ファビティナ・フォレスト
蹲り泣き腫らした代表は徐に立ち上がった。背広をぱんぱんと叩き線を整えると困惑する二人に向き直った。
「失礼。少々取り乱した。」
「え?少々?」
代表は己の痴態をさも程度の低い錯乱状態であったかのように発言したが、レインの脳内には忘れたい惨状としてしっかりと記録されている。
「少々だ。して、お二人共。この度は我が恩師グリーニヤの最期の言葉を届けていただいた事、誠に感謝している。」
代表は二人へ向けて深く、深いお辞儀をした。
元々はしっかりとセットされていたであろう銀色の白髪は萎びた朝顔の様に垂れ下がっている。
「止めて下さい。亡き友人からの頼みであっただけで、名も知らない貴方に頭を下げて貰う権利は俺にはありません。」
「いや……立ってする話では無かったな。楽にしてくれたまえ。」
代表は二人を応接の為に置かれているのであろうソファへと誘導した。
「はい。失礼します。ほら、プルディラも座れ。」
二人がソファに腰を掛けるとクッションがまるで雲の様に深く沈み込んだ。
「おお……!!」
体のラインに沿って完璧に密着するクッションが座る体の負担を綺麗に取り去っていく。明らかな高級品だ。レインは儚く厳しい少年時代の一頁を思い出し……
「ふう……涙とは、老体には堪えるものだな。」
気づけば代表は二人に対面するように反対側のソファに腰を掛けていた。腰が痛むのかしきりに背中を擦っている。
「私はフォレスト商会ブランターヌ支部の代表を務めているファビティナ・フォレストだ。気軽にファビーと呼んでくれたまえ。」
代表は名乗った。名刺まで差し出して記憶に焼き付かせようとしたその名はファビティナ・フォレスト。レインには聞き覚えのあるラストネームだった。
「フォレスト……ファビティナさん、もしかして貴方グリーニヤの。」
「おっとスルーかね。そうとも、グリーニヤ様は私の義父だ。まあ私がと言うよりかは各大陸の支部長を務める者達は皆グリーニヤ様の養子というだけだがね。」
ファビティナは誇らしそうに真っ白な口ひげを指で弾いた。元気な爺さんだ、とレインはそんな印象を抱いたが、さっきの今だ。多少無理はしているのだろう。
しかし何という偶然だろうか。ラストネーム・フォレストと養子が皆フォレスト商会の幹部に位置しているとは不思議な一致もあるもの……おや?と疑問はレインの口から顔を出す。
「あのファビティナさん。」
「何かね?」
「グリーニヤはこのフォレスト商会のなんなんですか?俺、彼の事何も知らなくて。」
ファビティナは目を丸くした。
「いや、貴方の言いたい事も分かります。何で出会ってから間もない俺に手紙を託したのか俺自身も未だに納得できていませんから。それでも……彼女を預かるからには知っておきたいのです。」
フォビティナが自分に不信感を抱いたのではと思い込んだレイン。そのレインの言い分を静かに聞いているファビティナの口角が徐々に上がる。
「ふふ……ふふふふ……!!」
「ファ、ファビティナさん?」
ファビティナの目に輝きが増して行き、狂気を孕んだ笑顔に変わっていった。
「そうかそうか!!ではこの私がグリーニヤ様の崇高な人生について語るとしよう。」
ファビティナはレインの返事も待たずに一冊の本を取りだした。
「し、『親愛なるグリーニヤ様の黄金の軌跡』……。」
「おや、興味を持ってもらえた様で嬉しい限りだ。」
本の表紙は純金の箔で飾られ、タイトルを囲う装飾は透明でカラフルな宝石で造られていた。
「そ、その本……。」
「良いだろう?グリーニヤ様の素晴らしさを世に広める為に制作したのだが……いまいち売れ行きが悪くてな。」
きっと悪趣味な表紙と値段だろうな、とレインは思った。
「君も一冊どうかね?」
「いえ、旅の荷物になるので遠慮します。それよりも彼の事を話して下さるのでは?」
「おお、そうだったな。年を取ると話がよく脱線してしまってな。」
ファビティナは笑いながら本を開いたが、ぺらりぺらりと頁を捲り進めていくファビティナは今度こそ本当に不機嫌な皺を作った。
「あの、どうかしましたか?」
「本当なら一から十まで全て話したいっ!!……だが客人の手前、ある程度の要約はすべきと理性が働きかけてくる!!」
