凹
「はぁ?教師として雇われることになった?」
ブランターヌ二日目、その日の夕食の席での事。
「手紙を渡しに行っただけでなんでそんなに話が飛躍するのよ!!もっと丁寧に説明してくれなきゃ分かるわけないじゃない!!」
「本当に渡しに行っただけでそうなったんだよ!!それを言うならそっちだって何だその腕の包帯。舞台でとちって怪我でもしたのか!!気ぃ付けろよ!!」
「違うわよ!!でもありがと!!」
レインとカリンの言い合いを遮るように、コトンとテーブルに出来立ての料理がまた一皿並べられた。
「食事の場だぞ。喧嘩は後でやってくれよな。……喧嘩だったか今の?」
思い返せばそんなに厳しい言い合いではなく労り合いだった気がする、ライガはあれ?と思いながらも次の調理の為に台所へ戻って行った。
「……はぁ、せめてもうちょっと詳しく説明してくれない?」
ライガが出て行って一瞬間が開き、その後カリンが落ち着いたようにそう言った。
「いや……俺自身、何が何だか。俺を無理矢理……うん、無理矢理教員に仕立て上げた奴がさっさと帰っちゃったんだよ。何か用事があるとかでさ。だから理由もふんわりとしか……。」
「ふんわりって事は思い当たる節があるって事でしょ?なんだ、さっさとそれを話してくれれば良かったのよ。」
するとレインは顎に手を当てて唸りだした。
「うぅん……」
「何をそんなに悩む事があるのよ。思い当たる理由をぱっと話しちゃいなさいよ。」
「じゃあ……」
そうしてレインは話した。学園に持って行った手紙についての事を。
「……まあ間違いなくソレよね。原因。」
「いやまあそうなんだけど。でもグリーニヤが俺を推薦した理由も、彼らがそれを受け入れる理由もよく分からないんだよ。だって、仮にも最高峰の学校だぞ。人手不足だからって教員経験の無い俺を高額で雇う理由が見えてこないんだよな。」
カリンははっきりと断定するが、レインは自分の認識と現実に対して大きな突っかかりを感じていた。
「そりゃアンタの魔法が凄い!!って思ったから推薦したんじゃないの?変なところで考えすぎるのもアンタの悪い癖よ。治しなさい。」
「簡単に言うなぁ。まあ何にせよ、報酬をもらったにはやり切るつもりだから一月はこの町に滞在決定だ。みんなもそれで良いか?」
まあいいわよそれ位、と目の前のカリン。ぼくは目的地がここなので、と食事中のロビー。そして奥の台所からオーケーとライガの声が聞こえてくる。
この町でのこれからが一応決まった所で話は次に移る。
「で、カリンのその傷は何なんだ?喧嘩したにしたってお前は怪我させる方だろ。」
至極真面目な表情でレインはカリンの翼の傷跡についてそう切り出した。横で話を聞いていたロビーはえっ、と可哀そうなものを見る視線をレインに向けるが、カリンはそのレインの真剣そうな雰囲気に惑わされた。
「うん、あたしもそう思うわ……って何言わせるのよ!!その言い分だとあたしがすぐ喧嘩する怪力女みたいじゃない!!」
途中でレインの非道い暴言に気が付き、激怒したカリンはレインの頭頂部に拳骨を振り下ろした。
ごうんっ!!!!
