休息 その夜……
その夜。ベッドの上でレインは昼間に買った本を読んでいた。
「……」
白色の間接照明が頁を淡く照らす。隣のベッドからは疲れて眠るライガの寝息が聞こえてくる。
レインは夜更かしをする気など一切無かった。序盤の区切りの良い所まで読もうと決めて早二時間が経過していたのは偶々である。
きっとレインは暫くは本を読み続けるだろう。そして、恐らく読み終わるまで何もドラマチックな事は起こらない。
そこで彼が本を読み終わるまでの間、昼にあの後何が起こったのか振り返るとしよう。
「パド様の事、宜しくお願いしますね。」
「はぁ?」
アリアは急にこんな事を言い出した。レインはただ転んだアリアに駆け寄っただけなのにそんな事を言われたものだから、つい裏声で聞き返してしまった。
アリアは慌てふためいていた。目をしきりに動かし、口をあわあわとしていた。きっと彼女も意図しないタイミングで言葉が漏れ出てしまったのだろう。レインも混乱はしたが、アリアがもっと分かりやすく狼狽していた為、その事に気が付いたのだ。
「分かりました。パドの事は任せて下さい。」
彼女を落ち着けるにはこの言葉が一番だと思い、レインはアリアの目を見てはっきりと答えた。すると、彼女の目に理性の光が灯り始めた。
「あの、えと……宜しくお願いします?」
ぺこりとお辞儀をしたアリア。その様子から少なくとも混乱は消え去っただろうとレインは判断した。
「じゃあ、もう俺は行きますね。」
「あ、はい。」
レインは歩き去った。もう彼女の嵐に巻き込まれないよう足早に。レインが角を曲がる頃、もう背後から彼女の呼び止めも叫び声もしなかった。
角を曲がって数歩歩くと、レインは立ち止まって息を吐きだした。その息にはレインの数時間分の疲れが溜められていた。
「はぁ……」
その溜息は彼女が嫌いになったから出たものでは無い。むしろ弱い一面を見られて、レインからの好感度は多少なりとも上がったのは事実である。しかし、彼女の寒暖差の激しいあの性格は何と言うか……
「しんどいな……」
レインはつい心の内を漏らしてしまった。近くにアリアが居たらショックでまた泣き出してしまいそうだが、周りを歩くのは見知らぬ他人だけ。レインの深い溜息を気にする者など居なかった。
「さて、そろそろあの場所に行くか。」
一しきり息を吐き出したレインは気持ちを切り替えて出発することにした。今までは当ても無くデジットハーブを歩いていたが、レインの口ぶりから察するに次はちゃんと目的地を決めてあるようだ。
レインは目的地に向かって歩き出した。賑やかな商店街付近を離れ、人通りもまばらな道へと向かって行く。
「この辺りかな?」
案内所で貰った地図を見ながらレインは店の看板を探す。まばらな人通りの中、レインは辺りを見回した。すると、小さな立て看板が一軒の建物の前に置かれていた。
近寄って見てみると、
『魔法素材と魔道具の店 ハニープラム』
と書かれていた。
「ここだ。やっと来れた。」
そうレインが来たかったのはこの店、魔道具とその素材の販売を専門とするハニープラムである。宿を探すために買った地図で見つけた同業者の店だ。レインは必ず来ようと心に決めていた。
渋く年を取った木の扉に手を掛ける。きいと耳障りの良い軋み音と共に扉が開かれた。
「いらっしゃいませ!!」
古びた店の外観からは想像も出来ない程の元気な声がレインを出迎えた。レインよりも年の若い店員が持っていた箒を置いて近寄って来た。
「何をお探しですか?」
「いや、目的のものがあって来た訳じゃ無いんです。どんな商品が売ってるか見たくて。」
「そうですか!ではごゆっくりどうぞ!」
店員はレインの答えを聞きいれると、カウンターへ戻って行った。
レインは早速商品を見る事にした。まずはこの店ではどんな魔道具を売っているのかチェックすることにした。
(売っている商品は……)
レインは商品の一つを手に取った。木製のコップの底に彫られた細かな魔法陣をじっくりと見つめる。
「……」
次にコップ全体を見回しながら指で手触りを確認する。得に底を入念に、入念に。
店員はレインが何をしているのか気になるようで、カウンターから身を乗り出している。
「すみません。ちょっと良いですか?」
「は、はいっ!!」
レインが店員に声を掛けると、店員は駆け寄って来た。
「この魔道具はどういう魔法が使えるんですか?」
レインは持っていたコップを店員に差し出した。
「それは中に淹れた飲み物を温める魔道具です!自信作なんですよ!お客さん、お目が高いですね!!」
「そうですか。ありがとうございます。」
レインが礼を言うと、嬉しそうな調子で店員はカウンターに戻った。
レインは今しがた説明されたコップを見つめる。
(用途は想像通りだな。見るだけで解析が容易な単機能の魔方陣を隠すことなく底に張り付けている辺り、きっと彼はまだ店を持って日が浅いのだろうな。)
レインはコップの底部に指を滑らせた。
よくある魔方陣の組み込み方に貼り付けというものがある。材料を二つに切った断面に異なる魔方陣を刻みつけてから、魔方陣が重なるように材料を接着させる技法だ。この作業をすることで他の技師に解析されにくく、且つ複雑な動作を起こさせることが出来る。
レインの体感では魔方陣の入れ込みの次に精度が良い技術だが、意外とそれを徹底して行っている技術者は居ない。独学で作成している為単に知らない者や面倒だからやらない者も居るだろう。レインがいままで見て来た魔道具の約八割がこの作業をしておらず、入れ込みに至っては一度も見かけたことが無い程マイナーな工程と言える。
(でも、魔方陣の彫りこみがとても綺麗だ。コップに貼り付けの跡が無いと言う事は、手の入らないコップの底に直接彫っていると言う事。)
レインは商品棚に置かれた商品の数々を見た。どれも貼り付けの跡こそ見当たらないが、丁寧で複雑な魔方陣の彫りが為されていた。
(こんな丁寧な仕事をする人が貼り付けを面倒くさがるとは思えない!ああ、教えてあげたい!!)
