黒鉄のロット
「少し、話をしようじゃないか。」
そう言ってロットは歩き始めた。向かうは数多の財の中でも一際存在感を放っていた生物の骨格。山の様に巨大なそれの前でロットは足を止めた。
「…こんな生物、この街から対して離れたことの無いお前は見たことが無いだろう。かくいう私もこいつが生きていた姿は見たことが無い。これは数百年前、世界から存在が消えた伝説の最強種、龍の骨格標本だ。名前は聞いたことがあるだろう。世に伝わっているのは龍の想像図だけだが、ここにあるのは本物の龍の姿だ。骨だけだがな。」
ロットは龍の骨を見上げたまま動かない。
「お前はこいつを見て何を思った?憧憬か?恐怖か?…私は絶望したよ。こんな強大な存在が死に絶える世界に私は住んでいるのかと。そして思ったんだ。矮小な自分が生き残るには強大な存在に従わねばならないと。それから私はレンディル・オーピッグに付き従った。生まれ育った町も尊敬していた筈の恩師も切り捨てた。信用はされていなかっただろう。それでも私は彼の為に全能力を注いできた。」
「そんな話を聞きたい訳じゃ無い!早くそこを通せ!!」
「そして今日、私はここの警備を任された。彼が命の次に大切にしているこの部屋のだ。これ以上の信頼があるだろうか。私は彼の想いに報いねばならない。貴様を通すわけに行かない理由がそれだ。」
暗がりの中、コーデウスはロットの顔を見た。それは何処か寂しそうな…
「ついでだ。もう一つ、私の昔話でもしてやろう。」
「誰がそんな話を聞きたいと思う!!」
「まあ、落ち着け。聞いて損は無いと思うぞ。…私には二人の仲間がいた。このアウスレイを共に裏切った親友が二人な。一人はゲイル。奴は良い奴だったんだがな、底なしの阿呆だった。謀反を起こしたが、奴には未来の見通しが出来ていなかった。作戦を立てるのは得意な男だったが、それを成した後自分が何を出来るかを分かっていなかった。結局奴は何も為せず、挙句の果てには王の命に背き、首を斬られた。比喩なしにな。」
ロットは歩き続けている。その場をぐるぐると。落ち着かないのだろう。
「もう一人はグーデウス。ハリル・グーデウスだ。」
「グーデウスだと。」
コーデウスはその名前を知っていた。きっとこの世界の誰よりも自分と繋がりが深い人物の名前だ。
「そうだ。貴様の父だ、コーデウスよ。奴は出来る男だった。素晴らしき商才と人脈を用いて、我々に足りないものを補ってくれた。謀反の前も後もな。面白味の無い男だったが、奴の存在は我々にとって重要なものだったよ。…しかし、運が悪かった。貴様の様な優秀過ぎる息子を持ってしまったが為に今度は自分が謀反を起こされ、その生涯に幕を下ろした。自分のしたことが帰って来ただけだ。仕方の無い事だったのだろう。しかし、」
ロットは足を止めた。
「そんな友人を殺したお前に借りを作り頭を下げた時、必ず復讐を果たすと心に決めた。」
「それは逆恨みだろう!!」
「ああ、ただの逆恨みだ。大半はな。それでも、たった一割だけ存在した友人への弔いの気持ちがそれを決意させた。それは曲げようの無い事実だ。…今日、それがようやく叶う。」
ロットは上着を脱ぎ捨てた。ロットの身体から薄紫のオーラが立ち昇って見える。
「この前、貴様は俺の事を無能と吐き捨てたな。悪いが俺の役割は商売人じゃ無いんだ。」
ロットが戦闘の構えを取る。拳は真っ直ぐにコーデウスの心臓を狙う。
「見せてやろう。私の黒鋼の拳を!」
ロットから肌に突き刺さる程の闘気が溢れ出した。握りしめた拳が鈍く、荒く、深い黒に染まって行く。本能的な何かを感じる深い黒色。
「それは…力魔法…何でお前が!?」
体が魔成素で染まって行く。それは力属性の魔法の特徴だった。魔法が使えなかった筈のロットが魔法を構築していく。
愕然としたコーデウスだったが、ロットが動こうとする今、悠長にはしていられなかった。
(美術品に紛れれば奴は多少動きにくい筈。)
コーデウスは即席の算段を持って、美術品の群れの中へ向かって走り出した。ロットとは距離が離れている。
(まだ、動き出して居ない!!これなら…)
暗転する世界。鼓動が…止まる。
次にコーデウスが見た景色は、倒れ込む自分が吐き出した吐瀉物を踏みつけながら迫り来るロットの姿だった。
(なに、があった?なにをされた?)