鈍重で陣未来際に響き渡りそうな、そうまるで寺院の鐘のような音が部屋中に広がった。
「きゅう……」
拳の衝撃で眼の黒が赤、黄、青に分色したかと思えばぐりんと白目を剥き、小動物の断末魔を上げながらレインは食卓に突っ伏した。
「危ない!!」
そう言いながらもロビーが気に掛けたのはレインの目の前にあった料理の乗った皿だったようで、ロビーが急いで皿を取り上げた後の固い机にレインは額を打ち付ける事となった。が、頭頂部の凹みに比べたら些細な傷である。
「ロビーナイス。まったくこいつときたら外面は良い癖にあたしにももっと配慮ってもんを持ちなさいよ。」
「はは、多分信頼してるからじゃないですか?それにレインさんが余所余所しくなったらそれはそれでカリンさんは怒りそ……なんでもないです。」
ついレインにつられて失言しそうになったロビーだったがカリンの厳しい目線に気付き既所の所で口を噤んだ。
「そうよね?まったくどいつもこいつも……ほらレイン起きなさい。」
倒れ伏したレインの頬をカリンはぺちんぺちんと何度も叩く。やがて頬が赤く腫れて来た頃、レインが目を覚ました。
「……はっ!!ここはどこ?俺はフーコ?」
「馬鹿な事言ってないの。アンタが聞いて来たんでしょ。真面目に聞きなさい。」
カリンはレインの戯言と認識していたようだが、レインの目は虚ろで焦点が合っていない。あながち冗談では無いかもしれない状態だったがカリンは自分の傷、そしてそれに準ずる愚痴を吐くのだった。
「あたしね、今日近くの舞台に飛び込みに行ったのよ。ロビーも連れてね。まあ当然あたしの舞踊はダントツで、客の視線を独り占めだった訳だけど。で、問題はその後!!稼いだお金でお昼でも食べに行こうとしたらなんか人だかりが出来てたの。どうも町中で喧嘩してるみたいで、物騒だねって二人で離れようとしたの。そしたらおっきな音が聞こえたの。こうなったら無視できないじゃない?全然動かない野次馬共を掻き分けて行ったら喧嘩してた男が血だらけで倒れてたの。もうほんっとムカつく!!こんな町中で喧嘩しやがってとも、お前等見てたなら介抱に動けとも思ったわよ。で、倒れてた奴に近寄ったらもう一人の奴があたしに襲い掛かってきたの。それがまた本当に気持ち悪いのに、やけに強くってね。何とか抑え込んだんだけどその時噛まれちゃったの。その時の傷がこれ。もう本当に腹が立って燃やしてやろうかと、」
「一般人にそれは駄目だぞ。」
料理をしながら律儀に話を聞いていたライガが口を差し挟んだ。少し重めの声色で。
「……冗談よ。その位苛ついたって事。で、結局自分じゃどうしようもなかった所に変な大男が現れて助けて貰ったの。それはもう凄まじい荒業でね。お陰様で助かったものの耳は痛いわ気分は悪いわで散々よ。」
カリンは気だるそうに肩首を回した。少し大げさに自分の体調を表現している。
カリンと同じ経験をしたロビーはトラウマになってしまったのか表情が硬く、うっと口を押さえて便所に走って行ってしまった。
「可哀そうなロビー。うっ……!!」
「そういう寸劇はレインとやってくれ。でも気になるなその男。」
ばればれの鳴きまねをするカリン。台所で声だけを聴いているライガは楽々看破して話を進めようとする。
「ね。すっごい力だったんだから。あたしみたいな可憐な美少女を選んで襲い掛かるその眼鏡だけは褒めてあげるけど。」
「いやそっちじゃなくて大男の方だ。」
そう言いながら台所から出て来たライガの手には大皿が一つ。それをゆっくり食卓に乗せると、エプロンを外して席に着いた。
「レインの言葉じゃないけど、お前の腕力はかなりのものだろ。少なくともプルディラを除けば俺らの中でも群を抜いてるしな。」
「……料理に免じて許してあげるわ。まあ飛ぶためにはかなりの筋力が必要だからね。あたし達は飛行自慢でもあれば力自慢でもあるのよ。」
そう言って自慢気に腕を見せるカリン。白く滑らかな絹肌の下に見て取れる筋肉の膨らみは男の物ほど厚くはなく、されどそれ以上に体に最適化された筋肉の純度が彼女のふくよかな胸の下から翼先に掛けて張り巡らされている。その美しくも強靭な肉体にライガはこう感想を漏らした。
「確かに鳥肉みたいだな。」
「ころす。」
そうして始まる机上の激戦。フォークとスプーンが火花を散らし、甲高い金属音を鳴らす。かんっかんっと相手を突き防がれ突かれ防ぐ攻防の渦中でレインは机に再び突っ伏し動かない。
「え!?お二人とも何やってるんですか!!」
結局すっきりとした表情で戻ってきたロビーに諫められて机上の攻防は両者引き分けの形で幕を閉じた。
