檸檬
梶井基次郎さんの檸檬を
現代風にアレンジしてみました。
あの頃の私を思い出した。
その頃の私はいつも
得体の知れない不吉な塊に
心を圧迫されていた。
焦燥と言おうか嫌悪と言おうか、
とにかくこれは持病である肺のせいでも無く、
山のような借金のせいでも無い。
別れた後に聴くbacknumberのような
得体の知れない喪失感のような、
そのようなものがやってきたのだ。
それは紛れもなく不吉な塊であった。
以前好きだったバンドの歌も
二三小節聴くうちには
もうイヤホンを外してしまう。
以前好きだった星新一の短編の話も同様に、
本論に入り始めたあたりから
辛抱ならなくなって読むのを辞めてしまう。
何かが私を居堪らずさせるのだ。
とにかく何をしても
楽しみが見いだせないのであった。
ずっと京都に居続けるのも嫌になって
ここではないどこかを探し求めて
妄想の世界に浸るのであった。
このまま乗り続けていたら
ここではないどこかに
辿り着けるのでは無いだろうか
と思い、終始私は街から街を
バスの1DAYきっぷで
浮浪し続ける日々であった。
だがその頃は5月の連休で
どこに行っても人が居て
何も代わり映えしない景色を
見続けるばかりであった。
だからだろうか。
私は人気の無い裏通りが好きであった。
雨や風が吹けば
こんなボロボロの室外機なんて
自然の浸食によって土に還ってしまう、
といったような趣きのある、
人工物は全て崩れていたり傾いていたりする。
勢いがいいのは植物だけで、
久しぶりに行ってみると
向日葵があったりカンナが咲いていたりする。
そんな路を歩いていると、ふと、
『どこでもドアを使って仙台だとか
長崎だとかに来てしまって京都から
逃げ出すことに成功している』
というありふれた幼稚な錯覚を起こそうと努める。
誰もいないガランとした旅館で、
綺麗な布団があり、糊のよくきいた浴衣。
そこで私は一月ほどゆっくりと過ごしたい。
ずっと横になっていたい。
そうやって深いところまで妄想が膨らむと
私はその錯覚にいろいろな着彩をしていく。
そこには現実の私などは要らない。
私自身を見失う事が大事だ。
それが楽しいのだ。
その頃の私は、
みすぼらしく、美しいものが
とにかく好きであった。
みすぼらしいことと美しいことは
相反しているように見えるがそうでは無い。
例えば花火。
あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、
さまざまの縞模様を持った花火の束、
中山寺の星下りの様子や、
花合戦、枯れすすき。
花火大会は人が多いがその日の人々は
いつもとは違って見えるのだった。
それから夏場になると
100円ショップで売られる
鼠花火というものがあり、
一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。
そんなものが変に私の心をそそった。
他にも、100円ショップで売られている
色のついた硝子で、柄のあるおはじきが
好きになったし、
100円ショップで売られているビー玉も
好きになった。
またそれを口の中に入れてみるのが
私にとってなんともいえない享楽だったのだ。
あの味ほどかすかな涼しい味があるものか。
私は幼い時よくそれを口に入れては
母に窒息するぞと叱られたものだが、
その時のあまい記憶が大きくなって
落ちぶれた私に蘇みがえってくる。
まったくあの味にはかすかで、
爽やかななんとなく美しい味覚が漂って来る。
察しはつくだろうが
私にはまるで金がなかった。
とは言え私自身を慰めるためには
贅沢ということが必要であった。
200円や300円のもの。
だけれども贅沢なもの。
そしてなにより美しいもの。
もうひとつ上げるなら無気力な私の感性に
アピールして来るもの。
そう言ったものが自然と私を慰めるのだ。
生活がまだ蝕まれていなかった以前、
私の好きであった所は、
たとえば草叢書店であった。
書籍コーナーで
中学生時代に勉強していた所の
参考書を見てみたり、
雑誌販売で自分に似ている名前の人は
いないか探してみたり、
スターバックスコーヒーで
コーヒーを片手にロココ趣味の
画集を眺めたり、
文房具コーナーでフリクションや
万年筆の試し書きをする。
私はそんなことで小一時間も
費すことがあった。
そして結局三菱のデッサン用鉛筆を
一本買うくらいの贅沢をするのだった。
しかし、ここも今の私にとっては
重くるしい場所に過ぎなかった。
あの小説の続き、
スターバックスコーヒーの新作、
ビジネススマイルで溢れるレジ、
これらは全て借金取りのように見えるのだった。
ある朝、甲の知り合いから乙の知り合いへ
というふうに
一人暮らしの知り合いのアパートを転々として
その日暮らしをしていたのだが
知り合いがみんな大学を出てしまったあとの
空虚な空気のなかにぽつんと一人取り残された。
私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。
何かが私を追いたてる。
そして吊り革を握るのに精一杯な程の
人混みの中、街から街へ、
先程言ったような裏通りを歩いたり、
駄菓子屋の前で立ち止まって贅沢する子供を見たり、
コインランドリーで他の人の洗濯物が
