豚王と大魔法
“魔法は届くところに居たら必ず届く”
満点の星空の下で彼は笑ってそう言った。冗談めいた口調だったから、きっと深い意味なんて無かったのだろう。それでもその言葉は誰かの心にしっかりと刻まれていた。
「何を当たり前の事を言って、」
「当り前じゃねえよ。」
ライガが食い気味に言い返した。飄々としていた口調とは打って変わって、どすの効いた荒い声色だった。
「どれだけ離れた場所、どことも分からぬ僻地に居たとしても魔法は俺達を繋いでくれるんだ。それを当たり前と言い切るお前は見つけた事が無いんだろうな。全てを投げ打っても通じ合える友の存在を!!!」
魂の籠った叫びと共にライガの身体がばちっと弾けた。辺りの人間は皆、その雷の激しさに目を覆った。
しかし、何も起きなかった。レンディルが覆っていた手をずらし前方を見ると、ライガは微動だにしていない。
「物質は食えても、魔法は食えないお前の身体。内側で発生した魔法は外に出られるお前の身体に、」
ライガが口を開いた。それはきっとレンディルの身体の事を言っているのだろう。
「もし、もしだ。魔法を纏った人間がお前の腹の中に入ったらどうなるんだろうな。」
ライガが言っている事がレンディルにはよく理解出来なかった。
「貴様何を…」
「そう思って入ってみたよ。今、お前の中に。」
(なにを、何を言っておる。そんな馬鹿な事がある訳…)
「雷は他の雷に惹かれ合う。雷魔法は目的地に必ず到達する。俺は必ずゴールに辿り着く!!」
ライガは剣を構えた。
「待ってろレイン。今行く!!」
ライガの雷が弾けた。
(合図は送った。後は待つだけだ。)
どことも分からぬ暗闇の中、レインは漂っていた。
(届いてくれると良いんだがな。)
レインは首に付けたペンダントを握りしめた。
(…にしてもよく分からない場所だな。息は出来るし、体も動かせる。でも外に出る事だけが出来ない。)
レインは泳ぐように手足を動かしてみるが、進んでいるような気がしない。
(他の物にも触れないな。そんなに広いのか奴の腹の中は。魔法では無さそうだしな。)
レインは割と呑気にこの空間の事を考えていた。
(こんなに広い空間の中から狙ったものを取り出せていたのは、何か種でもあるのだろうか。それとも、入ったもの一つ一つに対して部屋があるのか?そんな魔法作って見たいものだな。)
そんな事を考えながら魔法の構造を模索していると、突如肌に刺さる程強大な魔成素の奔流がレインを包み込んだ。そして、
(来た!!この感じ、きっとライガだ。何処に居る?…凄く遠いような気もするし、直ぐ近くの様な気もする。…もう出て行ったか。魔法はこの中に留まらないみたいだな。)
魔成素の波はやがて空間を飛び出して行った。レインはこの空間が魔法に対して無力なのをひしひしと感じていた。
(どうすればライガに掴まれる?ライガに接近する方法を考えろ!!)
レインは自分の服の中の物を手辺り次第取り出した。そして一枚の紙片を見つけた。
(これはあの時の…試す価値はあるな。)
そしてレインは待った。再びライガが空間に入って来るのを。
(ライガは必ずまた来る。絶対に成功する!!)
レインは待った。再びあの流れが訪れるのを。レインは信じていた。あの男が簡単に諦めるはずが無いと。レインは紙を握りしめた。
そしてその時は来た。
(今だ、動け!!【ネロン・アル】!!)
レインの手から白い光が迸る。暗黒の空間を光が照らしていく。何も無い空間の中、レインの身体は何かに引き寄せられる様に動き出した。
(ここに絶対に居る!!手を伸ばせ!!)
レインは希望を掴もうと何度も手を握りしめた。何度も何度も空を掴む。諦めない。何度も何度も空を掴む。
(掴む!!必ずお前を!!)
空を切るレインの手。一瞬指先が何かに触れた。
(これだ!!)
