渓谷の猛獣
巨大な馬車が行く。キルイルから龍神渓谷を通る石造りの道を。
道には幾つもの切り傷、焼け傷、爆ぜ傷が残る。それを馬車は迂回もせずに大輪の車輪で大げさな音を立てながら真っ直ぐに突き進んでゆく。
「結構揺れるわね。一瞬お尻が浮いたわよ。」
車内はまるで地震にあっているかのようにがたがたと揺れを受け入れ、客々の荷物が彼方此方と跳ね回る。
「どうやらこの辺りの道は龍神渓谷に挟まれた飛び地の様になっているそうです。だ、だから道をどれだけ舗装しても猛獣が直ぐに半壊させるらしくっ……痛あ!!舌噛んだ!!」
当然馬車内部の人間にもその振動が伝わり、誰しもが乗り心地の悪さに不快感を露わにしていた。
「あと一時間もすれば凸凹地帯を抜けられるので、もう少々の辛抱をお願いします。」
御者のこの発言にあと一時間程度と思うかまだ一時間もあると思うかは客の勝手だったが、少なくとも揺れに沈んでいたレインは後者の考えを持っていた。
「うへぇ……まだそんなに……。」
「可哀そうに。よしよし。」
遊技場から続いて項垂れてばかりのレインを哀れに思ったカリンは彼の背中を軽く擦っていた。
「それにしても遅いな。小走りする位の速度しか出せないのか?」
そんなレインを対面に、ライガは余裕そうにそう呟いた。
「この辺で下手に速度を出すとスターズランナーに襲われるんですよ。あいつら大群で勝負を仕掛けてくるもんだから、被害が馬鹿にならないんですよ。」
「ああ、ちゃんと理由があったのか。すまねえな。」
ライガは理由を聞いて大人しく待つことを決めた。
結局中の人間が介入する余地など全くなく、馬車は派手に揺れながら傷だらけの道を走って行く。
「あのレインさん。」
「ん……?なんだロビー?」
「手紙は結局開いたんですか?」
レインは上着の内から真新しい封筒を取り出した。封筒の縁には柄があしらわれ、その一部にパックと文字で読める箇所があった。
「いや、全然開かない。」
レインは封筒を力任せに引っ張った。中身が裂けてしまうかもなんて安易な心配は出来ない程に封筒は頑丈だった。
「全っ然開かない!!ルルイド、あんたこの手紙に何仕掛けたんだよ!!」
「ヒントはこの手紙です。どうぞ。」
パックの館の出入り口でルルイドはレインに一封の封筒を手渡した。
「手紙?口頭で言えば良いだろ。」
レインは余計な手間に文句を言いながら封筒の開け口に手を掛けるが、
「ん?……んん!?」
開かない。紙で作られている筈の封筒がまるで石になったかの様に千切ろうとしてもびくともしなかった。
「何だこれ!?硬え!!」
「何やってんのよ。貸してみなさい。……ふんっ!!ふぐっぎぎぎぎ!!!!」
レインの数倍の腕力を持つカリンが全力で引っ張っても封筒は開く気配がない。どうやら力づくで開けるものではなさそうだ。
「ルルイドさん。これは?」
「その封筒の中にはここの遊具の設計の写しが入っています。ですが、簡単には開かないように外側にとある魔法で封を施しました。貴方がその封筒を開けた時、遊具の秘密を手にすることができ、きっとその内容も完璧に理解出来ることでしょう。」
渡された封筒の意味を意味を知ったレインは……不満げな顔をしていた。
「教えてくれるんじゃなかったんですか?」
「いやいや、ヒントを教えるとは言いましたがその方法までは言っていませんよ。その封筒の中身はこの店の秘密でもあります。簡単に教えてしまっては癪ではありませんか。それに貴方はきっと自分で考えて答えを見つけ出したい性質でしょう。同じ匂いを感じるんですよ。」