血液交じりの吐瀉物がコーデウスの口から噴き出した。
コーデウスは身体に力を入れようとするが、激しく痛む胸元、痙攣する喉、朦朧とする頭がそれを邪魔する。
「一撃で決めきれないとは…鈍ったな。それに扉は壊すし、廊下も汚してしまった。王に何と言えば良いか。」
ロットの嘆きの声が聞こえた。コーデウスは何時の間にか宝物庫からレンディルの私室を飛びぬけて、廊下の奥の扉の下に横たわっていた。服の胸元には穴が開いており、心臓付近には拳型の痣が出来ていた。
「---こひゅう。」
言葉が音にならない。出てくるのは漏れだす空気のみ。それすらも今のコーデウスには苦痛にしかならなかった。
「その様子では身体は動かせないだろう。直ぐに苦しみから解放させてやろう。」
逃げなければと心では思っているが、体はその意思に反して痙攣を繰り返している。
ロットが黒色の拳を振り上げた。
(カリンさん…)
コーデウスは死を覚悟し、固く目を閉じたその時、扉の上部に施されたステンドグラスの砕ける音が聞こえた。
(…こない?)
コーデウスが目を開けると、間近に居たはずのロットが距離を取っていた。
「誰だ!!」
ロットが扉を凝視している。すると、扉の方向からロット目掛けて数本のナイフが飛んできた。
ロットがそれらを素手で器用に弾くと、ナイフは壁や床に突き刺さった。見ると、コーデウスの近くにもナイフが一本刺さっている。
「その粗末なナイフ…スラムのガキだな。扉の後ろに隠れているのは分かってる。さっさと出てこい!!」
しかし、ロットの呼び掛けは空しくも廊下に吸い込まれていった。
「…図に乗るなよ。ナイフの数本程度、急所を外しさえすればどうと言う事も無くなるのだよ。分かったら姿を見せろ。次同じことを言わせたらコーデウスの頭をパニルペーストにしてやるからな。」
冗談ではない声色のロット。それは扉の向こうの人物にも届いたのだろう。
扉が開かれ始めた。小さなその姿が露になった。
「やはりスラムのガキか。」
「ラ…ス…なん、で…」
ナイフを持ったラスが倒れ伏すコーデウスを超えてロットと対峙した。
「コーデウス、貴方と同じだ。黙って逃げることなど出来なかった。」
ラスはロットにナイフを突きつけた。
「貴様、これまで攫ってきた人間たちを何処へやった。」
「そんな事を聞いてどうする。…いや、そうか。貴様、彼らの子か。」
「何処に行けば会える?」
「死ねばいいんじゃないか?」
ライガは顔面に飛んできたナイフを摘み、止めた。
「…いつ死んだ?」
「貴様の親など知らん。だが、大抵一年以内には死ぬ。心配するな。間違いなく苦しんで死んだよ。」
ロットは一切表情を崩さない。それがさぞ当たり前かの様に。
ラスは服の内側から取り出した小さな木の板を叩きつけた。余程力が入っていたのか板は木目を境に砕け散った。すると、木片から光と煙が噴き出した。
「魔道具か。」
ロットは警戒を強める。辺りに煙が充満し始め、一寸先すら白色一色となってしまった。
白色の世界の中、ロットは耳を澄ませた。
(七メートル先コーデウスの呼吸音、七メートル、零メートル先服の衣擦れ。…歩行音は無しか。良く鍛えてるじゃないか。だが、)
ロットの背後に銀色の刃が迫る。
(先走ったな。踏み込む音が丸聞こえなんだよ!!)
