接近
---それは数時間程前の事だった。
「…貴方、こんな所で何をやっているんですか?」
その日街で出会い言葉を交わした子供たちの死体をカリンは地下室で発見してしまった。やるせない思いに気の済むまで泣いた後、必ずこの敵は打つと心に決め、身体に炎を纏ったカリンは宙に飛び上がり、そのまま怒りに任せて部屋の扉をぶち破った。このまま憤怒の炎を纏った鳥が暴れまわるかと思われたその時、やけに掠れた言葉がカリンの耳に入って来た。
その声にカリンは驚きつつも素早く飛び退き、声の主を即座に視界に捉えた。
カリンの目の前に居たのは、高身長のカリンが見上げる程の巨大な背丈を持つ男だった。
感情の見えない表情。異常なまでに青白い肌。痩せて骨が浮き出た腕。肌が見える程ぼろぼろに朽ち果てた服。男はカリンに出会う直前まで死んでいた。そう言われても信じられる程、目の前の男から生気は感じられなかった。何より真横から声を掛けられるまで、カリンはこの不気味な男の存在に気が付くことが出来無かった。相対している今この状況ですらも、カリンは目の前の男の存在を取り零してしまうような。そんな感覚に陥っていた。
得体の知れない不気味な存在を前にカリンは怯み、臆してしまう。その心のブレが現れたのか、身体に纏っていた炎が消え去ってしまった。
カリンはその場を離れたいという強い気持ちに駆られたが、男は廊下の中央に陣取っており、壁を背にしたカリンがエントランスまで逃げる為の道を遮っていた。
「…貴方、私の館で何をやっているんですか?」
いつまでも返事が無かったからか、男は再び同じ質問をカリンに投げかけた。
「あ、アンタ、アンタがあの子達を、こ、殺…」
二度目の質問を質問で返そうとしたカリン。その声は震え、どもっていた。男は何を言いたいのか分かったようで、目線だけで隣の部屋を一瞥し、
「…ええ。それが何か?」
と、まるで何でも無い事かの様にさらりと答えた。直後、男の首筋に剣先が迫る。
悪びれもしない男の返答でカリンはぶち切れた。不気味な相手、逃げ出したい相手だと言うことを頭から捨て、殺意を持って即座に斬りかかったのだった。
剣は残像がはっきりと目視できる程の速さで振り抜かれた。たとえ連戦錬磨の猛者であっても避け切ることは難しいだろう。そんな会心と呼べる程の一撃だった。
刃が男の瘦せ細った首筋に触れる。肌はそれを受け入れ、刃は抵抗も無く頸動脈に沈んでゆく。直ぐに刃が骨に達した。
「-----------!!」
声にならない唸り声を上げ、カリンは骨ごと振り抜こうと一気に力を入れた。しかし、腕をそれ以上動かすことが出来なかった。
「…これで満足ですか?」
ぞっとするほど冷たい声だった。カリンは顔を上げた。男はカリンを見下ろしていた。男はその場から動いた様子も無い。致命傷と言えるほどの傷を負ってなお、顔には虚無が宿ったままだった。
男の左手が首を裂いたままの剣を握りしめる。
「は、離してっ!!」
カリンは剣を引っ張るが剣はびくともしなかった。しかし、剣はゆっくりと男の首から引き抜かれていく。
ずちゅ…
湿った音を立てて刃は男の首から抜けきった。傷口から血が噴き出し、男の服を赤に染めてゆく。
男は刃を握り続けている。カリンが引っ張ろうが、指から血が流れようがお構いなしに。
ふと、男の目がカリンの剣、いや剣を握るカリンの手に向いた。あ、とカリンが思った時には、男の手がカリンの腕を掴んでいた。
「や、やめ…」
男はカリンから剣を引き剝がすように手に力を入れ始めた。段々とカリンの腕を握りしめる手には痛いほどの力が加わってゆき、逆に剣を握るカリンの手は痛みで少しずつ開き始めてしまった。
「やめろ…って、言ってるでしょ!!」
突然、カリンの右腕から火炎が噴き出た。それは剣を離すまいとカリンが無意識に発動した魔法だった。炎は剣を伝い、カリンを掴んでいた男の両腕に燃え広がった。一瞬、男の顔に表情が浮かぶ。驚愕か、苦悶か。
男は咄嗟にカリンから手を離した。カリンはその隙に距離を取った。壁にカリンの背中が付く。
男の前腕に炎が纏わりつく。男は自分の腕を見つめていたが、何か行動を起こす訳でも無く、ただじっと何かを待っている様子だった。
炎は激しく渦巻くと、数秒後男の腕から消滅した。