大きな独り言で一しきり盛り上がったファビティナはふ……と考え込んだ。
「……理性など捨てるか。」
「待て待て待て待て!!落ち着いてください!!こちらからお願いをしておいてなんですが、この後にも用が控えているのでなるべく簡潔にお願いします。どうか日が落ちる前に。」
「うむう……仕方がない。では軽く。」
そうしてファビティナは語り始めた。グリーニヤと言う男の永い生涯を。
「グリーニヤ・フォレスト。世界暦一万七百三十二年に長耳族としてエルビニヤフォレストに生を受けた彼は、かの悪名高い真偽、」
「……ん?変じゃないですか?今は一万と千百二十五年ですよね?今の話だとグリーニヤは四百歳近い大年寄りになっちゃうんじゃ……。」
レインは指を折って数えた。指一本百年。法外な計算をしているにも関わらず指は三本重なり合い、薬指を折りかけた所で計算を終えた。
三百九十二歳。人の寿命を遥かに超えた数字にレインは計算違いを疑ったが、百歳間違っていてもおかしな数字に混乱していた。
「ん、知らんのか。長耳族は我々に比べて遥かに長寿な種だ。二百歳、三百歳までは当たり前に生きる。」
「え!?そうなんですか。初めて出会った長耳族がグリーニヤだったもので知りませんでした。」
フォビティナの話では長耳族はエルビニヤフォレストから殆ど出てこないらしい。通りで、とレインは今までの旅で彼らに出会わなかった事を納得した。
「では続きを。彼はあの悪名高い真偽人戦争を経験しました。森から出てきたての彼にとってそれは悪夢の様な時間だったが、同時に物資の重要性を学んだ。戦争終結の翌年、彼は物資によって世界から貧困を無くす事を理念に掲げ、今のフォレスト商会の前進に当たるフォレスト物流会社を設立した。」
「やっぱりグリーニヤはここのトップだったんですね。」
「ええ、彼の手腕は素晴らしいものだった。彼がフォレストを設立してから三百四十九年、彼の人柄に惹かれた多くの者がこの大樹の門を叩いてきた。ブラシュ大陸で起こったフォレストは百年の年月を経て五大陸全てに支部を置くほどの大企業へと成長し、そしてその百年後、真摯な商売を続けて来たフォレスト商会は世界一の商会と名実ともに認められるようになった。」
ファビティナはレインに本の見開きを差し出した。そこには文章は無く、代わりに五大陸が描かれた世界地図が描かれていた。
「ほら見なさい。フォレストの支部がこんなにも。この赤い点は全て支部の場所を現しているのさ。」
「わあ……もう地図が真っ赤ですね。」
地図は支部の場所を現す赤の点で埋め尽くされていた。規模が凄いのは十分にレインに伝わったが、これでは地図ではなく点描にしか見えない。それも赤一色の。
「ふふふ、そうなんだ。グリーニヤ様の手腕がよく分かると思って全部の支部を入れてみたんだが……ちょっと多すぎてな。まあこれはこれで迫力があるだろう?」
確かに迫力はあったが、地図としての機能は大陸の形が分かる極々最低限しか残されていなかった。レインは苦笑いしている。
「ではこれから言ったフォレスト商会がグリーニヤ様の手によっていかなる成長を遂げたのかをみっちり……む、間違えた!!」
ファビティナはふとそう呟いた。
「間違えた?今の話がですか?」
「いや、ついグリーニヤ様の功績を語ってしまったが、君たちに語るべき話はこれではなく……彼の人となりについての話の方だったな。いやあ失敬失敬!!」
ファビティナは本を閉じて机に置いた。
「少し話は変わるが、そこのプルディラ君。手紙に書かれていたのだが、いつグリーニヤ様の子供になったのかな?」
「ええと、確か四年前だったか?」
レインはプルディラに視線を向けるが、命令をした訳では無いので返事は無かった。目線だけはレインに向いていたのでレインはそれ以上深堀はしなかった。
「四年か……四年、四年ね。」
ファビティナは数字を噛み占め反芻した。何かその数字に意味があるのだろう。
「プルディラ君。よく聞いておきなさい。君の父がどのような人物だったのか。これから話す私と彼の甘い蜜の様な記憶から、君が彼を紐解くのだ。」
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