ロットは背後から襲い来る殺意を敏感に感じ取った。即座に身体を捻り、背後の暗殺者に黒鋼と化した右足を叩き込んだ。
呻き声を上げながら煙の中のラスは壁まで吹き飛んだ。何処かでナイフの落ちる音がした。
(気配が直ぐに消えた。)
ロットが十分に注意していたにも関わらず、ラスの気配がたちまち煙の中に溶け行った。
(俺の体勢が悪かったか、こういった場合も想定された訓練をしていたか。何にせよ、)
煙の中から飛んできたナイフをロットは軽く躱した。
(こいつは油断ならん。)
ロットは飛んで来るナイフを躱し、撃ち落とし、掴み取る。その熾烈な攻撃の手はロットの気を強く引き締めた。
(全方位から飛んで来るな。自分が居る位置を悟られたくないのだろうが、動きが正直すぎるんだよ!)
ナイフが一本飛んできた方向からラスの位置を予測し、両手に持ったナイフを別タイミングで投擲した。
「っぐうう!!」
(今っ!!)
目眩しの奥からラスの苦悶の声が聞こえた。同時にロットは走り出した。靄の中に人影が見えた。
左腕にナイフが刺さり、地面に伏すラス。迷いなくロットは、
「ぐうっあああ!!!」
刺さったナイフに渾身の蹴りを撃ち込んだ。骨の折れる硬い音と肉が割ける湿っぽい音が鳴るが、それらを引き裂くラスの絶叫が床を転がって行く。
ロットは自分の頬に飛び散ったラスの血液を指で拭い取った。
「ラスさん!!」
ロットの背後からコーデウスの叫び。まだ体が動かない様で、立ち上がろうとする腕と足が震えながら崩れ落ちる。
「コーデウス。もし、貴様が死ねばあのガキを助けてやると言ったら貴様はどうする?」
ロットは自分でも底意地の悪いと思う質問をした。昔、自分の前に立ち塞がったその問に対する答えを聞きたくなった。
「…僕も、ラスも殺させない。僕達は生きねばならないのだから!!生きて彼らに希望を届けるのだ!!」
ロットの出来なかった答え。何故か怒りや悔しさが溢れ、ロットは苦痛の形相で振り返った。
コーデウスが立ち上がっていた。震える全身で呼吸をしながら、ナイフを一本握りしめて。
「…失望したよコーデウス。貴様がそんなに現実を見れていないとは思わなかった。いいか?貴様はここで死ぬし、あのガキも今死ぬ。王と戦っている者達はきっと広場に貼り付けにされて、腐り果てて死ぬだろう。スラムのガキ共もだ。私が率先してその小汚い体に火を付けてやる。」
「させないと言っているだろ!!」
「…貴様は無力な人間だと言う事を思い知らせてやる。」
ロットは倒れ伏すラスに向かって歩き始めた。
「何をする気だ!!」
声を張るコーデウスだったが、体は動かすことが出来ていなかった。やはり無理をして立っているのだろう。
ロットはラスの左腕を掴み上げた。反応が無い。
「こいつを今から殺す。そうすれば貴様も己の浅はかさを知るだろう。こいつは貴様の思慮の浅さによって殺されるのだ。」
ロットは拳を振り上げた。
「止めろおおお!!」
コーデウスの叫びも空しく拳がラスの華奢な顔面を狙って、
「貴様なんぞに殺されて堪るか!!」
ラスがぱっと目を開けてロットの視界を遮るように右の手の平を広げた。
「光れ!!【ラグリス】!!」
視界を覆う手の平から白光。ロットは怯み、つい手を放してしまった。
ラスは地面に転がっていたナイフを手に取るとロットの胸を刺し貫こうと腕を伸ばした。しかし、ロットの戦闘能力は目を見張るものがあった。
