憑いてくる女
スミレは地縛霊になりかけていたというのに、今では俺と犬の先頭を行っている。
通勤時間に、点滴の管と酸素チューブをつけたパジャマ小僧と血まみれの女が歩いているというのに、本当に誰も気付かない。
スミレの後を追っていくと、スミレは駅のコインロッカーに手をすり抜けさせた。
「ここに制服しまったの。親が捜索願い出してなければまだあるはず」
取れるものかと思って見ていると、何故かバッグごとロッカーをすり抜けて出てきた。
「よっしゃあった!ほらほらほら学生証!生年月日見て!でも着替えは見るな!」
確かに生年月日が同じだった。双子のような例を除いたら、生没年月日の一致はどの程度の確率で発生するものなのか。しかし計算するより前に、1日でもずれていれば先に行けたのに…と思っていた。
そう考えているうちにスミレが制服に着替えて戻ってきた。この後何をするか考えているようだ。
「私を殺した奴に復讐したいけど、せっかくだからさ、イタルのお葬式に行こうよ」
「やめろ。本当にやめろ」
「すごい優しそうなお母さんなのに!?まぁ私もさ、家に帰るのは怖いんだよね。私がこうなった理由を知られたら、親にガチギレされるのはわかってるから。家にはかわいい服あるのにな~」
スミレが帰りたくない理由に興味はないが、俺は自分の葬式が、親の葬式の予行に過ぎないことを知っていた。小学校から入退院を繰り返し、2年前から家にも帰れなくなった俺に健康な友達は残っていない。入院中の奴が来れるわけもなく、ただでさえ死んでいく患者にいちいち香典を渡していれば破産してしまうから病院関係者も来ないはずだ。だから俺の縁では誰も来ず、親戚と親の関係者だけになる。
結局、両親と葬儀屋のスマートな段取りと、呼ぶ相手の少ない手軽さから、没後3日で俺の通夜は営まれることになった。
「絶対行かねえって言ってんだろ!」
「言ってることとは反対にあんたの家にワープしてきたんですけど」
思い浮かべてしまったせいで住所が割れてしまった。俺は勝手に家族を追いかけるスミレに渋々付いていったことは言うまでもない。
式の前の、伯父と母の言葉に二人で耳を傾ける。
「イタルがいて良かったと言える時が必ず来る」
「そうなるように、イタルもためにも頑張らなきゃね。ありがとう…」
おめでとうの次は、ありがとう。母は本人には何も響いていないことに気付いていない。不思議なことに、俺ではなくスミレが苦しんでいて、その感情を俺にぶつけてきた。
「本当さ、なんであんたなんかと一緒になっちゃったんだろう」
スミレとは死んだ状況が違うが、生没年月日の他に両親が存命であることも同じだ。自分の親を避けるからこそ、俺の親で何かを確かめたいのだろう。
「俺以外の子供だったらもっと感動できるぜ。別の会場に行けよ」
「それができたらって思うよ!でも、隣の会場のおばあちゃんすら見えないって、本当にどうなってるのよ」
死んだ俺に頼りたいから成長しろと言いたげである。自分ができないことを押し付けてきて、俺も腹が立つ。
式がはじまると、病臥の前の純粋な子、病床での健気な子と、言葉も発せなくなった俺に勝手な脚色をしたエピソードを並べられる。この時、真実を聞いてくれたのはスミレしかいなかった。
「スミレ、もう分かってるだろ?俺はこんなこと言われるのが嫌だったんだよ。親の期待との差がな。
俺の本性は、親にも看護師にも、外で遊ぶ小学生にも嫉妬する奴だ。生まれつきの病気じゃなくて、外の世界を知っていたから余計にそうなったんだろう」
スミレはそっと耳を傾けている。同じ日に生まれて、背が高くて、馬鹿なふりして地頭は良い女。一番憎たらしい。
「俺が最悪なのは、それでも下を探して、見つけ出したところだ。それは、外も知らずに入院していて、俺より先に死ぬガキ。手を下したわけじゃないが、その死を喜んだ。俺は勝てた。上になったってな。そうしていくうちに、小児病棟の長老になった。天寿の犬よりも中身がなくて、邪悪で劣悪な俺が許せなかった。生きてる意味が皆無に、いや、死ななきゃならないクズになった」
「イタル君って優しい~!死ねって直接言わなくて、ごめんなさいって言いたかったってことでしょ?」
スミレに反論しようとすると、スミレは点滴の管と酸素チューブを引き抜き、俺の頬を左から右へ叩いた。
「イタル、気付いた?あんた今首が据わったよ。真っ直ぐ物が見れるでしょ?だからよ、もうウジ虫みたいなことは言うなよ!
あんたのお母さん、すごい人だよ。生後6000日なんて自分でも覚えてないよ。そんな人があんたの優しさに気付かないわけないでしょ!一人で死のうとして、やっぱり悔しくて戻ってきて、いいもん見れただろ!」
女に言い負かされるなんて、俺にとっては悶え苦しむことのはずだが、妙に清々しい。スミレは言うだけ言うと、急にしおらしくなった。
「もしイタルが普通の優しい子だったら、変わらなくていい人間だったら、やっぱり意味がなかったのかも。ウジ虫が変わるからこそ意味があって、私はそれを見に来たんだと思う。でも私は、変われるのか、報われるのか、やっぱりわからない。報われなかったら、イタルとワンコもいなくなって今度こそ一人になるのかな?そんなの嫌だよ。イタル、助けてよ…」
確かにスミレが俺の首を据わらせた。乳児から幼児になった程度の違いかもしれないが、俺が報われる過程で必要なことだとは理解した。
そして、ようやく家族の様子を見ることができた。なんだ、泣いてたのか。
「スミレ、最後に一つ察してほしい。16にもなって棺にぬいぐるみを入れられる男の気持ちを」
翌日の告別式で、祖母と妹が棺を閉める間際にぬいぐるみを二つも入れやがった。スミレは俺の気持ちなど察することなく、ずっと含み笑いをしていた。
俺が骨になると、ぬいぐるみが自分達の時空に来た。香典をもらった訳ではないが、香典返しのつもりでスミレに一つやろうとしたが、女子でも小っ恥ずかしいと言って受け取ってもらえなかった。結局二つとも犬の首輪に取り付けた。
ここで俺は先に行っても良かったが、どうしてもぬいぐるみだけでは報われない。縁した以上、スミレを見届けるのも悪くないと思えるようになっていた。
「スミレ、次は何するんだ?」
俺は死んでるのに幽霊で背筋を凍らせた。スミレは一人でふらついていていたのだが、その姿が殺された時に戻っていて、瞳孔を開けて昨日までの俺みたいに首をだらけさせていた。
「イタル、手伝ってくれるの…うれしいな…でも私、男のプライドは大っ嫌いなんだよ。履き違えないでね」
「手伝うって…何をだよ」
「私はどうしてもあいつに会わなきゃいけない。本当のことを知りたいし、復讐できるなら、殺したい。イタルも一緒に憎まないと置いてくよ」
スミレは憎悪で自分を殺した男の居場所を突き止めたようで、本当に俺と犬を置いて姿を消した。