一部 『村』
第一幕、開幕
私の眠りはどこにあるのだろうか。
―――眠れぬ竜
「あの竜は、眠らぬのです。昼も夜も関係なく、空を飛び、人を殺します」
村の長老はうつむき、声を潜めた。
「ベッチ殿。竜を殺してください」
ベッチは一切返事をせず、そのまま村で食料を補充した。
竜を殺す者は多い。うわさを聞いてやってきても、既に狩られていた事もあるぐらいだ。授かりし英雄は、竜の鱗を容易く貫く。長老は、ベッチを竜狩りだと思い込んでいるのだろう。
しかし、ベッチの目的は竜の記録だ。竜騎士によっては竜狩りを自称することもあるらしいが、ベッチは同意も否定もしない。竜の物語をまとめることは居場所を暴き、生来を暴き、風と桶屋のごとく竜狩りを呼び寄せる。ペンは剣より強かに、竜を殺す毒となる。騎士が守るのは竜の歴史であり、生き様である。
監視者気取りかと思うが、事実竜騎士のスタンスはそれに近い。波風は立てるとも、その渦中にはかかわらない。そしてまた、原罪を拭うために竜の歴史をまとめるのだ。
牛とケシ炭の等価交換錬金術を竜に行われた―つまり竜に家畜を殺された―村人を辿った。といっても、小さな村であるので干し肉とパンを買うついでに話題に出せばすぐ家の場所は分かった。それにしても、良い村だと思う。今年は気候があまりよくないという噂だが、旅人に売れるだけの食糧が余っている。こんな調子なら町へ食糧を出すだけで生活に困ることは無いだろう。
被害者1号と話すと、竜は家畜を掴み、奪い去っていたという。つまり、ケシ炭というのは話の尾ひれということだ。少なくとも、竜は錬金術師でもイカレ野郎ではないらしい。そして、止めに入った彼の息子をその場で焼き殺したそうだ。
人間は殺し、家畜は奪うか。ベッチはいろいろな竜と相対してきたが、眠らぬ竜は合理的な考えを持っている。つまり、対話できる可能性が高いと考えた。
農家は竜は北の山から飛んできたといって指さした。
北側の山は山頂から中腹まで雪をかぶり、いかにも険しそうだ。森に覆われていないだけマシではあるが、地盤がゆるそうだ。さすがの竜騎士も雪崩に巻き込まれれば面倒なことになる。
雪が解けるのを待つこともできるが、ベッチは山を登ることに決めた。ベッチには時間がある分、やらないと決めればいくらでも待てる。だからベッチはやるべきことに対し前のめりに行うのだ。
本当に雪が理由で登るべきではないのであれば、雪が解けるまで雪崩の中で待てばいいのだ。人間にはできなくとも、竜騎士にはできる。
「ありがとう」
ベッチは農家の感謝を示し、そのまままっすぐ山へと向かった。
「ちょちょちょ、その恰好で山を登るのは無理ですよ!」
農家は走って家に入り、熊の毛皮をとってきた。
「うちのカーペットですが、使ってください」
ベッチはそれを断った。
「水の補給だけはしたいのだが、川は東と西のどちらが近いだろうか」
農家はあきれながらも「東側です。西側にもありますが、山の西へ流れるものです。ただ、野党が多いのでどちらにせよ川沿いは避けたほうがいいです」
ベッチは村へと戻り、あの轍を通ると決めた。