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ある聖女のちょっとした話

作者: 佐乃ミヅヤ

 拝啓 親愛なるギルドの皆様方


 ガーモディブではそろそろ雪解けも始まり、春の息吹がそこここに現れた頃かと思います。雪の下から顔を出す鮮やかな緑は今でもしっかりと覚えています。

 貴重な食料ですものね。ギルドの皆で必死になって雪山に上って集め、街に持っていって高値で売りさばいていた日々が懐かしいです。

 こちらハルフィーナはさすが南方だけあって真冬でも雪がちらつく程度という温かさです。背後に万年雪に覆われた魔山カティーアを抱くハルフィーナでは雪が降りますが、南方でもそれは珍しい方だそうです。

 さて、私がこの魔人領ハルフィーナに連れ去られてから一年が過ぎました。

 ギルドの皆様には多大なる心配をおかけしたことをお詫びします。

 こちらでの生活ですが、ガーモディブ育ちの私には気候や文化の違いもあって戸惑うことが多く、最初は苦労の連続でした。今となっては生魚をさばいた料理も大好物ですし、瑞々しい果物は毎食デザートとして食べています。

 最初こそ魔族の方々には怯えましたが、今は領主様や旦那様のおかげで仲良く過ごせています。

 先日も獣人族の結婚式の手伝いに行ってきました。人と獣、二つの姿を持つ獣人族の皆さんの間では、最近は人間風の結婚式を挙げるのが流行っているそうです。特に女性はウエディングドレスに憧れるといいます。

 もちろん獣人族の女性と人間族の女性ではウエディングドレスへのこだわりも違いますから、ドレスのデザインをする旦那様は注文を受ける度にまるで喧嘩でもしているみたいな態度でデザインの相談をしています。

 そうそう、旦那様です。

 旦那様のお名前は書くことができません。そういう約束で手紙を書く許可をもらいました。旦那様は恥ずかしがり屋なのです。

 旦那様は魔人領の住人です。魔王陛下の側近、竜人族の大賢者エクスィプノ様の弟子であり、人間の弟子の中では一、二位を争う優秀さだと言われています。

 それだけではありません。魔法使いは魔法にばかり頼り、戦闘の時は真っ先に潰されるという過去の戦争の様子から、エクスィプノ様は弟子には魔法と並行して格闘術を習うよう指導されています。

 旦那様はそちらの才能もあったようで、本職の武闘家の方々に職業替えをしないかと言われるそうです。その度に旦那様は自分の本職は服飾デザイナーだと呆れ顔で言っています。

 大賢者の弟子で優秀な魔法使いでおまけに格闘術の使い手、そして魔人領が誇る服飾デザイナーだなんて私にはもったいないような旦那様です。

 ギルドの皆様が私のことを心配してくれていることも、魔王軍討伐隊を組もうと何度も教会や冒険者ギルド組合にかけあっていることも聞いています。

 孤児だった私を温かく受け入れ、共に笑い、泣き、戦い、過ごした日々はかけがえのない思い出です。遠く離れてもあの日々は鮮明に思い出すことができます。

 けれど同時に、ここに来てからの日々も私にとってかけがえのないものになったとお伝えしなければなりません。

 この魔人領は人間と魔族が手を取り合って、時に争いながらもそれを武力ではなく話し合いで解決しながら生きています。

 彼らが行うもっとも恐ろしい行為、それが勇者と聖女の誘拐ですが、ここで暮らすかつて勇者や聖女の神託を受けた方々は誰もが今の生活に満足しています。魔族を憎んでも蔑んでもいません。

 もちろん私もそうです。

 今の私には聖女としての力があります。しかし半年後、もしくはこの手紙が皆様のところに着く頃には、すでに聖女の力を失っていることでしょう。

 正確にはそうなればいいなぁという希望的観測ですが。いえ、旦那様は確かに私のことを大切にしてくれますが、やや大切にし過ぎといいますか、子ども扱いといいますか、同じ寝台で眠っても抱きしめてくれるだけなのでどう転ぶかは私の努力次第と周囲の方々には言われています。

 教会や同盟国の皆様には申し訳ないですが、私は聖女の力を失うことにためらいはありません。人間が理不尽に魔族側に干渉しない限り、魔王陛下は人間に必要以上の攻撃はしないと宣誓しているからです。

