この威圧感!!)
パドの魔法が起こす魔成素の奔流。カリンやライガの魔法を事前に見ていたレインとは比べ物にならない程の衝撃。立っているステージが違う敗北感を三人は味わっている。
そして見る事となる。パドの究極の魔法の在り方を。そして……祝福の代償を。
「あ……壁貼り忘れた。」
パアアアン……!!
腕が弾け、辺りに血が飛び散った。遮る壁も無いまま床に鮮血が落ちて行く。
「うわあああ!!やっちまったあああ!!」
レインが飛び散る血を見て焦り出す。どうやら防護壁をパドの周囲に貼り忘れていたらしく、訓練場は血の海と化した。
「「ぎゃああああ!!目があああ!!」」
馬鹿二人は顔にべったりと張り付いた血飛沫で目をやられた。二人して縛られて動けない身体でじたばたと藻掻く。
「腕……え?なんでパド様の腕が……。」
体中を血で染められてしまったアルネはその光景に茫然としている。
「うっ!!おええええ!!」
それは彼が見て来た何よりも凄惨な光景だった。一介の魔法補助役に過ぎないアルネには精神的に耐えられるものでは無く、血溜まりに吐瀉物が混じる。
「おいレイン!!何やってるんだ!!これ、これ……どうするんだ!!」
珍しく声を張り上げるパドだったが、貧血で顔色が悪く、くらくらと揺れる頭を抑えた。
「直ぐに片付けるから、パドは治療薬を飲んでくれ。後はそこに立っているだけで大丈夫だから。」
そう言ってレインは荷物袋から取り出した魔道具で床に付着した血潮を吸い取り始めた。
「おいお前等も手伝ってくれ!!」
レインは縛られていた二人の縄を解いた。痛みで涙を流す二人だったが、手渡された魔道具で素直にレインの後に続く。
「パド様、それどういう事すか?」
震える声で問うアルネ。
「おい指を指すな。お前も手伝ってやれ。」
「だってそれ……魔法も出て無くて……奥の手じゃ無かったんすか。」
アルネが指差すのは筋肉毎破裂した左腕。パドは間違いなく魔法の槍をその手で握っているが、発動した形魔法はアルネには感知出来ない。故にパドが魔法の行使に失敗したと勘違いしているのだ。
「魔法は正常に発動している。こうなるのが煩わしいからこそ奥の手にしている。他に聞きたい事があればアリアかレインにでも聞いておけ。」
「分かったっす……」
アルネはとぼとぼと掃除をする三人の元へ歩いて行った。
……数十分後。
「大変すまなかった。」
四人に向けて地面に手を付き、頭を擦り付けるレインの姿が!!
「もう分かった。前よりも綺麗になっている位だ。多めに見てやる。と言うかその謝り方は何だ。腹が立つ。」
「故郷に伝わる伝統の謝罪だ。」
床に落ちた血は一滴も残す事無くレインの魔道具が吸い取り、訓練場は元の綺麗さを取り戻していた。
「おお、本当に凄えな。この魔道具。」
「手作り?やるぅ。ぴゅぅ」
空気を読まず、口笛を吹いている二人の横でアルネは暗い顔。どうしても彼の頭にこびりつく赤い景色。
「あ、そろそろ魔方陣から出て良いぞ。」
訓練所内の時計を見たレインがパドに合図を送る。
「今日は早いな。」
パドが肩から力を抜くと、彼を取り囲んでいた魔法の結界が消え去った。目には見えなかったが、レインの第六感は魔法の消失を感じていた。
「ん。後はこれを数日、五日六日繰り返すだけ。簡単だろ?」
「そうか。次は壁を貼り忘れんようにな。」
次の日からレインの生活は三度変化したのだった。
午前七時頃、起床。ライガの用意した朝食を貪る。
午前八時頃、眠りっぱなしのカリンに声を掛けた後、ハニープラムへ向かう。
午前九時頃、ロビーに魔方陣の基礎的項目を指導しつつ、前日の計測結果を纏める。
少し飛んで午前十二時、ロビーと共に昼食へ。レティーザの店で舌鼓を打つ。
午後一時、ロビーと別れてパド達の住む館へと向かう。
午後二時、パドの計測を開始する。アルネと馬鹿ツインズ、偶にアルンが見物している中で行う為非常に気が散るらしい。その後、終わり次第宿へと帰る。
そんな生活をすること四日目の事だった。
「「飽きた。」」
「はぁ?」
「「見てるの飽きたぁぁ!!」」
連日パドの計測を見に来ていたオッドとシーラが子供の様な駄々をこきはじめた。そんなに長い時間が掛かる訳でも無いのに彼らは何に飽きたと言うのだろうか。レインは理解が追い付かなかった。
「じゃあ帰れよ……!!」
パドも騒ぐ二人に相当ご立腹の様子。彼は怒ると目元が痙攣するようだ。
「でもよお!!何か面白いもんでも見れるかなって思ったら、毎日この調子だから嫌になっちまうよ。」
「大体なんでこいつまで居るんだよ。五月蠅くてしょうがない。」
「なんだと!?」
「やんのか!?」
瞬く間に小競り合いを始めたオッドとシーラに唖然とする三人。レインにはもう人の形をした別の生き物に見えて仕方が無かった。
「ほんっとうに五月蠅いっす。」
「レイン、追い出してやれ。」
パドとアルネは辛辣に吐き捨てる。レインも気持ちは分からないでも無かったが、追い出したら追い出したで五月蠅くなりそうなので、仲裁に回るつもりだった。
「まあ落ち着けよ。そんなに時間も掛からないからさ、仲良くやろう。」
しかし、その言葉が不味かった。
「「仲良くだとぉ?」」
「そうだ。だから、」
「「上等だ!!仲良くしてやらあああ!!」」
二人は仲良くと言いながら互いの顔面に拳を減り込ませた。はぁと溜め息をつく二人の声がレインに聞こえてくる。
「え……何で?」
「あいつらの喧嘩を引き出すタブーワードは幾つかあるんだが、仲良くしろがその一つなんだよ。」
「えぇ……」
さすがのレインもドン引き。想像以上に単純な脳みそをしていた二人の喧嘩は既に魔法まで飛び交い始めていた。
「直ぐに止めたいが……動く訳にもいかねえしな。アルネは荒事には不向き……ふむ。」
パドは今計測中。魔方陣の上から動くなと言われた以上、彼らの仲裁に走る訳にもいかない。
「おい!!危ないだろ!!炎を出すな、風刃を飛ばすな!!」
レインは飛び交う魔法の嵐から背後の二人を守るために防護壁を展開した。当たっては弾ける炎と風が着実に壁の耐久を削って行く。
(クソッ!!パドが終わるまで持たないぞ。替えも無いし……どうする?)
慌てふためくアルネと黙って状況を見据えるレインをパドは見ていた。今自分が動けない中、何が正解か導き出すために。
「レイン。」
「大丈夫だパド。お前は魔法の維持に集中していろ。」
パドの精神に干渉している以上、パドを魔方陣の上から動かす訳には行かない。レインはどうにかして彼らの猛攻を防ぐ事だけを考えていた。
しかし、パドはそれとは違った道筋で一つ、答えを導いていた。
「分かった。なら、お前がやれレイン。」
「……ん?」
「お前があいつらを止めてこい。」
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