レインはそれを思いっ切り握りしめた。相手もレインの手を握り返して来る。
光が見えて来た。眩しい外の光が。急に抵抗が強くなった。空間がレインを出すまいと妨害に掛かっている。
(無駄だよレンディル。)
レイン達は止まらなかった。なにせ雷は必ず目的地に辿り着くのだから。
「どこに行った!?」
レンディルは困惑した。再び雷が弾けたかと思えばライガの姿が消え失せていたからだ。辺りを見回しても何処にもいない。
「まさか逃げたのか!?…ん?」
レンディルは気が付いた。辺りの民衆が騒めいている事に。
「なんだ?何があったと言うのだ。」
「これで良し…と。」
背後から男の声が聞こえた。レンディルは声にならない悲鳴を上げて前方に転がった。
「ライガ、貴様何時の間に…何故だ。何故貴様がそこに居る!?」
レンディルが驚くのも無理はない。そこにはライガと自分の身体の中に居たはずのレインの姿があったからだ。
「おお、完璧だ!!さっきよりも滑らかに魔法が使える。」
ライガの手に最後の仕上げを施したレインは近くに落ちていた刀を拾うと、その場に座り込んだ。
「じゃあ、俺はここで休んでる。後は任せた。」
「おう、任せとけ!!」
ライガは剣を数回振るうと、レンディルの顔に向けた。
「ま、待て。待ってくれ。儂を殺すな!!金をやるぞ。一生暮らして行けるだけの莫大な金を。」
「要らねえよ。俺が欲しいのはお前の命だけだ。」
この時、レンディルは自分を守るもの全てが消え失せたことを確信した。壁も無敵の身体も、最も信頼していた財産すらも。
ライガがレンディルに向けた剣を掲げた。
「この十八年間、俺は一度も忘れはしなかった。あの日貴様が笑いながら父を殺した光景を。真っ赤に燃え盛る屋敷を。母の唯一の涙を!!」
ライガの目から涙が流れた。
「我が名はライグリス・アウスレイ!!貴様が私欲の為だけに殺したフレン・アウスレイ。その一人息子だ!!!」
どよめきが起こった。民衆は確かに聞いた。アウスレイと名乗るライガの声を。
「き、貴様あの時逃げ出したガキか!?」
レンディルは思い出した。アウスレイに攻め込んだ日、唯一逃がした母子が居たことを。
「悪かった!!あの時は悪かった!!」
「今日、お前はお前の罪に殺される。」
ライガが剣を構えた。
「嫌じゃああ!!誰か助けてくれええ!!デメディル!!ロットおおおお!!」
レンディルは背を向けて逃げ出した。逃げ場などある筈も無いのに。
「【ザン・ランド・レイピ・ミディサレード】」
背後に居たはずのライガの姿が突如レンディルの前の壁に現れた。
「いつそこに…何だこれは。」
レンディルの腹から一本の雷の糸が突き出ていた。
「外れ、外れん!!貴様何を、」
ライガの姿が弾けた。ライガが居た場所からは雷の糸が伸びており、それを辿るとレンディルの真横方向の壁に立つライガに通じていた。
「…一気に行くぞ。」
何度もライガの身体が雷となり炸裂する。その度に一閃、また一閃とレンディルの身体に雷の糸が紡がれていく。
「やめ、もう…」
レンディルは恐怖に怯えていた。ここまでされても自分の身体に一切のダメージが襲ってこない。何時、何をされるのか怖くてしょうがなかった。
もうライガの姿は確認できない。辛うじて見えるのは空間内を飛び回る雷だけだった。
壁から壁へ跳ね回り続け、レンディルの全身が雷の糸で覆われた頃、レインの傍にライガが降り立った。
「う…うあ…」
もうレンディルは声も出せない。民衆はその凄惨な光景を固唾を飲んで見つめている。
ライガの身体からは尋常じゃない量の湯気が立ち昇っていた。
「はあ、はあ…ふう。」
ライガは顔の前に剣を構えると、一つ息を吐き、閉じていた目を開いた。
その合図を皮切りに、外を内を遮る雷が糸を通じてレンディルの身体の中へと吸い込まれていく。レンディルを縛っていた雷の糸も遅れてレンディルの体内へと入って行った。
「……?」
壮絶な攻撃を受けていた筈なのに無傷で解き放たれたレンディルは目を丸くしていたが、今が絶好の機会とばかりにその場から走り去ろうとした。
「やったやった!!生き残ったぞ!!この街を失おうとも、生きてさえいればまた幾らでもやり直せるのだよ!!ぶふぉっふぉっふぉ!!」
その時、ライガが口を開いた。
「去らばだ!!レンディル・オーピッグ!!!」
レンディルの身体の中に編み込まれた雷電の魔方陣が青い光を放つ。貯め込んだ魔成素が今、大雷を呼ぶ。
「ーーーーーーーっ」
レンディルの身体から雷が噴き出した。それは一つに纏まり、天へと昇る。空には暗雲。蒼雷を内包せし暗雲が形成された。その規模はまさに大自然を凌駕する大魔法そのものだった。
暗雲が威嚇の声を轟かせる。それを聞いた民衆は逃げ惑った。広場に残されたのは戦いの当事者達と、民衆に紛れて待機していた地下街の住民だけだった。
「勝ったんですね…ライガさん」
ラスを抱きかかえるコーデウスも城から最期の瞬間を見ていた。
暗雲は限界だ。雷を吐きだしたくて堪らないのだろう。
ライガはそれを赦すと言わんばかりに剣を振り下ろした。