 この宣誓は先代魔王陛下が即位された千年前になされたもので、人間側はすっかりその宣誓を忘れているようですが。

 とにもかくにも、心配をかけてしまったギルドの皆様に伝えたいのは、私は今不自由なく幸せに暮らしているということです。愛する人と共に過ごす日々が不幸であるはずありません。

 だからどうか心配しないでください。

 私、アルテナはこの地で確かに幸福であると伝えておきます。



 渡り鳥の月、第十五日  アルテナ・ナルディ



* * * * *



 書き終えた手紙を確認して便箋に入れる。

 蜜蝋で封をした手紙はメイドのどちらかに渡せばいいと言われていた。

 この家には旦那様が雇った家事を担当するメイドが二人と、料理人と料理人見習いの二人、力仕事を担当する従者が二人、合計六人が雇われている。使用人が住む別館と旦那様の仕事部屋や客室を含めた数部屋がある本館に別れている屋敷は、孤児院育ちの冒険者だった私にとってびっくりするくらい広くて立派だ。

 本来なら使用人なんて雇うほどの立場ではないと旦那様は言うらしいが、有事の際は魔王軍の魔法部隊で部隊長を務めるほどの方、普段も幾人ものお針子を抱えて上流階級の方々の為にドレスや礼服をデザインする売れっ子デザイナーである方が何を仰ると周囲は呆れるそうだ。

 メイドさん達(まだ二十代前半に見えるが長命な種族らしく百近い年齢のベテランメイドさんだ)は仕事で手一杯で家事全般が疎かになるような方が使用人を雇わないなんて愚かなことですと力説する。私も家事を手伝いたいと言えば、人間族で新参者の私にも丁寧に家事を教えてくれる優しい二人だ。私の事を「奥様」と呼ぶのだけは止めてほしいけど。


「あらぁ、だってほら、結婚すれば奥様でしょう?」


「ですわですわ。今から慣れて頂かないと」


 すらりとして長身、白銀の髪と薄緑の肌を持ち、金色の目に縦長の瞳孔を持つアクリダ。小柄で尖った耳を持ち、白目がほとんどない双眸と爬虫類と同じ長く先割れた舌を持つサヴラ。身長差はあるけれどどちらも有能で、旦那様でさえ頭の上がらない二人のメイドさんは息ぴったりにそう言ってくる。


「ドマーもツィピリェも奥様が来て喜んでいましたよ」


「料理の作り甲斐があるってね。旦那様はほら、仕事が忙しいと食べるだけでなんの感想もないでしょう?」


「どころか食べないこともありますし」


「でも奥様が来てから! 奥様が心配するから! 食事はきちんと取るようになりましたのよ!」


「喜ばしいことですわねぇ」


 ドマーというのが料理人、ツィピリェが料理人見習いの名前。二人とも人間族じゃないけど、人間族とほぼ同一の味覚を持っている種族。だから料理はとっても美味しいし、食文化が違う地域から来た私の為に南方独特の味付けの料理はあまり出さないよう気を使ってくれている。


「あの、でも、私、見てくれのぱっとしないただの小娘でして……」


 旦那様から手を出される気配は一向にないのですが、と小声で言う。

 屋敷の皆は私が「婚約者」としてやって来たことを喜び、奥様なんて言ってくれるけれど、実際の「奥様」としての役割を得られる日がこないんじゃないかと不安にもなるのだけれど。


「旦那様はむっつり紳士ですから」


「旦那様はエセ紳士ですから」


「「そのうち本性を現します」」


 メイドさん達は自信満々にそう言うのだった。



 * * * * *



 この世界には魔王がいる。

 魔王は魔族を統べる者。魔族は人間に害をなす存在。

 人間側はそう教えられている。現にモンスターは人間を襲う。

 このモンスターは魔族とは異なる存在で、魔族にとっても害敵だという事実は人間側では知られていない。モンスターは魔法の源である魔素を吸い込み過ぎた動植物が突然変異した姿だ。食べると美味しいし一定の部位から特殊な技法で魔力回復薬を作り出せる。この事実もやっぱり人間側には知られていない。

