奴隷王子とぬいぐるみ王子
『奴隷…』
「王子、ですか?」
「通称と言うやつですよ。本人が気に入って広めている節もありますが…、元々は人々が敬愛を込めてつけたものです」
城から伸びる大通りは人で込み合っているが、一本入り込むだけで細い道は閑散としている。ルッツの後に続いて歩くエリスの腕の中で、ロウは声に不機嫌さを滲ませた。
『奴隷王子、か。どこに気に入る要素があるのか僕にはさっぱり分からないが…』
言うと、ルッツは背中でくすりと笑う。
「これからお二人が会うのはノアールという商人なのですが、彼はそもそも奴隷としてコーネリアスに売られて来た男なんですよ」
ルッツ少し首を巡らせてロウを横目で見た。まるでロウの反応を疑うようなしぐさにエリスも釣られて視線を落とすと、腕の中にいるロウは茫然とした声を上げる。
『……コーネリアスに、奴隷として売られて来た? この国に…奴隷がいるのか、ルッツ』
「今も奴隷という言葉はありますが、以前より随分と待遇は良くなったと聞いています。奴隷同士が密に連絡を取り合える組合を作った事で、しっかりとした足場が出来たんですよ。今では処遇の悪い主人に抗議デモなんていう事もあるそうです。組の名前はノアール組合。……いつからか人々は創設者のノアールを、尊敬の意を込め奴隷王子と呼ぶようになったんですよ」
『……僕は、知らなかった…。奴隷がいることも、そんな男の話も、何も…』
ロウの背中がまるくなるのを見届けて、ルッツはのんびりと視線を前へと戻した。
「王子の耳に入っても垢になるだけの話ですからねぇ』
『何も出来ずとも…僕は知りたかった!』
ロウが叫んだ。背中で聞いているルッツの顔は窺い知れないが、エリスの内にある小さな身体は震えている。背を撫ぜていいものか迷うエリスの左手が宙をさまよっていると、ふっと声を漏らすようにして笑う声が聞こえた。このタイミングで笑うのか、この男は。愕然としたエリスの前で、ルッツはひとしきり笑ったあと、わざとらしくも見える優美な仕草で頭を垂れた。
「いえ、すみませんね、ロウ王子。貴方がそういう性格だからこそ、兄王子様たちは耳にいれさせまいと努めたのですよ。民衆受けのいい王子様が現れては分が悪いですからね」
「…そんな」
横暴な、とエリスは言いかけた言葉を飲み込んだ。一番口にしたいであろう男が未だに震えているからだ。
「……ロウ王子…」
「王子、エリス嬢、つきましたよ」
かける言葉が見つからないうちについたのは錆びれた酒場だった。建物が斜めに傾いている。シダとコケに覆われた建物の、古い扉に手を掛けると蝶番が甲高い音を上げた。軋みながら扉が開く。こんな営業しているかも怪しい店に、商人だか王子様だかがいるのだろうか。
「よう」
店の中心にぽつんと一つ椅子とテーブルが置いてあった。そこにふんぞり返って男が一人座っている。彼はルッツの奥にいるエリスとロウを目に止めると、随分親しげな態で手を上げた。
「第六王子様、久しぶりに見たら随分と可愛くまとまってるじゃねぇか。そっちの嬢ちゃんは初めましてだが、噂はかねがね聞いてるぜ」
浅黒い肌に深紫の髪…と言いたい所だが、人相に目が行くよりも先に飛び込んでくるのはその装いだ。
『…随分と派手な男だな』
「……南アザトの衣装です、ロウ王子」
長い髪を一つに結い上げ、ゆったりとターバンを巻いている。耳には金銀宝石とイヤリングが連なり、コーネリウスではあまりお目にかからないシルクの衣装は胸元が大胆に開いていた。ズボンなど、色々な色が散りばめられていて何色と表現していいのかが分からない。ロウはたっぷり時間をかけて見たあと、ようやく口を開いた。
『…ノアール、だったか。久しいと声にかけて貰って申し訳ないのだが、僕は君に会った覚えがない』
「まぁあの時は王子も小さかったしなあ、結構懐いてくれていたんだが、仕方がねぇよ。……嫌、小ささで言えば今の方が小さいか」
『君がルッツの馴染みだと言うのはよく分かった』
カラカラと声をあげて笑うノアールに、ロウの呟きは届いているのかいないのか。聞こえたエリスは思わず苦笑した。
「そっちは墓荒らしの魔女だな。グレスから聞いてるぜ」
「グレスさん?」
『知り合いなのか?』
