変化の兆し
「んんっ、カリンさんの容態ですが…」
女医は気を紛らわすように咳ばらいをした。
「病気では無く、魔法酔いだと思われます。」
「ま、魔法酔い!?魔法酔いってあの、子供が魔法を使った時に熱が出る奴ですか?でも、カリンは大人ですよ。そんな訳無いんじゃ。」
レインが驚くのも無理は無かった。魔法酔いはまだ魔法に慣れていない幼児が魔法を使った時に起こる発熱症状である。一般的な認識がそれである為、レインは魔法酔いの可能性を考慮していなかったのである。
「いえ、余り知られてはいませんが、大人でも魔法酔いになることがあるんです。余り魔法を使っていなかった人が一気に魔法を放出した場合や、魔成素が枯渇する程魔法を放出し続けた時に起こりやすいです。どちらも普通の生活では先ず起こり得ないので、知っている人は少ないという訳です。」
「確かに、カリンは余り魔法を使っていなかったみたいですが、魔法をよく使う様になったのは二月も前の話ですよ。魔法酔いと言うには時間が掛かりすぎなのでは?それに魔法酔いは身体が疲れる程度のものですよね?」
「子供であればまだ成長しきっていない身体に一日二日で魔成素が身体に馴染みますが、大人の場合だと体内組織が成長して固くなってしまっているので、魔成素が時間を掛けて組織に浸透していくんですよ。なので、症状が出るまでに時間が掛かったり、微量の熱が出る事はあります。ありますが…」
女医はカリンの診断書を机の上に広げた。様々な項目の中で体温と魔成素浸透率の項目に下線が引かれていた。
「カリンさんは体温が高すぎます。一般的な魔法酔いの症状よりも二度ほど高い値が出ており、微熱と言うには少し以上ですね。それに魔成素浸透率、体内組織にどれだけ魔成素が浸透しているかを確認できる値があるのですが、これが二十パーセントと症状が出る段階ではかなり低い値が出ています。一応他の病気の可能性も考慮しましたが、その他の診断結果から魔法酔いの可能性が高いと判断しました。何か質問はございますか?」
「その魔成素浸透率は低いと何か問題はあるのでしょうか?」
「大きな問題はありません。熱が少し長引くとは思いますがね。念のために解熱剤は処方しておきますので、熱が今以上に高くなるようでしたら飲ませて上げてください。」
大きな問題は起こらないと聞いてレインはほっとした。話が終わり、女医が机の上の診断書を片付け始めた。
「終わったか。ならさっさと帰れ。まだ、仕事が残っているだろう。」
「なっ…貴方が呼んだんじゃないですか!……分かりました。さっさと帰らせて頂きます!」
パドのあんまりな物言いに女医は起こって出て行ってしまった。レインがお礼を言う間も無く。
「パド。その言い方は酷くないか?仕事がある中連れて来たんだろ?せめてお茶くらい出させてくれよ。」
「あの口煩い女が居たんじゃ集中出来るものも出来ん。礼なんかせずにさっさと帰らせて正解だ。」
パドはもう何も言うつもりは無かったのだろう。口を閉ざそうとしたが、
「パド、それは違うぞ。あの人とパドがどれだけ気心知れてるかは知らないが、だからと言って相手の気を悪くさせるような言葉を掛けて良い訳じゃ無いだろう。そんな調子の奴に俺は協力はしたく無いぞ。」
パドの言葉遣いにレインが説教なんかするものだから、パドは不機嫌そうに大きく舌打ちをした。
「……」
何かを考えるようにパドの眼球が左右に動いている。それでも魔法球にブレは見られなかったので、不機嫌そうでもちゃんと言う事は聞いてくれるなとレインはそんな事を考えていた。
「…なあ。」
あれから一時間が経過した。一言も喋る事の無かった二人。ただ静かに計測は続いていた。
一時間半でようやく治療薬を腕の傷に振りかけたパドがレインを呼び掛けたのだった。
「なんだ?もうそろそろ限界か?」
「いや、それは全然まだなんだが…なあ、俺の言葉遣いは変か?」
「うぅん…ちょっと荒っぽいよな。」
レインは思っていた事そのままを伝えた。
「…敵は作りやすいか?」
「多少。さっきみたいな言い方だといい気分にはならないよな。」
「そうか…どうすればいいと思う?」
いやに真剣な様子で相談を持ち掛けるパド。大人びた風に普段は振舞っているが、実はこんなに周りとの接し方を考えていた。その子供らしさがレインには可愛いものに思えて仕方が無かった。
「何をにやついている。」
「いや、初めて子供っぽい所を見たからつい。」
「もういい。お前には聞かん。」
拗ねるパド。気に入らないと直ぐに気を悪くするその子供っぽさに触れたレイン。笑みが止まらない。
「ごめんごめん。怒らせる気は無かったんだ。」
「じゃあ、そのにやつきをどうにかしろ。」
「はは、でだったか…そうそう、どうしたら素直になれるかだったよな。」
そんな事は言っていないと突っぱねるパドだったが、レインにそう言う事だろと言い切られてしまい次の言葉が出て来なくなった。
「……」
「俺は思うよ。パドは結構素直だって。」
「そんな訳、無いだろ。」