ルルイドの言う事に魔道具技師として、それはそうだと同意を覚えてしまったレインはそれ以上追及することが出来なかった。むしろ手に持った封筒が温情の塊であると気づいた。
「……そう、ですね。分かりました。ここから先は自分で考えるとします。」
「貴方ならそう言ってくれると思っていました。それに……この町を訪れていると言う事は目的地はブランターヌでしょう?きっと良い出会いもありますよ。」
(封筒には目立った違和感もない。でも魔法の雰囲気は感じる。きっとそれだ。その魔法が封筒を固く綴じているんだろう。)
レインは出発直前のルルイドとの会話を思い出していた。
ルルイドから封筒を手渡されてから時間が経っているが強度になんら変わりはない。やはり記憶の中のルルイドは本気で、レインにゲームを仕掛けて来たのだった。
「はあ………地道に解くしかないかあ。」
レインは溜息をついて見せるが、その実内心をわくわくが騒ぎ立てていた。この魔道具技師という存在は面倒な生物で、複雑な魔法を前にすると好奇心が爆発してしまうのだ。
「レイン、アンタにやけてるわよ。」
「気のせいじゃないか?」
根っからの魔法狂いは封筒を凝視している。カリンが本物の溜息を吐いた所で馬車に異変が起こった。
ゴゴゴ……ゴゴゴ……
ギイ……ギイ……
揺れている。馬車が怪しく揺れ、骨組みが堪える様に軋む音がする。
この揺れはそれまでの馬車の揺れとは違う。段差と車輪の相容れない二人の強い弾みではなく、重さが深く染みる地鳴りのような静かな揺れ。言うなればそう……何か大きな存在が近づいて来る時の揺れに酷似していた。
「やべえ!!ジガンディックハウルズだ!!」
御者が声を張り上げた。窓際の乗客が不安そうな面持ちで窓の外へ顔を出した。
「きゃああああああ!!!!な、なにあれ!?」
悲鳴を上げた女性客は目撃した。特上サイズのこの馬車を遥かに上回る体躯を持った亀形の猛獣がバケツを反した様な大量の涎を垂らしながら猛追してくる光景を。
女性の声を聴いて他の乗客も窓の外を見、そして地鳴りの正体に気づく。
「あれは何ですか?」
車内がパニックになる中、レインは御者に問いただした。龍神渓谷を通行する馬車の御者として付近に生息する猛獣の生態は把握しているだろうとの算段だった。
「あいつはジガンティックハウルズだ。亀みたいに固い甲殻と強靭な脚力を兼ね備え、見るものなんでも見境なく噛み砕く本物の化け物だ。普段ならこの時間は寝ている筈なんだが……。」
御者は額から滝の様な汗を流し、目は酷く狼狽している。
「逃げ切る事は?」
「無理だ。この馬車じゃ重すぎていずれ捕まる。出来る限りの速度は出すが……全員で逃げ切るのは難しいと思ってくれ。」
御者の深刻そうな雰囲気と全員では逃げ切れない、その言葉で車内の喧騒が余計に増した。
「じゃあよ。」
その喧噪の中、一人の男が名乗りを上げた。
「俺が出るぜ。」
「ライガ!!」
そう言ってライガは馬車の前方の扉に手を掛けた。
「ま、待て!!犠牲になるというのか?まだ逃げ切れないと決まりきった訳じゃないんだ!!それに……いざとなったら責任を取るのは私の役目だ。命を無駄にするな!!」
御者は必死になって止めた。目の前の青年の命をこの馬車を助けるために散らさせる訳にはいかなかったからだ。しかし、ライガはそんな事の為に猛獣に向かおうと思った訳では無かった。
「違えよ。俺はあの亀を追い払うだけだ。」
「なっ!?馬鹿な事を言うな!!それこそ無理な話だ!!軍なら兎も角、個人でそんな事が出来るのは……!!」
御者は目を血走らせながら本気で止めた。英雄と阿呆は紙一重。御者の目にライガは真の阿呆に映っていただろう。
