言うことと言わないこと。
「普通の親ってさあ、テストの順位について色々言うんだってね。ママは言わないよね。」
「言ってほしい?言われてやる気が出る?」
「言って欲しくないし、言われたらやる気出ない。」
「だから、言わない。事細かに言って成績が上がる訳じゃないし。」
「言わないから、楽でありがたいな、と思ってさあ。」
「まあ、翔兵はある程度、自覚しているからね。」
そう。以前の私なら言っていたかもしれない。何かに焦ってすごく固執していた気がする。翔兵の不登校の間に、それが何だったのかすら、すっかり忘れてしまった。彼の不登校で、彼も自分自身をも苦しめていた固執が消えたのは、大きな収穫といえよう。
そういえば去年の夏にはこんなことを言っていたっけ。
「受験生だからってゲームやるだけで怒られたっていう友達、けっこういたんだけど、ママは怒らないよね。」
「まあね。気分転換を取り払うのは、却ってしんどいじゃない?テスト直前だけは、自覚してほしいけどね。」
「わかった。ありがと。」
気分転換になることがあるのは良いことだと思っている。ゲームや友達と出かけることを禁止したからといってその分、勉強をするかといえば、やるとは思えない。却って非効率なのは、自身の経験でよくわかっているから、私は言わなかった。絵本の「北風と太陽」というわけではないが、言い方しだいの部分もあるし、極端な話、この時期だけガリガリと勉強をして、無理にレベルの高い学校に入っても、ついていくのが大変だろうから、それまでのペースで入れる高校で良いだろうというのが私の考えだった。ましてや、翔兵の場合はまだ不登校およびひきこもりから復活して間もないので、体力と気力を持続させることを優先したかった。
やたら気の向くままに母親が吠えて“怪獣ママゴン”になることは、お互いのストレスになるだけで、何も効果が得られないことは、私がよく知っている。“怪獣ママゴン”は、子供の聞く耳も、やる気も奪い取っていくのだ。しかし、何も言わなかったわけではない。
「ゲームを全然やるな、とは言わない。それが原因で以前のように生活時間が乱れることを心配している。」
「わかった。ありがと。」
時間はかかったが、本人もほどほどにメリハリをつけられるようになったからこそ、そう言えるようになった。
受験が終わったころに翔兵から聞いた話だが、クラスメイトの中には「〇〇高校に受からないとぶっ殺す!」とまで言い放った母親がいたらしい。最初聞いたときは驚いたが、以前の私なら同じことを言っていたかもしれない。