踊るのをずっと眺めていたりしていた。
とうとう私は疲れきってしまって
眠ってしまった。
そして起きた時にはここが何処か
わからなくなってしまった。
仕方がないので、私はバス停で眠った。
翌朝、午前3時前に起きた。
つまり1DAYきっぷをしっかり満喫して
しまったというわけだ。
駅を出ると旅行客が沢山いた。
つまり京都から逃げ出すことは
失敗したわけである。
落胆し、とぼとぼと歩いていると
果物屋を見つけた。
そこの果物屋で足を止めた。
知っている店だった。
ここでこの果物屋を紹介したいと思う。
この果物屋は私の知っていた範囲で
最も好きな店であった。
そこは決して立派な店ではなかったのだが、
果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。
果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、
その台というのも
古びた黒い漆塗りの板だったように思える。
何か華やかな美しいピラミッドで
地震など来てしまえば
すぐに転げ落ちてしまうような、
かといって石積みのような
絶対に落ちない安心感のようなものもある。
色彩やスケールに敢えて凝り固まった
というふうに果物は並んでいる。
青物もやはり奥へゆけばゆくほど
高く積まれている。
実際あそこの人参葉の美しさなどは
素晴らしかった。
それから水に漬けてある豆だとかの
精進料理に使うようなものの陳列は
見事であった。
またそこの家の美しいのは夜だった。
寺町通はいったいに賑やかな通りである。
東京や大阪には劣るが
飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。
それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが
妙に暗いのだ。電柱の灯りも無い。
もともと片方は暗い二条通に
接している街角になっているので、
暗いのは当然であったが、
その隣家が寺町通にある家にもかかわらず、
ずっと暗かったのが未だにはっきりしない。
しかしその家が暗くなかったら、
あんなにも私を誘惑するには至らなかった
と思う。もう一つは
その家の打ち出した廂なのだが、
その廂が眼深にかぶった帽子の廂のようで
「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げているぞ」
と思わせるほどなので、
廂の上はこれも真暗なのだ。
そう周囲が真暗なため、
店頭に点つけられた幾つもの電燈が
驟雨のように浴びせかける絢爛な様子は、
周囲の何者にも奪われることなく、
ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。
それは千と千尋の神隠しの舞台に
居るかのような想像ができるほどで、
裸の電燈が名前もわからない蟲達を呼んでいる。
また近所にある鎰屋の二階の硝子窓を
すかして見た果物店の眺めほど、
その時どきの私を
興がらせたものは寺町の中でも稀だった。
その日私は久しぶりにその店で買い物をした。
というのはその店に檸檬が出ていたからだ。
檸檬などごくありふれている。
がその店はごく普通の八百屋であったので、
それまであまり見かけたことはなかった。
私は檸檬が好きだ。
レモンイエローの絵具を
チューブから搾り出して固めたような
あの単純な色も、
丈の詰まった紡錘形の恰好も、
それから表面の質感から
ラグビーボールとは全く違うものを感じるのも。
結局私はそれを一つだけ買うことにした。
値段は398円。贅沢だ。
それからの私はどこへどう歩いたのだろう。
私は長い間街を歩いていた。
始終私の心を圧えつけていた不吉な塊が
それを握った瞬間からいくらか
ゆるんで来たとみえて、
私は街の上で非常に幸福であった。
あんなに執拗かった憂鬱が、
こんなもので紛らされることは
いくらか不思議に思えた。
あるいはその不信感が、
逆説的に本当の事だという証明であった。
それにしても心というやつは
なんという不可思議なやつだろう。
その檸檬の冷たさはたとえようも無く
とにかくよかった。
その頃私は肺を悪くしていて
いつも身体に熱が出た。
事実知り合いの誰彼に私の熱を
見せびらかすために手の握り合いなどを
してみるのだが、私の掌が
誰のよりも熱かった。
その熱いせいだったのだろう、
握っている掌から身内に
浸み透ってゆくようなその冷たさは
もう大学を出てしまった旧友と
手の握り合いをしたことを
思い出すような感覚で、とても快いものだった。
そして私は何度も何度もその果実を
鼻に持っていっては嗅いでみた。
それの産地だというカリフォルニアが想像に
上って来る。仙台や、長崎よりも遠い遠い
カリフォルニアの想像が
こんなにも簡単でリアルに感じられるのだと
心底感動した。
漢文で習った「売柑者之言」の中に
書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が
断きれぎれに浮かんで来る。
昔読んだ参考書にも載ってた覚えがある。
そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を