「はい。以前声を掛けて頂いて…。それから仕入れたライラに関する情報は優先的に売って頂いているんです」
「あれはウチのでな。アンタには贔屓にしてもらっていると聞いている」
ノアールが視線を持ち上げた。先にいるルッツが笑顔で首を傾げると、なぜだかニヤリと笑ったノアールは、ゆうゆうと足を組み替えた。
「それで? ロウ王子。俺はそこの男から、アンタをこの国から出してほしいと依頼を受けているんだが、相違ないか?」
訊かれて、ロウは答えない。答えないまま訊ね返す。
『僕を国から出す手引きをして、君に迷惑は掛からないのか。ノアール』
「へぇ。こりゃ心優しい王子様なこって。迷惑だって言えば頼まないのかい?」
『……今の今まで…自力で脱出出来るのだと、思っていたんだ。僕は』
「そりゃ無理な話だな。アンタが城を出たと同時に、他国との境界に厳戒態勢が敷かれてる。身分を偽造でもしなきゃ、今のこの国からは出られねぇよ」
『…そうか』
「ンな声出すなよ。俺もそろそろねぐらを変えようとしていた時でな。ここを出る前に昔馴染みの頼み位聞いてやろうかって言う程度の話だ」
「ここを、出るんですか?」
口を挟んだエリスに、ノアールはまあなとつまらなそうな相槌を打った。
「派手に色々とやっちまったせいで目ぇつけられてるのもあるが……、この先この国で大した商売は出来ねぇだろうしな」
「王位争いがあるから…ですか?」
「はっは。ルッツから聞いたぜ、アンタが秘書を盗んだおかげで王は弱ってるらしいな」
「すいません」
「ま、どうあっても人の命って言うのには限りがあるからな。そういう流れだったんだろうさ。いつかはあの中の誰かが継ぐ。その瞬間からこの国はゆっくり死んでいく。損が出る前に見限った方がいいだろう」
あっさりと言ったノアールに、ロウは身を乗り出す。
『兄上は五人もいるんだ! 一人ぐらいは…!』
「良い王がいるってか? 言っちゃあなんだが、現国王だって大した王の器は持ってないぜ。まああの王に褒める所があるとすれば、女に目がいっているお陰で国に無関心だったって所くらいか。…おかげで、俺たちに今がある訳だからな」
そう言って、ノアールは薄らと笑った。
「五人もいるって言うがな。揃いもそろって似たような奴が居た所で意味がないんだよ、ロウ王子。同じ城にいて、同じ視野で物を見て、同じ顔をして他人を蹴落とす策ばっかり考えてやがる王子が五人いて、どれれかが突出するはずがねぇんだ。誰が立とうが、この国に差は生まれない」
『…そんな』
「俺から見りゃ、ケツまくって逃げて来たアンタが一番根性あると思うぜ。第六王子、ロウ様よ。アンタだって王子だ。王に立とうとは思わないのかい?」
揶揄するように聞かれてロウはうつむいた。ぬいぐるみはしょんぼりと身体を丸め、瞳に影を落とす。
『僕は…王子と言うものがわからなくなって来た』
「は?」
予想していない返答だったのだろう。ノアールが呆けた声を上げ、ロウは小さな肩をすくめた。
『僕は生まれながらに王子だ。生まれながらにして、王子だっただけだ。ノアールのように……何か功績を残して王子と呼ばれる男の方がよほどその名称に価値がある』
「いやあ、それはどうでしょうかねぇ、ロウ様」
横槍を入れたルッツは前に進み出ると微笑んだ。
「ロウ様。巷では王子なんて言われている輩がごまんといます。今や王子なんてものは量産型です。赤い王子は三倍速いのが鉄則です。…そんな中で生まれながら王子なんて言う人間こそ、ほんの一握りなんですよ」
『……ルッツ』
瞳を揺らしたロウは、しばしの間をあけて言葉を続ける。
『珍しく褒めてくれているところ悪いが、さっぱり意味が分からない』
同感だ。頷きかけたエリスは寸での所で押しとどまった。
「この空間の中で、王子と呼ばれる人間が三人います。ロウ王子に奴隷王子、そして残念王子」
自身を指差したルッツに、ロウはびくりと身体を揺らす。
『おま…!? 自分がなんて呼ばれてるのか知ってたのか…!?』
「当たり前です。猿人類から進化したのがわたしです。猿人類の言葉くらい理解できなくてどうするんですか」
羽が見えても不思議でないくらい穏やかな顔をしているが、言っている事と全く表情があっていない。エリスはたまらず吹き出すと、顔を逸らした。残念王子。似合いすぎる。身体を震わせて笑うエリスに伸びて来た手が、問答無用で両頬をつまみ引っ張った。
