呼子萬坊
2009年年末はまず嫁の実家の高松から始まり、年が明けて、俺の実家の猪町に移動する。2009・2010年年末年始休の記事はちゃんと書き上げてヤフーブログに上げていたのだが、2017年、嫁との確執から俺は不覚にも下書きブログを消すつもりで本ブログを消去してしまった。後悔してもし切れない。だが、写真を撮った日付・時間はパソコンに残っているので記憶を総動員して再び書いてみたい。
高松のお袋さんが年末に長男のフミオの宅配会社を使って松葉ガニを用意してくれるようになった。俺ら家族が買って食べようと思えないくらいバカ高いカニ、嫁が釣られない筈がない。
俺の会社は通常12月29日から1月4日までの一週間が年末年始休だ。はっきりした記憶はないが、休みに入る前日の夜中には高松に向けて発ったと思う。31日大晦日の朝食はカニづくしだ。新年が明けて、元旦恒例の四国一の宮、田村神社への初詣を終えて、夕方には俺の親父・お袋の待つ猪町へ向かう。
4日は休みの最終日だから小倉でゆっくりしたかった俺だが、2日の晩飯のとき、親父が俺に訊いてくる。脳梗塞を患って気が弱くなったのだろう、あまり物事に拘泥しなかった親父が寂しそうに、「いつ帰るとか?」
「明日帰ろう思とるわ」
「伊万里におっきか(大きな)橋が架かっとるそうやな」
「伊万里湾大橋やろう。伊万里抜けて帰ってくるときいつも見よるわ」
「行ってみたか(みたい)な」
親父にとっての伊万里。23年前に廃線になった国鉄松浦線の佐々機関区に勤めていたとき、親父は伊万里機関区泊まりが多かった。思い出深い街だ。
親父のギャランで出発した。江迎から山越えで松浦に抜ければ伊万里だ。伊万里大橋を渡ってそのまま進めば唐津。だが、道すがらしつこいくらいに呼子の看板。俺ら家族はまだ呼子には行ったことがなかった。数年前、戦国時代に被れていた俺は猪町からの帰り、鎮西町(今は呼子とともに唐津市だが)の名護屋城跡に行って戦国ロマンに浸り、秀吉関連の書籍を購入して帰った。
「おっさん呼子行ってイカ食って帰ろうや」
イカと言ったら、俺の中ではテレビのCMがバンバン流れている水中レストランの呼子萬坊しかないし、他は知らない。今日は正月の3日だが、書き入れ時の外食産業に限ってまさか休みということはないだろう。思った通り店は開いていた。客が多く、1時間くらいは待たされた。
呼子の海に架かる桟橋を渡り一歩足を踏み入れると、店の中央にある大きな生け簀が目に飛び込んでくる。呼子萬坊の海中レストランは、実は日本で最初に作られた海中レストランだ。店内は生け簀をぐるりと囲む席になっていて、海の中という異空間での食事を楽しむことができる。
俺たちはテーブル席を選択した。海中の魚たちを眺めながらおしゃれな雰囲気で食事ができる席との触れ込みだが、ガラスが曇っていて泳いでいる魚はほとんど見えなかった。
注文したのは呼子萬坊一番人気、いかコースだ。運ばれてきたいかの透明感は流石に視覚に訴えてくる。小鉢、いか活造り、いかしゅうまい、いかの天婦羅、御飯、お吸い物、香の物、フルーツ。これで一人前2800円也。元来貧乏性の俺からしたら高過ぎる気がしたが、申し訳ない親父、勘定持って貰って。