因みに本日のメインディッシュは肉を甘いたれでじっくりと煮込んだコーノル・ニーと言う郷土料理。近くで採れた安売りの肉を使ってライガが丹精込めて作ったそれを四人はおいしく平らげたのだった。
日も昇り翌日。
辛うじて正気を取り戻せたレインはプルディラを連れて昨日に引き続きブランターヌ魔導学園の校門前に立っていた。
「……。」
「……。」
「……どうぞ。」
覇気の無い門番がレインに印の押ささった通行証を手渡す。昨日とはえらく様子が違うが身から出た錆、不憫とは思うまいとレインは会釈だけして門をくぐった。
「レイン先生。お待ちしておりました。」
すると贅沢にも出迎えが。眼鏡を掛けた如何にも堅物そうな人物がレインを待って居たようだが生憎レインは彼とは初対面だった。
「えっと、貴方は?」
「私はリッタ教授の元で研究をしている……ジョッシュです。助手のね。」
偽名だ、明らかに。
「……本名じゃないですよね?」
「ええ、個人情報はそう易々と明らかにするものではありませんよ。さ、話しながら向かいましょうか。レイン先生が担当する魔導工学科の教室へと。」
そう言って彼、ジョッシュは歩き出した。不思議な雰囲気の男だがリッタに付き合うにはこれくらいの我の強さが必要なのだろうか、とレインは考えながらプルディラと二人で彼に付いて歩いて行く。
「実はリッタ教授から貴方のサポートを数日任せられています。」
「そうなんですか?お忙しいのにすみません。」
「いえ、サポートとは言ってもこうした道案内や施設の利用に関するエトセトラの説明を任されている程度です。数日もあれば私の業務も正常化する筈です。」
そう言って眼鏡の位置を正す。
「ではそろそろ仕事の話をしましょう。本日の授業の用意は完了していますか?」
「はい。一応昨日リッタから幾つかの資料を貰っていたのでそれを元に。」
レインは昨日の顔合わせや資料を基に寝る間を惜しんで作成した授業カリキュラムを取り出そうと荷物袋の口を開けた。
「いえ、取り出さなくて結構です。用意をして来ているのなら問題は無いので。」
「あ、そうですか。……うえ、舐められた。」
レインは荷物袋から手を抜いた。その時レインは生温かく、湿った感触をその手に受けた。きっと袋の中のフーコがお菓子を求めて舐め付いたのだろう。
「さて、そろそろ魔導工学棟です。貴方が担当する一年生の教室は棟の一階ですのでもう迷う事も無いでしょう。」
「あれ?そう言えば二年生以上は担当しなくても良いんですか?魔導工学担当の教員が居ないのに。」
レインはハンカチで手を拭いながらふと思いついた疑問を口に出した。
レインが教員としてスカウトされたのは人手不足だった為、それなら二年生も三年生もそれ以上の学年の生徒にも指導者が足りていないのではないかとレインは思い当たった。
「不要です。二年生以上にも授業は必要ですが、二年生になると各教授陣と一部研究者の研究室に席を振り分けられる為、多少授業の日数が不足しても他の人員で事足ります。ですが、一年生の時間は授業のみとなっているので早急に教員の確保が必要だった訳です。まあ魔導工学はこの学園だと少々ニッチな分野ですので外部の貴方に委託せざるを得なかったのですが。」
「そんなニッチて言われる分野でも新入生はあれだけいるんですね。本当に凄い規模ですね。」
レインが改めてブランターヌの壮大感に溺れていた時、ジョッシュはある扉の前で立ち止まった。釣られてレインも彼の横で足を止めた。
「着きました。」
「ここが……。」
扉の上部にはプレートに『魔導工学‐1』と記載されている。中から騒ぎとは言わないまでの人々の声が聞こえるこの扉の向こうの教室がレインが一月授業の一部を受け持つクラスルームと言う事になる。
扉の前からジョッシュは一歩退き、レインにどうぞと促す。レインは扉の前に立つと身なりを整え、深く呼吸を吐き出した。
「緊張してますか。」
「そりゃしますよ。今だって手汗が……。」
そう言ってレインはプルディラと手を繋ぎっぱなしだと気が付いた。一瞬手を放し、手を気まずそうに拭うと再び彼女の手を握りなおす。
「……。」
「……よし。」
心の準備は出来たと意気を込めた二文字を言葉にし、レインは目の前の扉を開いた。
いきなりの更新です!!
パソコン側の不調でバックアップが上手く作動していないので、大事がある前に投稿しました。
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