第32話 跳んだマッスル
あれから一週間が過ぎた。とても濃い時間を過ごしたと思う。学校は休学届を出したので大丈夫だとアモルの兄貴が手紙をよこしてくれた。その文字は血で描かれていたから、帰ったら血の雨が降るだろうな。
バリエンテの面倒はザマさんがしてくれた。遊び道具に勉強道具、おいしいおやつに食事など用意されている。あまりにも手際が良いので驚いているが、ザマさん曰く「女の勘です」と言い切られた。いや、あまりにも用意した物が的確過ぎるのだが、ギルガメッシュさんの孫だからできるそうだ。そんなばかな。
とはいえ俺様はギルガメッシュさんの授業でへとへとだ。本当なら48ある殺人技は2つのはずだが色々教わる羽目になった。
今俺様は湖のほとりにいる。ギルガメッシュさんは立ったまま腕を組んでいた。カンネ先輩とバルカ、ザマさんは座ってバリエンテを抱えている。
湖にはカルガモが一羽、水の上に浮かんでいた。
「うーん、さっきから耳がいたいよぅ」
「どのように痛いのですか?」
「蚊がとぶような音がするんだ。すごくうるさいんだよ」
バリエンテが耳を抑えていた。ザマさんは優しく大丈夫だよと声をかける。先輩に対しては辛辣だが、それ以外だと面倒見のいい優しい人なんだよね。
「さぁ、あなたの修業の成果を見せなさいな!!」
「期待していますぞ!!」
先輩とバルカは立っており、バック・ラットスプレットのポージングをしていた。バルカの背中には鷲の羽根が生えている。文字通り羽を広げたみたいだ。カンネ先輩もなかなかである。
「さて、アミスターよ。わしが教えた技をすべて披露してもらおうか。ひとつもできなければわしがお前の息の根を止めるからな」
厳しいことを言う。たった1週間とはいえギルガメッシュさんはウソをつかない。すべて本気だ。殺すといえば殺す。自分の発した言葉に全力で責任を持っているのだ。
俺様といえばこの人と付き合うことで世界が崩壊した。今まで培った常識が通じないのだ。頭に金槌を思いっきり叩き付けられた気分だ。普通なら脳みそが砕け、目が飛び散り、血の池を作るものだ。しかし俺様にとって頭が軽くなる気持ちになった。これまでは頭の上には鉄の塊の入った革の帽子を生活していたものだ。それを取り除けば頭が軽くなるのは自明の理である。
「さて、やるとしますか」
そう言って俺様はフロント・ダブルバイセップスのポーズを取った。まずは空気を一気に吸い込む。ヘルメスラングだ。コツは世界中の空気をすべて吸いつくすイメージを浮かべることである。
何、抽象的すぎるって? 俺様もそう思うがギルガメッシュさんがそれでいいというから、素直に従っているだけだ。あの人にやれと言われたら命をかけずにいられない。この世のすべてを支配する王といっても過言ではないのだ。
腹部に空気が集まる。さらに俺様特有のスキルで宙に浮かぶ。腹に力を込め、肛門もきゅっと締める。
見る見るうちに下の景色が遠ざかる。空を飛ぶ鳥はこういう気持ちなんだなと思った。バリエンテはきゃっきゃと喜んでいる。
「ヴォルケノンファート!!」
ここから腹に力を入れる。ぷーっと肛門から空気が漏れた。その瞬間、風圧を感じた。
さらにデュポンブレストとアレスバックを使う。デュポンブレストは大胸筋を振動させ、竜巻を起こす技だ。アレスバックは広背筋を振動させて広範囲で風を起こす。
これらを複合することで俺様は自在に空を飛べるのだ。絵本に出てくるピーターパンのように。
「うわー、アミスターすごーい! まるでおとぎ話みたいだ!」
バリエンテは無邪気に喜んでいた。
「というよりあの人殺人技を一度に複数も使用してますよね……。あんな人、闘神王国ではひとりもいなかったですが……」
「わたくしもですわ。これを闘神王の子供たちが知れば真っ先に殺しに来るかもしれませんわね……」
「そもそもアモルさんも3つほど伝授されましたが、安全のためにメガトンパンチのみを習得したと聞いていますが……。アミスターさんはそれを超えていますね……」
「もっとも本人は事の次第を理解していないようですけどね。精々田舎のおじいちゃんに教えてもらった程度でしょうけど」
「僕は出会って1週間しか過ごしていませんが、彼に不幸が及ぶことをしたくないですね……」
先輩とバルカが何やら会話をしているようだが、俺様には聴こえていない。
俺様は夢中になって空を飛ぶ。腹に溜まるガスのおかげで浮遊しているが、殺人技を利用して自在にコントロールできるのだ。
「ふむ、さすがシンセロとフエルサの息子だな。本来なら1年経ってもひとつも覚えられないのだが、アミスターは天才だ。この調子なら48すべてを覚えるかもしれないな」
ギルガメッシュさんは感心している。孫が習い事を披露して喜ぶ祖父のようであった。
「おじい様、あまりえこひいきはしないように。他の人たちが嫉妬してアミスターさんを殺しに来るかもしれませんよ」
ザマさんが何か言っているが聴こえていない。
「そうだな。だがそれくらい自分で何とかできなければ、人生という荒波は乗り越えられまい」
「わざわざ波を荒立てたのはおじい様ですけど」
ふたりの会話は聴こえていないが俺様は空を飛ぶのに夢中だった。
風が冷たい。マウンテンゴリラの亜人だからこそ毛に覆われているので、あまり冷えないのだ。
気持ちいいなあ。
こんな広い世界を俺様はひとりじめしているんだ。
気分がいい。
まるで俺様は神様になった気分だ。
だって俺様は空を飛んでいるんだぜ。それも自分の力でだ。
鳥は翼を使って風に乗って飛んでいる。
俺様は違う。自分で空を飛んでいるんだ。
もう俺様は神様でいいんじゃないか?
