夏休み明け。
長い休みが明ける頃というのは、私にとって気の重い時期だった。だった、とはいってもいまだに過去形で言い切る自信はない。
「この休み明けから、もしかしたら登校するかも。」
「どうせ行かないよ。期待するだけムダムダ!」
新学期、または休み明けの頃はいつも私の中で二人の自分が対話している。
当の翔兵は「行かない」とだけ言って部屋にこもる。そんなことが何年も続いた。そのたびに、彼の人生はどうなってしまうんだろう?将来、このままだったら、年老いてからの私たちが彼を支えていけるのか?妹である璃子の人生を巻き込んでしまうのではないか?普通の表情を保つふりをして、なんどため息をついただろう。
去年からは元気よく行くようになったが、まだ安心できていない私。
そして翔兵の高校は、今日からが新学期である。しかも、始業式早々にテストがあるという鬼畜っぷり。本人の意思で進学校に入ったのだが、こちらとしては息切れが心配で、いまだに心配という“保険”を手放せないでいる。今のところ、友達にも恵まれ、頑張ればテストの点数に反映されることで元気に行っている。
なぜ“保険”なのかって?もし翔兵が息切れしたとき、私が落胆するのが目に見えているから。もし安心しきっているところへの息切れなら尚更である。だから私はいまでも“保険”をかけて彼の様子を見守っているのだ。
「明日はお弁当お願いね。」
改めて昨夜、弁当のお願いをしてきた。
「はーい。了解でーす。」
肉のおかずの多目のメニューが好きなので、お弁当は野菜とのバランスはさておき、肉が中心のメニューだ。特に夏場は安全第一でメニューが限られてしまうので、細かいことは気にしない。野菜は家でたくさん食べていただくことにしている。
「あざーっす!行ってきまーす。」
そう言って弁当袋をバッグに入れて家を出る。
「はーい。行ってらっしゃーい!」
玄関の閉まる音にホッとする朝。
頑張れ!でもつらくなったら無理しなくていいんだよ。そんなことを思いながら朝の洗い物をする。
忘れてはいけない。学校に行くことよりも、本人が元気で過ごせていることが一番。
『学校に行くこと=良い』ではなく『元気で過ごせているからこそ学校に行ける』ということなのだ。