ロットはナイフの刃を肘と膝で挟み込んだ。締まり切った瞳孔、目は今も碌に見えていない筈なのに。
ラスはナイフを取り返そうとするが、武力に特化した成人男性の力にはそれは無力でしかなかった。
その内、ロットはナイフを弾き飛ばした。ラスの手首に激痛が走った。よろけるラスにロットの怒りの拳がもろに入った。壁まで飛ばされたラスの身体は力なく床に落ちる。
憎らし気にラスを見つめるロットの背後に渾身の力を振り絞ったコーデウスが迫る。しかし、ロットはコーデウスを見ることも無く後ろ蹴りで対処した。
「ガキの分際で、俺を苔にしやがって!」
一人称が素に戻るほど怒り散らかしているロット。ラスの腹に何度も蹴りを入れる。
「うっ、ううっ!」
「…もういい。苦しんで死ね。」
ロットはラスの首を掴み持ち上げた。息が出来ないのだろう。右手がロットの手を掴み訴えるが力は収まらない。
次第に脳に酸素が生き渡らなくなり、ラスの意識は遠退いて行く。
その時、ラスは思い出した。右手に付けたグローブ、ナイフセット。医務室から出られないフィリトがラスに託したあの言葉を。
ラスは右手をロットの手から離した。その手をロットに向ける。ロットは気付かない。そしてその言葉を口にする。
【ネロン・アル】
声にはならなかった。ただその言葉を思い、口を動かしただけ。ただ今は、それで十分だった。
「っ!!…?何だ?」
ロットは少し違和感を感じた。急に腕に力が入らなくなったのだ。ラスの身体を落としてしまった。
「ああ、落としてしまった。早くころ…」
膝を付いた。腕だけでない、身体全体が脱力し始めている。
膝を付いたことで視線が少し下がり、先程までは無かったあることに気が付いた。
「この、ガキ。なんで手にナイフがささってる?」
ラスの右の手の平にナイフが一本、深く刺さり切っていた。死の間際だったからか、ナイフの痛みには鈍感で、呼吸ができる喜びを噛み締めていた。
いつだ?なぜナイフが?そんな事を考えている時、ロットの胸、いや心臓から大量の血液が噴き出した。
ロットが俯くと、胸には丁度ナイフ一本程の穴が開いていた。
「うそだ。このおれが…こんなガキどもにまけるはずがない。こんなところでしぬはずがない。」
ロットは這いつくばると、力ない腕で王室の方に進んでいく。
「いやだ、しにたくない…おれは、あのときかならずいきのこるって…だからぜんぶみごろしにしてきて…だから、おれは…おれは…」
ロットはもはや死んだ身体を動かし続けた。冷たくなっていく身体は最期だからとそれに答えてくれた。
その時、ロットは温かな光を感じた。
「ああ、あたたかい。…これは、げいる、ぐーでうす、おまえたちか?おれは…しぬのか。…」
ロットは光を求め天を仰いだ。すると、目に入った。自分の人生を変えたあの巨大な龍の姿を。
「おれは…おまえにくわれて、しにたかった…」
そう言い残し、ロットはその生涯に幕を下ろした。多くの人間を苦しめ、死に追いやった悪人の末路は、とても呆気無いものだった。
ご閲覧ありがとうございます。
次回の更新は4月29日12時頃です。
少し後の話ですが、三章の執筆が終わりそうにありません。なので、二章の終わりの後に少し間が空くと思います。ごめんなさい。
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