このまま世界を征服してもいいんじゃないか?
そう、俺様は偉いんだ、偉大なんだ。すごいんだ。すごいすごいすごい……。
☆
あれはいけない。今のアミスターは図に乗っている。そりゃあ空を飛ぶことはすごいことだ。故郷のナトゥラレサ大陸でもアミスターのように飛ぶ人間はいなかった。
あとおじい様の教えがよかったおかげもある。大抵はがんばればなんとかなると精神論を強要してくるが、この場合はそれが正しい。
アグア教団から習ったが神応石は本人の意思が重要になる。
やればできる。本人の健康状態や能力を無視して相手に強要する言葉だが、神応石の力を理解している身としてはそれが力になる。
私も昔は教団の元で勉強したからだ。3匹のカエルに神応石を埋め込み、みんなの前で高く飛ぶとか、空を飛ぶとかいう。
もちろん子供でも信じないが、大人に強く言われたら信じてしまうものである。結果、高く飛ぶカエルをいても、空を飛ぶカエルは生まれなかった。
さらに周囲の人間も影響するのだ。ここには私を含め、カンネお嬢様にバルカさん、バリエンテさんにおじい様がいる。たった5人しかいないが、常人の1000倍近い力を持つ4人だ。バリエンテさんは子供だけど子供の思い込みは強力である。その力はあなどれない。
アミスターは天狗になっている。アマテラス皇国には赤い肌で鼻が高い天狗がいるが、数年前にキヨモリという天狗と出会ったけど、紳士的な人だった。
かといって大人しい人ではない。自分より体格が一回りの巨大アライグマを柔道という投げ技で地面に叩き付けたのだ。
だがアミスターは自分の力におぼれている。たぶん神になったと思い込んでいるのだろう。実際はおならの力で空を飛んでいるだけなのに。
おじい様は止めない。アミスターの状態を知っているけどあえて口にしないのだ。
力に飲み込まれ潰されてしまっても、それに耐えられなかった者が悪いと思っている。あっさり死んでくれた方が周りの人に迷惑をかけないからだ。
地上に降りてきたらこらしめてあげようかしら。別にアミスターは好きでもなんでもないけど、従弟が不幸になるのは見たくない。カンネお嬢様が痛い目を見るのは楽しいけど、不幸になることは望まないのだ。
さてどうしようかと悩んでいると何やら気配がした。
バリエンテさんは頭が痛いと訴えている。いったいどうしたのかと周囲を見回す。
「ぐぅ、うぐぐぐぐ……」
森から人が出てきた。数十人の人間だ。いったいここに何しに来たのだろうか。
ほとんど男で全員顔が歪んでいる。目が血走っており、額に血管が浮かんでいる。口からはよだれがたれていた。ふらふらと歩いている。
まるで浮浪者だ。闘神王国では見たことはないが、サウスコミエンソでは割と多い。彼らは規則正しい道徳を重視する生活に耐え切れず、浮浪者という不自由な自由を選んだ愚者だ。
しかし、私は知っている。アミスターと同じ司祭学校に通う生徒の顔は覚えています。
「あれはウワバミさんにセルドさん、ラタ三世さんではありませんか!!」
題名は柳沢きみお先生の跳んだカップルがモデルです。




