カウンセリング。
翔兵がカウンセリングを受けた時期があるのだが、こういう場合は母親である私もカウンセラーと話すことが要求される。メンタル系の病院に三軒ほどお世話になったがいずれも家庭環境や本人の発育歴のほかに私と母親との関係を含めた、私の発育歴についても聞かれた。
子供に何かあった場合は母親の発育歴が大きく影響している場合が多いのだとか。
翔兵との関わりなども聞かれるのだが、カウンセラーはそれよりは、私の発育歴の方が興味があるようだった。母親について話すことは、翔兵に聞かれたくないため、私一人で行った時に話すことにしていた。母が私にしてきたことを、おばあちゃん子の翔兵に聞かせたくなかったのだ。
「女の子なんだから。」と無理やりピアノを習わせたり、兄が遊んでいるのに私には家の手伝いをがっつり言いつけた。
そこまでならまだしも、母は気に入らないことがあると、夜中に寝ている私を起こしては、殴ったり物を投げつけた。
「テストの点が悪い。」「年下の子と遊ぶと成績が下がる。」「部屋の片付けがなっていない。」「せっかくピアノを習わせてあげているのに。」など、私に非があるにしても起こしてまで殴る必要があるかどうかということや、またなぜそんな事を言われなければならないのかと疑問になるようなことを散々言われた。
特に小学生の頃は母に優しくしてもらった記憶などほとんどなく、怒鳴られるか、いつ叩かれるか、私にだけ手伝いを言いつけられるかと、家で気が休まらなかった。
今思えば、フルタイムでの仕事のストレスや、祖父母と同居しているためのストレスだったのだろう。だが子供の頃はそんな事をわかるはずもなく。気に入らないと手を上げる、用事は私にだけさせる。そんな具合だったので私は母に嫌われていると思って育った。
今でも兄の家の用事を引き受けては、手が足りないと私を使おうとするので、実家には子供を遊びに行かせることはあっても、私自身は近づかないことにしている。
「よく今まで頑張ってこられましたね。」
涙ながらに一通り話し終えるとカウンセラーが静かに言った。
「それに、こんな具合なのに母は私にベッタリだと周りには映っているようです。」
「あなたのお母様は、ベッタリというよりは依存していますね。」
依存という言葉がストンと府に落ちた。娘は母親の味方をしてくれて当然と思っている母の行動は依存という言葉がしっくりきた。