階段の上のラプンツェル。
一時期、私は翔兵をそう呼んでいた。二階の自室に引きこもりっきりという訳ではなく、リビングでゴロゴロしている時間も多かったので、決して「階段の上の」というわけではないが、引きこもっている彼をラプンツェル呼ばわりしていたのだ。そして当のラプンツェル野郎は不快そうに言った。
「なんだよ。上手く言ったつもりかよ。」
「ベーつにー。」
ラプンツェルと違い、外へ行ってはいけないなどと言われているわけでもないのに外へ出たがらない彼に辟易としていた私としては、そのくらいのあだ名は許容していただきたいと心から思った。
眠っている時間が多く、学校に行きたがらないというだけで特に悪いことをしているわけではないのだが、私が一人になれないことや、睡眠障害のこともあって好き勝手な時間に昼食を作って欲しいと言い出すこと、彼のことで学校とやりとりをしなければならないこと、心配から色々と言う身内や友人の対応などが、私にはとても負担で、家にいる翔兵が疎ましかった。おやつや昼食に何か買ってきて食べようにも、気まぐれなので彼の分を買っても無駄になったり、買ってこなければ「欲しかったのに!」といじけるので、そんな事に気を遣うこともうっとうしい。電話をかけようにも、話を聞かれてしまうので、友人との電話もままならない。リビングでゴロゴロしてはやたら話しかけられる。特に小学生のうちは、買い物がてら一人でお茶をしていると、翔兵は用事を作っては携帯に電話を掛けてきていたので落ち着かなかった。自宅で仕事をしている私としては、仕事の妨害をされることも苦痛でならなかった。
短期間のことならそれもがまんできるが、長期間にわたってそのようなことを気にしながら過ごすのは苦痛で、本人がどう思っているのかなどと考えることもなかった。
いっそのこと、眠ったまま、息が絶えていれば、不登校の問題もここで終わるのに、と思ったのも事実だ。
「ラプンツェルは、最後は塔から出てくるんだよ。」
友人のそんな言葉をかけられたことがあった。
我が家のラプンツェル野郎にそんな時が来るのだろうか。いつまで続けるつもりなんだよ!と一人で悪態をついた回数も数知れず。
学校に行けてない本人が罪悪感や絶望感で一番苦しんでいるなどということは、人から聞くまで想像もしなかった。「勝手に休んでゴロゴロしてるだけじゃないの。」としか思っていなかった。