暗雲から大雷が落ちた。凄まじい轟音が鳴り響く。付近のガラス窓が破裂し、家の壁に割れ目が出来る。
大雷は既に黒焦げだったレンディルを正確に打ち抜いた。普通の雷とは異なり、数十秒に渡ってその大雷は唸り、響き続けた。
暗雲は次第に小さくなり始め、最後の最期まで蓄えた魔法を絞り、発散し続けた。
暗雲が消え去ると、落雷に晒されていた箇所が表に姿を現した。
石畳は壊れ果て、焦げ切った地面の中央に一層黒焦げの何かが横たわっていた。いや、暈す必要も無い。それはレンディルの死体だった。
「…レイン。」
「何だ?」
「復讐ってのは…終わるとこんなにも空しいんだな。」
雨が降って来た。熱した身体が急激に冷えて行く。
カリンが二人の元に降りて来た。
「帰りましょ。」
「そうだな。」
ライガは広場に残っていた住民達にその旨を伝えると、住人達は通りの方へと散らばって行った。
「俺達も行くか。」
三人が広場を後にしようと歩き出したその時、
「マ……て…」
何処からか声が聞こえた。
「今何か言ったか?」
「いえ、何も。アンタじゃないの?」
「違えよ、俺じゃ無え。俺はてっきりレインだと。」
三人ともその声は聞こえていたらしい。しかし、その誰でも無かった。
「じゃあ、誰が?」
「…ねえ、レイン。アイツ…動いてない?」
カリンが指差していたのは黒焦げの死体。そんな訳無いだろと二人は軽く言い切ったが、
ぴくっ
死体が少し震えた。三人は即座に身構える。
「少し動いたな。」
「ああ、間違いなく。」
「まだ生きてるって事!?」
死体は痙攣するかの様にぴくぴくと振動を始めた。筋肉なんて焼け焦げている筈なのに。
「マ…だ…だ…」
死体が紫色の瘴気を纏い始めた。寒気がする程の憎悪が実体となり、死体を覆い尽くす。
「カリン…これって…」
「アイツと…リットの時と同じ感覚…」
奇しくも二人はその光景、その感覚に既視感を覚えていた。ミッシュの館で経験した忘れられない記憶。リットの中に眠る謎の存在が目覚めた時と同じ感覚だった。
「二人共知っているのか?」
「あれは不味いぞ!!」
「こんな街中で解き放たれたら何が起こるか分からない!!」
死体が起き上がった。悍ましい奇声を上げながら。カリンは炎を、ライガは雷を同時に放った。魔法は死体に綺麗に当たり、派手に吹き飛んだが、黒焦げはその場で再び立ち上がった。
「効いてない!!」
「お前達はどうやって倒したんだ?」
「さっきライガが使った魔法と同レベルの魔法だ。」
「はあ!?…そんなのを今相手にしろと?」
死体は三人に向かって歩き始めた。
「わ、シ…スベ…て…て、に…」
怨念がちぐはぐな言葉を喋りながら近づいてくる。カリンとライガは魔法を打ち続けるが、意に介すこともせず歩き続ける。
(不味い!!もう手なんか無いぞ。あの規模の魔法を使うには準備が足りなさすぎる!!)
レインは必死に考えを巡らせるが、使える手はレンディルに全て使ってしまった。
「どうすれば…」
死体が急に立ち止まった。二人の魔法が効いたわけでは無さそうだ。むしろ、何かを仕掛けるような素振りを見せる。
「やばい、何か来るぞ!!」
レイン達に残された最適な選択肢は街の事を考えずに逃げる事だけだろう。しかし、それを決断できる三人では無かった。
「…迎え撃とう。奴がどんな行動を取ってもだ!」
「…分かった。」
「絶対に焼き尽くす。」
三人が戦闘の意思を固めたその時、死体が黒焦げの口を大きく開いた。
(来るっ!!)
「キィィィィィィアァ
ぐちゃっ…
死体が潰れた。口から何かを吐きだそうと奇声を発した死体が横に押し潰されたのだ。
「え?」
当然三人の仕業ではない。
「何が起こった?」
ライガが潰れた死体に近付こうとした。
「待て!!今その死体に近寄るな。死ぬぞ!!」
レインは感じ取った。死体から魔法の波動を。それもカリンやライガに劣らない超規模のものを。
地面が震え出した。しかし地震ではない。それは大地が耐えきれない力に押し潰される予兆だった。
死体の居た地面が無くなった。見えなくなったのでは無い。地面に突如穴が開いたのだ。凄まじい力が地面もろとも死体を押し潰したのだろう。
「何だ…今の…」
「魔法の気配が消えた……」
レインは穴に近づいて行った。穴は綺麗な円を描き、遥か地の底まで深く、覗けど闇が広がっているだけだった。
「アイツの気配も無くなったわね。安心するべきかしら。」
「…ああ。そうだな。」
レインは複雑な心境だった。もちろん死体が完全に死にきったのは喜ばしい事だが、この穴、と言うよりかはこれを作った存在がさらなる厄介事の始まりの様な気がしたのだった。
「さ、帰ろう。」
異常事態は起きはしたが、何はともあれ三人は地下街へと帰って行くのだった。
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次回の更新は5月5日12時頃です。
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