 魔族もモンスターも人間の敵。

 それだけが人間側の「真実」だ。

 光の女神ルス=ガンテは魔族は悪であるとし、彼らを打ち滅ぼす聖なる光を宿した存在を人間達に与えた。

 それが勇者と聖女。彼らは十五の成人の儀を行った際に右手の甲に紋章が現れ、力を授かったことを周囲に知らしめる。ただし勇者も聖女も性的な交わりによってその力を失う。彼らは人間の希望であると同時にルス=ガンテの所有物となるからだ。欲に触れたものを光の女神は嫌う。

 ゆえに魔王軍はその力を持った者が現れた際は彼らを連れ去り、力を失わせるのだと言われていた。


「実際は光の女神は双子の姉である闇の女神エスク=カルモに一方的な敵意を抱いていてね。勝手に自分を信仰していた人間に、彼女が守護する魔族側を『敵だ』って言いふらしていただけなのさ」


「神様なのに、ですか?」


「人間は神が自分達に似せて作ったという説の信憑性が上がるだろう? 美しく穏やかで誰にでも好かれ、創生神からも可愛がられる姉に嫉妬した妹が勝手に彼女を信仰する我々を滅ぼそうとしている」


 呆れ顔でそう言うのは竜族の大賢人エクスィプノだ。普段は鱗に覆われた顔から表情を読み取るのは難しいが、今は知性の輝きに満ちた空色の双眸が呆れ一色だからすぐに分かる。


「そこで安易に争わずに誘拐という手段に出た魔族側はすごいですね」


「誘拐も犯罪だけどね」


 人間側から一方的に仕掛けられた戦争で、千年以上前は双方血みどろの争いが五百年近く続いていた頃もあったらしい。闇の女神は穏やかで理性的な女神らしく、そんな女神を信仰する魔族も種族による性格の違いはあれど大きな血の流れる争いを嫌う傾向がある。

 人間側の記録には残っていない五百年戦争。それを経て、先々代の魔王陛下は穏便に人間側の戦力を削ぐ手段を思いついた。

 それが勇者と聖女の誘拐。

 勇者と聖女こそが人間側の最大戦力であり、その二人さえいなければ魔族側の方が戦力的には有利だ。

 光の女神の加護で魔を打ち滅ぼす力を持っていても、彼らの寿命は普通の人間と同じで八十年も生きれば死んでしまう。新たな勇者と聖女は先代の紋章が消えるまで現れない。人間側は勇者と聖女が戦場に立てる年齢を過ぎた頃に彼らの純潔を奪い、新たに戦力になる若い勇者と聖女を立てるという行為を繰り返していた。


「酷いですね」


「戦争の方が酷いとはいえ、これも充分酷いだろう。勝手に魔族との戦争の旗印にして、戦力が落ちる頃に凌辱してすげ替える。こちらの調べでは純潔を奪われた勇者の八割は堕落、二割が自死。聖女は九割が自死で一割は堕落していた」


 清らかであれと洗脳された挙句、次代の為にと突然純潔を奪われる。それは彼らにとってどれほど苦痛だったろうか。エクスィプノは自死と言ったが、そこに「発狂した後に」という真実を付け加えることは止めておいた。目の前の少女ももしかしたらそうなっていたかもしれない事実に胃の辺りがムカムカする。

 魔族側は人間側を見張り、勇者と聖女が誕生したと知るやすぐに彼らを誘拐し、これまでの歴史の真実を教え、彼らにこの戦争を終わらせるために協力してほしいと願った。

 最初は魔族と人間族が共存する世界を築こうと勇者と聖女と共に頑張ってみたが、人間側、とくに地位や権力にしがみついている上の連中が共存を拒んだ。数百年かけて人間族でも共存に賛成した者達と南方の魔人領なんて作ってみたが、未だに北方では光の女神の信仰があつく、魔族全般を敵視する風潮は消えない。

 そのうち勇者と聖女の方が光の女神と人間族を見限った。先々代の魔王が記録を残していないので(もしかしたら故意に記録を抹消したのかもしれない)詳しいことは分からないが、当時の魔王と勇者と聖女で、誘拐してきた勇者と聖女の紋章を穏便かつ早々に消してしまおうということになった。

 自分が気に入った人間を勇者と聖女にしている光の女神にとって所有物を横取りされるのがなにより屈辱的だろうから、と。しかも無理矢理ではなく自分から女神に与えられた力より愛する者を選ぶことでより女神にダメージを与えられるはずだという結論に至ったらしい。

