最悪の偶然
生きているうちは、あの世の乗り物は木の小舟か馬車、あとは旧式の列車があるくらいだと思うだろう。
俺も首なしライダーなんか作り話だって思っていたが、今通っているトンネルはバイクどころがフォーミュラもエンジン音を唸らせている。
レシプロなんかはジジイの乗り物だな。まあ、魂が顔も見せず、意志疎通する気もなく走り抜けるから、ジジイかどうかは定かではないのだが。
理解できるのは、ここを通る乗り物が一人乗りであることと、魂達に戻る意志が微塵もないことくらいだ。
だから人は死ぬまであの世の最新テクノロジーを知れないのだろう。
話を戻すが、意志疎通できる魂がないのではない。いや、どう説明すべきか。このトンネルを一緒に歩いているのが、犬なんだ。会話どころか、吠えもしないヨボヨボの。
それと、姿は見えないが、女の恨み節が聞こえる。近くか遠くかではなく、頭の中で響く。それははじめこそ小さかったものの、ラジオのチューニングが合ってきたかのようにはっきりと聞こえてきた。
生きているなら恐怖体験の扱いだが、今の俺にはうるさく、邪魔でしかない。
そいつは点滴の管まで引っ張ってきた。やめろ。戻る場所がないからこのトンネルを通っているんだ。最後に聞いた言葉が、実の母親の「おめでとう」だったんだぞ。
噛み殺していたが、それは悔しさだ。恨み節の主は俺の弱みを狙っていたようで、点滴の管、酸素吸引チューブ、足首、腕、据わらない首。掴めるものを全て掴み、俺をトンネルから引きずり出した。
「おい犬、何見てんだよ!」
犬は俺をフリスビーだと思ったのか、追うように付いてきた。
「犬じゃ助けられないか」
俺はこうやって弱い奴を見下す醜い奴だから、地獄に堕ちるのかもしれない。
じゃあな、未練のないおっさん連中…
俺は早朝の山奥に飛ばされた。恨み節の主は、化粧を涙で剥がして切歯扼腕する血まみれの若い女だった。
「こわ…」
女を慰めるように犬が寄る。女も心を許して犬を撫でるが、互いにすり抜けたことに驚いていた。せいぜい顔が怖いくらいだ。俺から声をかけてやった。
「なんか、とんでもない怪我してないか?」
「うわ!あんたこそ首がだら~ってなっててかなり怖いって!」
「悪いな。寝たきりで生きてた時からこうだったんだよ」
「生きてた時って…お前ふざけんなよ!」
女は立ち上がり、この惨めな両肩を掴もうとして、すり抜けた。俺の身長が伸びなかったとはいえ、頭一つ大きい女には嫉妬を覚える。俺自身この性格が嫌いだ。
死んで正解だった。果たしてこの女は死ぬべきだったのか。
「ああ、やっぱり殺されたんだ。夢であってほしかった。ああもう!今になって頭にきた!このコーデ4万もしたのに台無しにしやがって!」
「そこじゃないだろ」
俺がトンネルにいた時は寂しさや怖さを訴えていたが、これが本来の生前の性格のようだ。
女が自慢するから服を見た。裂け目、傷口、その他。
「どこまで見てんのよこの色情霊」
「寝たきりヤローが生意気で悪かったな。じゃあ聞くけど、なんで俺を呼んだんだよ。せっかくトンネル通ってあっち行こうとしてたのによ」
死にながらも笑って俺を馬鹿にする女にムキになってしまった。そうなると言い返してくる女だと勘付いていたし、案の定だった。
「あんたが勝手に来たんじゃない!どうせ恨み辛み抱えてるんでしょ!まさか美人ナースにふられたとか?でもなんで私んとこなのよ。寒気するわ」
感心するくらいに容赦のない女だ。
「死ぬ時に母親におめでとうって言われたのが引っ掛かったくらいだな。生後6000日の記念日だとか。病気で首が据わらなくなったからって、赤ん坊扱いにも程があるだろ」
女は目を輝かせていた。本物の目はこの下に埋まっているようだが。
「純粋にいい話じゃない!ってかあんたいくつ?」
手首のタグを見せる。名前と生年月日が記載されている。
「イタル。理想に至る前に死に致った」
女が笑い出した。学がなさそうに見えるがこの程度のひねくれは通じたようだ。それにしても、いつまでも笑い続けるとは失礼だ。
「嘘でしょ…こんな小さいのに、生年月日私と同じなの?あのさ、私は昨日の夜10時に刺されたんだけど」
「俺は昨日の昼から体が浮いてた」
「命日まで一緒って奇跡じゃね!?だからイタル来たのか!それじゃ私も6000ジャストか!ユリに教えなきゃ!…無理っぽいな」
女は俺の顔を覗き込み、眉を潜めた。
「せめて背筋がピンとしてたらなぁ」
「誕生日同じっていう割に釣り合わなすぎて悪いな」
「あと私と一緒に歩くならパジャマはやめて」
「寝たきりに他所行き求めるなよ。それにまず生きてる奴には見えないだろ」
言ってしまえばこの女の言動は障害者への偏見だ。だが当事者である俺自身が思っていたことに比べたら、まだマシなほうだ。
「あ、そうだ。学生証ロッカーにしまってきたんだった。でも誕生日が同じなのは本当だからね。あと私スミレっていうから」
「じゃあよ、俺に着替えろって言うんだったらお前も制服に着替えてこいよ。俺のこと怖がってるけど、お前だって血まみれなんだからよ」
「あんたさっきから変な目で見てるでしょ?それが怖いんだって」
スミレは山を下りると、俺ではなく犬のおかげで地縛が解けたと言い出した。
6000日は犬なら天寿だ。言葉は通じないが、犬との巡り合わせもスミレと同じ理由なのだろう。
それにしても、スミレとのファーストコンタクトは最悪だった。