「……」
男の腕は肘から先の肉が全て燃え尽き、残った骨は熱で歪み、どう見てもまともに使える状態では無かった。
「はあ…」
男が溜息をつく。
「…祝福か。」
男が顔を上げる。既に男の顔は元の無表情に戻っていた。
「な、なによ!近寄ったらまた燃やすわよ!!」
カリンは男に剣の先を向け、必死になって吠えた。斬撃がこの男に効かないのは分かっていたが、この行為が今カリンに出来る精一杯の威嚇だった。しかし、男はその虚勢を見透かすように、
「…出来ないでしょう。どうせこの感じだと炎は五秒維持するのがやっとでしょうし。」
と言い切った。実際男の腕に纏わりついた炎も五秒も持たずに消失してしまっていた。図星を突かれたカリンは苦い顔をし、そのまま黙ってしまった。男が口を開く。
「…とは言え、この火力は流石に骨が折れる。…本当は貴方が死んでしまう前に話を聞きたかったのですがね。残念です。」
空気が変わった。男が口を閉じた途端に辺りを純粋な悪寒が包み込む。男を中心にして悪意が波状に襲い来る。カリンの羽根が痛いほど逆立った。カリンは恐怖で一人では立って居られなくなり、壁にもたれ掛かった。
男は歪に変形した両腕を顔の辺りまで持ち上げた。すると、男の腕骨から何かが浮き出始める。それは次第に長さを持ち始め、やがて赤黒く細長い、蛇あるいは蚯蚓の様にうねる触手が蠢き始めた。
幾つもの触手が男の骨を包み込み始めた。全く同じものが首の傷跡にも表れる。
触手は気持ち悪いほどに激しく動いていたが、次第に動きが鈍り始めた。完全に静止したものはその形を失くし、紫の粒子を残しながら弾け飛んだ。
「う、嘘…」
赤黒い物体が剝がれ始め、覆われていた腕が露出し始めた。そこには焼けて歪になった骨は見え無く、既に失われたはずの青白い肌が存在していた。骨格も歪な状態から完全に元通りになっている事を、その痩せこけた腕が物語っていた。
男は再生した手を軽く何度か握りしめる。そのまま首元に触れ、指を滑らせる。首の傷跡も両腕と共に消え去っていた。。
「…首は治すなと言っただろうが。…さて、お嬢さん。貴方の様な若い女性を殺してしまうのは…忍びないですが、せめて私が覚えていられる間に、楽にしてあげますよ。」
男はそう言い放ち、地面に根を張っているのかと思う程微動だにしなかったその足を徐々に動かし始めた。
(何なのよコイツ。燃え尽きた腕を再生させる?そんなの…一人間が出来る所業じゃない!!それは、それはもはや、奇跡っていうのよ!!)
奇跡とも思える現象を前にカリンは半ば心が折れかけていた。
カリンには絶対の自信があった。無論、出来ないものを出来ると思い込む無価値の自信では無い。自らの中に確固たる理由のあるものだった。
それは自分のフィールドでは絶対に負けないというものだ。
飛行能力で自分に勝るものは居ない。舞踊で自分よりも他を魅了出来る者は居ない。その自信の内の一つが戦闘だった。
飛行能力と舞踊、それに剣技が合わさった戦闘舞踊には歴戦の戦士も寄せ付けない圧倒的な力があった。
魔法…に問題が無い訳では無かったが、少なくとも当たったものを燃やし尽せる自信はあった。この前のケモノだってそうだ。追い詰められたのは不意打ちを食らっただけであって、ケモノそのものに負けた訳では無い。いざとなったら奥の手もあった。使いたくはないが。
兎も角、剣と魔法。これが戦闘に置いてカリンの自信を支えていた最も大きな要因だった。
しかし、その目の前の存在はそれらを悉く打ち砕いてくれた。それも一片の欠片も残す事無く。
(に、逃げなきゃ…)
カリンは強い逃走感に駆られた。この人ではないナニカから早く離れなきゃいけない。その思いに捕らわれてしまったカリンは男の横を駆け抜けようと動き出す。その不用意とも思える行動は結果的に功を奏することになった。
「……」
男が腕を上げた。
壁に穴が開いた。
カリンの横を黒い影があった。
肩が熱く熱を帯びた。
爆音が鳴り響いた。
破片が撒き散らされた。
「ぐうっ!!あああああっ!!」
カリンは崩れ落ち、床に転がった。倒れ込んだカリンの身体に破片が突き刺さった。手で押さえられた左肩から赤い染みが広がり始めた。
(肩を…抉られた!!)