「だってさ、一昨日初めて俺達が会った時、ライガに言われた事で放っておくのも悪いなって思ったから喫茶店の外で待っててくれたんだろ?」
パドはそれを言われて顔色は一切変えなかったが、手の平の上の魔法球が少し歪んだ。
「魔法球に集中しろよ。正確に測れないからな。」
「何で分かった?俺はそんな素振り一つも…」
「分かるさ。協力させてやろうってのも一つの照れ隠しだろ?似た奴を知ってたから俺には分かりやすかったよ。」
パドは恥ずかしそうに顔を赤らめるとそっぽを向いた。
「止めてくれ。そういうのは苦手だ。」
「ここからが大事だ、ちゃんと聞いてくれ。俺は気付けたけど、他の人がお前の本心に気付いてくれる訳じゃないぞ。感謝も謝罪も、気持ちは言葉にしなきゃ伝わらないんだよ。」
パドは一度その赤い目を見開いた。真っ直ぐとレインの顔を見つめたが、直ぐに目線を逸らしてしまった。
「それは…どうしたら良い?俺はその言葉を知らん。」
「ただ、ありがとう、ごめんを言えればそれで良いのさ。だから…」
レインはそれを口にした時、パドの顔が少し、たった少しだけ曇ったような錯覚を覚えた。だから身の回りの人にそれを言ってみろ、この言葉をぐっと飲み込んで別の寄り添う言葉を考えた。
「だから…練習してみようか。身近な人に言えるように。魔法球も安定してるし、暇つぶしには良いんじゃないか?」
これならどうだ、とレインはパドの様子を伺う。表情は一切の変化無し。後はパドが何を思って言うかだけ。
「…練習すれば何か変えられるのか?」
「!!もちろんだ。」
「なら、やってやってもいい。」
「やる気があるようで良かったよ。じゃあ、先ずは表情から。人と接するときはまず笑顔から。ほら口角を上げて…」
落ちる日の日差しが宿の看板を橙に染める頃。一仕事を終えたライガが宿の扉を開いた。
今日の夕飯のメニューを考えながら階段を昇って行くと、上からここ最近出会った嫌な奴が降りて来た。
(うへえ、窓から出て行くんじゃないのかよ。)
レインから窓から出入りしていると言う話を聞いていたライガは話と違うこの状況に早くもうんざりしていた。
(まあ口を聞く必要も無いからな。黙って通り過ぎれば…)
すれ違う瞬間、ライガは見てしまった。横を通った男の顔が…異常なまでに歪んでいた事を。
(なんっだあれ!?気持ち悪る!!何だあの表情は?何の感情だ?)
悍ましい物を見たライガの肌は寒気立ち、何があったのか確認しようと振り返ったが、階段にはもう何も居なくなっていた。
急いで二人が待つ部屋へと戻るライガ。あの不気味さを早く誰かに話して心から清算したかったのだ。
「お帰り、ライガ。」
ライガが勢いよく扉を開くと、部屋の片づけをしていたレインと目が合った。ライガの急ぐ足音が聞こえていたのか、元気だなと笑うレイン。
「さっきパドが帰ったばかりなんだ。出会わなかったか?」
やはり先程の男はパドで間違いなかったらしい。
「おい、そのパドの事なんだが。俺とすれ違う瞬間、この世のものとは思えない顔してたぞ。正直お前からパドだったって聞くまでパドじゃねえとまで思ってたよ。」
「そんな事言ってやるなよ。あいつが練習した精一杯の笑顔だぞ。」
「え、えがお?」
笑顔と言われても、ライガの記憶の中に存在するあの顔は笑顔とは程遠いものだった。故にライガは聞こえて来た言葉をただ鸚鵡の様に言い返す生き物と成り果てた。
「あいつも思う所があったようでな、笑顔の練習をしてたんだ。でもあいつ、下手くそすぎて…ぎりぎり笑顔に見えるようになるまで夕方まで掛かっちゃって。」
「あれが笑顔!?冗談止めてくれよ。俺は笑顔で寒気がしたことなんて無かったぞ。それに何で俺に向けて笑顔何てする必要があったんだよ。」
「それは、お前とも友好的に接したいって事じゃないのか。」
そんな事頭の片隅にも無かったので、ライガは困ってしまった。しかし、どれだけ考えても自分に笑顔を向ける事に良い意味以外思いつかなかったので、ライガは更に困り果てた。
「それは、あれだな…」
「あれ?」
「…困るなあ。」
弱弱しいライガの答え。それはレインのつぼに填まった。
「あはははは!!何だそれ!!」
「困るもんは困るだろ。そもそも、あいつの何が気に食わないのか俺もよく言葉に出来ないんだ。こんな事は初めてだからさ。」
レインは笑ってはいたが、ライガのそれが悩むだけ無駄の至極当たり前なものだと気づいていた。
(ライガは世界初心者だからな。いつか答えに気付けた時にどう受け止めるか見物だな。)
レインはそんな事を考えながら笑い続けた。
一しきり笑うと、
「さ、飯にしよう!俺も手伝うよ。」
と、話を終わらせて台所に向かった。
「ちょ、まだ話は終わって無いぞ!っていうかお前には手伝わせないからな!お前が関わるとすぐに生焼けになるからな!!」
ライガはレインに料理を作らせまいと、彼を追って台所へと向かうのだった。
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