いい仕事をする彼にこの作業を教えたい半面、見ず知らずの人間がそんな事を言ったら嫌がられるのではないか。レインはコップの底を見つめたまま、じっとそんな事を考え続けていた。
「お客さん、なにかおかしな事でもありましたか?」
店員がこんどは不安そうな顔で近づいて来た。レインが一つの商品を見つめ続けるので、商品に何か不備があったと勘違いしてしまったのかもしれない。
「いや、別に変わったことは無いですよ。……この商品の作り方は誰から教わったんですか?」
レインは貼り付けを知っているか少し探ってみようと思った。
「え、えっと、祖父からです。この店も祖父が亡くなったので、つい二か月前に継いだばかりなんです。もしかして何かおかしな点でもありましたか!?」
「いや、文句を付けたい訳じゃ無いんだ!」
レインがフォローの言葉を掛けるも、新人魔道具技師の彼はまだ自信が無いのか慌ててしまっている。しかし、先程アリアの慌て様を見ていたレインは落ち着いて彼の肩を掴んだ。
「落ち着いて聞いてくれ。」
「は……はい。」
「俺も魔道具技師なんだ。」
店員はそれを聞いてとても驚いた後、目を輝かせた。
「僕、祖父以外の魔道具技師に会うの初めてです!!お客さんはどんな魔道具を作るんですか?僕は炎属性なので熱を与えるものばかりですが。」
「あ、ああ、俺は色々だよ。」
勢いづいた店員は嬉しそうに話し続けるが、レインが話したい話題はそれではない。今度は別の意味で落ち着きが無い店員をレインは時間を掛けて宥めたのだった。
「すみません。ついテンションが上がっちゃって。」
「で、俺が話したかった事なんだが。君、貼り付けは知ってる?」
レインはようやく本題を切り出した。貼り付けと言う言葉は店員にとっては聞き慣れない言葉らしく、首を捻って考えていた。
「君の作品を見て、素晴らしい出来だと思ったよ。お世辞じゃない。本当に綺麗に魔方陣を描けている。誇っていいよ。」
「あ、ありがとうございます!!」
店員は深々とお辞儀をした。彼にとってレインは見ず知らずの一般客なのにだ。きっと芯の底から素直なのだろう。
「でも技術と知識が足りていない様に見えた。俺が言った貼り付けと言うのは魔法陣学では基礎に当たるものだが、面倒くさがって使わない者が多いんだ。こう言っちゃ悪いが、君のお爺さんも使って来なかったのだろう。」
レインは自分の魔道具を取り出した。それは木製の小さな香だった。レインは店主にどうぞと促した。
店主は香を手に持つと魔成素を注ぎ始めた。淡い光が香を包むと、上部の穴から温かな、豊かな香りの煙が立ち上った。
「わぁ……良い香りですね。」
始めて見る魔法に嬉しそうな顔をする店主。
「においのする物を入れてあるけど、それ以外は全部魔法なんだ。貼り付けを使う事、と言うか魔法の基礎を知ることで今よりも魔法の幅が広がるんだ。だから……」
レインは言葉を考えた。なんて言ったら彼に届けられるか、彼を素晴らしい魔道具技師に導くにはどうしたらと。考えている内にレインの脳内にある一つの疑問が浮かんだ。
(何で俺はこんな事を考えているんだ?何でこんな傲慢な事を彼に押し付けている?普段ならこんな事は言わなかったのに。)
チリーン……
鈴の音が響いた。
パタン
レインは読んでいた小説を閉じた。途中の頁に栞が挟んである。今日はここまで読んで続きはまた明日以降にする積りだろう。
レインは少し喉を擦り、近くに置いておいたポットを手に取った……のだが中身が空。ポットは意図せず大きく持ち上がった。
仕方なくレインは喉の渇きを潤す為にベッドから出た。ポット片手に寝室を静かに出た。
明かりは無い。暗い部屋の中を蛇口を求めて歩いてゆく。
薄っすらと見える台所に置かれていた木のコップに水を注ぐ。揺れる水面がレインの顔を移しているような気がする。
レインは自分の眠たげな瞼ごと一気に飲み干した。
「……はぁ。」
冷えた喉を声が温めた。冷えた夜が……暈けていく。
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次回の更新は7月23日12時頃です。
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