カリンの肩は何かに抉られた。それは高速回転したものに貫かれたような、そんな傷跡を残していた。
音を立てて壁が崩れた。男が壁から腕だったものを引き抜く瞬間をカリンは見ていた。男の周りには赤熱した灰が舞っているのだった。
「…ああ、すみません。苦しめるつもりは無かったんですよ。ただ、貴方が動いてしまったから…」
次はちゃんと決めますと宣言し、再び腕を上げた。
不味いと思ったカリンはズキズキと痛み、血を垂れ流し続ける肩を一度忘れた。なんとか抵抗をして男の攻撃を防ごうとしたが、今のカリンに出来る事は剣で切るか、魔法で燃やすくらいしか出来ない。それでもカリンには行動に出るしかなかった。
カリンは男の腕に向かって剣を振るった。男の腕に届くかと思われた時、男は腕を引いた。今までに無い程の速さで。そしてそれを超える速さ、カリンが目で追うことも出来ない速さで剣を払われた。剣は柄まで壁に刺さり、手首は余りの衝撃で炎症を起こしてしまった。
「…余計な事をしないほうが良いですよ。もう、狙いは外したくは無いので。」
男は怪我をしていない方のカリンの肩を掴んだ。カリンは掴んでいる手を殴りつけるが一向に離れる気配が無い。段々と指が肌に食い込み始める。男の身体に力が入り始めていた。
振り上げた男の腕がひび割れ始めた。そのひびの隙間から赤い光が漏れ始めた。まるで男の内側が燃え上がっているかの様に。赤く熱を持った灰が辺りに漂い始めた。
その灰を見てカリンは察した。
(まずい!!あれがまた放たれたら私は!!)
命の危機を感じたカリンは男の腕を握った。魔成素を手に込め魔法を構築する。赤い光が発し、男の腕を囲う様に炎が発生した。が、たったの一秒も持たずに炎が消失した。何度か光が発生させるが、炎は二度と発生しなかった。
(もう!?もう使えないの!?どうしたらいい?どうすればこの場を…もうアレを使うしか無いの!?)
そうしている内に男の腕が変形を始めた。肌が完全に灰化し、骨の熱源を中心に渦巻き始めていた。男の冷たい瞳がもう時間は無いと告げる。
(まずいまずいまずいまずい!!)
灰が渦を巻く。もっと早く。もっともっと早く。それは今、目の前の女を穿つ兵器となり果てた。
「はあっ!!はあっ!!はあっ!!」
男の腕がカリンの胸へと向けられた。過度のストレスで過呼吸を起こしてしまうカリン。
「あああああああああああああ!!!!」
無情にも一撃が放たれてしまった。
それはコンマ一秒にも満たない間の出来事だった。灰の渦は真っ直ぐと突き進む。灰の一粒一粒が莫大な熱を持ち、空間を歪ませながら女の心臓を一突きにせんと叫び吠えていた。
しかし、その叫びは何時までもカリンへ届く事は無かった。男とカリンの間に突如として生まれた炎の壁。これが男の攻撃を阻んでいた。
灰はただの石の壁や鉄の壁であれば間違いなく突き破っていただろう。しかし、炎の壁は凄まじい熱量で灰の一粒一粒を焼き尽くしていった。
一体この壁は何処から生まれたのだろうか。数秒前までカリンが魔法を使えなくなっていたのは紛れもない事実だった。それを分かっていた男の目はその光景に驚愕の表情を浮かべた。
一方、炎を挟んだ向かい側でカリンは足に魔成素を集中させ始める。やがて魔成素は炎となりカリンの身体を後方へと吹き飛ばした。何時の間にかエントランスに背中を向けていたカリンの身体は扉へと一直線に向かい、そのまま扉に打ち当たった。
蝶番が壊れ、扉が吹き飛ぶ。カリンの身体は炎の推進力によってなおも突き進んでいたが、急に足から噴き出ていた炎が姿を消した。カリンの身体は推進力を失い、勢いを残したまま地面に打ち付けられた。
地面への衝突の瞬間、カリンは翼を広げた為、翼にダメージはあったものの身体に深刻なダメージは無かった。
カリンはよろめきながらも起き上がった。直ぐに館から出ようとしたカリンだが、無情にも館の入り口は跡形も無く消え去っていたのだった。
「何で!?扉が無い!?じゃあどうやってここから出ればいいの!?」
慌てたカリンは少しでも遠くに逃げようと飛んで二階に向かおうとした。しかし、翼を広げると腕に激痛が走った。どうやら先程の衝撃で翼の骨が折れてしまっていたようだ。
仕方なくカリンは近くの扉に入ることにした。血だらけの手で触ってしまい回しにくくなってしまったドアノブを無理矢理回し、カリンは壁を伝いながら奥の廊下へと歩いて行った。
炎の壁が消え去り目の前に誰も居なくなった廊下を見つめる男。再生し始めていた腕を見つめている。
炎壁は男の肘から先を完全に焼き尽くした。骨の髄も残す事無く。腕があった場所から赤黒い物体が生え、指先から順に元の腕を再生させようとしている。しかし、先ほどよりも幾分か動きが鈍かった。
窓から月明りが差し込む。その明かりは、弱弱しく動く赤黒い物体を見つめながら不気味な笑みを浮かべる男の顔を照らし出すのだった。
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次回の更新は22年2月28日0時です。
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追記:一部改稿しました。




