プロローグ 首吊り男
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午前0時。
桜の花弁も散り始める季節。
1人の男が何の変哲もないアパートの一室である自分の部屋にいた。
満月が光り輝き、花びらが舞い踊る、幻想的な外の景色とは対照的で、男の部屋は真っ暗で生活感が全く感じられない。
男の部屋に存在するのは、
先程書き上げた手紙の入った封筒だけがポンッと置いている木造の机、
丁寧にきっちりと机にしまわれている木造の椅子、
収納スペースが1段目の部分にある、階段付きの2段ベッドぐらい大きな木造のベッド、
ゴミとして全て処分されて、本や資料が1冊も置かれていない金属製の本棚、
他にもいろいろと存在するが、あとは以前から特に変化がなく、薄らと1週間分の埃が積もっている。
そして何より一際高く目につくのが...
荒縄の艶々しい色をしたロープ。
虚な目をした、真っ白な顔をした男は一言も発さずにロープをベッドの端に固く、固くくくりつけた。
ロープにはサッカーボール大くらいの大きさの輪っかが作られている。
男は言葉1つ発さないままロープで輪っかを作り終えると、扉と窓に鍵をかけていることを確認し、カーテンを閉め、スマホの電源をオフにすることで誰も室内に入れず、室内の状況が確認できない状態であることを確認する。
その後、男はスマホを机の上にある封筒の右隣に置き、静かに椅子をロープの元まで運ぶ。
男は椅子に乗って、ロープに首を通し、そして...
椅子が勢いよく蹴り飛ばされる。
男の身体がわずかに宙に浮く。
しばらくの間はつま先立ちで何とか生き延びれていたが、だんだん足の指先が辛くなってきたのか、プルプルと震え始める。
30分くらい経っただろうか。
足の指先も限界であろう頃合い。
そこで男は意識を取り戻したのか、虚だった目は光を取り戻す。
男は最初は自身の身に何が起こっているのか全く理解できていなかったが、首がロープで吊られる寸前という現状を把握すると必死に抵抗し、ベッドからは木の軋む音が聞こえてくる。
しかし、もう手遅れだった。
周りにはロープを切断できるようなものは存在しないし、足はもう限界である。
男を待つのは死のみ。
男は必死に身体を動かしてロープをちぎろうと抵抗するも、直径2センチぐらいはするであろう、頑丈なロープがそれぐらいでちぎれるわけがないことは側から見ていれば一目瞭然であろう。
身体を必死で動かしていたせいで残り少ない体力を使い切ってしまったのか、とうとう指先が床から離れてしまう。
男は首元のロープを両手で掻き毟るも、もちろんそんなことでロープがちぎれるわけがない。
せいぜい男の首筋に何本もの引っ掻き跡が生まれるのみ。
とうとう男は抵抗する力を失ってしまったのか。
男は沈黙し、身体から生命力は失われ、身体が左右に静かに揺れ始めた。
なぜ男が首を吊ったのか。
それは真っ青な死に顔を浮かべる男自身にもわからない。
男にわかったことといえば、近頃自殺したと言われていた同僚たちは、全員自身と同じ目にあっていたということだけである。
つまり、皆自殺ではなかったということだけは男は理解した。
しかし、今更気づいたところでもう遅いだろう。
そんなことに気づいたところでもう男にできることは何もないのだ。
真っ暗な部屋の中、男の死体は静かに、その身体の揺れが治まっていく。
その表情は必死で生き延びようとした意思からか、今までに見たことないようなくらい苦悶の表情が貼り付けられていた。
男が自分の意志で死んだわけではないこと。
それがわかるのはただ1人。
その人物は男の部屋から離れた場所で夜桜を観賞しながら、2つあるお猪口のうち、片方に注がれたお酒を嗜んでいた。
腐乱臭を漂わせ、身体が少し腐り始めている、側付きの中年男性らしきヒトは、春の涼しい季節が終わったにも関わらず、厚手の服を羽織ることによって、腐った部分を服で覆い隠す。
そして、お酒を嗜む人物のお猪口へ徳利で酒を注ぐ。
その人物は正常な人間だと耐えきれない異臭に眉一つ動かさず、優雅にお酒を嗜む。
風に吹かれたのか夜桜が舞い散り、花弁がその人物の手の内にあるお猪口に、ふわふわと舞い降りてきた。
「あと1人...」
誰を数えているのだろうか、その人物の語りかけに答える人はその家の中には誰1人存在しない。
そこにいるのは、その人物以外はヒトらしき容姿であるが、しかし、ヒトではない何かであるのだから...
新たな脅威はもう対策課のすぐそばまで迫っていた...