「いた…!」
「誰が笑っていいと言いました?」
「すいませ…っ!」
なぜだろう、こんなやりとりを以前も誰かとしていた気がする。はたと瞬いたエリスが呆けている合間に、離した手を膝に当てルッツは腰をかがめた。視線を合わせる。
「ですからロウ様。これから貴方は…この場で貴方だけは、どんな王子にでもなれるのです」
「だな」
笑いながら頷いて、ノアールは瞳を細めた。
「もう一度訊くぜ、ロウ王子。アンタはどうしたいんだ? ロウ王子がこの国を出たいって言うのなら、すぐにでも連れて出てやるぜ」
『……僕は』
ぬいぐるみはぽつりと落とすようにつぶやくとエリスを見上げた。眠そうな黒目に映ったエリスが揺れる。
『僕はぬいぐるみと入れ替わった時、絶望した。すぐにでもこの国を出ないといけないのに、…殺されるかもしれないのに、こんな事になって…困ると思ったんだ』
ごめんなさい、謝りかけたエリスの唇にそっと柔らかいものが触れる。ロウは短い手をいっぱいに伸ばすと、首を横に振った。
『だけどぬいぐるみになって、僕は初めて街に出た。城下を歩く民を見たのも、ライラの魔術書が恋文だったことも……この街に、奴隷が居た事も…僕は今日初めて知ったんだ。ノアールの言うとおりだ。僕は兄上様たちと同じもの城にいて、同じものを見て、何も知らなかった。与えられる情報だけを鵜呑みにして生きてきた。僕の姿じゃ知れなかった事を、この姿になった今日だけでたくさん知る事が出来たんだ』
「ロウ王子…」
『エリス、元の姿に戻る方法が分かるまでで構わない。僕を君の相棒として連れて歩いてくれないか? この国だけじゃなくてもいい。君が行きたい所に連れていって、見るもの全部僕にも見せて欲しい。城じゃ知れなかった事をたくさん知りたい。僕がどうしたいのか、答えを出す為に』
「でも…わたしが泊まる宿なんて安い宿ですし、とても王子様をお連れ出来るような生活はしてません。遺跡に潜ってるときは埃だらけだし…」
『その時はこうしよう』
ロウはぽんぽんと頬を叩いた。腕を叩いて、まるいお腹を叩く。途端に白い埃が舞い上がって、むわっとした煙を吸い込んだエリスがむせると、ぬいぐるみは慌てた様子で胸元を撫ぜてくれた。
『悪い、大丈夫か?』
「平気です。すいません、しばらく洗濯してなかったから…」
こほこほと咳をするエリス。一人とぬいぐるみを見ながら、ノアールは至極真面目な声を上げた。
「…悪くないな、ぬいぐるみ生活」
「ですね。もう少し触り心地が良さそうならなおの事羨ましいのですが」
似たような声音で言うルッツをエリスが睨むと、ぬいぐるみは恥ずかしそうに両目を抑える。
『すまない。つい…!』
なんだこの愛おしい生き物は。動くチャッピー、悪くない。むしろ良い。エリスはたまらず抱き込むと、力いっぱい頷いた。
「行きましょう! ロウ王子! どこへでもお連れ致します!!」
「ではロウ様は当面の間ぬいぐるみ王子と言う事で…」
『ぬいぐるみ王子は止めろ!』
「…ロウ様の身体をどうするか、ですね」
聞いていないのか、聞いていないふりをしているのか。おそらく後者であろうルッツが顎を抑えると、ノアールは宙を仰いだ。
「腕のいい医者を雇ってやる。護りにミザリーを付ければよほどの事はない限り安全だろう。が…まあ、一応カムフラージュはしておいてもいいかもな」
「そうですねぇ」
「死亡説」
「逃亡説。……とりあえずどちらも流しておきましょう。とはいえ、時間稼ぎ程度でしょうからね。もう一つ信憑性があるパンチがあればいいのですが…」
首を傾ぐ様は美しい。ルッツは瞼を伏せて考え込むと、ポンと手を叩いた。あっけらかんと言葉を続ける。
「ロウ王子がゴーストとなって毎夜出て来る、とかどうです?」
『………ルッツ、お前…僕をなんだと思ってるんだ?』
「まあまあ。今だってそう変わらないじゃないですか」
『お前なあ!』
掴みかかろうとしているのか。腕を振り回すぬいぐるみを宥めていると、ルッツの青い瞳と目があった。長い睫に彩られた宝石が愉快気な弧を描く。なんだろう、記憶の中の誰かと重なって、背筋がそわりと冷たくなった。
「貴方なら出来るのでは? エリス嬢」