 こうして当時の勇者と聖女が結婚して二人で作り出したのがお見合いシステムだ。

 勇者もしくは聖女を誘拐、領内の未婚者とマッチング、相性ぴったりの相手と結婚させ、穏便かつラブラブに純潔を失う。

 このシステムを確立しようと言い出した三者はよほど度数の強い酒でも飲んでいたのではないかと後世の歴史学者達は頭を抱えたと言う。賢者と称えられるエクスィプノもそう思う。なんだこの仕組み、と。

 しかし開発されたマッチングシステムの精度は恐ろしいほど完璧で、この見合いにより不幸になった勇者と聖女は過去一人もいない。全員夫婦仲睦まじく子宝に恵まれ、幸せに暮らし安らかに死後の世界へ旅立った。

 人間側にすれば勇者と聖女が誕生してもすぐに魔人領に連れ去られることの繰り返し。力に目覚めたばかりの勇者と聖女では魔族に太刀打ちできず、かといって普通の人間ではもちろん魔族の方が強いからこれまた太刀打ちできず。

 でも勇者と聖女を捧げれば魔族が人間側に攻めてこない。なら黙って誘拐させておけばいいのではということになるのに時間はかからなかった。

 別に早々に結婚させて力を奪う必要はないのだが、この仕組みを立ち上げた勇者と聖女は何か思うところでもあったのだろう。妙に見合いを推していた。彼らは魔族側による誘拐が遅れ、純潔を奪われる寸前だったらしいがそれが原因かもしれない。


「君とカナリエの相性もいいはずだからねぇ。まぁ、焦らないことだ」


「そう、なんですかね? 私は見てくれもいいわけではないので、旦那様からは嫌われてはいませんが、妹のように思われているだけかもしれないです」


 十六歳になったばかりの今代の聖女は力なく笑う。

 冒険者をしていただけあって肌は日に焼けているし手は剣ダコが出来ていて少女にしてはやや無骨だ。顔立ちは仔犬のようで愛くるしいが、目を見張るほどの美貌を持っているわけでも男好きのする豊満な肉体を持っているわけでもない。

 それでも海色の瞳は生命力に溢れ、生き生きとした光を浮かべ、孤児として辛い思いをした経験から他者の痛みに寄り添える優しい性根で、そこが己の弟子と相性がいいのだろうとエクスィプノは思っている。


「そういえば、君達の成人は十五歳だったね」


「はい」


「南方では人間族の成人は十六歳なんだよ」


「へぇ、そうなんですか」


「君は先日、十六歳になったばかりだね」


「はい」


 素直に返事をする少女は気づいていない。自分が一年近く手を出されなかったその理由に。


「あれはエセとはいえ紳士だからね。君がこちらの成人の年齢になるまで待っていたんだと思うよ」


「え?」


「つまり、十六歳になった今後は覚悟したほうがいいということさ」


「え……え? でも、あの、誕生日は先週で……」


「仕事が立て込んでいたらしいね。今週あたりから休みに入ると聞いているよ」


 少女の頬が赤くなる。いや、頬といわず耳や首まで真っ赤だ。

 短気で喧嘩っ早いが、嫌味なくらい優秀で可愛げがない弟子だった。仕事一筋に見えて女性関係が派手だったあの弟子が、まぁ、なんということだ。初心な少女を恋する乙女に変えるようになろうとは!


「きょ、きょうは、はやくかえる、と」


「それは大変だ。君も早く帰るといい。湯あみやらなにやらと支度もあるだろう」


「メイドさん達が妙に張り切っていてっ」


「カナリエは割とベタなのが好きなんだ。下着は白の清楚系がオススメだ」


「弟子と師匠でそんな話されるんですね!」


 真っ赤になって叫ぶ少女の右手の甲には聖女の紋章がある。

 さて、今日が紋章の見納めかなと賢者は空色の双眸でそれを眺めるのだった。



 賢者が少女と再び会ったのは三日後だった。

 彼女の右手に聖女の紋章はなく、代わりに左手の薬指に既婚者を示す指輪がきらめいていた。


聖女の自覚もないままに聖女じゃなくなった少女はこの後、旦那様とほのぼのした幸せな結婚生活を送るのでした。

初めての投稿でいたらぬ点も多々あるかと思いますが、読んで下さって有難うございました。

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[一言] すき!!(唐突) しっかりまとまっていて読みやすかったです。 旦那様視点とかあったら読んでみたいです。
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