「翔兵くんはお母さんのことが大好きなんですよ。」小学一年生の頃。
小学一年生の頃の保護者面談の際に翔兵の担任の先生に言われた言葉である。この時期の翔兵はよく暴れた。ちょっと叱ると奇声を発して攻撃をしてきたので、そのまま殴り合いになることもしばしば。そのため、担任の先生と時々、電話で相談していたのだ。
そんな日が続くうちに保護者面談の日が来た。時々、休み時間に翔兵と話をしていたことを話してくれた。
「翔兵くんは、お母さんにどうしてほしいの?」
「どういうのでもない。全部、僕のお母さん。」
というやりとりがあったそうだ。
「翔兵くん、お母さんのことが大好きなんですよ。」
この言葉に思わず涙があふれた。
私は翔兵に好かれていると思えなかった。子供の頃、自分が母に好かれているとは思えなかったように。親子の仲が良いことが普通ではないと思っていたのだ。親は子供に無償の愛情を与えると言うが、無償の愛情を子供から与えられていることを知った瞬間だった。
少し話が逸れるが、娘の璃子は小さい頃に、何でも私の真似をしていた。特に食べ物に関しては、私が食べているものは何でも口にしていた。一歳でイカスミパスタの味を覚え、二歳で生牡蠣の味を覚えた。五歳になる頃には、松茸とゆず胡椒がすっかりお気に入りで、夫からはコピーと言われる位に何でも一緒になって食べていた。そんな風に母親にくっついてくる璃子を「変わった子だなあ。」とずっと感じていて、子供が母親にべったりということが特に変わったことではないと気づいたのは、割と最近のことだった。
親は気に入らないことがあると、すぐに手や足を出す。場合によっては母親は夜中に私を叩き起こして殴った。そんな家庭に育ったせいか、そのまま私も手を上げる親になっていた。さすがに叩き起こして殴ったりはしなかったが。感情を伝え、解決する方法を知らないまま、大人になってしまったと言えば良いかもしれない。おかげで子供達、特に翔兵には申し訳ないことをしたと、今はとても反省している。
手を上げないように気をつけて、「Iトーク」という形で気持ちを伝えるようにしていくうちに、どんどん話してくれるようになった。親から受け継がれなかったことを始めるのは、容易ではなかったが、私が親に持っていた感情を思うと、虐待の連鎖ともいうべきこの状態は、なんとしても断ちきりたかった。