しかしライガは聞く耳を持たない。任せとけ、と笑いながら御者の肩を叩いている。
「おい、あんた等この人の連れだろ?馬鹿な事するなって止めてくれよ。」
言っても聞かないと判断した御者がレイン達四人に縋る。
「……ライガ。」
「最近体を動かし足りねえんだ。良いだろ?」
「思いっきりやって来い!!」
しかし、強さを知っていたレインはライガを送り出した。何て事を、と嘆く御者を背にライガは馬車を飛び出した。
ざっと土煙を上げ、地面に降り立ったライガの目の前には猛獣の巨体。ライガを獲物と認識し、涎をまき散らすこの猛獣の命は短し。
「よおし、久々に全開だ。ただ生きてるだけのお前さんには悪いがなっ!!」
ライガの愛剣『ジェントル・タイガーアイ』に蒼き雷が宿り、辺りに電磁の魔法境界が広がった。
足元に突如広がった雷の境界に一瞬猛獣は怯んだ。初めて見る謎の攻撃に警戒を見せたのだ。
しかし、雷の境界は何も見せない。派手な見た目に惑わされるが、この境界に一切の攻撃性は無かった。電気で痺れることも、足元が焼け焦げることも。
それに気が付いた猛獣はもう我慢できないとばかりにライガに向かって飛び掛かった。
「今の内に逃げる位の知能はあると思ったんだがな。残念だぜ。」
ライガは剣を振りかぶり、腰を落とし、自らの身体を雷へと変換させる大魔法をどうかとばかりに見せつけた。
「【ザン・ランド・レイピ・ミディサレード・タラ】!!!!」
人の瞬きを超える速度でライガはその場から立ち消えた。しかし流石と言うべきかこの猛獣、ライガの動きを完璧に視界に収めていた。
雷の身体となったライガが消えぬ雷の軌跡を残しながら己の巨体に向かい跳んだ。これが猛獣の見た光景。流石は人々に恐れられる龍神渓谷の猛獣である。
「ぐぎゃあああ!!!!」
しかし、それを見れはしても避けられる速度は持ち合わせていなかった。そのままライガの身体は猛獣を突き抜け、雷の境界の奥まで到達した。
境界を越えて実体へと戻ったライガの手からは雷の糸が伸びる。出発地点からライガの手まで猛獣を突き抜けて伸びる雷の糸はライガのフィンガースナップ一発で弾ける閃雷と化し、猛獣の身体を焼け焦がした。
「ま、俺の前に立って最初に逃走を選ばなかった時点でたかが知れた知能みたいだがな。さて、終わったことだし馬車を追いかけるとするか。」
「本当に助かった!!あんたが居なかったら俺は今頃奴の腹の中だったよ!!」
馬車に戻ったライガは客や御者からの熱烈な歓迎を受けた。特に命を張る覚悟を決めなければいけなかった御者からは熱烈な感謝を送られていた。
「やるわねライガ。アウスレイの時よりも魔法の使い方がスムーズになってたわよ。」
「当然!!俺も何もせずに日々を過ごしていた訳じゃないんだぜ。まだまだ隠し玉もあるしな。」
ライガの鼻は見るからに伸びている。きっと直ぐに馬車の天井に着くだろう。
「あの本当に、何かお礼でもさせて貰えませんか?」
「礼?いいよいいよ。それよりも早くブランターヌでゆっくりしたいんだ。俺やこいつ等が守るからよ、馬車の足を速める事は出来ねえのか?」
ライガは余計な恩は要らないと妥協交じりにそんな提案を申し出た。すると、
「ブランターヌですか?それならもう見えてきますよ。ほら。」
御者が指をさした。腕を真っ直ぐ……から少し上げて空の方へと。
「あ?」
四人が空を見上げた。そこには夕方空に見える白く半透明に光る月の反対側に赤く禍く光るもう一つの月が新たな物語の表紙を飾っていたのだった。
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