吸い込めば、ついぞ胸一杯に
呼吸したことのなかった私の身体や顔には
温い血のほとぼりが昇って来て
なんだか身に元気が目覚めて来たのだった。
実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、
ずっと昔からこればかり探していたのだ
と言いたくなったほど
私にフィットしただなんてと
私は不思議に思う。
私はもう気持ちが良くなって、
街道を弾むような足で軽やかに進んで行った。
胸を張って進む気持良さも感じながら、
新品の綺麗な服を着て、
街を歩いていた詩人のことなどを
思い浮かべては歩いていた。
手の内にあるひとつの檸檬を
汚れた手拭の上へ載せてみたり
マントの上へあてがってみたりして
色の反映を見たり、
つまりはこの重さなんだな
なんてことを思ったりして
その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、
疑いもなくこの重さは
すべての善いものすべての美しいものを
重量に換算して来た重さであるとか、
思いあがった諧謔心から、
なにがさて私は幸福だったのだ。
と馬鹿げたことを考えてみたり。
どこをどう歩いたのだろうか。
私が最後に立ったのは草叢書店の前だった。
平常あんなに避けていた草叢書店がその時の
私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日はひとつ入ってみてやろう。」
そして私はずかずかと入って行った。
しかしどうしたことだろう、
私の心を充たしていた幸福な感情は
だんだん逃げていった。
雑誌の山もスターバックスコーヒーも
私は興味を示さなかった。
憂鬱が立ちこめて来る、
私は歩き廻った疲労が
出て来たのだと思った。
私は画本の棚の前へ行ってみた。
ロココ趣味の画集の中で
特に重たいのを取り出す。
いつもより力が要るなぁと思った。
しかし私は一冊ずつ抜き出しては見る。
そして開けては見るのだが、
あの頃の楽しさは全く湧いて来ない。
しかも呪われたことにはまた次の一冊を
引き出して来る。それも同じことだ。
それでいてページをめくっていないと
気が済まないのだ。
気がつくともういいやと溜息をつき、
そこへ置いてしまう。
以前の位置へ戻すことさえできない。
つまり本を取り出してはそれを
積み上げていったのだった。
私は幾度もそれを繰り返した。
とうとうおしまいには
日頃から大好きだったアングルの
橙色の重い本まで見る気も失せ、
タワーの礎にしてしまった。
なんと呪われたことだ。
手の筋肉に疲労が残っている。
私は憂鬱になってしまって、
自分が抜いたまま積み重ねた本の群を
眺めていた。
以前にはあんなに私をひきつけた画本が
どうしたことだろう。ページを1枚づつ
終わり、本が並ぶいつもとは違うあの、
見廻すときのあの変に自分に合わない気恥しさを、
私は以前には好んで
味わっていたものであった。
「あ、そうだそうだ」その時私は
そこら辺に置いた檸檬を取り出した。
本の色彩をゴチャゴチャに積みあげられたタワーに
一度この檸檬で合わせてみた。「そうだ」
私にまた先ほどの軽やかな気分が帰って来た。
私は手当たり次第に本を積みあげ、
また慌しく潰し、
また慌しく築きあげた。
新しく引き抜いてつけ加えたり、
取り去ったりした。色とりどりの本達が
入れ替わることによって奇怪な幻想的な城が、
そのたびに赤くなったり青くなったりした。
そしてでき上がった。
私は軽く跳りあがる心を制しながら、
その積み上げられた本達の頂きに
恐る恐る檸檬を置いた。上出来だった。
見わたすと、その檸檬の色彩は
ガチャガチャした色の階調を
ひっそりと紡錘形の身体の中へ
吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。
私にとって埃っぽい草叢書店の中の空気が、
その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような
張り詰めた空気がある気がした。
私はしばらくそれを眺めていた。
不意に第二のアイディアが起こった。
その奇妙なたくらみはむしろ私を
ぎょっとさせた。それをそのままにしておいて
私は、なにくわぬ顔をして外へ出る。
私は変にくすぐったい気持ちがした。
「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」
そして私はすたすた出て行った。
もちろん罪悪感はいくらかあったが。
変にくすぐったい気持ちが街の中の私を
微笑ませた。草叢書店の棚へ
黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来たのだ。
奇怪な悪漢が私で、もう十分後には
あの草叢書店が美術の棚を中心として
大爆発をするのだったら
どんなにおもしろいだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。
「そうしたらあの気詰まりな草叢書店も
粉葉みじんだろう。まさに革命だ。」
そして私は異常に多い求人広告の張り紙を無視して
京の坂をゆっくりと下って行った。