夏休み前。
私のアトピーの炎症が進む中、私の心配をよそに、子供たちそれぞれが理解を示し、手助けをしながら学校生活を送っている。
夜に眠れなくなり、朝は起きられなくなったため朝食は各自。手の状態が悪いために調理もままならず、翔兵の弁当作り休ませてもらい、しばらくはパンで我慢してもらう日々。
そんな中でも休日の補習や部活の日でも、きちんと朝には時間に起きて、私が寝ている間に学校に向かう日々。私のことで影響が出ないか気がかりだったが、杞憂に済んでいることが実にありがたい。
塾への送迎以外では私が車を出さないようにしてほしいということも理解してくれている。信じられないかもしれないが、かなり体力が落ちているために送迎だけでもかなり体力を消耗するのだ。
そんな療養生活が始まった直後に一学期の期末試験があった。塾に通い始めた成果が少し出てきたのか、結果は前回よりも上がっている。よかった。私が足を引っ張ってしまうのではと気がかりだったのだ。そしてその数日後には子供たちそれぞれ、学校での三者面談。別の日に設定してもらうことも考えたが、延期をしたところで、いつ良くなるかも見通しがつかないので、マスク、メガネ、帽子、アームカバーを着用して、期日通りに面談に向かった。
璃子の方は、五月雨登校からの巻き返しを見守る方向でこのまま行きましょう、と。翔兵の方は入学準備説明会の試験から順調に順位が上がっているということで、期待していますよ、というお言葉をいただいた。そして驚いたことに彼はクラスのムードメーカー的存在らしい。といった具合に、少々驚く話題も出たが、いずれも私の体調への心配のお言葉とともに平和に終了することができた。
「翔兵ってクラスのムードメーカーなの?」
翔兵の面談の後、帰りの車中で投げ掛けてみた。家とはまた違う顔を持っているらしいことに驚いたのだ。
「家と外を使い分けてるんだよ。ヒッヒッヒ…!」
「変なところばかりパパに似たね。」
思わず苦笑すると翔兵はまたヒッヒッヒと笑った。
外面の良さは営業マンの夫譲りである。血は争えないものである。
持ち前のお調子者加減が復活しているのは、元気になった証拠であろう。このまま元気に生活してほしいものだとハンドルを握りなおした。
「今日の晩ゴハン、何?」
「トンカツ風のアレ。」
「ああ。アレね。」
アレ、とは肉たたきでたたいた豚肉を塩麹をまぶして、それをパン粉を入れたジップロックに投入してパン粉をまぶしたものを多めの油で揚げ焼きにしているものである。本当のトンカツの方が良いと言いながらも子供たちは喜んでお代わりをしてくれる一品だ。
食いしん坊だった彼が一時期、薬の影響でほとんど食べなかったことを思うと、こうしてガッツリと食べたがるようになったことも実にありがたい。
お調子者加減もそうだが、持ち前の食欲も復活して、本当によかった。
私が調子が悪くても、お肉だけはたくさん食べさせてあげるからね。




